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1章 ぼくに舞い降りた事件の話

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 三年ぶりに再会した幼なじみに、ほとんど夜通しと言っていいほど、散々説教をされた次の日の朝。
 コーヒーでなんとか頭をたたき起こそうとしていたぼくは、昨日初めて会ったばかりの二人の刑事と二度目の再会を果たした。
 どこでって?
 もちろん、ぼくの家で。――つまり無作法にも、やつらは朝っぱらから捜査と称して事前連絡もなしに人の家に押しかけてきたというわけだ。まったく、近頃の警察ときたら。
 ぼくが不機嫌さを目一杯アピールしながら部屋のドアを開けると、その百倍くらい冷ややかな顔をした長身の男がぼくを見下ろしていた。
「……殺人事件の捜査で、刑事を翻弄するとはいい度胸だ、ミスター・ポッター」
「前回も言ったと思うんだけどさ、インスペクター ・ロビンソン。ぼくのことをファミリーネームで呼ばないでくれる?」
 ぼくが精一杯、反社会的な態度で顎を反らせてそう言うと、ロビンソン警部補は聞いているのか聞いていないのかよく分からない、絶妙な表情で眉をあげた。
 そして、ぼくの言葉をきれいに無視して続ける。
「今度こそ、アラン・マクスウェルについて知っていることを全て話してもらおうか」
「昨日あんだけ根掘り葉掘り聞いたくせに!」
「ところが、どうやら十分ではなかったようでね」
 警部補が冷ややかな眼差しのまま、皮肉たっぷりに口角を上げる。
「友人と言うのは、相手の無念を晴らすための協力は惜しまないものだと思っていたよ。まあ君が犯人なら、非協力的な態度も頷けるが」
 その言葉にぼくがぎょっと震え上がったところで、事務所から昨晩ぼくのソファベッドで一夜を過ごしたクマが――間違えた、ぼくの幼なじみがぬっと顔を出す。
 顔は洗ったようだが、どうやら右耳の後ろの寝癖には気づかなかったらしい。黒髪の一部をぴょんと飛び跳ねさせたまま、男が侵入者に向かって肩をすくめた。
「脅すのはそのぐらいにしてやってくれ、サム。こいつにはもう、十分に効いているから」
「ブライアン、ダーシーか?」
 少し探るような声でそう言ったロビンソンは、だがすぐに納得したように頷いて続ける。
「ああ、確かに君だ。何度か顔を合わせたな。情報提供に感謝する」
「この裏切り者め」
 恨めしさを存分に含んだ声でぼやくぼくを無視して、部屋着の中でも特大のサイズのものを着込んだブライアンが、ネコ科の大型動物のように足音を立てずにこちらに歩み寄ってくる。
「あなたがこうしてやってきたということは、警察は被害者がゲイであるということをまだつかんでいなかったのか。その辺りのことは、さすがに明るみになっていると思っていたんだが」
「言い訳がましいが、被害者は自身の性的指向を特定させるようなものを一切所有していなかった。周りにそれを漏らしてもいなかったし、デート相手も女性だった。深い仲ではなかったようだが」
「ああ、女の子ともデートしてるって、そういえば言ってたような」
 何気なくポロリと漏らしたぼくをサディスティックな視線で切りつけ、ロビンソンが続ける。
「それに、なぜか彼の家族が捜査に非協力的でな」
「かなり厳格な父親だと聞いた。被害者はずいぶん父親に怯えていたと」
「そうだろうさ」
 そう言って、喉の奥で低く笑いを落としたロビンソンが、ふと笑いを止めてブライアンをじっと見つめた。
「……その情報は、この坊やから?」
「ああ」
「なるほど?」
 焦げ茶色の目が、ぼくを見下す。くっきりとしたたれ目は意外なほど可愛らしかったが、この男の持つ威圧感を払拭するほどではなかった。
 男が続ける。
「君の友人に聞くべき話題が増えたようだな、ブライアン」
「ちょっと、うそだろ?!」
「おれは同席しても構わないか?」
「本来なら遠慮してもらいたいところだが、仕方がない。こちらとしてもその方が――」
