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第三章 春
Order14. 嵐のヨカン
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「アルバイトさせて下さい!」
少し茶色がかった髪をポニーテールに束ね、まるで小動物のようなくりくりした目が青年の目に飛び込んできた。
「あたし、辻まどかって言います。今高校二年です。よろしくお願いします!」
辻まどかと名乗った女子高生は、青年の答えを聴く前に自己紹介をすると、まるで体育会系の挨拶のようにペコリと頭を下げた。
「あ、アルバイトか」
カウンターの中でコーヒーカップを磨いていた青年は、細い目を数回瞬き、やっと事が理解できたような顔をした。
お客は二組。常連のサラリーマンと、三十代位の主婦がひとり。高校生が帰宅する時間なので、もう夕方四時か五時位なのだろうか。
「えーっと。あ、そうか。うーん。ごめん、今人手が足りててさ」
青年は、片方の口の端を持ち上げると、ごめんね、というポーズをとった。しかし、女子高生は目を輝かせている。
「あたし、役に立ちますよ、とっても!」
「いや、そういう事じゃなくて……」
「時給は安くてもいいから。お願い! ここで働かせて!」
女子高生は必死だ。
「お姉ちゃん、無理言っちゃダメだよ。店長困ってるじゃないか」
常連のサラリーマンが、読んでいた新聞を四つ折りにしてカウンターの上に置くと、苦笑いしている青年をチラッと見やってから、同じように苦笑いした。
「でも、あたし、もう決めたんです!」
女子高生は譲らない。何が彼女をこんなに頑なにさせているのだろうか。
「ごめんね。本当に今、人手が足りててさ。昔は何人か来て貰ってた時もあったんだけど、受験とかでみんな辞めてからは、特に募集もしてないんだよ。仮に来て貰っても、多分入って貰う時間ってほとんどないと思うよ。ご覧の通りヒマなんで」
青年は穏やかな口調で彼女に諦めさせようとした。すると女子高生はキョロキョロ辺りを見渡して言った。
「あのピアノは?」
「え?」
「誰か弾く人がいるの? まさかマスターじゃないですよね」
女子高生は、いつも少女が座っているピアノの方を覗き込んだ。小さな喫茶店には不似合いとも思われる立派なグランドピアノ。今は鍵盤蓋は閉まって誰も座っておらず、ピアノだけが静かに佇んでいる。
「ああ。ひとりだけ僕からお願いして、来れる時だけピアノを弾きに来て貰ってるんだ。今日は用事があって休みだけど」
「あ、あ、あたし! あたしもピアノやってるんです! その人が来ない時だけでも弾かせて貰えない?」
そう言って女子高生は、許可もなくずかずかとピアノの前に行くと、その黒い椅子に座ろうとした。
「ダメだよ!」
青年のいつになく厳しい声が飛んだ。驚いた女子高生は即座にピアノから離れると、まるで小学生の「気をつけ」みたいに両手を地面に向かって伸ばし、立ち尽くした。
常連のサラリーマンも、少し驚いた表情で目を見開いて青年と女子校生を見比べている。
「あ……ごめん。ピアノには触らないで」
「ご、ごめんなさい……」
女子高生は少ししょぼんとした顔で俯くと、手持ち無沙汰に両手を胸の辺りで組み、指をはじいている。
しばらく三人の間に気まずい空気が流れたが、青年が「まぁ座ってコーヒーでもどう? それとも、ジュースの方がいい?」とカウンター席に促すと、女子校生はやっと口を開いた。
「ごめんね、あたし、本当は……」
女子高生は口をモゴモゴさせている。何か言いあぐねているようだ。
「いいよ、無理に訊かないから。何か事情があるんだろ? 雇う事はできないけど、いつでも来てくれたら歓迎するし。別に何も飲まなくてもいいからさ」
「……いいの?」
「ああ。この人だって、暇潰しにいつもコーヒー一杯で一時間だよ。どう思う? 仕事中なのに暇潰しって」
青年は常連のサラリーマンを頭で指すと、彼は「ひでぇな。そんな目で見てたのか、店長」と笑った。本当にお互い打ち解けているからこんな会話が成立するのだろう。女子高生は唇をすぼめると、少しだけ笑顔を取り戻し、上目遣いに青年を見た。
「本当にいいの?」
「いいって。ここはそういうところだから」
「わかった。じゃ、また来るわ! 本当にまた来るからね!」
そう言って、落ち込んでいたのは芝居だったのかと思わせるような元気いっぱいの声で言うと、ポニーテールを揺らし、楽しそうに学生カバンを振り回しながら店を飛び出した。ちょこまかとして、去り際もまるで小動物そのものである。
「なんだい、ありゃ?」
サラリーマンはポカンと口を開けている。
「店長、彼女の事知ってるのかい?」
「いや。初めてだよ」
一度でもお客としてこの店に来た事のある人なら、青年は覚えている自信があった。だけど、彼の脳裏に引っかかるものは何もなかったので、きっと初対面だったのだろう。
「彼女いなくて良かったな。彼女繊細そうだから、あんな子が飛び込んで来たら気圧されてしまってたんじゃないか? どうする? あの子、本当にまた来るぞ。絶対諦めないと思うけどな」
