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第三章 春
Order15. 横顔
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参考:「Order6.」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/209105547/463556247/episode/4896725
--------------
「この間のと同じの頼むよ」
そう言ってカウンター席のど真ん中を陣取ったのは、いつだったか酔っ払って店で管を巻いていたサラリーマン。四十代半ばでベース型の顔が特徴だ。だけど今日は完全にシラフに見えた。一通りのお客が帰り、店内には彼の他、若いカップルが一組窓際の席に座っているだけだった。
「この間から何度来ても臨時休業だっていうしよ。まったく、閉店しちまったのかと思ったよ。なんだい、あんた、店放ったらかしにしてどこ行ってたんだ?」
「ご心配お掛けしました。とんでもないフーテン野郎です。ご勘弁を」
青年はおどけながら苦味の強いブラジルコーヒーをお客の前に差し出した。焙煎はフレンチローストだ。
「フン、ちゃんと覚えてやがる」
お客は皮肉っぽく口の端を片方持ち上げると、カップに口をつける。どこか、正面のカウンター席で青年を独り占めできた事に満足しているようにも見える。
「外国行ってたんだって? 日本の桜が恋しくなって戻って来たのか?」
「名前の通り、春と秋は日本にいるって決めてるんですよ」
「まぁ、日本は土地も狭くてみんな仕事に追われててなんかギスギスしてるからな。特に都会にいるとそう感じるのかもしれないけど。日本を離れたい気持ちもわかるよ。オレもどこかに逃げたくなる時はあるからな」
「でも、この間よりずっとお元気そうですよ」
「まぁな。新入社員も入って来たし、うじうじしてたらベテランとして示しがつかんだろ。この間、連中を交えて花見したんだよ。でも酒の飲み方も知らん大人しい奴ばっかりでさ、盛り上がらなかったけどな。あんたは酒、飲めるのか?」
男はチラリと青年を見やる。
「たまには……でもひとりですけどね」
「あんた、ひとり暮らしなのか。もしかしてここに住んでるのか?」
男は青年の自宅のある二階―天井―に視線を投げた。
「ええ」
「は~ん。早く嫁さんか彼女でも見つけて落ち着いたらどうだ? 随分若く見えるけど、海外逃亡なんかやめたら充分養っていけるんじゃないのか?」
「あははは」
青年は笑って話を流した。
「今いないんなら、オレが誰か紹介してやろうか? 飯作ってくれる人位いた方が良いだろ? 親御さんはたまに来るのかい?」
お客は結構踏み込んで訊いてくる。店の奥の狭い休憩室でサンドウィッチを頬張りながら話を聴いていた少女は、話の流れが少し気になった。
「料理は僕、得意ですからね。それにひとりの方が気楽だし……」
「寂しい事言うなよ。あんたならいくらでも良い子が寄って来るだろうに」
「ほら、僕、〝流浪の民〟に近い生活してるから。誰も相手にしてくれないんですよ」
青年は、冗談とも本気ともとれるような言い方をして肩を竦めた。
サラリーマンは「だからそれをやめろって言ってるんだよ」と言いながらも、
「まぁあんたが戻って来てくれて良かったよ」としみじみした顔をした。
「会社の連中の、勝ったの負けたのって話ばかり聴いてると、無性にあんたに会いたくなってさ。あんたには本音と建前ってモンがないからな。その分遠慮ない時もあるけど、裏表のある連中とばかり付き合ってると、あんたみたいな男がとても新鮮に思えてくるのさ」
「…………」
「さぞかし良い親御さんに育てられたんだろうな、きっと。あ、これ前にも言ったか」
サラリーマンはそう言うとコーヒーを飲み干し、精算をするために席を立った。
「でも前と違って皮肉じゃねぇよ。本当に思ってるんだ。あんたの親なら、オレと同じ年位かなぁ……?」
少女は休憩室のカーテンをそっと開け、黙ってレジを打つ青年の横顔を見つめた。何にも動じない、いつもと同じシャープな輪郭……。
彼のご両親……?
〝さぞかし良い親御さんに育てられたんだろうな、きっと〟
違う、あの人は……。
なんとも言えない複雑な気分で唇を噛んだ。
「ねぇ、見て。この間の写真。待ち受け画面にしたのよ」
お客がいなくなった後、少女は無邪気な声で青年に話し掛けた。
その手にはシルバーの携帯電話が握られ、待ち受け画面をカウンター越しに青年に見せようとしている。
「あぁ、そうなの」
青年は興味無さそうに言うと、丁寧にキッチンを磨いている。
「もう、全然見てないじゃない」
「ごめん。俺、自分の顔客観的に見るの好きじゃないんだよ」
「なぁに、それ? そう言えば、旅の写真も、風景ばかりだもんね」
「いつか言わなかったっけ。俺が入ってない方が画になるって」
「聴いたような気もするけど……」
少女は、青年が見ようともしない自分の携帯電話の待ち受け画面を寂しそうに見つめた。そこには、先日一緒に見に行った桜の木の下で、嫌がる彼と無理矢理撮った初めてのツーショット写真。
いつもドキドキしているのはわたしだけ。そう思うと、嫌になってしまう。
満面の笑みを浮かべている自分と、少し照れたように視線を逸らしている彼。
いつもポーカーフェイスを装っていたわたし以上に、感情を出すのが苦手な人。
何があっても微動だにしないその横顔。
でも、心の中ではきっと色んな葛藤があるんでしょう?