 勝手に話を進める二人の間に、ぼくがなんとか口を挟もうとしたまさにその瞬間、柔らかくも鋭い、独特の声がロビンソンの声を遮った。
「サム」
 思わず声の主へと顔を向けると、ぼくとブライアンの視線の先で、それまで静かに沈黙を守っていたグエン刑事が、彼にしては少し強い視線でロビンソン刑事を見上げていた。
 当のロビンソンは、彼の制止を予測していたのだろう。特に驚いた様子もなく頭だけで振り返り、部下の視線を肩越しに受け止める。
「君が言いたいことはわかっている。だが別におれは、この二人にペラペラと情報を話そうとしているわけじゃない」
 上司から目を逸らさないまま、グエン刑事が沈黙で答えた。
 思わず顔を見合わせたぼくとブライアンの目の前で、ロビンソン刑事が身をかがめ、グエン刑事の耳元にボソボソと何かを囁く。それに対してボソボソと何かを反論していた青年が、だがやがて諦めたようにふう、と目を伏せた。
「――あなたがそういうのなら」
 おいおい、もうちょっと粘ってくれよ。
 まとまってしまいそうな話に、ぼくは今度こそ慌てて口を挟む。
「ちょっと待った! ぼくはまだインタビューに応じるとは言っていないぞ」
「事情聴取な」
「そうそれ!」
 そう頷いてから、ぼくはこれ見よがしに眉をあげてぼくを見下ろす警部補に向かって必死に言い募った。
「なあ、これはアランが最も恐れていたことなんだ。わかるだろ? あいつにとって、死ぬよりもこのことが明るみに出るほうが怖かったんだよ」
「被害者には同情するが、捜査の手を緩める理由にはならない。犯人を野放しにする気はないんでね」
「――もし、ぼくが捜査には応じないって言ったら?」
 ロビンソンの目が、ぎらりと光る。
「公務執行妨害の容疑で……」
「脅迫する気か、卑怯者ぉ」
 男の言葉を遮りながら、ぼくは低くうめき声をあげた。全く、なんという一日の始まりだろう。そういえば、ぼくはまだコーヒーすら口にしていないのだった。
「とりあえず入ってよ。事情徴収に応じるかどうかは、コーヒーを飲みながら話し合って――いたっ!」
「事情徴収には応じる」
 ぼくの頭にドスッとその大きな手を置いた男が、ぼくの代わりに勝手に返事をする。
 そして、視線で二人を事務所に促しながら続けた。
「中へ入ってくれ。おれも今までの人生で一番コーヒーが飲みたい気分でね」
 ブライアンの言葉に、ロビンソンがやや気取った仕草で頷き、ぼくの部屋へとすたすた足を踏み入れた。遠慮なんて言葉は、かけらも見当たらない。こうやっていつもずかずかと人の家にあがりこんでいるに違いない。
 二人の刑事はそのままソファにそれぞれの居場所を定めると、ほとんど反射的にと言っていいほどさりげなく周囲に視線を走らせた。
 特に目を引くものはなかったのだろう。グエンがぼくの方へと視線を戻し、口を開いた。
「ルーカス。まずはもう一度、アラン・マクスウェル氏のことをお聞きしたいのですが」
 どうやら選手交代したらしい。ぼくは朝用の深煎りコーヒーを四つのカップに注ぎ、ブライアンの手を借りてそれを運びながらため息をつく。
「……もう大抵のことは、話したと思うけどね」
 ぼやきつつ、ぼくがそれぞれの刑事の前にカップを置くと、二人は少々面食らった様子で、目の前のコーヒーをじっと見つめた。
 刑事が二人して、たかがコーヒーカップに何を驚いているんだか。
「何の変哲もない、ただのコアラとカンガルーのカップだろ。それが重要な証拠にでも見えるのかい」
「いや、君に人をもてなすような常識が備わっていたのが意外でな」
「オーケー、あんたはそれを飲むなよインスペクター」
 不機嫌なぼくの制止を無視したロビンソンが、腹がたつほど優雅なしぐさでカップを口に運ぶ。
 その隣でグエンがぼくに向かってにこりと微笑んでみせてから、コーヒーを口に含んだ。直後に二人の目が驚愕に見開かれる。
「驚いた。とても美味しいです」
「だろ? ――言っとくけど、あんたにはもう出さないないからな、ロビンソン警部補」
「遠慮する必要はない、ポッター。砂糖はどこだ?」
