赤松の旗を都に立てよ

宇治山 実

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後編

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     五  信長襲撃
 
 その夜、上月城の大広間の隅にある、床の天井が動いたが、昼間の会談が終わって五刻も過ぎていたので、気が付く者はいなかった。
 音もなく細い影が落ちた。
 女だった。
 女は会談の始まる二日前の夜から、丸三日、じっと狭い空間に忍んでいた。
 鰻の白干、梅肉、生松の甘はだ等をこねて作った、小さな団子を少しずつ食べ、口の中で呪文を唱えながら潜んでいた。恐ろしい忍耐の持ち主だった。
柿染めの着衣を纏っていたから、夜闇に溶け込んで見えない。
曲芸一座のりんだった。
いや、りんにも、てんにも似ているが、違った。
一座の女には違いなかったが、名はえんと言った。
 えんは荷車の中に隠れてきた。
 もう一台の荷の中に、しんと言う女が潜んでいたが、誰一人気がつく者はいなかった。
りんもてん、えん、しんも捨て子であった。
乱世は家族をばらばらにする。
「よしよし行くところがないのなら、付いて来るが良い」
 諸国を巡礼する芸人一座は、捨て子を拾うことも、預かることも、行き先のない捨て子の方から、付いてくることも多かった。
その子供たちに芸を教え、技を仕込んだ。ときには遊女にもする。
 佐用姫神社で、一座を見張っている三叉のがんびたちも、てんや、りんの動きを掴んでいても、隠れていた者は見張りようがなかった。
 えんは警備の兵を避けると、闇を求めて動いた。
柿染めは黒の衣よりも、闇に溶けた。黒色は闇をより濃くするので微妙に分かったが、柿染めは、闇を濃くすることも薄くすることもない。
えんは、大広間を飛び出すと、素早く闇に隠れる。
そして周りの安全を確かめると、次の闇に飛び込んで潜む。
動きは小さく、速いうえに慎重だった。
何回か繰り返すと、上月城の南を走る旭街道の上にでた。
誰もいないが、何かが背中を見ていると感じた。
えんは用心深かった。じっと待った。
(この情報は、どんなことがあっても伝えなければ・・・・・)
 恐ろしい策だ。
播磨一国の豪族に、荒木村重や松永久秀までが加わっているとはー。
(宮兄はこの秘密を嗅いだのだ)
 秋里川と熊見川の合流地に、しんが待っている。
しかし、何かがいる。暗い予感がする。
 旭街道は目の下だ。
三間飛び降りれば、後は真っ直ぐだが、飛び出したときが勝負だ。
 えんは、そっと自分の背丈ぐらいな木の枝を引き寄せると、音を殺して自分の衣を脱いだ。 
 木の枝を脱いだ衣の中に入れると、間を測った。
 傀儡の特技だ。
 集中して気配を読むと、旭街道に人が飛び降りるように、衣を纏った木の枝を飛ばした。
 草木を人に変えた。
 衣が空に浮いた瞬間、
「ぶすっ、ぶすっ」
 空に浮いた衣を、何かが襲った。
そこで、えんは飛び降りた。
敵は、投げた剣に気をとられている。
その隙を狙った。えんは旭街道に下りると走った。
秋里川に飛び込み、横切った。
走った。走っていると、小さな音も付いてきた。
「くそー、ついてくる」
 えんは走りながら地面を読む。そして間を測って、一、二、さんーで空に飛び上がると、
後ろの影に手裏剣を投げた。えんを追いかけていた影が、手裏剣を避けようとして横に飛
んだ。一回転して着地したえんは、影が飛ぶ方向に手裏剣を投げた。
今度は、影もよけ切れなかった。
えんの投げた手裏剣は、影の胸に食い込んでいた。
えんはそれだけを見届けると、しんのいる合流地に向かって走った。
 しんも、えんと同じで、三日前から川原の薮の中に潜んでいた。
しんは、闇の中で誰が争っているのがわかったが、動かなかった。
えんが追われていることも、感付いていたが動かなかった。
しんの役目は、えんを援けることではない。
佐用谷で起こっている事を、探ることだ。
それを座長に報告する。それだけだ。
その報告が都に伝わるのだが、それはどうでもよい。
空気の乱れる気配で、人が近づいてくるのが分かった。
(えんだー)
 反射的に、えんの後に気を向ける。
(誰も、つ け ていない)
五感を研ぎ澄まして探しても、付けてくる者はいなかった。
「ほぅー、ほぅー」
「ほぅーー、ほぅーー」
 えんは、しんの声のする薮に飛び込むと、呼吸を殺した。
じっと、周りの気配を探す。
二人が潜んでいる薮を、熊見川の対岸から作治が見ていた。
作治は、佐用谷に配置している、奥根衆を回って指図をしていた。
浅瀬山砦から円光寺砦に向かうところで、走る闇を見つけた。
柿染めの衣は、闇夜でも見つかることはないが、先ほどの死闘で脱ぎ捨てていたので、闇が濃くなっていた。じっとして動かなければ見つからないが、激しく動くと発見される。
 作治は、素早く動く闇を見つけたとき、
(奥根衆かー)
と思ったが、影が細く小さかった。
(女―)
 奥根衆に女の草者はいない。
(敵だ)
 怪しい者は殺す。それが一番早い。
 下手に聞いて、もまともには答えない。答えるような者には、重要な仕事は与えない。
作治は、女の影が川辺の薮に飛び込んだのを見ていたが、その薮の中にもう一人潜んいたことは知らなかった。まして三日も、寒さに耐えじっと潜んでいるなんて考えなかった。
作治は気配を消すと、川に入った。
木の葉が流れるように熊見川を流れ、藪に近づいていく。
晩秋の川の水は、刃物のように冷たく切れそうだが、しぶき一つ立てずに近づいた。
雪の中で何日も獣を狩ることに比べたら、流れる水は凍っていないだけましだ。
 作治は、女の潜んでいる薮の手前で止まると、女が出てくるのを待った。
薮の中で、えんとしんは動くことも喋ることもしなかったが、えんは会談の内容を、こよりに書き留めた。
そして、その紙をしんに渡した。
もし、えんが死んでも、しんがこよりを持っている。
しんがやられたときは、えんが言い残せる。
二人の内の、一人が残れば良いのだ。
 えんはしんに目で合図を送ると、薮から出た。外はまだ暗い。
この闇があるうちに、佐用姫神社まで走る。
えんが走りかけたとき、
「うっー」
 投げ剣が、正確にえんの左胸を貫いた。
 作治は投げた剣が、影に向かって真っ直ぐに飛んで、狙った位置で止まったことを見ていた。
(一本で仕留めたわ。兎より簡単じゃった)
ゆっくりと水から上がると、影に近づいた。
(やはり女だ)
 作治は、影から少し離れて見ていた。
油断はできない。そっと胸の隆起を測っていた。
(まもなく死ぬ)
 確実に死を確かめないうちは、油断しないことだ。
獣も、時々死んだふりをする。
 作治は、倒した女に集中しすぎた。
「ぐっぅー」
 作治の体を、しんの二尺一寸の刀が、一気に背中から胸を貫いた。
女が自由に刀を扱うには、短い刀の方がよい。
しんは、えんの敵を討ちたかった。
その気持が刀に乗っていたのか、刀の先が作治の胸から飛び出していた。 
 秋里川の川原で二人が死んだのに、一切音が立たなかった。
 しんには、谷を渡る風の音が、泣いているように聞こえた。

「おーいー、作治の魂、帰ってこいぃー」
 底冷えのする夜は、吐く息が白く目立つ。
幸い雪もなく、空気が凍ったように澄み切っているので、奥根村の空は星で埋まっていた。
大猿はその星の一つに、作治の魂が混じっていると思った。
「おいー、作治―、作治の魂―」
 星に話しかける。
「かえってこーいー。早く帰ってこーいーー」
 これは奥根村に伝わる、魂の呼び戻しである。
いくら呼んでも、死んだ者は生き返らないが、空にいる魂に呼びかけることで、死者を追悼し話をする。
大猿は、星に呼びかけながら、
(次はわしの番じゃー)
織田軍はまだ播磨に侵攻していないが、雨水のように、じわじわと浸透している。
(まさか作治が、一突きでやられるとは・・・・・)
 作治は佐用谷の城や、砦を見張らせている、奥根衆を回って指図をしていた。
上月城の南で、作治と、山根の六助がやられた。
六助には、上月城の中を探らせていた。
 奥根衆は獣相手に育ったので、自分の気配を隠すことには慣れている。探索に出すときも、相手を見つけることよりも、己が見つからないことを優先させている。
ただ、命を賭けた戦いになると、経験不足がもろに出て、上方の戦い慣れした草者に遅れをとる。六助も誘われて跳んだ後の、着地するところを狙われていた。
(殺し合いは、慣れている方が有利だ)
 その者が、上月城から脱出した。
 それも秘密会談のあとにー。
 そやつは、会談の内容を聞いたと考えて間違いない。
 星を眺めながら状況を分析していると、星の一つが瞬きをした。
(作治が話かけている)
 作治は、幼い頃からの仲間だった。
喧嘩もよくしたが、兄弟のように一緒に育った。
 日名倉山の麓にある、村たたらの鋼造りでは、大猿がカナゴ(砂鉄)をくべるムラゲ(村下)を務めると、作治が木炭をくべるスミサカ(炭坂)を務めた。これにふいごを踏んで、風を送るバンゴ(番子)を加えて、砂鉄を溶かすのだが、カナゴとスミサカは交互に入れるので、息が合わないと良い鋼は出来ない。鋼造りは一に釜、二に土、三にムラゲと言われるが、ムラゲを引き立てるのがスミサカで、大猿と作治の二人に勝る者はいなかった。
 たたら場は三昼夜ぶっ続けの過酷な作業で、手を抜くと、たちまち鋼に影響を及ぼした。大猿は、炭で汚れた顔を真っ赤に染めて、釜を覗き込んでいた作治を思い出していた。
 その一歳年下の作治が、わしより先に逝った。
 作治を殺したのは間違いなく、
(信長の手の者だろう)
 織田信長の命令で、佐用谷を探りにきた者たちだ。
 今ままでは上月赤松と織田との戦いだったから、別所林治さまの言われるままに働けば良かった。しかし、これからは、
(わしの闘いになる)
 作治を殺した信長の頸を、なんとしても獲りたい。
 大軍に守られている信長に、正面から討ちかかっても頸は獲れない。
 道具なしで大石を割るように、傷一つ付けられないが、作治の弔い合戦をしないわけにはいかん。
(きっと無駄死になるだろうが、一太刀は浴びせてやる)
 それをしなかったら、大猿の生きる資格がない。
 大猿は瞬きをした星に、
(信長の頸をねらう)
 と誓った。

 その頃、安土城の織田信長に、奥播磨にいる傀儡の座長から密書が届いた。
 信長は一気に読み終えると、
「こざかしいー」
どの地方の豪族も、両方の力を比べるのだが、播磨衆ほどしぶとい奴等はいない。
「いつまでとぼける気じゃー」
 両陣営に、曖昧な態度を見透かされているのに、いつまでも、天秤にかけて見ているつもりの子狸どもが、可笑しかったが、無視することもできない。
「荒木村重めー、道理で本願寺攻めのとき、わしの命令を聞かなかったはずだ」
 村重の眉の濃い顔を思い出していると、松永久秀の、眼の笑わない顔が現れた。
「松永久秀は、所詮毒だったかー」
 久秀の性格は良く知っている。猛毒だったが、使い方で薬にもなった。
「わしだから、今まで薬として使えたのだ」
 信長は、人の心は分からなくても、大局を見て時間差を計算できた。
当面の敵は誰か、今することはなにか。
西に東に敵がいても、現在の織田軍団は、同時に攻められなければ負けることはない。
この頃の信長は、よく考えた。
「まず播磨じゃ」
 昔から一人でよく考える性格だったが、今は、考えすぎて眠れないことが増えていた。
信長は女に狂うことはなかったが、側室は数人いた。
考えに詰まり、集中力が鈍ると女を抱いた。女を抱くと、不安が自信に変わった。
 信長は、的確に敵の能力を分析する。
 ぐるっと周りの敵を数える。
「石山本願寺、紀州の雑賀と根来に、湯川一族。越後の上杉謙信に甲斐の武田勝頼.小田原の北条氏政。西は中国の毛利と両川。備前の宇喜多直家、奥播磨の赤松政範、丹波の荻野直正と波多野秀治かー」
四国と九州は、当面は除外できる。
この中で、今、信長の天下布武を邪魔しているのは、膝元にいる石山本願寺だ。
「石山の門徒が、儂の足を引っ張りよる」
上杉も武田も、上洛するには、まだ時間がかかる。
毛利も宇喜多も、丹波勢も、こちらから攻めなければ反撃しない。
やはり石山と、紀州の連中が立ちはだかっている。
門徒と言っても、ほとんどが民、百姓ではないか。
「なぜくたばらないのか、どこかに原因がある・・・・・」
物事の道理を、丁寧に並べて考える明智光秀なら、答えを持っている気がする。
信長は思考が固まると、後は早い。
「仙千代、きんかん頭じゃー。明智光秀を呼べ」
 信長の呼び出しは絶対である。
明智光秀は、昨年六月の本願寺攻めの途中に体調を崩し、当時、都一の医者と噂のあった曲直瀬道三の元で療養していた。
光秀が回復すると、今度は妻の熈子(ひろこ)が病気になった。
光秀も、回復したと言っても、完治したわけではない。
その体で、京から馬を飛ばして、安土城に駆けつけた。
 光秀は、安土城が見る度に、強く美しく輝きを増しているのに驚いた。
 安土城は、信長が世に威信を誇るために安土山に築いた。
尾、濃、勢、三、越、若、畿内の大工、石工、鍛冶、金具師、鋳物師等の職人を動員した。
それぞれが自慢の腕を懸けただけあって、高さ八十尺、五重七階の豪華絢爛な城が姿を見せている。
「光秀―」
 信長は、光秀の姿を見るなり呼んだ。
「光秀、石山本願寺がしぶといのじゃー。どうすれば石山がくたばるのかー」
 明智光秀は、頭を畳に付くほど下げたまま答えた。
「石山本願寺の強さは、鉄砲でございます」
「紀州の雑賀かー」
 信長にとって、雑賀は目の前を飛び回る蝿である。
小さくて目障りであるが、捕まえようとすると逃げられる。
「本願寺の門徒衆は、数が多くても所詮は百姓ですが、雑賀衆は鉄砲放ちの集団」
「・・・・・」
「これを潰さない限り、本願寺の抵抗は収まりません」
「どうすれば雑賀を潰せる。奴等は本願寺砦の中から鉄砲を放つから、捕らえられん」
光秀はあらゆる問題を、いつ信長に聞かれても、答えられるように考えていた。
光秀だけではない。
 羽柴秀吉も、近習の仙千代こと万見重元も、信長の考えを先回りして考える習慣が身に付いている。そうでなければ、信長に付いていけず、切り捨てられる。
「いえ本願寺にいる雑賀衆ではなく、紀州雑賀の拠点を潰すべきです」
「なにー」
 信長の、満足する答えだったようだ。
光秀は頭を下げたまま、信長から返ってくる空気を読んで、胸をなぜおろした。
「そうか、雑賀の本拠地かー」
「はい、そこを徹底して潰さない限り、船を自由に操る雑賀衆は、好きなときに海から鉄砲と弾薬をもって本願寺に出入りします」
 雑賀は、紀ノ川の河口に開けた五つの郷である。
紀ノ川の河口を挟んで、大阪側に十ケ郷、和歌山側に雑賀郷、雑賀郷の内陸部に宮郷、南郷、中郷があった。海に面しているから、当然船を頼った生活が主になり、海運と魚業が発達した。この海を遣った交易が、鉄砲を運んできた。
その鉄砲を巧みに取り入れ、生産技術を確立して、鉄砲を武器にした傭兵集団に成長した。ただ同じ雑賀でも、五つの郷が意思統一している訳ではなかった。利害が絡めば争いに発展する。河口側にある十ケ郷と雑賀郷は、貿易でも、魚業でも地の利をいかせて利益を上げていたが、三?衆と呼ばれた宮郷、南郷、中郷は川上にあって、利が少なかった。
その不満が、信長に味方をさせた。
「道理―」
 信長の目の奥が光った。

