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セリュート
それがボクのなまえ。

部屋で久しぶりに出した最初の日記帳に書かれた、最初の言葉。
字の練習にと贈られたその紙束に、「本みたいでかっこいい」と喜んだ記憶と
今使っている重々しい装丁の日記帳と比べて愛着が勝った。
紙の質から茶色く変色もしているヨレヨレの紙は、今の私には不釣り合いだろうが

思い出くらい装わないでいよう。

貴族の私でいるのは、思う以上にストレスというやつが殴りかかってくる。
剣で切り捨てられれば良いけど、熟練の騎士でも無理だそうだ。

「ハゲるなよ」って子供に言う台詞だろうか?
と訓練に付き合ってくれた冒険者の言葉を思い出しつつ、独り静かに朝食を食べた。

マナーのレッスンも兼ねて。

「本日の書類は、嘆願書もあり…」
執事が概要を話すのに耳を傾けながら優雅に食事を進めた。

よくあった朝食風景だ。
家にいる時はだいたいマナーと報告のある、独りの朝食。

昔が懐かしいと言うほど、年齢は重ねていないけど
小さい頃は使用人に混じって、使用人の台所で明るい食卓を囲んでいたのだ。
3年も経っていないのに懐かしい。

それを思い出しながら、よそ行きのマナーで食事を味わう。
うちの料理長が、腕によりを掛けた料理がまずいはずは無いのに、心持ち物足りない気分になる。

料理長の腕を褒めながら食べ終えた。

紅茶が出される。
朝食後の習慣だ。

「発言しても?」食事中は喋らないを終わらせる。

「はい。セリ様」

セリは、セリュートという名の愛称になった。古参の使用人はそう呼ぶ。
この執事は古参と言うほど歳ではないけど、家の執事長を祖父に持つ。
古くから使えてくれる執事で、私付きの協力者である。


「明日の食事は、こうはならないからね?」
久しぶりのマナーのチェックと着替えの手間に文句を言った。

いつもなら朝早く鍛錬に行くので、型式張った朝食はごめん被りたかった。
「今日は書類仕事を片付ける。」に返ってきたのは

「それでは、ついでに」と既に用意されていた朝食のために
身支度させられたのだ。少々の不満が漏れた。

「では晩餐にでも」追加のマナー講習を入れられそうだった。

「それは、冒険者の人たちがいない時にして。」

バッサリ断る。

この家の別棟には、冒険者を招待している。

戦力強化の一端ではじめた、冒険者ギルドを通した依頼協力だ。
宿の少ない商人向けにやっている宿では手狭。
それならと、冒険者パーティが長期の滞在を勧めている。

中級宿程度の金銭を取り、食事と寝床を提供する。
屋敷の前に広がる森に野宿することも多い冒険者には、町の宿より近い屋敷の
自由に使える広さが好評だ。

武器を振り回している人や、魔法を撃つ音が聞こえる時がある。

酒も店もないところだが、仕事の拠点として上々と言う話だった。
問題はやってきた冒険者と町の宿でのことだったので、多少貢献しただろう。

女性を呼べないこともないが、トラブルになるので勘弁だ。
冒険者を抑えられる人間が限られている。

もちろん、私には務まらない。

気の良い人が多いが、職業柄荒っぽいところもあり
型にはまらない性格からか、時に変な行動を目にする。

冒険者の奇行にも慣れてきたが、この家の者として冒険者と家の者への心配りは
欠かさないようにしたい。


それも仕事の一端と言えば聞こえはいいが、
果たして、9歳の自分にどれほどのことができるのか。

それでも自分で決めたこと。6歳からだった。
執事の
協力のもと、やれることからやっている。

剣の素振りも始め、勉学も実践的な話をしてもらう。
成長著しい年ごろなのだ。
秀才と褒められる頭が、活きると良いけど。と思い午前の書類仕事の手伝いから
午後の授業を頭の中で組み立てた。