「ええと、話を戻したいんですが、ルーカス。アラン・マクスウェルは同性愛者で、あなたは彼の相談に乗っていたと言う話を聞きました。事実ですか」
 いきなり核心に踏み込まれて、ぼくは言葉に詰まった。じっとこちらを見つめてくる、左右線対称の美しいアーモンド・アイズから目を逸らし、力なく反抗してみる。
「故人の性的志向を嗅ぎ回るなんて、悪趣味だ」
「同感です」
 笑顔で肯定しつつ、一ミリたりとも引く気配のない若い刑事に、ぼくはしぶしぶ「イエス」と答えた。気のせいだろうか。ぼくの答えに、部屋の空気がピリッと張り詰める。
「――彼に特定の恋人は?」
「いない、と本人は言ってたよ」
「彼は自身の性的指向を周囲に隠していたようですね」
「ぼくも、そう聞いてる」
「なぜ、あなたには話をしたのでしょう」
「話すもなにも、出会いゲイバーだからさ。初めから、お互いそうなんだろうと分かったってだけだよ。まああいつの方は思い詰めて一度訪ねてきただけだったから、ぼくと会って以降は通ってないみたいだけど」
「初めて彼と会ったそのバーの名前は? ――今度は、どうか正直に」
「カフェ・リトルレキサンドラ。名前で検索すれば、すぐ分かるはずだ」
 ぼくの答えに、ブライアンがもの問いたげにこちらを見た。やつの聞きたいことはわかっている――答えはイエスだ。カフェ・リトルレキサンドラは、ぼくたちの共通の知人、マックスの店だった。
「なぜ、嘘をついたんです?」
「アランに、自分があの店にいたことを一切誰にも言わないで欲しいと頼まれてたんだ。女性もストレートもいるけど、客の大半はやっぱりゲイだからさ。自分がゲイだと分かる、あらゆる可能性を排除しておきたいって。ぼくらに共通の知人なんていないのにな」
「あなたと彼は、恋人関係にあったんですか?」
「いや。アランは男嫌いだったし、そもそもお互い好みじゃ――」
「どういうことだ」
 すかさず口を挟んだロビンソン刑事に、ぼくはちらりと視線を向けた。
「何が?」
「ゲイなのに男嫌いだという事情を、詳しく話してくれ」
 一体その質問がどうして捜査に必要なんだよ。
 ぼくはそらせた視線を自分の足元へと戻しながら、ぼそぼそと口を開く。
「アランは男を嫌悪してたよ。特に父親と同じような、男らしい男を。それなのに、うっかり父親と同じ性別、しかも同じような言動を繰り返す人間に欲情したことに、ひどくショックを受けたんだって」
「男らしい男……なるほど」グエンの声が低くなる。「アランの父親について、彼から話を聞いたことがあるんですね」
 刑事の確認の言葉に、ぼくは少しの間口をつぐんだ。
 父親の話をしていいものか、ぼくは少し迷っていた。はっきり言って、少しも楽しい話じゃない。
 しばしの逡巡の末、ついに観念して重い口を開く。
「……まあね。あいつは、自分のファミリーネームすら最後までぼくに名乗らなかったけど、父親のことはよく話した」
「彼が父親のことをどう語っていたのかを、教えてください」
「まあまあ気分が落ち込む話だよ」
「どうぞ」
 刑事の即答に、ぼくはため息をついた。考えてみれば、人間のグロテスクな部分の話など、彼らは聴き慣れているんだろう。
「あいつの話す父親は、かなり支配的な人だったな。それに、情緒不安定でもある」
「へえ……」
「アランがほんの少しでも自分の意に沿わないことをすると、突然怒り出して、アランの自尊心をそれはもう、粉々にすりつぶそうとするんだって」
「もう少し、具体的にどういうことがあったのか、聞いていませんか?」
「そうだな……例えば小さい頃は、ことあるごとにいかにアランが間抜けで間違っているかを懇切丁寧に語って聞かせていたらしい。笑顔を見せたと言う理由で、怒鳴られたこともあったって。父親に、笑わないよう教育されていたらしいんだ。でも外で、友達と笑いあっていたところを見つかっちゃったんだと」
「それはそれは」
 グエンが口元に笑みを刻んだまま目を細め、ロビンソンがその隣で思い切り眉間にシワを刻んでいる。
