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第二章 秋

Order8. 手紙

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「あの子、また書いてるね」
 ピアノ弾きの少女は、青年にそっと耳打ちした。
「ん? ああ、あの子ね」
 紺のセーラー服で、髪をお下げにしている幼い顔立ちの彼女は、入り口からふたつ目にあるふたり掛けのテーブルに腰掛け、何かを熱心に書いていた。
「ラブレターかな?」
 少女は、少し顔をほころばせて言った。
「さぁね?」
 少女が「ラブレターかな?」と言ったのは、彼女が書いているのはノートや原稿用紙ではなく、可愛い薄水色の便箋だったからである。もうこれで一週間連続だ。毎日学校が終わった夕方に現れ、一杯のホットココアを飲みながら熱心に便箋に何かを書き連ねていた。
「S中学って書いてるね、学生カバン」
「こら。必要以上に立ち入らない」
「はぁ~い」
 青年にたしなめられ、少女は肩を竦めて自分の指定座席に戻る。だけど青年も、ちょこんと座って無心にペンを走らせているお下げの彼女の事は、以前から何となく気には掛けていた。
 ここに来るお客の中で最年少、という訳ではないのだけれど。
 彼女は、一口ココアを口に運ぶ。その黒い瞳に映っているのは、薄水色の便箋と、
そこにしたためられている限りない言葉達だけ。

………………………………………………………………

 また、あたしは手紙を書いています。これで何通目だろう。渡せないってわかっているのに。
 だけど、どうしても書かずにはいられないんです。あなたにだけは知っててほしいから。
 あたしが死んだら、きっとこの手紙を誰かが見つけてくれる。そしたらもしかして、あなたの目にも入るかもしれない。あたしはそれだけを期待してる。だから今日も、手紙を書きます。
 あたしは今、いわゆるイジメにあっています。でも、小学生の時からずっとだから、もう今では慣れっこになってる(これは開き直りじゃなくて、諦めなのかな?)。でも、誰も気づいてくれないの。学校の先生も、両親も、兄弟も。最初はとってもうらんだよ。どうしてあたしばっかり。どうしてあたしなのって。でも、もういいんだ。あたし、もう疲れちゃった。
 それにね、あたしのせいでもあるの。みんなに、気づかれないようにかくしてるのもあたしだから。だって、知られたくないんだもん。こんなの、カッコ悪いでしょう?
 今さらこんな事誰にも相談できないよ。いじめてる子達だって、きっともう悪気なんてないんだ。きっと感情がマヒしちゃってるんだと思う。
 誰かターゲットがいなきゃ、ダメみたい。だから、あたしがいなくなったら、きっとまた他の子がいじめられるんだろな。その子には悪いなって思う。
 もしもあたしが死んで、この手紙を読んだ人は、あたしが心の病にかかってたって思うかな。でもね、本当に心を病んでるのはあたしじゃなくて、いじめてる子達なんだよ。
 何かを誰かにぶつけないといられないの。そうしなきゃ自分の心を保てないの。徒党を組むって言うのかな? ひとりひとりはいい子なのに、グループになると何故か意地悪になっちゃうの。グループの中で反対意見を言うと仲間外れにされると思って、きっとおびえてるんだと思う。そんな中でしか自分の居場所を確保できないの。なんだか可哀想だよね。
 なんて、これから死のうって思ってるあたしが、いじめてる子達に同情してるのも変な話だよね。

 今あたしは『春秋館』にいます。
 ここは、何年か前、お母さんと一緒に来た事があって、ちょっと思い入れがあったんだ。普通、中学生がひとりでこんな所に来たら注意されるかなって、最初はちょっとこわごわだったの。でも、お店の人はちっとも怒らなかった。
 コーヒーの匂いと、ピアノの音がいつもあたしを迎えてくれる。いつも同じこの場所にあたしを座らせてくれる。ここがあたしの場所だよって言ってくれてるみたいに。
 ここは、すごく居心地がいいの。学校より、家より、ずっと。不思議でしょ。

 あなたなら、あたしの事ちょっとはわかってくれるような気がしたの。この手紙を読んで、いつかあぁこんな子がいたなって思ってくれたらそれでいい。
 だからこの手紙を置いて、あたし死ぬつもり。
 じゃあね。バイバイ

………………………………………………………………

 彼女は手紙を三つ折りにすると、そっとカバンに仕舞い込み、店内に目を向けた。
 青年はカウンターに座っている年配の男性と話を弾ませている。少女は優雅に彼女の知らない曲を奏でている。
 彼女は、手紙を仕舞ったカバンをそっと押さえた。そして、もう一度カウンターに目をやると、青年と目が合い、彼がニコッと微笑んだ。彼女は慌てて目を伏せる。
〈また、明日もここで手紙を書いていいですか?〉
 彼女は、言葉に出せない言葉を心の中で発し、唇を噛んだ。
 彼女の中に、小さな望みが生まれている。「あなた」に宛てた手紙を書き続ける事。それだけが今彼女を生かしている糧。生きている理由のすべてだった。名前も知らぬ、話らしい話もした事のない「あなた」への手紙。
〈ここだけがあたしの場所。このままのあたしを受け入れてくれる空間。あたしの存在をひとりの人間として認め、見ていてくれてる〉
 彼女はココアを飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「あの……ごちそう様でした」
 心臓の鼓動が激しくなる。名前も知らぬ「あなた」に、初めて自分から声を掛けたその瞬間に。
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