わたしは訊かない。彼が自分から話してくれるまでは。
いつか話してくれるだろうか。
その心の奥に隠した暗闇。決して表に出さない表情の裏にある本当の心。
桜を背景に、視線を逸らしている青年に問い掛けてみる。
決して答えなど返ってこないとわかっていても。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/209105547/463556247/episode/4896725
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「この間のと同じの頼むよ」
そう言ってカウンター席のど真ん中を陣取ったのは、いつだったか酔っ払って店で管を巻いていたサラリーマン。四十代半ばでベース型の顔が特徴だ。だけど今日は完全にシラフに見えた。一通りのお客が帰り、店内には彼の他、若いカップルが一組窓際の席に座っているだけだった。
「この間から何度来ても臨時休業だっていうしよ。まったく、閉店しちまったのかと思ったよ。なんだい、あんた、店放ったらかしにしてどこ行ってたんだ?」
「ご心配お掛けしました。とんでもないフーテン野郎です。ご勘弁を」
青年はおどけながら苦味の強いブラジルコーヒーをお客の前に差し出した。焙煎はフレンチローストだ。
「フン、ちゃんと覚えてやがる」
お客は皮肉っぽく口の端を片方持ち上げると、カップに口をつける。どこか、正面のカウンター席で青年を独り占めできた事に満足しているようにも見える。
「外国行ってたんだって? 日本の桜が恋しくなって戻って来たのか?」
「名前の通り、春と秋は日本にいるって決めてるんですよ」
「まぁ、日本は土地も狭くてみんな仕事に追われててなんかギスギスしてるからな。特に都会にいるとそう感じるのかもしれないけど。日本を離れたい気持ちもわかるよ。オレもどこかに逃げたくなる時はあるからな」
「でも、この間よりずっとお元気そうですよ」
「まぁな。新入社員も入って来たし、うじうじしてたらベテランとして示しがつかんだろ。この間、連中を交えて花見したんだよ。でも酒の飲み方も知らん大人しい奴ばっかりでさ、盛り上がらなかったけどな。あんたは酒、飲めるのか?」
男はチラリと青年を見やる。
「たまには……でもひとりですけどね」
「あんた、ひとり暮らしなのか。もしかしてここに住んでるのか?」
男は青年の自宅のある二階―天井―に視線を投げた。
「ええ」
「は~ん。早く嫁さんか彼女でも見つけて落ち着いたらどうだ? 随分若く見えるけど、海外逃亡なんかやめたら充分養っていけるんじゃないのか?」
「あははは」
青年は笑って話を流した。
「今いないんなら、オレが誰か紹介してやろうか? 飯作ってくれる人位いた方が良いだろ? 親御さんはたまに来るのかい?」
お客は結構踏み込んで訊いてくる。店の奥の狭い休憩室でサンドウィッチを頬張りながら話を聴いていた少女は、話の流れが少し気になった。
「料理は僕、得意ですからね。それにひとりの方が気楽だし……」
「寂しい事言うなよ。あんたならいくらでも良い子が寄って来るだろうに」
「ほら、僕、〝流浪の民〟に近い生活してるから。誰も相手にしてくれないんですよ」
青年は、冗談とも本気ともとれるような言い方をして肩を竦めた。
サラリーマンは「だからそれをやめろって言ってるんだよ」と言いながらも、
「まぁあんたが戻って来てくれて良かったよ」としみじみした顔をした。
「会社の連中の、勝ったの負けたのって話ばかり聴いてると、無性にあんたに会いたくなってさ。あんたには本音と建前ってモンがないからな。その分遠慮ない時もあるけど、裏表のある連中とばかり付き合ってると、あんたみたいな男がとても新鮮に思えてくるのさ」
「…………」
「さぞかし良い親御さんに育てられたんだろうな、きっと。あ、これ前にも言ったか」
サラリーマンはそう言うとコーヒーを飲み干し、精算をするために席を立った。
「でも前と違って皮肉じゃねぇよ。本当に思ってるんだ。あんたの親なら、オレと同じ年位かなぁ……?」
少女は休憩室のカーテンをそっと開け、黙ってレジを打つ青年の横顔を見つめた。何にも動じない、いつもと同じシャープな輪郭……。
彼のご両親……?
〝さぞかし良い親御さんに育てられたんだろうな、きっと〟
違う、あの人は……。
なんとも言えない複雑な気分で唇を噛んだ。
「ねぇ、見て。この間の写真。待ち受け画面にしたのよ」
お客がいなくなった後、少女は無邪気な声で青年に話し掛けた。
その手にはシルバーの携帯電話が握られ、待ち受け画面をカウンター越しに青年に見せようとしている。
「あぁ、そうなの」
青年は興味無さそうに言うと、丁寧にキッチンを磨いている。
「もう、全然見てないじゃない」
「ごめん。俺、自分の顔客観的に見るの好きじゃないんだよ」
「なぁに、それ? そう言えば、旅の写真も、風景ばかりだもんね」
「いつか言わなかったっけ。俺が入ってない方が画になるって」
「聴いたような気もするけど……」
少女は、青年が見ようともしない自分の携帯電話の待ち受け画面を寂しそうに見つめた。そこには、先日一緒に見に行った桜の木の下で、嫌がる彼と無理矢理撮った初めてのツーショット写真。
いつもドキドキしているのはわたしだけ。そう思うと、嫌になってしまう。
満面の笑みを浮かべている自分と、少し照れたように視線を逸らしている彼。
いつもポーカーフェイスを装っていたわたし以上に、感情を出すのが苦手な人。
何があっても微動だにしないその横顔。
でも、心の中ではきっと色んな葛藤があるんでしょう?
わたしは訊かない。彼が自分から話してくれるまでは。
いつか話してくれるだろうか。
その心の奥に隠した暗闇。決して表に出さない表情の裏にある本当の心。
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