「アランは、父親が彼の人間性を執拗に否定する態度に、とにかく参ってるようだったよ。自室の本を全部燃やされたのが、とにかく辛かったって。父親は、アランが意思を持って本を所有することが、どうしても気に食わなかったみたい。家に帰ったらたびたび、部屋が荒らされたり本が捨てられていたりすることがあったみたいだから。――ずいぶんと、人の個性や『自分らしさ』と言うものを、嫌悪する人みたいだね。抑圧されて育ったのかな」
 それまで淡々と手帳にメモを取っていたグエンの手が、ぼくの最後のコメントにぴくりと反応した。
「抑圧されて……どうして、そう思ったんです?」
「え? だって、自分が自分らしくいさせてもらえなかったから、息子が自分らしさを謳歌することが許せないんだろ?」
「興味深いご意見です。――サム」
 グエンの呼びかけに、ロビンソンが目を閉じてふう、と長いため息をついた。
 目頭の辺りを指でほぐし、口を開く。
「その父親に似た男に、マクスウェルは興味を惹かれたのだと言っていたな?」
「まあ、そうだね。父親と似たタイプというのは、ぼくのただの印象だけど」
 いっそう緊張を増していく部屋の空気にやや気圧されながら、ぼくは頷いた。
「彼の話に出てきたその人のことを、話してもらえませんか?」
「男だ」ロビンソンが鋭く口を挟んでくる「若い男――被害者と同じ、二十代前半の男の話が出てきていたら話してくれ。全員分な」
 全員分! ってぎょっとしそうになったけれど、考えてみたらそもそもアランの話に登場人物は少ない。年齢はわからないけど、とにかく男の話ならせいぜい四人に絞られる。
「ええと……高校生時代の同級生の話はよく出てきたな。当時は気づかなかったけれど初恋だったかも、って。誰に対しても公平な学校の中心人物」
「もしかして、彼の特別な相手だった?」
 オリバーが、かすかに身を乗り出した。刑事の興味を引いてしまったことに気がついて、ぼくは少し慌てる。
「いやいや、実際はそんなに仲が良かったわけでもないんだって。卒業後は連絡も取っていなかったみたいだし」
「高校卒業後、一度も?」
「アランの話だと、そう」
 ――彼はさ、完璧なんだ。
 ぽつりと落とされた、その言葉ににじむ深い、深い憧憬。異世界の物語でも語っているかのような、遠い目。
 ――全身に光をまとっているような人だった。キラキラしていて……ぼくはあの光に、気づかなければよかったのかもしれない。
「なるほど……それから?」
「次は――そうだ。よくつるんでる友達三人の話もしてたよ。性別も名前もわからないけど、話の感じだと男じゃないかなあ。『三年間気づいたら一緒にいるんだけど、もしかしてぼくは友達だと思われてるのか?』なんて言うもんだから、笑っちゃったよ。週に四回は一緒にランチしているくせに!」
 思わず口角を上げた瞬間、胸に切り裂かれるような痛みが走った。その痛みにぼくはすぐに笑いをひっこめ、続ける。
「でもまあ彼らに関しては、ちょっとした愚痴をいうくらいだったな。すぐにゲイを笑いのネタにするってぶつぶつ文句言ってた」
 むっと目を細めて怒っているアラン。いつもは老けてさえみえた彼の静かな表情が、少年のように波打つ。まっすぐな憤りに燃える、若者の目。
 ――マイノリティに身を置いたことのないやつには、自分の言葉を怯えながら聞いている人間がいるなんてこと、どうせ一生、理解できない……
「……そうは言っても、いい友達だったんだろうと思う。文句を言いつつ楽しそうに話していたからね」
「繰り返しの質問になりますが、アランに恋人はいなかった?」
「本人はいないって言ってたけど、体の関係を持った相手はいたと思う。何となくピンときたってだけだから、どうしてそう思ったかなんて、聞かれても困るぞ」
「いつ頃から、それを感じましたか」
「ここ最近のことだよ。たぶん、そうだな……ここ二ヶ月くらいのことだと思う」
「相手の方の名前はわかりませんか?」
 その質問に、ぼくは首を横に振って答えた。
 そもそも、あれが特定の相手とのことだったかどうかも分からない。自己嫌悪と自分以外の男の熱に昏く目を瞬かせた、まだ鮮やかに蘇る青年の姿。