 二月九日、信長は十四ケ国の軍勢を雑賀に発進させた。
先陣は嫡男の信忠である。
その数七万六千の大部隊が淀川を渡り、若江から和泉に向かった。
信長は、石山本願寺の生命線の雑賀攻めに懸け、北陸で上杉謙信と対峙している柴田勝家と、本願寺を睨んでいる松永久秀以外の武将を総動員させた。
その中に、三木別所家から小三郎長治と、叔父の重棟が八百の兵を率いて加わっていた。
「さすがは天下の織田軍じゃ」
長治は、天下を動かしている織田軍の一翼を担ったことで意気は高い。
織田の大部隊が移動すると、地面までがついて動くような気がした。
 
 信長が、未曾有の大軍で雑賀郷を攻撃する情報が、奥根衆の草者から林治に届いた。
林治は、その情報を、磯辺主計と大猿に伝えた。
「七万とはー、信長も本気で雑賀を皆殺しにする気じゃー」
 林治たちには、想像も出来ない大軍である。
「問題は雑賀の孫一殿のことだ。この大軍に攻められたら防ぎようがない」
 林治は一旦言葉を切ると、二人に、
「なんとか、雑賀郷を助ける方法はないか」
孫一には何回も会っている。竹を割ったような性格で、隠し事のない信頼できる男だけに、この先も続く織田との死闘を考えると、ここで死なれては困る。
信長の頸は、反織田の力を集結しなければ獲れない。
それには、雑賀の鉄砲衆が果たす役割が大きい。
「京を攻めることだな」
 大猿が、途方もない策を口にした。
「なにー、京を攻めるというのか」
 主計は驚いたが、大猿が、根拠もなく喋る男でないことをよく知っている。
畿内の織田軍の大半が雑賀に向かったから、京に残っている織田の軍勢は数えるほどしかいない。
「なるほど。京はがら空きだが、こちらも攻める兵がおらん」
「兵はいらん。噂でよい」
「噂ー」
「そうか、京が攻められる噂に、信長は過剰に反応するわ」
 京は国の中心である。まして、天皇の膝元であるから、ここを占領されると、今まで信長が築き積み重ねてきた権威が、流れてしまう。
「毛利が、全軍で上洛する噂を流すのじゃ」
「その噂に、必ず信長は慌てる」
「なるほど」
「場合によっては、京に引き返すことになるぞ」
「いやいや、京に引き返さなくても、背中が気になって、雑賀攻めに集中できなくなるわ」
 いくら雑賀の鉄砲衆が強力でも、七万の軍勢に攻められたら、防ぎようがない。
「これは良い策だぞ」
 林治が顔を拡げて笑うと、
「早い方が良いわ。丹波、安芸、備前とそこら中から噂を流そう」

 大軍で南下した織田軍は、貝塚の願泉寺を攻めた。
願泉寺は五町からなる、寺内町を形成する本願寺派の拠点であったが、織田軍は鎧袖一触に蹴散らし焼き払った。
 二十二日、志立(泉南市)に陣を構えた信長は、軍勢を浜手と山手の二軍に分けた。
 浜手は、滝川一益、明智光秀、細川藤孝、筒井順慶らが、淡輪口から南下すると、途中にある十ケ郷の中野城を攻めた。
織田軍の猛攻に、中野城も五日で陥落すると、その城に織田信忠が入った。
一方の山手は、根来寺の杉坊と、雑賀に立て籠もる、孫一たちと敵対した中郷、南郷、宮郷の三?衆を案内に、佐久間信盛、羽柴秀吉、荒木村重に、三木の別所長治たちが、根来街道から紀ノ川に沿って雑賀を目指した。
 そのとき、毛利軍が上洛する噂が流れた。
「毛利全軍が動いたそうだぞ」
「なにー」
「毛利軍は、京をめざしているらしい」
「本当かー」
 別所林治たちが予想したとおり、信長は慌てた。
 配下の情報網からは、毛利軍が動いた形跡はない。
 今度は丹波から、毛利軍の吉川元春が、京を狙って冨田城を出陣した情報が届いた。 
その後も西国各地から、毛利全軍が上洛する噂が溢れた。
「仙千代、西国の細作からの連絡はないのかー」
「ございません」
「なぜ、毛利軍上洛の噂が流れる」
「分かりません」
「毛利は動いたのか、動いていないのかー」
 信長の眉間に、青い筋が浮き上がっている。
偽の情報臭いが、本当に毛利軍が動いていたら、無防衛の京は、赤子の手を捻るように占領される。これは断固阻止しなければならない。
 信長は京に引き返したかったが、雑賀攻めは始まったばかりだ。
ここで兵を収めることはできない。
「くそー」
信長が迷っている間も、織田の武将たちによる、雑賀攻めが続けられていた。
 山手から進んだ佐久間、羽柴、荒木、別所勢は、片っ端から火をつけて焼き払っていく。
 三月一日、織田軍は、蓮乗寺にある鈴木孫一の居城を攻める。
雑賀衆は、雑賀川を防衛線にして陣を張っていた。
この防衛線が破られなかった。
織田軍は大軍で攻めるのだが、先頭を走る武将を狙撃する、雑賀の鉄砲放ちに討ち取られ、前進を阻まれた。
織田軍は作戦を変え、無闇に突撃することを止め、竹束で鉄砲玉を防ぎ、城楼を組み立てても、雑賀川の防衛線を突破できなかった。
 七万を越える大軍が、寄せ集めの百姓集団に勝てなかった。
この織田軍の攻撃に失望したのが、三木別所を率いる若い長治だった。
織田の大軍に寄せる期待が大きかっただけに、反動が大きかった。
明智光秀が黒井城を攻めたときに、織田軍の不甲斐なさに、丹波の地侍が失望したように、長治も期待を裏切られた。
滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉、佐久間信盛、細川藤孝と、名のある武将が揃っているのに全く勝てない。
武将だけではない。総大将の織田信長に嫡男の信忠、次男の信雄もいるではないか。
「織田軍の弱い噂は本当だった」
 長治は、実際戦闘を見ている。
こんな兵隊なら、丹波の地侍に負けるはずだ。
雑賀川の向こうにいるのは、ぼろぼろの衣を巻きつけただけの、百姓たちではないか。
その百姓が、勇敢に槍を振り回し、鉄砲を放つ。
その百姓たちに、完全武装した、織田の大軍が跳ね返されている。
長治は、こんな無様な戦を見たくなかった。
武士は、堂々と戦うものだと想像していた。
腐ったものを食べた後のように、むかむかしてきた。
「叔父上、これが天下の織田軍の合戦か」
 長治は、横にいる重棟に聞いた。
「戦とは、このようなものです」
 若い長治が戦を勝っても負けても、美意識で包もうとするのに対し、何度も戦体験を持つ重棟は、何度も人間の死にざまを見ているから、逆に、勝っても負けても、汚く泥臭いもであることを知っている。
まして、別所勢は先陣ではなく後方に控えていたから、人の指す将棋を見るように、織田軍の悪いところがよく見えた。
そして、これが織田の軍勢なら、我が三木別所の方が強いと感じた。
雑賀勢は七、八千の百姓部隊だが、同じ七、八千でも、三木別所は鍛えに鍛えた精鋭の八千人だ。百姓部隊が打ち破れない織田の軍勢が、三木の精鋭に勝てる訳がないと思うと自信が出てきた。
 織田軍は、何度も陣を立て直して攻め込むのだが、小雑賀川対岸の傾斜のきつい土手が乗り越えられなかった。果敢に挑戦しても、最後の一歩で戻された。
そこを狙撃されるから、損害が増えるばかりで効果がなかった。
強い織田軍なら、頭を下げて軍門に入るが、弱い織田軍に頭を下げてまで加わることはない。
だらしない織田軍の雑賀攻めを見ているうちに、長治は考えが変わっていった。

 信長は、毛利軍が動いていないと分かった後も、落ち着かなかった。
京を留守にした弱点をさらけ出した現在、本当に毛利が出てくるかも分からない。
腰のすわらない信長は、雑賀攻めを早く終わらせようと図った。
「わしに逆らう無謀は止めるか」
「二度と逆らいません」
反対の立場の雑賀衆も、初めから勝つ見込みのない戦いである。逆らった者に対する信長の残忍さは響き渡っている。
「なら京に引き上げる」
 両者は、雑賀側が降伏することで和議となった。
信長は、雑賀の指導者鈴木孫一、土橋若太夫ら七人を寛大に許した。
信長の性格からして、徹底抗戦した一族を許すことはない。
本当は、雑賀衆を成敗できなかったのだ。
だから、岸和田に大掛かりな砦を構築して、雑賀衆の北上を監視していた。
その効果もなく、後日、孫一たちは、再び本願寺に入って信長に反抗した。
 長治が嘆いたとおり、織田軍は十倍の大軍で攻めても、少人数の雑賀郷を潰せなかった。

 三木に帰った別所長治は、織田信長に失望していた。
信長と、嫡男の信忠が声を嗄らし、檄を飛ばしても、織田軍は僅かな雑賀衆に勝てなかった。
 そこへ毛利派の山城守賀相と、三宅治忠が現れた。
「殿、お疲れ様でした」
 まずは労ってから、
「雑賀攻めは、如何でしたか」
 賀相は、雑賀攻めがどんな合戦で、その戦に、長治が落胆して帰ってきたことを聞いている。
「・・・・・」
 長治は制止を振り切って、織田軍の与力として雑賀攻めに参加した。
 賀相も、
(だから、織田に味方するのを止めたのです)
と、言っては長治の反感をかう。
「分からんのは・・・・・」
「はい、何でしょう」
 賀相は笑顔を浮かべ、長治が喋りやすい顔をつくる。
「あれだけの織田の大軍が、どうして雑賀ごときに勝てなかったか」
「易は、どう出ていましたか」
「わしら与力は、信長様の命令に従うだけじゃー。易がどうだったかは知らん」
 思い出すと腹が立つのか、珍しく長治の言葉が荒い。
「なんと信長どのは、易も確かめず、己の考えだけで、雑賀を攻めたのでございますか。いやいや呆れました」
「易がどうであれ、七万六千の大軍で、七、八千人の一揆衆を攻めるのだぞ。易に頼らなくても、勝てる戦いではないか」
「何を言われますか。だから勝てなかったのです」
 賀相は、長治の目に、教えるように、
「勝てる戦いも、易を確かめずに攻めたから、楽勝の戦が、勝てない戦になったのです」
「・・・・・」
「この世には、人間の力では及ばないことがたくさんございます」
賀相は、このときとばかりに畳み掛けた。
「易は神の領域です。神の力を、易に拠って見せて頂くのです。それに信長どのは、八日の出陣を大雨で延ばし、九日に出陣したと言うではありませんか」
「楽勝と考えていたからじゃー」
「古今東西の兵法に示されているように、九の付く日の出陣は、大厄ではありませんか」
 賀相は久し振りに、長治に意見が言えることが嬉しかった。
長治も、無様な雑賀攻めを見た後なので、反論できなかった。
「兵法の根本も知らず合戦に望むなど、神を冒涜するにもほどがあります」
 三宅治忠までが口を出した。
「織田信長のこれまでの戦いは、敵陣営を裏切らせて勝つか、銭で集めた、敵の数倍の兵隊で捻じ伏せる戦いでございます。その数倍の兵隊も、雑賀攻めには役に立たなかった」
 長治の若い溌剌とした顔に、迷いが表れていた。
 信長に憧れていただけに、打ちのめされた刺激が、なかなか消えなかった。
長治の顔を見て、賀相は、これ以上言うのを止めた。
(信長被れが、覚めてきている)
これ以上、追い討ちをかけると、却って反感を買う。
老獪な賀相は一歩手前で止めると、話題を変えた。
「ところで殿、佐用谷から親戚の別所林治が、毛利家の使僧法性寺恵海をつれてきております」
「利神山の親戚がきているのか。ひさしぶりじゃー通せ」
 長治の顔が、明るくなった。
 林治と恵海が入ってくると、その後に、弟の友之と治定が続いた。
三木別所家と利神山の別所家は、同じ赤松円心の弟、円光からの血筋である。
円光から敦光へと流れ、就範を経て則忠に至った。この則忠の長男則治の血筋が三木別所家で、則治の弟光則から流れているのが利神山城の別所家である。
「ご健勝で何よりじゃ」
 林治が、頭を下げて挨拶をした。
「林治、久しぶりだな」
 長治は、この山奥から来た爺臭い山男に好感を持っていた。
 表裏も飾ることもないから、長冶も言いたいことが言える。
「いよいよ合戦が始まりますなぁー。長治さまはどちらに付くつもりなんじゃ」
 林冶が、笑顔で尋ねると、
「わしも、今は、正直迷っている」
 長治も、苦笑いして応えた。
「昔の赤松家は、足利幕府の侍所を賜るほどの権威があった」
 賀相が、懐かしそうに言うと、
「白旗城で育った足利三代目の義満さまは、則祐さまを父親のように慕っていたそうじゃー。父から、耳にたこができるほど、聞かされました」
 治忠も続けて言ったが、
「言うな、死んだ子供の歳を数えても始まらんわ」
 長治が、現実に引き戻した。
「今は、旗を決めねばならん」
「利神山の別所家は上月赤松と組んで、毛利家に馳せ参じて、信長と戦いまするぞ」
 林治は、自分の立場を明確に伝えた。
「それは聞いている。毛利家を頼るのも、無理のない選択じゃー」
 長治は理解を示したが、長治自身は、今も迷っていた。
「今年中に織田の先陣が播磨に侵攻する」
 それまでに旗幟を示さねばならない。これが難しい。
「私は上月赤松家や、小寺家と一緒になって、毛利家に加担することを勧めます」
 賀相が姿勢を正して、進言した。
「昨年までは、織田軍の先陣を賜りたいと思っていたがー」
 噂と現実に差があった。
「不様な雑賀攻めを見てから、分からんようになったのじゃ」
 長治は隠さずに答えると、恵海が心配して声をかけた。
「これは、どうされたのですか」
 流れが変わっていた。
「昨年、私が毛利家に与力お願いしたときは、けんもほろろに、゛信長さまの先陣を駆け
るから覚悟をしておけ ゛と威勢よく言われましたのにー」
「織田軍が、想っていたほど強力ではなかった」
 嘘がつけない性格なのか、苦しそうに答えた。
 若さが出すぎている。これは、戦国乱世には危険である。
「播磨は十六郡、そのうちの八郡を支配する三木別所家がどちらに付くかで、播磨の戦局
に大きく影響しますがな」
「織田信長は播磨の豪族を使い、利用すると、必ず、この播磨を己のものにします」
「それも分かっている」
「そんな信長の、手足になって働くことはありません。ここは信頼できる毛利家と組んで、
織田信長の横暴を跳ね返しましょう」
 それができれば良いのだがー。
「毛利家は、足利義昭さまを将軍に復帰させたら、また安芸に帰ります。播磨を侵略する意図は全くありません」
 恵海が、毛利家の立場を伝えた。
「兄上、私は外道信長と戦いとうございます」
 友之は、長治以上に若さがでる。
「信長は必ず播磨を直接支配して、国人を追い出しますぞ」
 それも、うすうす感じている。
ただ、織田軍を敵に回して、生き残れるのかー、
「分かった。もう少し考えさせてくれ」
 長治は、雑賀郷で戦う、織田信長の弱い軍隊を思い出しながら答えた。