サラリーマンはピアノの方に目をやりながら言った。
「大丈夫だよ。意外と強いから」
そう言って青年は微かに笑った。
少し茶色がかった髪をポニーテールに束ね、まるで小動物のようなくりくりした目が青年の目に飛び込んできた。
「あたし、辻まどかって言います。今高校二年です。よろしくお願いします!」
辻まどかと名乗った女子高生は、青年の答えを聴く前に自己紹介をすると、まるで体育会系の挨拶のようにペコリと頭を下げた。
「あ、アルバイトか」
カウンターの中でコーヒーカップを磨いていた青年は、細い目を数回瞬き、やっと事が理解できたような顔をした。
お客は二組。常連のサラリーマンと、三十代位の主婦がひとり。高校生が帰宅する時間なので、もう夕方四時か五時位なのだろうか。
「えーっと。あ、そうか。うーん。ごめん、今人手が足りててさ」
青年は、片方の口の端を持ち上げると、ごめんね、というポーズをとった。しかし、女子高生は目を輝かせている。
「あたし、役に立ちますよ、とっても!」
「いや、そういう事じゃなくて……」
「時給は安くてもいいから。お願い! ここで働かせて!」
女子高生は必死だ。
「お姉ちゃん、無理言っちゃダメだよ。店長困ってるじゃないか」
常連のサラリーマンが、読んでいた新聞を四つ折りにしてカウンターの上に置くと、苦笑いしている青年をチラッと見やってから、同じように苦笑いした。
「でも、あたし、もう決めたんです!」
女子高生は譲らない。何が彼女をこんなに頑なにさせているのだろうか。
「ごめんね。本当に今、人手が足りててさ。昔は何人か来て貰ってた時もあったんだけど、受験とかでみんな辞めてからは、特に募集もしてないんだよ。仮に来て貰っても、多分入って貰う時間ってほとんどないと思うよ。ご覧の通りヒマなんで」
青年は穏やかな口調で彼女に諦めさせようとした。すると女子高生はキョロキョロ辺りを見渡して言った。
「あのピアノは?」
「え?」
「誰か弾く人がいるの? まさかマスターじゃないですよね」
女子高生は、いつも少女が座っているピアノの方を覗き込んだ。小さな喫茶店には不似合いとも思われる立派なグランドピアノ。今は鍵盤蓋は閉まって誰も座っておらず、ピアノだけが静かに佇んでいる。
「ああ。ひとりだけ僕からお願いして、来れる時だけピアノを弾きに来て貰ってるんだ。今日は用事があって休みだけど」
「あ、あ、あたし! あたしもピアノやってるんです! その人が来ない時だけでも弾かせて貰えない?」
そう言って女子高生は、許可もなくずかずかとピアノの前に行くと、その黒い椅子に座ろうとした。
「ダメだよ!」
青年のいつになく厳しい声が飛んだ。驚いた女子高生は即座にピアノから離れると、まるで小学生の「気をつけ」みたいに両手を地面に向かって伸ばし、立ち尽くした。
常連のサラリーマンも、少し驚いた表情で目を見開いて青年と女子校生を見比べている。
「あ……ごめん。ピアノには触らないで」
「ご、ごめんなさい……」
女子高生は少ししょぼんとした顔で俯くと、手持ち無沙汰に両手を胸の辺りで組み、指をはじいている。
しばらく三人の間に気まずい空気が流れたが、青年が「まぁ座ってコーヒーでもどう? それとも、ジュースの方がいい?」とカウンター席に促すと、女子校生はやっと口を開いた。
「ごめんね、あたし、本当は……」
女子高生は口をモゴモゴさせている。何か言いあぐねているようだ。
「いいよ、無理に訊かないから。何か事情があるんだろ? 雇う事はできないけど、いつでも来てくれたら歓迎するし。別に何も飲まなくてもいいからさ」
「……いいの?」
「ああ。この人だって、暇潰しにいつもコーヒー一杯で一時間だよ。どう思う? 仕事中なのに暇潰しって」
青年は常連のサラリーマンを頭で指すと、彼は「ひでぇな。そんな目で見てたのか、店長」と笑った。本当にお互い打ち解けているからこんな会話が成立するのだろう。女子高生は唇をすぼめると、少しだけ笑顔を取り戻し、上目遣いに青年を見た。
「本当にいいの?」
「いいって。ここはそういうところだから」
「わかった。じゃ、また来るわ! 本当にまた来るからね!」
そう言って、落ち込んでいたのは芝居だったのかと思わせるような元気いっぱいの声で言うと、ポニーテールを揺らし、楽しそうに学生カバンを振り回しながら店を飛び出した。ちょこまかとして、去り際もまるで小動物そのものである。
「なんだい、ありゃ?」
サラリーマンはポカンと口を開けている。
「店長、彼女の事知ってるのかい?」
「いや。初めてだよ」
一度でもお客としてこの店に来た事のある人なら、青年は覚えている自信があった。だけど、彼の脳裏に引っかかるものは何もなかったので、きっと初対面だったのだろう。
「彼女いなくて良かったな。彼女繊細そうだから、あんな子が飛び込んで来たら気圧されてしまってたんじゃないか? どうする? あの子、本当にまた来るぞ。絶対諦めないと思うけどな」
サラリーマンはピアノの方に目をやりながら言った。
「大丈夫だよ。意外と強いから」
そう言って青年は微かに笑った。
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