 脳裏に浮かんだ彼の姿に、ぼくは再び胸を突かれる。あれはまだ、たった二日前のことなのに。
 そんなぼくの様子に気がついたのか、グエンがどこか気遣わしげな視線をぼくに送ってきた。大丈夫だと伝えようとして反射的に微笑み返すと、彼の表情もまた優しいものになる。
 今気がついたんだけど、この人けっこうぼくの好みかもしれない。
 グエンはもう一度にこりと微笑むと、表情を元に戻して続けた。
「ちなみに、その相手が、彼が魅力を感じて絶望したという『男らしい男』である可能性はありませんか」
「わかんないよ。関係を持った相手について、話題が出たわけじゃないんだってば。単にぼくが相手の存在に気づいちゃっただけで。もしかしたら、一夜の関係を数人と結んでたのかもしれないよ。もしそうなら、犯人探しとしては無駄足じゃないかな」
 そんなことを主張してみたが、ぼくの意見に二人が同意していないのは明らかだった。
 いや、三人か。ぼくはちらりと、斜め向かいの椅子に腰掛けるブライアンに視線を向ける。
 淡々とした様子でコーヒーを口にするぼくの幼なじみは、どこか冷ややかな空気をまとっていた。
「それではその、『男らしい男』について教えてください」
「どういう知り合いかは知らないけど。話を聞いた感じだと、キアヌ・リーブスの筋肉をまとった、口うるさくて狂信的な牧師のようなやつだった」
 またしても空気が嫌な感じに引き締まる。本人たちは隠しているつもりでも、一応ぼくは空間を作りのプロだ。目の前に座る若い刑事の喉仏が小さいながら不自然に上下したのも、その隣でソファアームに置かれた警部補の指先に微かに力が入ったことも分かっている。
 居心地の悪さに顔を顰めるぼくに、グエンが意識して纏った穏やかさで続けた。
「アルファベットや身体的特徴や……なんでもいいんですが、その相手につながるような何かを彼から聞いていませんか」
「悪いけど、ホントにわからない。話に出てくるあいつの父親と似てるな、程度の印象があるだけなんだ」
「……まあいい、被害者の所有する端末の連絡先リストを洗い直せば、少なくとも関係を持った相手には行き当たるだろう」
「無理だと思うよ。自分のことをゲイだと知ってて会う人とは、通常のアドレスや端末以外で連絡取るって言ってたし。ぼく以外は、って意味だけど」
 ついぽろっと漏らしたぼくの反論に、二人の動きが目に見えて固まった。
 自分が失言したことに気がついて慌てて両手で口元を抑えたが、それは警部補の神経をさらに逆なでしただけだったようだ。
 ロビンソンの眉間に深いシワが刻まれ、目元が凶悪さを増し、ぼくは思わず腰を浮かせそうになる。
「どうやら君は、真剣におれをからかっているんだな、ミスター・ポッター。その情報をとっとと吐かなかった理由を言え」
「……聞かれなかったから」
「嘘をつけ」
 ロビンソンがぴしゃりと決めつけた。
 自分の態度がわかりやすかった自覚はさすがにあるから、これはぼくの分が悪い。
 凶悪なキリンのような目をした男が続ける。
「理由を言えないのか、ポッター? 言えないようなら――どうなるかわかっているだろうな?」
「だって仕方がないだろ! 聞かれても困るんだよ!」
 ぼくはとうとう観念して叫んだ。
「なぜだ?」
「だってあいつが何をしてるのか、説明を聞いてもちっとも分かんなかったんだよ! 公共の端末で、フリーのアドレスを使ってってことは分かったけど、IP……何とかがどうとかサーバーがなんとかとか、そんなこと聞かれても説明できないし!」
「……君は、そんなくだらない理由でこれほど重要な情報に口を噤んでいたのか?」
「くだらない?!」
「サム」
 跳ねあがったぼくの声に、今度はどこかたしなめるようなグエンの声が重なる。
 相棒の呼びかけに、ロビンソンはまだ言い足りないような様子ながらも口を閉じて、そして何かを熟考し始めた。
 それを確認したグエンが、再びぼくに向き直る。
「技術的なことを話す必要はありません。彼はなんの目的でそのアドレスを使っていたんでしょうか。知っていることを教えていただけませんか?」