 その夜、長治は、もし三木別所家が、織田信長に逆らって戦うことになったら、
「本当に信長に勝てるか」
考えた。長冶の決断が、三木別所の運命を左右する。
「尾張から美濃、近江に越前を、本当に制圧したのか」
 事実だが、雑賀攻めでは、その影すら感じられなかった。
「なぜだ」
 別所家は雑賀と同じ七、八千人でも、よく訓練された精鋭である。
最近の織田軍は、昔のような力がない。
がむしゃらに攻める、勢いが消えている。
丹波では、地侍に負けた。
木津川では、毛利の海賊に負けた。
紀州の雑賀では、漁師と百姓に負けた。
その戦いを、しっかりとこの目で見た。
「織田軍は、団結していないのではないかー」
雑賀攻めを思い出すと、織田の軍勢は統制が取れていなかった。
みんなが功名を求めて、先陣を駆けようとしていた。
堀久太郎の騎馬隊は、一番乗りを目指して雑賀川に突入した。そこまではよい。その前に
目の前の土手が越えられなかった。何度も越えようとして、鉄砲の餌食になった。
土手が攻略できないと分かったところで、なぜ戦法を変えなかったのか。 
あれだけの大軍なら、各持ち場を割り当て、一度に攻めれば、難なく攻略できた。
「案外、脆いのではないのかー」
織田軍は信長以外、大軍を統制できる者がいないのだ。
みんなが敵を倒すことよりも、己だけの手柄を優先させる。
 長治はいろいろな角度から、信長と織田軍を見つめていると、こんなに統制が取れない
軍勢では、岩のように、固い団結を誇る毛利家に勝てる訳がない、と結論をだした。
そして、一途に信長を信じていた、自分が滑稽に思えた。
信長の敵は、毛利だけでない。
備前の宇喜多に、丹波衆に、石山本願寺がいる。
その先には、紀州の鉄砲集団雑賀が健在である。
じっくりと考えた後、長治は、この戦いは五分と五分の互角ではない。
四分六分で、信長が不利と判断した。
不利な、信長の先陣を駆けることはない。
考え出すと、いろいろなことが浮かんできたが、最後は、
「信長と戦って、勝てるか」
に行きつく。
もし信長と戦って、この別所長治が勝ったら・・・・・。
いや、勝てるかも知れない。
雑賀攻めのときの、信長本人は無防備だった。
配下の武将たちが前線で戦っていた、後方の若宮八幡宮の本陣には、信長と弓衆、槍衆
と、近習ら僅か五百人が取り巻いていただけだった。
長治なら、奇襲隊に忍びを交えて、信長の本陣を襲う。
これは信長が、桶狭間で、今川義元を討ち取った作戦でもある。
敵の大将の首を獲れば、戦は勝つ。
「この長治が、鬼人信長の首を獲ったらー」
信長が一番恐れている、上杉謙信も驚くだろう。
大国の毛利家でさえ、この別所長治を崇める。
それ以上に、将軍の足利義昭さまが、昔のように赤松家に三拝九拝する姿が浮かぶ。
長治は、戦姿で床几に座って、信長の頸を検分している己を想像すると、全身が震えた。
「夢ではない。いや夢に終わらせてはならない」
どうせいつか死ぬのなら、みんなが恐れる織田信長と、一戦を交えるのもよい。
 雑賀表の戦で見る限り、織田軍も、恐れるほどの相手ではない。

 その日、別所長治は、織田信長と戦う決意をしたが、誰にも言わなかった。

 織田信長は、安土城が想像していたよりも、きらびやかに出来上がっていくのに満足していた。山裾にあった大石の蛇石を、天主の土台まで引き上げるのに三日要したが、それ以外は順調に仕上がっていた。
建設中の、六階の天主から眺める遠望は絶景だった。
北は満々と水をためた琵琶湖が、日々表情を変えて広がっている。その向こうには、比良と比叡の黒い山並が、残雪をまだらに見せている。南は近江平野の豊饒な田圃で、百姓たちが黒い土と格闘しながら、田植えの用意をしていた。
安土城の裾を通る、下街道を多くの人が行き交う。
「まだまだじゃ」
もっと大きく、賑やかな城下にする。
「異国にもないような、城を造る」
 この頃の信長は、国内よりも、外国を意識していた。
 信長は城だけでなく、安土の町造りにも力を入れて、諸座、諸役、諸公事等を免除した。さらに、安土を通過する者は、当地に一泊することを義務付けている。それ以外にも、個人的な自由と権利を保証し、他国から来た者と、前から住んでいる住民を対等に扱ったから、果実が熟すように、町が大きく膨れていく。
「上様、望月美作守様が見えました」
 仙千代が、凛とした声で取り次いだ。
「来たか、通せ」
 配下に甲賀忍びを多く抱える美作守に、反信長同盟を探らせていた。
 美作守が、顔を強ばらせて入ってきた。
信長の家来は、その日の信長の顔から、気分を伺う習慣を身につけなければならない。
「手に入れたか」
「はい、松永久秀の密書でございます」
 美作守は、懐から小さくたたまれた書を取り出した。
「仙千代、確かめろー」
 万見重元は、部屋の隅に控えている祐筆の松井友閑に、松永久秀の書を渡した。
「比べて下さい」
 茶湯の道に造詣の深い友閑は、堺奉行をしていたので、松永久秀の筆跡を知っていた。
「では」
 友閑は、丁重に頭を下げて、仙千代から書を受け取ると、用意していた久秀の書と、二枚並べた。そして二枚の書の、一字ずつをなぞって見比べていく。
同一人物が書いた花押でも、その時の心理状態で微妙に違う。花押は名前の文字を模様化
した本人の署名で、現代のサインである。このサインを真似して、同じものを書けば、その者が書いた書状になる。そのため、名前の文字を草書で図案化にしたり、部分を組み合わせたり、一字を変えたり、名前と全く関係ないものをつくって使った。
 真似されることを恐れた武将たちは、いろいろな細工をして、真似のできない花押を編み出していた。
 足利幕府を開いた足利尊氏は、書体だけでなく、特殊な青墨を使うことで、他人に真似をされないように工夫していた。
 猜疑心の強い信長は、「信長」の文字を横書きにして、それを裏返していた。さらに念の
いったことに、その花押すら何度も変えている。
 それでも命を賭けた戦になると、花押を真似する方も、命懸けで取り組んだ。 
安芸の地侍から、大国毛利家を築いた毛利元就は、宿敵の尼子家を倒すとき、尼子家の豪族新宮党の尼子国久と誠久が、尼子家の当主晴久に反逆する書状と、花押を偽造して裏切り者に仕立てた。この書状を信じた晴久は、新宮一族を謀殺して、自らの勢力を弱め毛利家に滅ぼされた。
 信長も同じことをしている。
 今川義元と争った桶狭間の合戦の前、今川方の猛将で、東尾張笠寺城主戸部新左衛門の書状をまねて、偽書を作成して義元に抹殺させている。
「どうじゃー」
「心持ち小さな久秀の文字の下に、大きな角のような字と、墨の濃淡が同じところにありますからー」
「でー」
「松永久秀が、上杉謙信に出した密書に間違いございません」
 友閑が迷うことなく断定した。
 当時縦長で、脚部を左右に開いた櫓型の花押が流行っていて、信長の家来の明智光秀、丹羽長秀、滝川一益等が遣っていた。
「よし、これで久秀と、謙信の書が二枚揃った。まずマムシの書状をつくれー」
 能面のような信長の顔に、珍しく笑みが浮かんでいた。
 後世の人は、美濃の斎藤道三と、備前の宇喜多直家に、この松永久秀を三大梟雄と呼んでいるが、この三人も織田信長に比べたら、可愛い子供である。自分以外を信じなかった信長には、義理とか信頼などは一切不要だった。勝つか、負けるかと言うよりも、どちらが先に死ぬかの極限に生きていた。信長は三大梟雄の一人、斎藤道三をうまく利用したし、松永久秀をこぎ使ったことからも、彼等以上の大梟雄だったのだ。
「よいか上杉謙信にはー」
「上杉謙信には・・・・・」
「松永久秀は、この秋に、本願寺と雑賀衆と連帯して信長を攻める。と書いて送れ」
「この秋ですか」
「そうじゃー、十一月じゃー」
 友閑は額に汗を浮かべながら、久秀の書体を、一字ずつ真似て書いていく。
「それまでは決してー、決して動かないようにお願いする。とな」
 信長の目が、いたずらを企てた子供のように、楽しそうである。
「反対に、謙信から久秀に送る書状にはー」
「今度は謙信の書ですか」
「よけいなことは言うな。上杉謙信は織田信長を懲罰するため」
「おだのぶながをー」
「この八月に上洛するから、是非協力して欲しい、とー」
「謙信から、松永久秀への書状には八月ですか・・・・・」
「そうじゃー、八月と十一月じゃ」
「時間差ですな」
「当然ではないか。同時に攻められると難儀じゃ」
「はい」
「まず足元の、毒マムシを取り除く」
 仙千代は信長の考えが読める。
 信長は、敵勢力を、個別に撃破することを狙っている。織田の大軍団といっても、周りから同時に攻められると脆い。幸い、敵の数が多いほどまとまりにくい。その点、織田軍は信長の一人の考えで、素早く、西に東に動ける。固く同盟していても、距離が離れると両者の意思がずれる。東の上杉謙信、武田勝頼と、畿内の松永久秀や雑賀衆に、西の毛利家を中心とした勢力が、反織田で意気投合して、反撃を目論んでも、時期や方法が食い違って、なかなか統一行動はとれない。
お互いが、周りの出方を用心深く見てから動く。
これでは、積極的に打って出る、信長との差が広がる一方である。
「ふん、わしを、東西から挟み撃ちにするだとー」
 信長は、そんなことは出来ないと読んでいた。
越前の朝倉と、北近江の浅井のように、近隣の者なら結託して攻撃できるが、
「越後の上杉謙信と、西の毛利輝元が一緒になって、わしを攻めることなどできるはずがないわ」
 第一に、安芸にいる毛利輝元の密書を、上杉謙信に届けるだけでも、安芸の郡山から山陽道にでて、備後、備中、備前、播磨、摂津、山城、近江、越前、加賀、越中を通って、やっと越後の春日山城に入る。この中で、摂津から越前までは織田軍の支配地だ。
信長は、密書を届けるだけで、半月かかることを知っている。その密書が、重要な内容なら即答はできない。重臣たちを招集して、評議してから結論をだす。
その返事を貰って、また安芸に帰るだけでも、さらに半月を要する。
「その間に、状況が変わっておるわ」
数カ国の敵地を潜り抜けるだけに、
「無事に届ける保証も、帰ってくる保証はない」
 まして北国街道は、北陸の門徒衆が本願寺に駆け込まないように、織田軍が厳しく封鎖している。このような状況で、上杉家と毛利家が、同時に織田信長を攻めて、挟み撃ちできる訳がない。  
 信長は、敵を詳しく分析している。
「流れ公方に踊らされおってー」
この頃の、信長の読み違いを探すとすれば、外敵よりも、織田軍団内の不調和である。
雑賀攻めが、大軍を動員したにもかかわらず、不首尾に終わったようにー。
その原因は、成長して、信長の一翼を担いだした子供たちだ。
信長が、自分の子供たちに領地を与え出したことで、家来の武将たちは、一段と不信感を募らせた。岐阜城を嫡男の信忠に与えると、美濃と尾張も与えた。
この二カ国だけで、百万石を越える。伊勢は信雄に・・・・・。
「我らは命懸けで、敵国を走り回るだけではないか」
それ以外に、信孝、秀勝、勝長、信秀、信高、信吉と男子が十一人いる。 
家来たちが命懸けで手に入れた土地を、信長は子供たちに分け与えだした。
 そうなると、家来たちは命を削り、銭を湯水のように使って、長年生死を共にしてきた家族同然の家来たちを、犠牲にして前線で働くだけになる。
「ばからしいー」
 自然に一人、二人と功名が得られない戦は、真剣に戦わなくなった。これが雑賀攻めの至るところで噴出したが、信長は、家来たちの気持ちを考えることはなかった。
 情勢を正確に分析する信長も、家来たちの、心の中までは分からなかった。
しかし、外敵に対しては的確に判断して、相手によって攻め方を変えた。
 直ぐに攻める敵と、放っておいても、勝手に崩れる敵を見分けていた。熟した柿が落ちるのを待つように、敵が抵抗力を失ってから、攻めたのが後日の武田勝頼だった。家来たちに見放され、息絶え絶えになったところを、大軍で攻め込んで、一気に滅ぼした。
 
 その自信満々の信長を、狙う男がいた。
 大猿である。
大猿は、作治の仇を討つため、一人で、信長の首を狙って東山道から、安土城がよく見える下街道に入った。
(誰の手も借りん)
 作治の死に顔に誓った。
(この歳だ、命は惜しくない。わし一人でやる)
 それにしても、安土城には驚いた。
(黄金の城じゃー)
 山の上で黄金が輝いている。黄金の下は朱だ。その下に、黒い瓦屋根が三層。黒の瓦と白壁に隙がなく、見事に調和している。
(やはり、信長は噂どおりの男のようだ)
 そんな男を襲う、楽しみがある反面、難しさも尚更だと思った。
(一人でやるには、頸に致命傷を与えるしかない)
体内の血の道を断ち切るには、咽喉か、心臓を狙うしかない。
(獣に、罠を仕掛けるようにはいかん)
 獣は一匹だが、信長は多数の警備兵に護られている。思い切って、鉈のように重い刃を頸にぶち込めないか。これなら、信長を確実に殺せるのだが・・・・。
(信長の背中に飛び乗ればよい。そうすれば、鉈でも投げ剣でも頸を断ち切れる)