さて、1日の始まりだ。
紅茶を飲み終え、執務室に向かった。

執事がノックし、扉をあける。
「おはよう御座います」
既に当主補佐が席に座って、書類を捌いている。

「おはよう御座います、当主補佐。」

「おはよう、セリュート。」顔を上げ挨拶してくれたのは
現在、当主の仕事を一手に引き受けている元執事長だ。
この人がいなければ、この家は既になかったと思う。

祖父の友人であり、執事長を務めていたガイサス。

私、
セリュート・ヴェーネンは
ヴェーネン家の跡取りとして、仕事を学んでいる。

当主“代理”として。

現当主は、ここ何年も
正確に言うと9年近く行方不明になっている。

その9年前さえ、一文だけのメモと赤児が送られてきた
だけと言う痕跡のなさ。
追跡は難航し、頓挫した。

その赤児が私だが、今は貴族の子息としてふさわしい教養…
の前に実務を捌けるよう、実際に参加している。

まだ助力にはならないが、今後この仕事のいくつかを受け持つ予定だ。
その理由は、ガイサスおじさんをフリーにすること。

この仕事を放っておくわけにもいかず、補佐と名がつくが実質
当主の仕事を担ってくれている。おじさんは当主を探し出すことに使命感を持っている。

現在なんとか成り立たせているこの家に、当主がいないのは弱点でしかない。

今すぐに当主を探しに行くのは、無理だが

未だに行方の掴めない当主を探しに行く人が必要だ。
まだ諦められないとも言える。

本人の認証がなければ開かない金庫や、魔道具がそのまま
放置され、後継の任命もできない状態だ。
それも当主が見つかれば解決できる。

そろそろ、外の人たちが煩いのだそうだ。
関係のある貴族とこの家のことに口を出そうとする者が少なからずいるが当主補佐が退け
守っていくれているが、この先、当主の力がなければ足りなくなる。

私が仕事できるようになれば、少し離れて当主探しにかかりきれると踏んでいる。
私付きの執事も協力者なのだ。

文字は読めるが、わからないことだらけだ。
記憶して、調べ、教師も交えて理解する。

そのスピードは同年齢の習熟度より実践的な知識となったが
全然足りない。

当主が手をつけていた魔道具の方も、進める必要があるが
今はいつも積み上げられる書類が優先だった。

魔物の氾濫が起きて、物が足りないでは話にならない。
それは避けなければならない事柄だった。

現在も当主の捜索依頼は出されている。
たまに来る情報は、賞金目当てのガセネタか貴族を手玉に取れると詐欺を働く者。
今は当主代理が跳ね除けているが。

王都の方の貴族も騒ぐようになってきたらしい。

辺境と言えど古い家柄
森からの恵さんに算盤を弾く音が聞こえるが、そんなに甘い土地ではない。
戦いを知らない貴族が生き残れる土地ではないのだ。

遠く離れると、魔物の脅威も森の冷徹さもわからないらしい。


ここに来る冒険者にも当主の行方の話を聞くも
全く、生きているのかさえわからない状態だった。

絵姿でしか知らない父という人。
それはもう慣れたように話をして聞き出す作業。
そこに、親愛の情や心配など浮かびようがなかった。

私には、父母共に会った記憶がない。

家の者も、母がどんな人かもわからないと言う。

なんともおかしな貴族の家だ。辺境の地、魔の森と呼ばれる近くに屋敷を構え
有事の際に町を守る砦であり、この辺りの貴族家には珍しい魔術を学ぶ家だった。
文官も輩出する家柄で遥か昔に王家の血筋の方を迎え入れたらしいとは、この屋敷の本で知ったことだ。

屋敷の所々で、その歴史を語る物を目にしても
子どもにその系譜を語る者は居らず、成長を見守られるだけだった。

屋敷に居た者の中には
「本当に当主の子なのか?」と疑惑を持たれたが、当主の持ち物とともに送られてきたこと
もあって、いつのまにかたち消えた。


健やかに成長するも、その周囲の環境に自信で考え
ある答えを出すに至る。

“貴族の子息として生きる”

その決心をした6歳の子供だった。
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