「……使い始めたのは、ぼくとまだ出会う前だって聞いてる。ゲイについての情報を得るために、質問サイトにアクセスしたり、専門のサイトで知り合った相手と個人的にやりとりしたりしたって言ってたよ。カフェ・リトルレキサンドラを紹介したのも、その中の一人だって」
「専門のサイト」
「さすがに何の専門サイトかわからないとは言わないだろ」
「まあ一応、確認のために」
 そういって微笑むグエンに向かって、ぼくはため息まじりにそのサイト名を伝え、そのサイトではLGBTが自由に情報を交換したり書き込みしたりできるのだと説明した。
 ぼくがアランに教えたゲイ用の他のサイトやアプリなんかも、ついでに伝える。
 グエンはそれを丁寧に手元のメモに書き取ると、ぼくの方へと視線を戻してさらにいくつかの質問をした。
 その質問にぼくが答え終わったタイミングで、それまで何かを考え込んでいたロビンソン刑事が口を開く。
「君のアリバイを証明できそうな人物についてなんだが」
 その言葉に、自分が容疑者の一人だったのだと言うことをすっかり忘れていたぼくは、思わずびくりと身を震わせた。
 だが彼は、不思議なことに彼のことについて特に何も質問することなく、ただちらりと視線をブライアンに送って続ける。
「君は、その男が誰なのかを突き止めるために彼を雇ったんだったな」
 ブライアンのやつ、そんなことまでこの刑事に話したのか。
 じろりと幼なじみを睨みつけるぼくに、ロビンソンが淡々と告げた。
「君にしてはいい判断だ。おれの立場でこれを強制することはできないが、個人的にはそのまま、彼とともに行動することを勧める」
「……一体、それはどういう意味だい? 刑事さん」
「君は今、非常に危うい立場に立たされている可能性があるということだ、ミスター・ポッター」
 そう言って押し黙る男を、ぼくは意外な思いでまじまじと見つめた。
 よくわからないが、どうやらこの刑事は彼なりに、ぼくの立場を心配してくれているらしい。
 仕方がない。ぼくは彼の言葉の意味を考えるのを諦めて、しぶしぶ頷いた。
「わかったよ、インスペクター・ロビンソン。ぼくのことをこれ以上ファミリーネームで呼ばないと約束するなら、あんたの言う通りにするよ」
「……いい忘れたが、ルーカス、おれもロビンソン警部補と呼ばれるのが嫌いでね。普通にロビンソンさんと呼んでくれ」
 ぼくはその時、よほど奇妙な顔をしていたのだろう。ぼくらの会話を横で聞いていたグエン刑事が、エキゾチックな微笑を口元に滲ませながら補足する。
「実は数年前、ロビンソン警部補という刑事が登場するドラマが流行ったんですよ。しかも、サムと背格好が少し似ていて」
「うわあ、うっかり親近感を抱きそうになっちゃった」
 ぼくは少しの同情と深い理解を込めて、苦々しく口を引き結んだロビンソンの顔を見上げる。
「オーケー、サム。同じ名前のやつが有名になるって大変だよな。ぼくも、同じファミリーネームを持つ魔法使いが、すっかり有名になっちゃってさ」
「……喜んでたじゃないか、わざわざ教室に本まで持ってきて」
 余計な口を挟んだ幼なじみに向かって、ぼくはサムに負けないくらいむっつり口を曲げた。
「喜んださ。ぼくのニックネームがハリーになりそうになるまではね」
 ぼくの言葉が終わらないうちに、凶悪なキリン――間違えた、サムが立ちあがってグエン刑事を促す。
「捜査への協力に感謝する。何か思い出したことがあれば、なんでもいい、署に連絡をくれ」
 そう言って、入ってきたときと同じように、すたすたと遠慮なく部屋から出ていった。そして玄関のドアノブに手をかける直前、彼の後ろに続いていたぼくを振り返って淡々とぼくへの忠告を口にする。
「くれぐれも軽はずみな行動をとるなよ、ルーカス。根拠などあってないよう忠告だから従う必要はないが、一応そう言っておく」
 それだけ言うと、ぼくの反応を待たずにやつは身を翻し、彼の相棒とともに扉の向こうへと消えた。
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