 五月、織田信長は、松永久秀の奈良多聞城を訪れた。
「マムシは城造りがうまい」
 松永久秀が築いた、信貴山城と多聞城は、近代城郭の造りにおいて、最高と噂されていた。
「女好きも、儂に似ておる」
 久秀は、奈良の北に位置する、奈羅山の丘陵にあった眉間寺を移転させ、その跡に、五年の歳月をかけて多聞城を築いた。南都の北に位置していたことから、仏教の守護神、帝釈天に仕え、仏教や仏法に帰依する人を護る、四天王の一人で、北を守る多聞天(毘沙門天)を願い、多聞城と命名した。
 そして、筒井順慶らの国衆を追い出して、興福寺に代わって、大和一国の支配を目論んだ。 
この多聞城は、城内に多くの櫓や塁堡を築いていたが、戦闘だけを意識したものではなかった。久秀は、実用性だけを求めていた城の内部を、住みやすく豪華に飾ったのだ。
 この城に取り入れた多門櫓は、塀を建物化したもので、松永久秀が最初に考え出したものだ。信長は、天正二年の三月に多門城を訪れ、城内部の天井、壁、柱に金箔や黒漆喰を塗って、美麗に飾る方法を学んだ。
 それを後日、大々的に安土城に取り入れた。
 久秀にすれば、
「儂の真似をしょった」
 だった。 
 京から宇治に出ると、木津川に沿って南下する。そのまま京街道を下って、木津川を渡ると、雑木と竹薮に挟まれた登り坂になる。その坂道を登り、般若寺を越して、右に折れると多聞城に着く。昨日までの汗ばむような天気が、今日は、雲が空一面に張り出して、今にも雨が落ちてきそうだった。
 信長は馬を進めながら、松永久秀の顔を、
「じっくりと眺めてやろう」
と考えていた。
 わしが、何も知らぬと思っているのか。いやいや毒マムシのことだ。
上杉と連携していることを感付かれても、言い逃れる方法ぐらい考えているだろう。
「それでも、この信長を招待するとは、やはり毒マムシじゃー」
 いずれ大和と河内の仕置をしなければならない。大和の守護だった原田直正が、本願寺攻めで雑賀衆の鉄砲に撃たれて死んだ。そのあと大和を筒井順慶に与えた。
この処置に、筒井順慶と、大和の土地を争っていた松永久秀が怒った。
「なぁにー、筒井順慶もいまだけじゃー」
 信長は、伊勢にいる三男の信雄に、伊賀と大和を与えるつもりでいる。
 そして十一人いる息子たちで、尾張から播磨まで固める計画を持っていた。
信長は馬の背に揺られながら、将来の織田家のことを、あれこれと考えていた。
「平家ではないが、尾張から畿内は儂の息子たちで固める」 
その信長の通る道筋、丁度、幣羅坂を登りきって、右手に多聞城が見えるところに、大きなケヤキがあった。
 そのケヤキの上に大猿がいた。
大猿は、太いケヤキのこぶに体を密着させ、ケヤキの木目に似せた布を被って、潜んでいた。日陰に、気配を消して隠れているので、下から見ただけでは分からない。
猟犬のような信長の先見隊も、隠れ警備の草者たちも、大猿に気がつかなかった。
 大猿は、一撃に懸けるしかなかった。
この山道は、鬱蒼とした森が続いて、昼でも薄暗い上に、曇天が夕暮れ時を思わせていた。
 大猿は、八間先のくぬぎの大木から、かずらを引いた。このかずらに乗って、斜め後ろから信長を襲う。
 坂を登り切って、多聞城が見えると、やれやれ着いたと、心に僅かな隙が生じる。
 その気が緩む、一瞬を狙うのだ。
 一人で何回も練習して、信長の通る道筋と、大猿がかずらにぶら下がって、移動する線を合わせている。
 その上、かずらに身体を預けても、軋む音がしない丈夫な枝を選んでいる。
 風がひたひたと、集団の気配を運んできた。
 物見の兵が姿を現した。前を見る者、上を見る者、左側を見る者、右側を見る者と分かれている。驚いたのは、後方を見る兵がいたことだ。
大猿は、見つからないように、息を殺し草木に同化していたが、一瞬、物見の兵と目が合ったと想った。しかし、物見兵はそのまま走り去った。
 見つからなかったが、首筋に冷や汗が浮いていた。
物見の兵が通り過ぎると、騎馬侍が二十人ほどの足軽を連れて通っていく。その後に弓を持った親衛隊が、揃いの金色の矢立を背にして現れた。続いて、槍隊が通り過ぎた後、若い華やかな騎馬隊が現れた。
 信長の親衛隊だ。信長を真ん中に駆け足でくる。
大猿は大鉈を取り出すと、いつでも飛び出せるようにかずらを引いた。
 信長は目立った。
一際大きな黒い馬に跨り、胴丸の上に、金色の陣羽織を羽織っている。
以外だったのは冑だった。信長の冑は、角も飾りもなく先の細い丸い筒だった。
「南蛮冑か」
 大猿は、噂では聞いていたが、見るのは初めてだった。前は額までだが、後ろは錣まで一つの鉄で覆われている。これでは首筋に鉈を打ち込んでも、跳ね返されるから、後ろから組み付いて、頸を掻き切るしかない。
 信長が一つ目の目印に重なったとき、大猿は、もう一本の細いかずらに手を伸ばした。
そして、二つ目の目印に入ると同時に、細い方のかずらを引いた。
かずらの先に仕掛けがある。
信長が大猿の真下に来た時、前方の空気が震えた。
「ばぁりーばぁりー」
 道の前方にあるクヌギの大木が、親衛隊に向かって倒れてきた。
「危ないー」
 一瞬、信長も親衛隊も、倒れてくる大木に気をとられた。そして、後方の親衛隊までが信長の前を固めた。
「今だ」
 大猿は、太いかずらに身を乗せると枝をけった。
 枝から飛び降りるように、一直線に信長に向かっていったが、誰一人、後方の上から迫る大猿に気がつかなかった。
「信長、頸を貰ったー」
 一撃に懸けた、大猿の策が当たった。
 振り子のように、かずらにぶら下がった大猿が、信長の背中に飛び移ろうと、飛んだ。
 飛んだ大猿の前に、男が現れた。
 大猿は、飛び上がってきた男にぶつかった。
男は、大猿の小さな身体を受け止めて、抱きかかえると、大きく焼けただれた左手で、大猿の頸を締め付けた。そして右手に持った短刀で、大猿の腹を大きくえぐった。
「おまえはー」
大猿は見覚えがあった。
昨年の秋に、佐用谷にきた曲芸獅子の座長だ。
 信長の近習は美形揃いだと聞いていたが、この座長も、少し歳をとっているが役者をこなせる美形だ。
「ふふ、久しぶりだな」
座長が笑いながら、腹に差し込んでいる短刀を捻った。
大猿は痛さよりも、自分の腹が、激しく燃えていると思った。
そして成功したと思った信長襲撃が、一瞬に失敗に変わったことを悟った。
「くそーっ」
同時に、死ぬことを知った。
座長は楽しむように、大猿の腹に突き刺している短刀に力を込めると、仕留めにかかった。
「うーっー、念を入れるわいー」
 大猿は組み合っている座長の頸に、大鉈を当てると、両手をまわし、その姿勢で座長の身体を蹴った。
「ぐわー」
座長の頸から血しぶきが一気に噴きだすと、大鉈は、落ちる大猿の身体の重みで、座長の頸を胴体から引きちぎった。
「どーすんー」
腹を大きくえぐられた大猿と、頸のない座長の身体が、縺れながら地面に落ちた。
少し遅れて、座長の青ざめた頸が、血をふりまきながら落ちると、小さく弾んで転がった。
 二人の身体から流れ出る真っ赤な血が、地面を染めていった。
「曲者だー」
 近習たちが襖になって、信長を取り巻くと素早く立去った。

 別所林治は、利神山城で一人静かに考えていた。
大猿が、
「しばらく上方に行く」
と言って、姿を消してから一ケ月になる。
林治が理由を尋ねても、
「死ぬ前に、信長の顔を見ておく」
笑って出かけた。
 作治が死んでから、大猿は何かに取り付かれたように、口数が少なく、一人で考えることが多くなっていた。
 林治は、寂しく諦めるしかなかった。
「これが戦だ」
分っていたが、実際に二人がいなくなると、自分の両腕が?がれたようで寂しい。
作治と大猿がいなくなると、奥根衆をまとめる者がいない。
与三冶も源蔵も人に使われる方で、集団をまとめる力はない。
「奥根衆は、林治の手足だ」
 奥根衆が効率よく働かなくなったら、上方の動きが見えなくなる。
奥播磨にいて、織田信長や、京の様子が分かるのは、奥根衆がいるからだ。
 作治と大猿の代わりが出来るのは黒猿だが、黒猿も、村をまとめるより、信長の頸を獲ることに命を懸けている。
まだ、織田軍が播磨に侵入していないのに、一人二人と欠けていく。
林治は、織田信長との戦を前にして、初めて不安を感じた。
林治の心配を別に、反織田同盟は順調に結成されていた。
本願寺の下間さまの話では、三木別所家も御着の小寺家も、摂津の荒木村重どのも、松永久秀どのも、織田信長と戦う決意をしたと言う。
播磨、摂津、丹波と大和に、紀州が一つになった。
その核に、踏まれても這い上がってくる、石山本願寺の門徒衆がいるのは心強い。
西には中国十カ国を束ねる毛利家が、いつでも上洛できる体制で控えている。
 信長の勢力も強力だが、反信長勢力も、団結して大きくなった。
 播磨で織田方に旗を揚げているのは御着の小寺官兵衛と、三木別所の別所重棟だけだ。
二人とも当主ではない。一家老だ。一家老に何ができる。
 後は機だ。播磨が一つにまとまったら、信長を確実に、奥播磨に引きずり込むことだ。
織田信長との合戦は、これから正念場を向かえる。
 林治は、計画通りに枠組みができたと想ったが、信長の狂人的な性格と、巨大な組織を考えると、油断はできなかった。

 一方、姫路城で小寺官兵衛も、播磨の情勢を分析していた。
「播磨は、毛利に取られてしまった」
 細作の情報では、上月の赤松も、三木の別所も、この小寺家も毛利側に付いたと言った。
「所詮田舎者には、大局が見えなかったかー」
 官兵衛は、以外に落胆しなかった。
「この機会に小寺家だけでなく、別所家も赤松家も一気に滅んだ方が、後のことを考えるとやりやすい」
 決断力のない地元勢力が生き残ると、合戦の後の利権だけを要求する。
「わしらの土地を増やさんか」
 播磨の現勢力が解体しないと、小寺官兵衛が手に入れる、土地がないではないか。
 これからの小寺家、いや黒田家の栄華を築くには、
「播磨は、一度滅んだほうが、早く実現するわ」
 官兵衛も、最初は播磨の豪族たちを、織田側に引き込むことに奔走していた。
煮え切らない豪族どもに、何度、腹が煮え繰り返ったことか。
懸命に時局を説き、将来を教え、生き残る方法を伝授しても、その場だけだった。
苦心して、京都で織田信長に拝謁させても、地元に帰れば、ダルマのように元に戻った。
「あほらしい」
 事実、官兵衛はあほらしくなっていた。
なら自分の力で、この乱世を切り開くとよい。
官兵衛は割り切ると、気持ちが楽になった。割り切ったと言うよりも、播磨の豪族を見捨
てた。将来を見つめ、黒田家にとって、どうするのが一番の良策なのか、考えると、苦労して播磨の豪族を、織田軍の与力に付けたところで、黒田家が得るものは少ない。
 では、織田家直属の家臣に取立てられて、前線で働くのか。
「これは、自分の命を削るだけだ」
 織田信長の家臣になるのはー、
「辞めたほうがよい」
 官兵衛の情報網は、織田家の武将たちの働きにも詳しい。
直参も外様も、使い捨ての駒だ。
将軍の足利義昭から織田信長に乗り換えた、明智光秀と細川藤孝をみるがよい。
戦に明け暮れ、休む間もない。
己の采配で大軍を動かすのも魅力だが、前線を駆け回るだけの生活が、一生続くのは悲しい。勝てばよい、しかし、戦は勝つとは限らない。
「当然、負けるときもある」
十回勝っていても、一回の負けで、命を捨てることもある。  
明智光秀殿のように、人より能力があると、より巨大な敵を割り当てられる。
その強敵を、死力を尽くして倒せば、さらに大きな敵と対戦させられる。
「どう考えても、損な生き方だ」
 織田信長以外で、仕えるとしたら、
「だれがよいのか」
 播磨侵攻の司令官は、羽柴秀吉どのに決ったが、
「よく分からん人だ」
 人の良いのも、官兵衛への言葉使いで分かるのだが、それが本当に心から言っているのかどうか。どうも表裏のある人のようにも思える。
「忙しすぎる人じゃー」
 織田軍の一軍団を担う武将なのだが、
「そうは見えない」
 戦をしながら、商売もする。
話も面白いし、話題も豊富だ。頭の回転は素晴らしい。声も大きく隠すこともない。相手の心を読んで喋るところは、不気味さを感じる。
 小柄な弱々しい風采でいて、度胸もある。
 時々見せる目は、人の心の底を覗いて、
「心を突く槍だ」
それよりも、
「本当は、恐い人なのだ」
分かっていても、官兵衛だけの力では、何もできない。
まずは、誰かの下で、采配を振るうことからだ。
 柴田勝家どのは、
「えらぶるし、外面で判断する」
 官兵衛のように外面よりも、常に内面を見ようとする者とでは、
「時間がかかる」
 報告するにしても、一言ではすまない。
「やはり羽柴秀吉どのに懸けて、仕えてみるかー」
それにあの人は、もっと大きな仕事をしそうだ。
もし期待はずれだったら、また、誰かに乗り換えればすむことだ。
 官兵衛は、現在の主人の小寺政職を見切っていた。だから御着城で小寺政職の退屈な相手をするよりも、上方で、時局を見ながら、心から仕える有望な武将を探していたのだ。
ただ、手土産に播磨をまとめて、織田の傘下に入ると大口をたたいた。
「これは困ったー」
近いうちに、羽柴秀吉の先発隊が播磨にくる。
官兵衛は、開き直るしか、なかつた。
織田軍を案内して、播磨各地を説得してまわるのだが、それでも毛利に味方するのなら、攻め滅ぼして、切り取ることだ。
それにしても、
「毛利の使僧の安国寺恵瓊と、法性寺恵海にやられた」
 坊主が侍よりも強敵だったとは、考えもしなかった。もう一人、
「佐用谷の別所林治だ」
こいつらが、官兵衛の描いた構図を、踏み躙って消してしまった。
しかし、結果は、その方が良かったのだ。
播磨の地元勢力を一掃して、羽柴秀吉どのに差し上げればよい。
この播磨を、どう料理するかは羽柴どのの器量だ。
果たして、それが吉とでれば、この官兵衛にも黒田家にも吉になる。
そろそろ小寺姓を捨てて、黒田姓に戻すときがきたようだ。

 美作国吉野郡は、佐用谷の北に立ちはだかる、石井峠を越した郷で、代々大原竹山城の新免家が治めていた。竹山城は、赤松一族の宇野家貞が、新免長重の嫡男貞重を養子に貰ったことから新免姓に改名した。
 その新免家に、一人の虚無僧が訪ねてきた。
 若い男だったが、顔に紅褐色の斑紋があった。
「織田家に味方してくださるなら、この吉野郡に、佐用郡と八頭郡を差し上げます」
 虚無僧は落ち着いていたが、話す言葉から、鋭利な頭脳の持ち主であることが伺えた。
織田家の使僧なのに、表街道を堂々と歩いた。人目を避けるようなことは一切しなかった。中美作の高田城(勝山市)で、毛利家の警戒網に捕らえられたが、臆することなく胸を張って返答をしたので、
「こやつは本当の虚無僧だ」
 釈放された。
 虚無僧は大谷紀之助。十五歳から羽柴秀吉に仕え、後に石田三成と組んで、徳川家康に戦を挑んだ敦賀城主大谷吉継であった。
 新免伊賀守は考えた。
織田信長が攻めてこなくても、備中の草刈家と、備前の宇喜多家は現に侵略してきている。草刈家と新免家はほぼ同勢力だが、宇喜多直家は強敵だ。
宇喜多直家が本気になったら、新免家などひとたまりもない。
「宇喜多の家来になるのなら、より大きな、織田信長の傘下に入る方が得だ」
 今所有している吉野郡に、南の佐用郡と北の八頭郡が加われば、一気に領土が数倍になる。ただ伊賀守は、織田信長が、備前天神山城の浦上宗景には、備前、美作と播磨の一部を保証していたことを知らない。一つの国を何人にも与える約束を平気でする。
 織田信長の手形が空手形であっても、周りを敵に囲まれている弱小勢力は、空手形にすがるしか生き残る方法はない。
 問題は筆頭家老の本位田駿河守だ。いや、
「駿河守の息子の外記之助だ」
外記之助は若いが、後日、剣豪として全国に名前を轟かせた宮本武蔵の父、宮本無二斎の高弟である。その外記之助が、佐用谷の本位田一族を仕切る本位田薫と、意を合わせて上月赤松家に加勢している噂がある。
織田家の旗を担ごうとする新免家の家内から、敵になる毛利家側に味方する者がでるのは、厄介なことになる。
「黙って見過ごせないわ」
新免伊賀守は若い虚無僧から、上方と播磨の情勢を聞いていた。
佐用谷の利神山城主の別所定道も、織田の傘下に入ると言った。
西の備前方面は、上月赤松、備前の宇喜多を組み込んだ毛利家が、防御体制を整えているが、佐用谷を北に伸びる、利神山城が織田家に付いたのなら、大原の新免家も織田側に付く。
伊賀守はどう考えても、織田信長に味方した方が、生き残れる確率が高いと思った。
  
 数日後、
新免伊賀守は、家老の本位田駿河守を呼び出した。
「駿河、外記之助は如何している」
「宮本無二斎どののところに寄った後、一族のいる本位田村に行きましたがー」
 伊賀守も、剛勇の家来は誉れになるから、外記之助が嫌いではない。
「最近、よく本位田に行くではないか」
「従兄弟の薫と気が合うらしく、行ったら二、三日帰ってこないので困っています」
「その薫のことだが、薫は、上月赤松家に味方をしているのか」
 はっきり言ったほうが早い。
「いえ、本位田家は、利神山の別所家に仕えております」
 駿河守は、伊賀守の奥歯に挟まった言い方から、外記之助が何かしでかしたのだと思った。
「駿河、新免家は毛利、宇喜多ではなく、織田家に与力する」
「望むところでございます」
 伊賀守は注意深く、駿河守を観察していたが、
(後ろ暗い表情が見えないし、偽りを言っているのでもない)
「困った噂がある」
「噂、どのような噂ですか」
「外記之助が上月赤松家に属して、織田信長の頸を狙っているそうじゃー」
「外記之助がですかー」
「そう聞いた」
「大軍で攻めても、織田弾正忠の頸など、討てるわけがありません」 
 誰が考えても常時十万の兵を動かし、二重三重の警備に護られている、信長の頸を狙うことなど思いつかない。
 伊賀守は、一通り駿河守の返答を聞いてから、
「もっともな話なのだが、利神山城の別所林治が中心になって企てているらしい」
「別所林治どのがー」
 駿河守も、何度か林治に会ったことがある。
「全く気取らない男だ」
山中で生活をする、樵人のような男だ。
その上、目と目の間が広く、まつげが垂れているので、なんとなく人の良さを感じさせる。
「わしも織田の使者大谷どのから、別所定道が人質三人を織田家に出したと聞いている」
「ではなぜそんな噂が・・・・・」
 伊賀守も、詳しく掴めていないのだが、
「兄の定道と、弟の林治の考えが違うのか、それとも」
「それともー」
「生き残るために兄が織田に、弟が毛利に分かれたのか」
 よくある話だ。利神山の別所家は、兄の定道が病弱なのに対し、弟の林治は、見た目は樵でも、身体も丈夫で、時代を広く見ていて人望があった。織田と毛利の狭間で、兄弟で考えた策なのか分からないが、お家を存続させる確かな方法である。
 
 

     六 上杉謙信

 天正五年 七月
 上杉謙信は越中に入ると、能登の喉下のある七尾城を目指した。
「京への道慣らしも必要じゃ」
 能登は、足利幕府の管領だった畠山氏の分国である。畠山氏の子孫が代々七尾城主を勤めていたが、次第に衰え、守護代の遊佐続光に実権を握られていた。実権を取り戻そうとした畠山嘉隆は、遊佐続光を排除しようとして、反対に遊佐続光と三宅長盛に毒殺された。
嘉隆は死に臨んで、老臣の長綱連と温井景隆に、跡継ぎを嫡男の春王丸にするように託した。
 その後、七尾城で実権を握る遊佐続光一派と、春王丸を立てる長綱連一派との内紛が起きた。遊佐続光が上杉謙信に援軍を求めると、長綱連は織田信長に縋った。
「ついに謙信が出てきよった」
 上杉謙信の、加賀国への出馬を聞いた織田信長は、
「勝家、謙信に向かえ。援軍を送る」
「かしこまりました」
 越前北の庄の探題柴田勝家を大将に、丹羽長秀、滝川一益、前田利家、羽柴秀吉、佐々成政らの大軍を、急遽加賀に派遣した。
 柴田勝家は甥の佐久間盛政と加賀に乱入すると、一向宗徒の立籠る天神城を、昼夜攻め立てた。一揆勢はたまらず居振橋城に退散すると、勝家は追いかけ、居振橋城も四面八方から鉄砲を撃ちかけて陥落させた。
 八月、上杉謙信は魚津から南下して、七尾城に向かった。
この上杉謙信の加賀出陣を待っていたのが、八月に反信長の旗を揚げる予定でいた松永久秀だった。謙信の偽書状を信じている久秀は、謙信が七尾城の遊佐続光の要請で、加賀に出陣したことを知らない。
 しかし、謙信出陣の噂は、台風のように、織田軍の中を吹き荒れていった。
織田軍の慌てた様子に、本願寺と雑賀衆も飛びついた。
松永久秀は、上杉謙信の上洛を信じ、
「謙信どのの上洛に、松永久秀は老骨に鞭を打って協力する」
と密書を送ると、
「いよいよ信長退治が始まるぞ。久通、撤退する」
 八月十七日 本願寺を包囲していた陣を払い、子息の久通を引きつれ、信貴山城に立籠って、織田信長に叛旗をひるがえした。
 この松永久秀の行動に、同調した本願寺の下間頼康は、織田軍に反撃するために、雑賀の孫一に一千人の鉄砲隊を要請した。
 本願寺、雑賀衆、松永久秀らが上杉謙信の上洛を信じて、反撃の狼煙を上げた。
 しかし、謙信は北陸で織田軍と対戦するつもりでいたが、上洛の意思はない。
前に貰った久秀からの偽書状は、秋の上洛要請だったから、それまでに加賀、能登の織田勢力を駆逐して、上洛の道筋を均す考えしかもっていない。
信長の偽書状が、敵陣営の時間のずれを生んだ。
「ひっかかりおった」

 九月、織田信長は、五万の軍勢を北上させ、上杉謙信の南下に対抗する。
 織田軍の大将柴田勝家は、配下の武将を集めると評定を開いた。
 越前の一向一揆を蹴散らした勝家は、その勢いで上杉軍に挑もうとした。
織田信長さえもが、一目置いて恐れている、上杉謙信を打ち破る闘志に溢れていた。
「儂が、謙信を打ち破ってやる」
 勝家は集まった武将を見渡すと、先陣に強力な鉄砲隊をもつ滝川一益、佐久間盛政を配し、丹羽長秀、佐々成政らに、それぞれの役割を与えた。
いつまでたっても、名前の呼ばれない羽柴秀吉が手をあげた。
「羽柴勢は、どこに陣取りをすればよいのか」
 勝家は、じろっと秀吉を睨むと、
「おお、藤吉郎、いや秀吉がおったか」
「初めからここに控えておるわ」
 勝家と秀吉は、犬猿の仲である。
それ以上に仲が悪かった。普通ならいくら仲が悪くても、一割か二割は相手の長所を認めるのだが、この二人は、相手の長所が自分の苦手な分野であり、軽蔑するところだったから、相手の何もかもが嫌いだった。
 老臣の勝家に対し、下賎出の秀吉は、何を言われても反論しなかったのだが、織田軍の一軍団を任され、指揮をとるようになると、秀吉は黙っていなかった。
 信長並の眼力を培ってきたから、作戦の拙さが手にとるように見えた。
言うべきことをはっきり言っておかないと、自分の命を失う。自分の立案した作戦で命を落とすのは仕方がないが、他人の立てた、幼稚な作戦の犠牲になるのは嫌だ。
 今日の評定の三日前、秀吉は、摂津表より、蜂須賀小六の手の者である稲田大炊助から、松永久秀と雑賀衆が、本願寺とともに、上杉謙信に同調して蜂起する情報を掴んでいた。
秀吉は、勝家に聞いた。
「柴田どのは、上杉勢と正面から当たられるつもりなのか」
 勝家は、大きな目をさらに開くと、
「当然ではないかー」
「当たって勝てるのか」
「これ、猿―、いや羽柴どの、相手は戦巧者の上杉謙信ですぞ。お手前のような調略しか出来ない者の、口を挟むことではない」
 柴田勝家を兄と尊敬している、滝川一益が秀吉を嗜めた。
「上杉相手の合戦は、わしらに任せておけばよい」
「何を任せるのじゃ」
「貴殿は後衛で、わしらの戦を見て学ぶとよい」
 まるきり逆である。
 秀吉は、柴田勝家では、上杉謙信に勝てないことを知っていた。
 上杉謙信は合戦を、構図を練り上げてから、絵に表現する芸術とみていた。
謙信の直属の兵は八千人であったが、この八千人と、農村から借り出した数万の百姓兵を有効に動かした。将棋の駒を、交互に一手ずつ指すのではなく、多種の役割に振り分けた部隊を、オーケストラの指揮者のように同時に操っていた。先陣、中陣、後陣だけでなく、第一遊撃隊、第二遊撃隊などを配し、相手の人数、陣配置、予想する作戦と、今までの作戦を考慮して陣を構えると、このときはこうしろ、相手がこのように出てきたら、こう対応せよと細かく指示をしていた。要は多種の将棋の駒が、一斉に相手の王に襲い掛かるのが謙信の戦だった。謙信はじっくりと作戦を練り上げ、合戦が練り上げた作戦通りに運んで勝ったときほど、優越感を味わうときはなかった。
 その上杉謙信に対し、織田軍は鉄砲を前面に集結させる作戦で望んだ。
長篠で当時最強と恐れられていた、武田の騎馬隊を壊滅させたように、柴田勝家は信長の真似をして、鉄砲を大量にぶっ放すことで、上杉謙信を打ち破れると考えた。
 謙信は七尾城の遊佐続光に密書を送り、信長派の長綱連らを宴席に誘って殺害させた。
 謙信が、時間と空間を有効に埋めていくのに対し、織田軍は上杉謙信に勝つことのみに気を取られ、作戦が後手に回る。
 この柴田勝家の鈍い応対に怒った羽柴秀吉は、北陸遠征軍から無断離脱して、織田信長に激怒され、謹慎させられた。

 九月十八日、柴田勝家を大将とした織田軍は、手取川を渡ると、川を背にした背水の陣で決戦に臨んだ。長篠のときは騎馬隊が相手だったので、連子川を間に挟んだが、上杉軍の主力は槍部隊である。狭い連子川と異なり、手取川は全長七十キロを越える大河である。
鉄砲の射程距離を計算すると、川幅の広い手取川を間に入れることはできなかった。
 勝家は元亀元年、近江八幡の長光寺城にいたとき、六角承禎に攻められ、飲み水に欠乏すると、無理に水瓶を割って不退転の決意を表し、数倍の敵を撃破した。
 そのときの心境を倣って、必勝を誓願した。
 対し、上杉謙信は松任郷に本陣を構えると、武田の騎馬隊が負けた長篠の合戦を細部まで分析すると、織田軍の鉄砲隊に備える作戦を考えていた。
配下の軍団に合戦開始を通達すると、一の鐘で全軍に食事をさせ、二の鐘で武具を身に付けさせた。三の鐘で出撃させることを徹底させる。
用心のために多くの斥候をだして、織田軍の鉄砲の数を探った。
 その結果、謙信は、織田軍の鉄砲の数を二千挺と読むと、
「わざわざ鉄砲の餌食になることはない」
「どうされます」
「かき回す」
「じらして疲れさせますか」
「じっくりいたぶってから、機が熟したら、一気に攻める」
 謙信は、配下の部隊を巧みに操る。
おとり部隊に振り回された織田軍は、鉄砲で対抗したが、全く効果がなかった。
 夜になり、当てにしていた鉄砲が狙えなくなると、織田軍は焦り冷静さを失った。
 そこへ、上杉謙信は全軍を突入させた。
鉄砲を当てにしていた織田軍は、浮きだち統制が取れず、われ先にと逃げ始めた。
 背水の陣は、後退しない策である。その陣形で後ろに逃げ出した。
 柴田勝家を大将にした織田の大軍が、増水した手取川に追い立てられ、数千人が溺死する大敗になった。
 上杉謙信は、織田軍の余りの不甲斐なさに驚くと、
「信長と雌雄を決する覚悟で臨んだが、案外手弱のようす、この分なら天下統一も容易である」
 織田信長が唱え、苦労している天下布武を、一度の戦で容易なことだと見下された。
 
 その北陸戦線から無断で離脱して、信長に謹慎させられている秀吉は、長浜城で大人しく萎縮していなかった。連日連夜、飲んで踊りまわって、どんちゃん騒ぎをして遊んでいた。 
 その一方で、何か成果を挙げないと、信長が決して許さないことも知っている。
 秀吉は、成果を播磨に求めた。
 自分はどんちゃん騒ぎを続けながら、弟の小一郎秀長を呼びつけた。
「小一郎よ、蜂六、前将に半兵衛をつれて播磨に入れ」
「兄者はー」
「わしは上様から、謹慎の身ではないか」
「・・・・・」
「騒いでいても、長浜から出ることはできん」
「播磨ですることは・・・・・」
「姫路の小寺官兵衛に会ってー」
「官兵衛どのにあってー」 
「播磨の豪族どもの、本心を探れ。出来れば、質のよい人質が欲しい」
 小一郎は、秀吉が悩んでいることを知っていた。
どんちゃん騒ぎをしていても、ときどき夢から覚めたように、考え込んでいる姿を見ているから、無理に騒いでいるのがわかる。
 信長は、どんなに有能な者でも、軍規を守らない者は不用なのだ。その者に厳しい処罰を与えることで、信長だけの、命令を聞くように徹底される。
「播磨を織田方に引き込む以外、上様の、怒りをなだめる方法が思いつかん」
 秀吉の小さな顔が、さらに小さくなっている。
「わかった」

 数日後、小一郎秀長は、蜂須賀小六、前野将右衛門、竹中半兵衛、稲田大炊助、青山勘兵衛、藤堂高虎らの、羽柴軍の精鋭百二十人を率いて播磨に入った。
 この精鋭というのはエリートではない。
 野武士上がりが多く、血筋は誇れないが、どんなことをしても、目的を成し遂げる逞しい連中だ。そして、小者だった藤吉郎を、織田軍の重臣に盛り上げた仲間でもあった。
 羽柴秀吉は、弟の小一郎秀長と同じように、蜂須賀小六、前野将右衛門と竹中半兵衛を兄弟のように信頼していた。
 その者たちも、秀吉の性格を理解し、家族同然の付き合いをして、「藤吉」「小一郎」「蜂小」「前将」「竹半」と呼び合う間だった。
 小一郎秀長と、蜂小、前将に竹半は、姫路で小寺官兵衛に会った。
「官兵衛どの、助けてくだされ」
播磨にてづるを持たない羽柴勢にとって、今は官兵衛だけが頼りだ。
 小一郎は、その官兵衛を一目見て、
「暗い」
 印象を受けた。
 秀吉は官兵衛を、
「己の才覚で、乱世を切り開いていく男だ」
と言ったが、背中に陰を隠して、接待している感じが消えなかった。
現に、播磨の豪族たちは、誰も挨拶に来ない。
 翌日から、小一郎たちは手分けして、官兵衛の主人御着の小寺政職、三木の別所長治、志方城、棚橋伊定、神吉城の神吉頼定、淡河城の淡河定範、高砂城の梶原平三兵衛、野口城の長井政重、端谷城の衣笠範景等、東と、中播磨を駆け回って国人に会ったが、誰一人として、心から織田家に味方する者はいなかった。
 その夜、大将のいない秀吉軍団が、小一郎秀長もとに集まった。
「播磨は、官兵衛の話と全く違うではないか」
 前野将右衛門が、額に皺を浮き出させて怒った。
「大将の話では、播磨は、小寺官兵衛がまとめているから、人質を連れて帰るだけと聞いていたのに・・・・・」
 この連中は、人使いの荒い織田信長の下で、尾張から美濃、近江、京、越前、山城、河内を走り回って闘い、探索もすれば籠城もしてきた。あらゆる策を使って多くの成果を挙げて、秀吉を盛り立ててきた。
 その国の情勢など、一目で見抜く。
「そんなに期待していなかったがー」
 蜂小は、裏切りや待ち伏せに謀略などは、当たり前だと思っているから、この程度では落胆しない。
「以外だったのはー」
「何か気づいたか」
「官兵衛が、播磨衆に全く人望がないことだ」
 三木別所家の別所長治と、叔父の山城守賀相は、秀長には社交の挨拶をしたが、案内役の官兵衛には、口もきこうとしなかった。
「城主でもない一家老が、出過ぎた真似をするな」
 二人の目が、官兵衛に警告していた。
「このまま、官兵衛に従って回るのが良いのかー」
「それじゃー」
「官兵衛抜きで、わしらだけで行動した方が良いのかー」
 誰もが、同じことを考えた。
「大体、官兵衛は野心を顔に出し過ぎる」
「播磨衆はなかなか決断せんらしいから、官兵衛がでるのだがー」
「当主の小寺政職をないがしろにして、一家老の身分で、でしゃばるから敵が多いのだ」
 官兵衛には、官兵衛の考えがある。
 小一郎秀長たちは、初めて播磨の豪族たちに会うから分からないが、官兵衛は、何度も煮え湯を飲まされているので、結果だけを求めようとする。
しかし、これでは、反って官兵衛が邪魔になって、まとまる話も拗れてしまう。
 温厚な秀長でさえ、
「官兵衛を信用して、大丈夫なのか」
気になったが、播磨に橋頭堡がない羽柴勢は、簡単に官兵衛を切り捨てることができない。長浜で謹慎中の秀吉も、小寺官兵衛を全面的に信用していた訳ではないが、それ以上に、播磨衆を信用していなかった。なら官兵衛を頼り、うまく使うしかなかった。
 官兵衛から来た手紙に、書く返事にも、
「おまえは弟の小一郎と同じで、気安く思っているから、世間でどんな噂をしようとそれにこだわらず、万事は秀吉とおまえとじきじきに相談して処置せよ」
と書いて、織田軍内の不調和と、揚げ足の引っ張り合いを、
「わしを悪く思う者は、おまえも悪く思うから用心しろ」 
 周りに注意するように促している。

「上様の、人使いを真似しましょう」
 竹中半兵衛が口を挟んだ。
「上様の人使いとは・・・・・」
「毒も薬です」
 今は官兵衛を信用するしかない。
 上様が、毒薬の松永久秀を上手に働かせたように、官兵衛を信用するふりをして、働かせてみる。
 問題は、官兵衛に従って、成果をあげられるかどうかだ。
実のある成果がなければ、上様は納得されない。といって、いまだに、織田と毛利を両天秤にかけて様子を見ている播磨衆が、素直に人質を出すとは考えられない。
人質の提出は、天正三年に、京都で信長に拝謁したときに約束していたことだ。
その人質がいまだに出ていないのに、直ぐに出す訳がない。
「三木別所の長治には、子供がいたな」
 秀長が、質の良い人質を連れて帰らない限り、兄秀吉の命が危ない。
「竹姫と虎姫と、赤子の千代丸がおりますが、播磨の人質は、三木城で預かると申しております」
「三木城でだとー、寝ぼけたことを言う。小寺政職はー」
「氏職という嫡男がおりますがー」
「それで良いわ」
「ただ病気がちで、人質の役に立たないと、政職が固辞しています」
「どいつもこいつも、逃げ回っておる」
 将右衛門が、呆れて言う。
「官兵衛に、十歳の子供がおります」
 半兵衛が口をだした。
「官兵衛にかー」
「松寿丸といいます」
「しかし官兵衛が、たった一人しかいない、我が子を人質に出すかな」
 
 秀長は、一人で官兵衛に会った。
「官兵衛どの、播磨から人質が欲しい」
「人質ですかー」
 官兵衛も、播磨衆が、誰も人質を出していないことを知っている。
同時に、それで済まない、危険なことも分かっていた。
(陰で、毛利家と手を結んでいる三木別所家と、御着小寺家が人質を出すことはない)
が、ここは決断するところだ。
(播磨をまとめると言った限り、今更、毛利家に横取りされたとも言えない)
 秀長が、官兵衛に、子供を人質に出せと言うまえに、
「私の子供を出しましょう」
 官兵衛が、先に言った。
「松寿丸は一人っ子で、甘えん坊で困っています」
「・・・・・」
「安土で、都の作法を仕込んで下さい」

 秀長たちが官兵衛の子供の松寿丸と、家臣井口与次右衛門の末子の与一之助を伴い、長浜に帰ったのは天正五年九月二十二日だった。
 喜んだ秀吉は、早速、小一郎秀長たち播磨に行った家来と、人質の松寿丸を連れて、安土城の織田信長に詫びを入れに行った。
 秀吉は、大袈裟に頭を畳にこすりつけて、詫びを入れながらも、毛利家が播磨に浸透している現実を訴え、播磨侵攻の重要性をはっきりと言った。
 理があれば、信長は聞く。
 最後は小寺官兵衛の子供、人質松寿丸が切り札になった。
松寿丸は長浜に預けられ、秀吉の妻の寧々に可愛がられた。
すぐに慣れると、子供だった加藤清正や福島正則と、泥んこになって遊びまわった。
 開放された秀吉主従は、手を取り合い、大声で喜び合っては、肩を叩き合いながら安土城から長浜に帰ると、またどんちゃん騒ぎではしゃぎまわった。
このどんちゃん騒ぎは、謹慎中のものとは異なり、全員が心から喜び騒いだ。

 織田信長は、北陸に柴田勝家だけを残し、上杉謙信に備えさせると、畿内の反逆者松永久秀を攻めた。大和の信貴山城に立て籠もった松永久秀と久通親子は、謙信の上洛を待ってしぶとく抵抗していたが、謙信が来ないことが分かると、
 十月十日、秘蔵の平蜘蛛の釜に、火薬を詰めて首にかけると、火をつけ自爆した。
 信長に人質に出していた、久秀の二人の子供は、世話になっていた佐久間与六郎に御礼の書状を書くと、京市内を車で引かれた後、六条河原で群集の見守るなかで頸を切られた。
  
 その数日後、まれに見る大きなほうき星が、西の空に現れた。
 妖霊星である。この星が現れると、天下が乱れる兆しであった。

 佐用谷が冬に向かうと、景色が灰色に変わる。
空も山もが、鈍く濁って透明感がない。
 久しぶりに、黒猿が別所林治の前に現れたのは、夜に入った頃だった。
北からの風が、利神山城を叩いていく。
風の塊に飛ばされそうになった雨戸が、悲鳴をあげた。
林治は、小さな黒い影を見ていた。
その影が少しずつ大きくなって、人間の形になったら、黒猿が座っていた。
「羽柴秀吉が、軍勢を率いて長浜を発ちます」
「いよいよくるかー」
「安土から播磨に入るのは、四日後」
 林治は黙って聞いている。
「人数は六千五百」
 思っていたよりも少ない。
それは良いのだが、播磨に入ってから、どう動くのか掴みたい。
まずは姫路の小寺官兵衛に会うだろう。
その後、どこに向い、どう攻めるのか。
「鉄砲はー」
「七百と少し」
「六千五百人に、七百挺も鉄砲を持っているのかー」
 近年の織田軍の戦は、鉄砲を前線に並べて、ぶっ放すことから始める。
この鉄砲に対抗できるのは、雑賀衆しかいない。
攻める方は、上杉軍のように夜を選べるが、守る方は明るい時の備えがいる。
「大猿に会ったかー」
 黒猿の顔が、一瞬引き締まった。
「もう、この世にはいないでしょう」
「そうか、黒猿にも連絡はないのか」
「全く。風の噂ではー」
「どんなうわさを聞いた」
「大和の多聞城で、歳を取った草者が、一人で信長を襲ったとかー」
「・・・・・」
 大猿は、黒猿が言うように、作治を追いかけて、あの世に行ったのだ。
 今ごろ二人で、天国から、佐用谷を眺めているのかも知れない。

 十月二十三日、寅七ツ半(午前五時)、長浜城下で陣立てを整えた羽柴秀吉の軍勢は、秀吉直属の兵五千人に、播磨侵攻のために新たに雇った兵一千人を加えた。ここに案内役として尼子勝久、山中鹿之助ら、尼子の残党六百人が加わった六千六百で、ほぼ黒猿の読みどおりであったが、播磨侵攻は、毛利家との直接対決になると考えた織田信長は、堀久政に千人と鉄砲二百挺をつけて、援軍兼監視役に加えた。
 総勢七千六百人が、幟旗をなびかせて長浜を発った。
 羽柴勢は辰の刻(九時)に、安土城大手門馬場に勢揃いすると、織田信長に謁見した。
大手に信長が現れると、秀吉は走りでるなり、地面に頭を擦りつける。
「猿、立派な陣立てじゃー。意気も揚揚として、盛んに見えるわ」
 秀吉は長年の癖で、まず信長の、その日の気分を確かめる。
 今朝は、良いと判断すると、
「はっ、有難きお言葉を賜り候」
秀吉は、大声で播磨攻めの決意を返す。
この羽柴秀吉に、信長は播磨国切り取りを許した。
天下布武を旗印に、全国制覇を目指す織田信長が、大国毛利に挑むのに、羽柴勢の七千六百では少な過ぎるから、切り取りを許すしかなかった。
切り取りとは、いかなる方法を使おうと、その土地を自分のものにすれば良い。 
 大軍団の織田軍も、北陸では上杉と、信州では武田と、大阪では本願寺と対峙していたから、中国に向かう秀吉に大軍を回せなかった。
「その後は、播磨衆を与力にして、備前に攻め込め」
と命令した。厳しく矛盾した命令だったが、信長の命を無視して、北陸戦線から離脱した秀吉は逆らえなかった。
 大瓢箪の馬印を立てて進む羽柴軍は、
 十月二十六日、姫路の東にある阿弥陀の宿で、小寺官兵衛の出迎えを受けた。
北側に岩だらけの山が並んでいる、小さな宿場である。
 播磨に伝手を持たない秀吉は、官兵衛を見つけると、馬から飛び降りて駆け寄る。
「官兵衛、松寿丸は長浜で元気に走りまわっているぞ」
 官兵衛の一番気にしていることを、先に言った。秀吉の特技の一つだ。
「有難うございます。躾ができないまま送り出しましたからー」
「なんのなんの」
「迷惑をかけておるのではと、心配しておりました」
「いやいや元気でなー、虎や市とすぐに仲良くなった」
 秀吉が、顔をしわくちゃにして言う。
これも、この男の表現の一つなのだ。
「さぁー、まずは姫路城にご案内いたします」
「なに姫路城にかー、御着城の小寺政職殿に挨拶をしなくても良いのか」
 官兵衛は、御着城小寺政職の家来である。
この阿弥陀の宿から、そのまま山陽道をたった一里進めば、御着城にぶち当たる。
怪訝そうに尋ねる秀吉に、
「いやいや、まずは姫路の城で、砂埃を落として下さい」
 官兵衛は山陽道から、南の海沿いに進み、御着城を避けて、市川沿いに姫路に入った。
 手配は行き届いていた。いつでも七千六百人の軍勢が休めるように、姫路城だけでなく、城下の民家にも宿泊できる手配がされていた。
 官兵衛は、秀吉を姫路城に案内すると、父親の宗園を紹介した。
「隠居の宗園でございます」
 温和な老人が笑顔で挨拶をする。色は黒く、体に比べ顔が厚くて大きい。
その顔に不似合いな笑顔を、当然のように浮かべているのを見ると、しぶとく生きてきた人生を物語っていた。
 小寺美濃守職隆である。
 今は小寺家の家老職を官兵衛に譲り、隠居して宗園と名乗っている。
 秀吉たちが入った姫路城は、宗園の父重職が備前から播磨に来て、御着城主小寺政職の父の小寺則職に仕官して、姫路城の番人を任されて以来、増築と改築を重ねて拡げてきた。
この頃は、本丸と二の丸を中心に櫓を配置して、石垣と堀で囲っていた。  
 秀吉は、ぐるっと城を見渡した後、
「上様から、小寺家の家老に、教えを受けるように言われてなぁー」
「羽柴さまは、織田軍一の実力者と聞いております」
 お互いに、相手を立てる。
「早飯と早糞が取り柄の男じゃー」
 この頃の秀吉は、別名、人たらしとも呼ばれていた。
「播磨のことは何一つ分からん。援けてくだされ」
 秀吉も、宗園に負けない笑顔で応えると、それ以上の答えが返ってきた。
「今日からは、この城を、羽柴さまの城と思って自由に使ってください」
 秀吉は、意味が分からなかった。
「私と官兵衛は、南にあります国府城に移ります」
 国府城は天正元年に宗園が、御着城の南、市川の横にある甲山に築いた出城である。
功山城とも妻鹿城とも呼ばれている、岩だらけの小高い山なのだが、山頂が予想以上に広い。
「なになに、この城を出て行く、というのか」
「はい、私どもがいては、羽柴さまも目障りで、思うように使えないでしょう」
 つるつるの坊主頭を撫ぜながら、あっさり言った。
 大した気遣いをする。
 秀長の話では、播磨衆は愛想良いが、肝心な人質は出さないと言っただけで、たった一人しかいない、自分の息子松寿丸を人質に出した。
そして、今、住んでいる姫路城を呉れるとまで言い出した。
「この親子の狙いはなんだ」
 秀吉も、すぐに裏を読む。
「率直に織田家に懸けたのか」
 それ以外考えられない。はっきり小寺家を見限って、織田家に乗り換えたのだ。
「そんな男は、常に因る相手を変えるから、気を付けないと足を掬われる・・・・・」
 秀長も蜂小も、前将に、温厚な竹半までが、
「小寺官兵衛は、大きな野心を抱く曲者」
 と、評価しているが、しかし、今回の決断は見事だ。
播磨衆が全員毛利に味方をしても、この親子は、独自に織田家を選択した。
 秀吉は、笑顔を崩さない宗園を見つめながら、これは官兵衛の策ではなく、宗園の考えたことだと読んだ。
 実際に、この頃の残っている黒田家文書には、小寺美濃守、同官兵衛と連名のものが多い。
「まてまて、わしらは播磨を知らん。誰がだれかも分からん」
 秀吉が、半分泣き声で続けた。
「頼むから、この城に残って教えてくれんと、動くこともできん」
 宗園は、秀吉の答えを読みきっていた。
「では、私たち親子は二の丸に住みます。御用のときはいつでも声をかけて下さい」
 宗園と官兵衛は、一礼すると出ていった。
 
 その夜、秀吉は、早速二の丸の官兵衛を呼び出した。
そして、播磨の豪族たちを歴訪する段取りすると、翌朝早くから夜遅くまで訪ねて回った。
羽柴秀吉の軍勢が姫路に入ったことで、播磨の豪族たちは動揺した。
戦争が避けられないと分かっていても、目の前に織田の軍隊が出現すると、自分の体が切り刻まれるような錯覚を覚えた。
 
 上月城では、別所林治が磯部主計を伴って、他所からの援軍が来るのを待っていた。
林治は、毛利家と宇喜多家に軍勢を要請していたが、それ以外にも、雑賀の孫一に鉄砲放ちを頼んでいた。雑賀の鉄砲衆は少人数でも、信長の頸を狙える。
「林治さま、雑賀の鉄砲衆が到着しました」
 番兵が報告した。
「きたかー」
 林治が迎えに降りると、大手筋に雑賀の鉄砲衆が百人ほどいた。
括袴に道服を纏った男が前に出ると、
「雑賀の桑原与平次、鉄砲五十挺をもってきました」
「有難い、孫一どのは五十挺も送って下さったのかー」
「かしらは、本当はもっと送りたいのだが、本願寺の顕妙さまから千挺依頼されておりますので、五十挺で我慢して欲しいとの伝言です」
 申し訳なさそうに頭を下げた。
「いやいや、五十挺でも大いに助かる、助かる」
 林治が喜んで言うと、与平次は、
「そのかわり」
鉄砲を手にして、
「腕は、確かな者ばかりです」
初めて笑った。
その後も、英賀の三木家から、米五百俵と傭兵三百人がきた。
 石山本願寺からの命令で、播磨各地から一向門徒衆が五人、十人と、上月城に集まってくれば、安芸の門徒衆からも、米が千俵送られてきた。
 その米を運んできた目付きの鋭い男が、林治に、
「別所林治さまですか」
「林治じゃがー」
 男は、首に巻いた手拭を外すと、
「毛利家家臣杉原盛重の配下、佐田彦四郎と弟の甚五郎に子鼠です」
 男は、荷車の後ろにいる二人を紹介した。
毛利家が忍びに世鬼一族を遣っていたのに対し、両川の一人吉川元春は、重臣の杉原盛重に忍びの仕事を束ねさせていた。盛重は生涯笑ったことがない噂があって、いつも無表情だったので、お面の杉原と呼ばれ、元春の懐刀であった。
 隆景は兄の元春に相談して、信長に罠を懸ける上月城と、密な連絡が必要と考え、忍び働きのできる佐田三兄弟を上月城に送り込んだ。
 林治が、上月城に駆けつけてくる援軍に対応していると、
「林治どの」
 後ろから呼ばれた。
林治が振り返ると、日焼け顔の若い男が笑っていた。
「村上どの―」
 昨年、木津川沖で毛利の水軍を率いて、織田の水軍を壊滅させた、村上水軍の長の村上武吉の息子元吉だった。潮で焼けた顔は黒く引き締まっている。
「山は歩きにくいわー」
 笑って言った。海は船を操るだけで好きな所にいけるが、山は足で進むしかない。
「わざわざ瀬戸の能島から、上月まで来てくださったのかー」
「親父から、火薬玉を届けるようにいわれましてな」
 元吉は、足を軽く叩いている。
「武吉どのの命令で、わざわざ西播磨の山奥までー」
林治は、武吉の気持ちが嬉しかった。
 元吉は、後ろの台車の荷を若衆に開けさすと、丸い玉を取り出した。
「これは・・・・・」
「黒猿が欲しいと言っていた、炮烙玉じゃー」
 村上水軍が誇る爆弾である。
 火を付けて敵の船に投げ込むと、大音響で爆発して火の粉を撒き散らす。この方法で木津川を封鎖していた、織田水軍の大船を炎上させて沈めた。
「黒猿はー」
 元吉は、織田水軍の船に油を撒いた、黒猿に礼が言いたかった。
「黒猿は信長の頸を狙って、張り付いておる」
 林冶が笑っていうと、
「たった一人で、信長の頸を狙っているのかー」
 黒猿でも、信長を仕留めるのは難しいと想ったが、一方で、黒猿らしいともー。
 元吉は笑うと、
「二十個だが、城攻めの兵隊の中に投げ込むと、大きな効果があるぞー」

 その後も、一色藤長が八人の従者とぬい女をつれて、旅をするように現れた。
「これが上月、七条赤松の城か」
 熊見川から、上月城を見上げて呟いた。
「なにやら急がしそうじゃー」
 公家には、戦も、表通りを通りすぎる賑やかな一座のようだ。
 藤長が上月城に入ると、城主の赤松政範が近習を連れて飛び出してきた。
「これは、これはー一色さま、よくお越し下さいました」
 政範は、地面に手をついて歓迎した。
 藤長が大広間に入ると、家老の高嶋正澄を筆頭に、上月赤松家の重臣が顔を揃えた。
 上座に座った藤長は、大袈裟な歓迎が嬉しかったのか、
「足利義昭さまの遣いで参ったのじゃ。林治、上様からじゃー」
 藤長は、従者に顎で合図をする。
「銭、銭じゃ」
「銭でございますかいなー」
 林治が、不思議そうに聞くと、
「何を言う。戦は銭がかかる。上様が毛利家に命じて出させた銭じゃー」
「これは助かりますなぁー」
「五百貫ある」
 政範はじめ、赤松の重臣は五百貫の銭も嬉しかったが、足利将軍から直接援助されたことで、戦意が一段と高揚した。
 さらに但馬美方郡の小代谷から、山賊のような男たちが八十人きた。
 小代谷は、竹田城の太田垣朝廷の配下に入っているが、この谷は結衆を組んで余所者を入れない。その結衆の親玉の小代大膳と、上月城の赤松政範とは仲が良かった。
 政範は大膳の参謀役に、上月悪四郎富安を派遣していた。
その返しに大膳が、山岳戦に慣れた荒くれ者を援軍に送ってくれたのだ。
戦の戦力はいくらあっても良い。
 林治は、その者たちを各陣地に配置しながら、いよいよ織田信長との直接対決が始まるのだと思うと、力まずにはいられなかった。
 
 姫路城を拠点に、羽柴秀吉は播磨の豪族たちを回って、織田方に引き入れる工作を展開していた。豪族たちも、目の前に現れた織田軍に逆らう愚行はしなかったが、積極的に与力になることもなかった。
 秀吉は、官兵衛や播磨衆抜きの秘密の会議を、姫路城ではなく加古川で開いた。
この会議に参加したのは秀吉、秀長、浅野弥兵衛尉、前将、蜂小、竹半と、桑山修理亮、杉原孫兵衛、宮部善祥坊ら羽柴軍の部隊長たちであった。
この先、播磨をどのように扱えばよいのか、手探りの軍議が酉の六ツ半(午後七時)より始まった。
「遠慮なく意見を言え。大事なのは策じゃー。良い策は合戦の勝敗を決めるのだぞー」
 秀吉が大きな声で切り出した。
 秀吉の大声も、屋敷を二重、三重に取り囲んでいる警備兵で、漏れる心配はない。
「西播磨は毛利家に組みしたと判断したほうがよい。佐用郡、宍粟郡、揖西郡、揖東郡、赤穂郡からは、誰も顔を出さなかった」
「上月赤松の領土じゃ。上月城は見せしめに力づくで攻める」
「ところでじゃがー」
 前将が口をだした。
「わしらが播磨に入って、地侍に頭を下げ、協力を要請して廻ったがー」
「うん」 
「よく考えると、誰一人味方になっていないー」
 前将が呆れたように言った。
「どの豪族たちも、表面では織田家に友好的だがー」
「へらへら笑うだけでー」
「心では何を考えているのかー。全く信用できん。それに」
 播磨衆のしぶとさは予想以上だ。
「第一、人質の質が悪すぎる」
 今まで、織田に人質を出す約束を守らなかった播磨衆が、羽柴軍が播磨に入ると慌てて人質を提出したが、家来の子供たちで、城主一族の子供は一人もいなかった。
 その人質も、三木城で預かると言う。
「大体、小寺官兵衛を信用したのが大間違いだった」
「そうも言えん。官兵衛はたった一人のわが子を、人質に出している」
 これは素直に認めるべきだと、蜂須賀小六が言った。
「それに姫路城も、素直に明渡したではないか」
 官兵衛が曲者でも、この覚悟は買える。
「問題はその官兵衛と、播磨衆が敵対していることだ」
 蜂小は、秀吉に顔を向けると、
「小寺官兵衛をとるか、播磨衆をとるかが、播磨平定の鍵になる」
「官兵衛といっても一人ではないか、一人と三木別所、御着の小寺、置塩の赤松、野口の長井に志方、神吉といるのだぞ」
「いいや、官兵衛の一族、黒田家対播磨衆かな」
 官兵衛も、父宗園の指図に従って行動している。
「ここは大将が決断してくれんと、無駄な働きをすることになる」
 蜂小が、秀吉に判断を迫った。
「兄者、官兵衛と父親が味方になるのは一助になるが、播磨制圧には地元播磨衆の協力がなくては何年もかかる。よく考えてほしい」
 秀長は、官兵衛を捨てて、播磨衆を選択するように求めた。
「うーん。これは難儀じゃー」
 秀吉も額に皺を浮かべ、迷っていたが、
「今のままなら、官兵衛を捨てた方が有利だがー」
 一年先は、分からない。
「先を考えると、そうも言えんぞ」
 秀吉は、現状打開だけなら、播磨衆を味方に付けた方が有利である。
が、これだけ決断力のない連中を与力にしても、この先、何をするにもぐずぐずして、秀吉の得意とする、電光石火の行動には足手まといになる。
 その点、官兵衛親子の決断力は素晴らしい。
 己一人でも、織田家に決めたら徹底した。
 この読みと一徹さは、将来大きな力になる。
それになにやら、癖のある宗園と、官兵衛の描いている未来を見たい気がする。
 秀吉は、官兵衛親子にもう一度会ってから、どちらを選択するか決めることにした。
 この軍議が終わったのは亥の四ツ半(午後十一時)だった。
 羽柴勢は、加古川で軍議を開いた事を隠して姫路城に戻った。

 翌朝、秀吉は官兵衛親子を呼んだ。
「播磨衆の、正直な気持ちが読めん」
 秀吉は苦笑いしながら、短刀直入に聞いた。
「播磨衆を信用なさらぬことです」
 宗園と官兵衛は配下の情報集団から、秀吉軍が加古川で軍議を開いたことを聞いていた。内容までは分からなかったが、秀吉から呼び出しがあることを予想していた。
「あっさり言ったな」
「播磨を一回りされたのでご存知と思いますが、播磨の国衆は、毛利家と組むことを決めております」
 宗園も官兵衛も、ここが勝負どころと決めていた。
「そうか、困ったな」
 秀吉も、播磨衆の煮え切らない態度から、裏で毛利と手を握っていると考えていた。
「しかし、これでは播磨が制圧できん」
 秀吉は、官兵衛の横にいる宗園の目を見て言った。宗園は温和な目を細めると、
「羽柴さまは、幾つになられました」
「わしの歳かー」
 意外な質問に戸惑いながらも、
「四十一になる」
「丈夫でございますな」
 宗園は坊主頭を撫ぜながら、笑顔で聞いてくる。
「羽柴さまは、この播磨を平定されましたら、備前の宇喜多を攻められますのか」
「勿論じゃー。備前から備中、備後と攻めて行って、毛利と決戦する覚悟をしている」
 秀吉が、小さな体を大きく反らせて答えると。
「武将として、立派な心構えでございます」
 宗園は軽く受け流すと、隣にいる官兵衛に、
「官兵衛、おまえも羽柴さまを見習って、信長さまのために命懸けで働くのだ」
「心得ております」
「羽柴さまに御仕えして、心構えから習うと良い」
 宗園は、また秀吉に向き直ると、
「先走ったことを伺いますがー」
 相変わらず、核心を見せずに、
「毛利を平定した後は、九州に進まれるのですか」
 秀吉は、宗園の質問に応えながら、
「もちろん、そのつもりでいる」
が、宗園が何を言いたいのか、考えていた。
「聞いた話ですとー」
 宗園が大袈裟に、
「羽柴さまは九州を切り従えると朝鮮に、その朝鮮も平定すると信長さまに預けて、大陸の明に進行されるとかー」
「さすが黒田家の情報網、よく知っているな」
 宗園が知っていて聞くのは、後で言いたいことがあるのだ。
「その頃羽柴さまは、幾つになられておられます」
「なに・・・・・」
 秀吉は、宗園の一言に絶句していた。
(その頃、幾つに・・・・・)
 宗園の言葉は、秀吉の心を真二つに両断した。
常に、織田信長に不信感を抱かせないように行動し、言葉にも注意して喋ってきた。
中国を制圧したら九州に進み、九州を平定したら朝鮮に進軍すると公言していたが、己の歳を考えたら、そんなことできる訳がない。
 人生五十年の時代である。
今は身体も精神も充実しているが。いやいやこの頃、馬に背中で揺られながら寝ていることがある。信長さまに追い捲られているから、気がつかないだけだ。
 身体も精神も確実に老いてきている。人生が五十年だと、
「あと九年だ」
 たった九年しかない。
この調子だと、九州のどこかで戦っている頃に五十歳になる。
 秀吉は今まで一度も疑ったことのない、信長の有能な家来の看板が、ひどく空しいものに思えた。
「なら宗園、他にどんな生き方があるのだ」
 こんな回りくどい言い方をする宗園は、きっと答えを用意している。
「播磨を切り取ることです」
「地侍全部を敵に回しても、かー」
「もともと播磨は、毛利家に味方する敵でございます」
 攻守が反対になった。
「甘い考えは捨てて下さい」
「播磨一国を敵に回すのは、却って時間がかかるぞ」
 苦し紛れに言う秀吉に、
「いいえ、播磨は富んだ国でございます」
 宗園が大きく見えた。
「国衆を与力にして毛利と戦うよりは、まず播磨一国を自分のものにされることです」
 じっと考える秀吉に、
「生野の山奥には白金を吹く山もあれば、米も鋳物も海もあります」
 秀吉が心の底で抑え込んでいる蓋を、宗園は土足で踏み込んでくると、簡単に持ち上げた。
「合戦、合戦も良いのですが、後日の天下のためにも・・・」
 織田信長が狙っている天下は、信長だけのものではない。
すっと横から、誰が取っても構わないのだ。
 信長よりも力のある者が取ればよい。
まして、今の信長さまは、以前のように冷静に的確な判断ができない。
「このまま信長さまにこぎ使われて、一つの失敗で頸を切られるのなら・・・・・」
信長さまの、
「死のふは一定 しのび草に何をしようぞ 一定語りをこすのよ」
も、悪いことではない。
どうせいつか死ぬのなら、他人の夢でなく、自分の夢に手をかけて死にたい。  
「自分の夢で死ぬのなら、納得できるわ」
 秀吉が宗圓を睨むと、相変わらずとぼけた笑いを浮かべていた。

 官兵衛親子と会談した秀吉は、しばらく何も言わなかった。
家来にも、草者を張り付けて、不審な行動を探らせている信長の耳に入ることを恐れた。一言でも漏れたときのことを考えると、弟の秀長にも言えなかった。
だが、自分の進む道を悟った秀吉の行動は、一気に加速した。

 秀吉は、姫路城に腹心の家来を集めると、播磨での作戦を指示した。
「未だに人質を出さない播磨衆は、全員敵と見なして切り取る」
 秀吉から迷いが消えていた。
「織田軍を待ち構えている、上月赤松は後回しにしてじゃ」
「・・・・・」
「竹半が言った、毛利が油断している但馬を先に攻める」
 決断した秀吉の立てる策は、奇抜だが理に適っている。
「秀長、前将、生駒、宮部、宮田、青木、堀尾、藤堂、木村等三千二百人に鉄砲三百で但州に入り、岩州、竹田城を攻め落とせ」
「かしこまりました」
「生野に、白金の咲くところがあるらしい」
「聞いております」
 秀長の、経済観念は素晴らしい。
 羽柴秀吉が、敵の攻略に惜しみなく銭を使えたのは、秀吉の嗅覚と、秀長の会計能力があったから出来たことだ。
「竹半、今度は上月城攻めの策を作れ」
「準備はできております」
「さすが竹中半兵衛じゃー」
「承知、上月赤松は、我等に罠を仕掛けている噂があります」
「なら赤松内部を切り崩せ。上月城を外と内から裸にするのじゃ」
 秀吉の声が、だんだん大きくなっていく。
「作州の江見次郎佐衛門と源内左衛門の兄弟と、大原竹山城の新免伊賀守、利神山城の別所定道を味方につけました」
「そうか、北側は切り崩したか」
「小寺官兵衛は、どう扱いますか」
「竹半に預ける」
 秀吉は竹中半兵衛が、官兵衛を側に置きたいことに気がついていた。
「有難うございます」
「よいか、播磨は、だらだらした城攻めはするな」
 顔を引き締めて厳命する。
「手際よく陥落させるのだ。そのためには、攻める城をよく調べることと、敵を分裂させること。この二つを徹底してやれ」
  
 但馬に攻入る前日、小一郎秀長は、秀吉の部屋を訪ねた。
「兄者、何があった」
「聞くなー、今はおまえにも言えん」
「播磨衆の切り取りは、播磨だけでなく、後の備前攻めにも支障がでる」
「分かっている」
「本当に、分かっているのかー」
「小一郎」
「はい」
「わしも四十一じゃー。いつまでも上様の期待通りに働くことはできん」
「・・・・・」
「上様は、家来の不手際を容赦なく責める」
「それは厳しいお方じゃ・・・・・」
 秀長も、信長が尋常でないことを知り抜いている。
「一つの失敗で、腹を切らされる」
「それで、何人も死にましたな」
 秀長が、手で頸を撫ぜた。
「命を削り、汗水を流して手に入れた領地もー」
「全て失います」
「家来も捨てることになる」
「たまりませんな」
「小一郎―、わしはー」
「はい」
「わしも家来も、そんなことで死ぬのは嫌じゃー」
「わたしも嫌です」
「何もかもが、露のように消える」
「・・・・・」
 秀長は言葉を挟まなかった。
兄は考えがあって、方向転換を決意したのだ。
それが分かれば良い。兄一流の博打を打っているのだ。
 兄とこの小一郎秀長との違いは、土壇場で博打が打てるか打てないかだ。
 北陸で上杉謙信との合戦を回避して、戦線離脱の大博打も兄だからできた。
 こんな大博打は、兄者以外誰もできない。
みんな信長さまに睨まれただけで、びびって竦んでしまうのに、兄者は大袈裟にびびった振りをしているが、少しもびびっていない。
 秀長は、秀吉が播磨衆を先陣に働かせないやり方は、播磨衆の反感を買うことを分かっていて決断したら、もう何も言うことはなかった。
分かっているのに作戦を変えたのは、それなりの理由があるのだ。
 信長さまにこぎ使われ続けることに、大きな不安を感じたのだ。
(何も言うまい)
 今まで兄者に付いてきて、扶持も家来も増えた。
(これからも、兄者を信じて付いていくだけだ)
 秀長は迷わず兄、秀吉の考えを優先した。

 十月晦日、
 羽柴秀長は国府(姫路市本町 姫路郵便局のあたり)の北に人馬を集めると、但馬に向かった。市川に沿って北上して、神東郡の沢で右に逸れて、大猪篠川に進み、真弓峠を越えて但馬に侵入した。
 狭い谷間を拭うようにして進む秀長は、右手の銀山谷をちらっと見ただけで、朝来郡の岩州城の攻撃を優先した。
 朝来と養父郡を制圧したら、ゆっくりと銀山を開発すればよい。
 岩州城は山口村にあった。城主は太田垣出雲守。北の竹田城と同じで、一昔前に山陰の雄だった山名の四天王の一人、太田垣一族である。
秀長は、城を囲むと間をおかずに攻めた。
鉄砲を撃ちかけると、戦に慣れていない敵が驚いた。
 前将、宮部、木村等の、城攻めの体験豊富な者たちが一気に攻め上がると、城は一日で落ちた。
「前将は残れ」
「ここにですか」
 前野小衛門が聞き直した。
「生野の山から、銀を掘り出してくれ」
「なるほど、これも大事ですな」
 秀長は、岩州城を前将こと前野将右衛門に預けると、生野銀山の開発を命じた。
 蜂須賀小六と同じで、木曽川の川並衆の荒くれ者を率いている前将は、癖のある職人の扱いを心得ていた。
 この銀山で働いていた職人に声をかけ、金堀りの心得のある者を高給で招いた。
 そして、できるだけその者たちに采配に任せた。
 高給で任された金堀下財(げざい=工夫)たちは、任されたことでより銀の掘り出しに力を入れた。
 続いて、北の竹田城を攻める。
 城主は、丹波黒井城主荻野直正の甥の太田垣朝廷(とものぶ)である。
 羽柴勢は城下に火を放ってから攻め上るのだが、敵は険阻な山の上から岩石を投げ下ろして抵抗する。
 秀長は兵を一旦下げると、三百挺の鉄砲を並べた。
射撃の用意が整うと、再び攻撃を開始した。そして城兵が石を投げ落とそうと顔を出したところを鉄砲で狙った。
 これは効果があった。この攻撃を二、三度繰り返して行うと、敵の抵抗が減った。
 敵の抵抗がまばらになると、総攻撃に切り替えた。
 羽柴軍の猛攻に、敵は城を捨てて逃げた。
 秀長は、但馬の岩州城と、竹田城を僅か四日で制圧した。
 羽柴秀吉は、但馬攻略が順調に進んでも、播磨制圧は上月城を陥落させないと終わらないと考えていた。
「播磨制圧の最後は上月城じゃ」
それは中国を支配している毛利家も、備前の宇喜多家も同じて、赤松政範の籠もる上月城が播磨国最後の防波堤と想定していた。
「播磨が制圧されると、備前が裸になる」
 上月城は播磨から美作、因幡に通じる美作道の要衝だけでなく、播磨、備前、美作、但馬、因幡に影響を及ぼす重要拠点でもあった。
 秀吉は、上月城攻めの前に、多くの細作を佐用谷に送り込んだ。
 指示は二つ。一つは上月城と周辺の城と、砦の絵図を作る。もう一つは、
「織田軍は、強敵毛利との直接対決を避けて、但馬から因幡に進行する」
噂を流した。
 この噂は播磨の隣国、備前の宇喜多直家の耳にも入った。
直家は織田軍の謀略だと考えていたが、現に羽柴秀長の軍勢が、但馬に侵略して朝来郡の岩州城を攻め落とすと、更に北上して竹田城を攻撃していることが細作から伝えられた。
 直家は、重臣を岡山城に集めた。
 弟の宇喜多忠家、戸川肥後守、岡越前守平内、花房助兵衛職之、長船紀伊守貞行、延原景能、江原親次・・・・・であった。
 話題は、備前に直接影響を及ぼす、
「織田軍の上月城攻めはいつかー」
だった。直家は、戦国を代表する梟雄と呼ばれ、計略の限りを尽くして備前一国と美作の半国を手に入れたが、決して物事を独断で進めなかった。
 よく家来の武将たちの意見を聞いた。
実際、悪名の高い直家だったが、直家の重臣で裏切った者はいない。
「いま羽柴軍は、但馬に攻め入っております」
「岩州城を一日で攻略すると、生野銀山を支配したらしいー」
 直家は黙って聞いている。
意見を聞きながら、家来たちの物の見方、捕らえ方を見極めて家来の能力を測る。
これが、合戦の持ち場を決めるときに役にたつ。
「竹田城から先に八木城、三見城、朝倉城、坂本城、宿南城と奥に続く。但馬攻めが一段落するのは、いくら早くても一ヶ月はかかるから、その後になる」
「と、なるとー」
「上月に来るのは、早くて、年が明けた一月か二月ではないかー」
「わしも助兵衛と同じ考えで、来年の年明けと見る」
「羽柴勢は竹田城攻略の後、兵を反転させて、上月に来ることはないのかー」
 羽柴秀吉の奇想天外な作戦は、備前にも知られていた。
「それはないと思うがー。殿は、如何考えておられますか」
 老臣の岡平内が、直家の勘考を聞いた。
直家は、傾けていた上体を正すと、
「わしも、早くて来年だと考えている」
 直家は、羽柴軍の人数を思い出すと、
「残りの軍勢が姫路に残っているが、四千五百ほど聞いている。この数では毛利どころか、この宇喜多とも合戦はできん」
「織田軍の播磨入りは、思ったより少なかったな」
 以外だった。 
「佐用谷に侵攻するには、少なくとも但馬に入っている兵が引き返して、姫路の兵と合流してからでないと、上月城攻めはできん」
「姫路に残っている羽柴勢は、何人いるのじゃー」
「播磨に入った羽柴軍の数が七千六百から八千、但馬攻めに三千強が参加しているから、姫路に残っている軍勢は多くて四千五百人ほど。それに播磨衆何人かが与力しても六千ほどー」
 猛将の花房職之も、
「たった六千では、上月城攻めはできんな」
 攻め手と、守り手の人数に差がなかった。

 備前の宇喜多家の評定とは逆に、羽柴秀吉は但馬攻めの一方で、竹中半兵衛と蜂須賀小六に、上月城の攻略作戦を作らせていた。
「七条赤松の城は、要害か」
 秀吉は、竹半と蜂小に聞いた。
二人は、具体的に組み立てた意見を言う。
「城のある荒神山はさほど高くは無いが、両脇の大亀山と大平山とを並べて、三山一体の城郭になっている」
「この三山に、宇喜多の援軍が入ると面倒なことになる」
 護り手の人数が、攻め手の倍になる。これでは奇襲もかけられない。
 竹半と蜂六が、絵図を示して答える。
秀吉も、額に皺を浮かべて絵図を覗き込む。
「どんなことがあっても、宇喜多軍が上月城に入る前に攻め落としたいわ」
「この人数でかー」
「そうじゃー。この人数で攻め落とす策がないか、考えている」
 秀吉の、窪んだ目の奥が光っていた。
 攻撃する方は、守備隊の三倍の兵力が要ると言われているから、常識で考えると、姫路の羽柴軍だけで攻撃することはありえない。
「そこが付け目なのじゃ」
「確かに、敵に油断があるがー」
「上月赤松も宇喜多も、この人数で攻めるとは思っていない」
 敵も、秀吉軍には細作を張り付けて、監視している。
「但馬の兵が引き返すと、敵の上月城にも宇喜多軍が入るわ」
「その方が、手が出んようになる」
「だからじゃー、攻めるなら人数が少なくても奇襲しかない」
 秀吉は、大胆な作戦の有効性を知っている。
しかし、それは成功して言えることだ。
「戦は博打じゃー」
 林治と同じことを、蜂須賀小六がいった。
戦いは、人数が多い方が必ず勝つとは限らない。
博打は元手の多い方が負けることもあるし、小金しか持っていない者が勝って、大金を持って帰ることもある。
「よし、この人数で攻め落とそう」
「やるならー、敵が油断している今じゃー」
「鉄砲と弾薬は十分にある。これを活用すれば、そう負けることはない」
 秀吉も蜂小も竹半も、大軍で正面から激突する戦より、少人数で奇策を用いて大軍を打ち破る戦に醍醐味を覚え、生き甲斐としてきた男たちだった。
 その方法で尾張、美濃から、近江を勝ち抜いてきた。

 但馬の秀長軍は、快進撃を続けていた。
竹田城を三日で陥落させると、養父郡に侵攻した。
八鹿にある八木城の八木豊信、三方城の三方左馬介、朝倉城の朝倉大炊、坂本城の橋本兵庫、宿南城の宿南右京を瞬く間に落した。
 朝来、養父の二郡を十八日で平定すると、三方城に木村常陸介、朝倉城に青木勘兵衛、宿南城に宮部善祥坊を入れ、守りを固めた。そして岩州城の前野将右衛門に、生野銀山の開発に力を入れるように促した。
「白銀さえ手に入れば・・・・・」
 戦の軍資金が出来るし、上様に最高の土産になる。



     七 上月攻め

 十月十五日、秀吉は木村隼人と山中鹿之助に、従者一名をつけて上月城に送った。
この二人は、八月にも上月城に行って、赤松政範と家老の高嶋正澄に会っていた。そのとき、赤松政範は言葉を濁すだけで、織田家も毛利家の名前も口にしなかった。
 今日は、主君織田信長の教書に、秀吉の誓紙をつけて丁寧に、
「信長さまは播磨国には少しの野心を持っていないが、安芸の毛利家とは手切れとなり戦が避けられないので、織田に人質を出して、手を携えて毛利の乱入から西播磨を守ろう」
と誘った。丁重に筋を通しているが、織田家に味方をしなければ、敵と見なして攻撃すると、暗に威圧した。
要は最後通告なのだ。
上月城主赤松政範の返事は決っていた。
「拒否」であった。
政範は、織田の使者が帰ると同時に、
安芸の毛利家に、国府寺左近太郎、
備前の宇喜多家に、真島真左衛門、
三木別所家に、鵜野弥太郎、
英賀の三木家に、芳賀良左衛門を送り、援軍を要請した。
さらに、まだ反織田の立場を明確にしていない御着の小寺政職、置塩の赤松則房、龍野の赤松広秀には書状で、毛利、宇喜多家と連盟して織田軍と戦うことを表明すると、
「赤松一族が団結して、織田信長の播磨侵略に対抗して断固戦おう」
と誘った。

 十月十九日、政範は、上月城の二の丸に一族郎党を集めると、
「赤松代々の土地を守るために、この城を枕に織田信長と戦う」
ことを宣言すると、ただちに戦闘態勢に入った。
 敵の攻撃を想定して、上月城の前を流れる熊見川の船をことごとく壊して、羽柴軍に利用されないようにした。防衛の中心になる上月城の周りは、鹿垣や逆茂木を何重にも備えると、早瀬城に政範の弟の赤松政直、浅瀬山砦に上月恒織、櫛田砦に櫛田景則、飯山砦に真島元冶、熊見砦に和田義昭、徳久砦に真島景綱を配置して前線を固めた。
 そして、それらの砦を結ぶ核となる高倉山城に赤松美作守義則、北からの侵入を封じる福原城に政範の妹婿の福原藤馬允則尚、別所林治の利神山城は兄の別所定道に固守することを命じた。
「よいか、無謀な戦はするな。敵の徴発にのるな」
「我らの役目は、織田信長をこの佐用谷に誘い込むことだ」
 きつく言い渡した。
 援軍に駆けつけてきた雑賀の鉄砲五十挺は、狙撃しやすい本丸の南にあるヤグラ丸と呼ばれていた三の丸に三十挺と、大手筋を挟んだ大平山の高台にある櫓に二十挺に分けた。 
 この鉄砲は本願寺や雑賀表の合戦の時と同じで、先頭を駆けてくる羽柴軍の騎馬を狙う。村上武吉から貰った炮焙玉は、敵が大軍で押し出してくる大手門の左右にある櫓と、南
出丸に配る。
 そして織田信長の頸だけを狙う襲撃隊を編成すると、佐田三兄弟と本位田薫、外記之助等一族十二人に、土地勘のある奥根衆の二十人を入れて、林治の手元に置いた。
 信長の頸さえ獲れば、織田の大軍団も、風船が破裂したように抜け殻になる。
信長が来ないときは、羽柴秀吉の頸を獲る。
大将の頸が掻かれたら笑いものになって、織田軍は、佐用谷からすごすごと撤退していくだろう。それ以外の奥根衆は、各城と砦に置いて連絡係にした。
 別所林治は、上月城で赤松政範の参謀と侍大将を兼ねた。
 想像していた数よりも、織田軍が少なかった。
 林治は、織田は最低一万の軍勢で、播磨に侵攻してくると読んでいた。その織田軍に播磨衆が何人か与力すると考えていた。
ところが、小寺官兵衛と三木別所家の別所重棟に、加古川の糟屋真雄たちが、織田軍の与力になっただけだった。
 大軍に攻められたときは、砦に籠もって、守りに徹底するように決めていたのだが、攻める羽柴軍の人数と、守る上月赤松の人数に差がなかった。
「問題は、織田軍の鉄砲隊だ」
 林治は、甲斐の武田の騎馬隊を壊滅させた織田軍の鉄砲隊を、非常に強力だと聞いていたが、越前の手取川では、逆に上杉謙信の槍隊に追い払われた。
 どちらが本当の実力なのか、知りたかった。
  
 上月城に向けて姫路を発とうとした羽柴秀吉軍に、高山右近と福富平右衛門の援軍一千人が、鉄砲二百挺を持ってきた。
 信長は、増員できない分を鉄砲で補った。
俄然喜んだ秀吉は、全軍を三隊に分けた。
 右隊は竹中半兵衛が率いた千五百人で、その中に小寺官兵衛の三百人が混じっていた。
この隊の攻撃目標は、上月城の北にある福原城だった。 
 左隊は、堀久太郎と木村源蔵が率いる千五百人で、上月城を南から攻める。
 本隊を率いる秀吉は三千六百を率いると、全軍に駆け足を命じた。
 十一月二十六日、姫路を立った羽柴秀吉軍は、佐用谷に入ると三日月で一泊した。
秀吉は、最後の軍議を終えると、
「この戦に勝ったら二倍、二倍の給金をだすぞー」
生野銀山を掘っている前野将右衛門から、
「銀が取れているぞ」
と聞いていたから、小さな体がはちきれるほどの大声で言った。
二倍の給金は武将たちよりも、その下にいる部下が喜んだ。
「慌てるな、勝ったらじゃ」
「勝つわい。約束だぞ」
雪の下から若葉が芽を出すように、兵士たちの顔に微笑みが浮かんだ。
その夜は、どの部隊も二倍の給金の話で盛り上がった。

 二十七日早朝、羽柴全軍は一斉に駆け出した。
「行くぞー」
「おうー」
織田軍のなかでも、羽柴軍は朝が早いことで有名だった。
竹中半兵衛の右隊は宇ノ山峠を越えると、上津の渡しを目指した。
千種川に辿り着くと、二百の鉄砲隊を残して川に飛び込んだ。
残った二百の鉄砲隊は火縄に点火すると対岸に向けて構えた。
 半兵衛は、
「敵が頭を出したら、撃て」
 と指示していた。
 用心して隠れていても、目前に敵が迫ってきたら、反撃をするのが人間の闘争本能だ。
竹中隊は、川の中に仕掛けてある乱杭に足を取られながらも、強引に渡っていく。   
この竹中隊を待ち構えていた、鵜野弥太郎配下の三百人が、
「敵が川に入った。今だ」
弓矢を討ちかけた。
 竹中隊は一瞬怯んだが、鵜野隊が姿を現すと同時に、構えていた竹中隊の二百の鉄砲が一斉に放たれた。
 大轟音が黒煙を吐きながら飛び出すと、鵜野隊の三割が倒された。
 鵜野弥太郎は、信じられなかった。
一度の射撃で、部隊が滅裂した。
 この轟音に川上の徳久砦の真島景綱と、川下にある熊見砦の和田義昭が驚いた。
「何の音だ」
一挺や二挺の鉄砲の音は何度か聞いていたが、二百挺が同時に放された、空を破るような大轟音は初めてだった。 
 二人は、物見の兵を走らせた。
両砦とも、川を渡る敵を囲んで攻撃できる距離にあった。
直ぐに帰ってきた物見は、上津砦が破られたと言った。
「なにー、まだ半刻もたっていないぞー」
真島景綱は慌てた。
 打ち合わせでは、千種川で羽柴軍を食い止め、敵が川の中で立ち往生したところを、左右にある両砦から攻めて討ち取る作戦だった。
あの雷のような大轟音に、味方がやられたと思った。
そこへまた、大轟音が空気を振るわせた。
 上津山の砦が燃え出すと、味方の旗が半分になっていた。
「いかん、簡単に千種川を渡らせてはいかん」
 第一防衛線が、短時間で突破されるようでは、今までの努力が水の泡になる。
それは、各砦を任された者の恥だ。
 普段なら冷静に考え、状況判断をするのだが、余りにも上津山砦が崩れるのが早かった。上津山砦は、生き残った者が必死で反撃を試みていた。
真島景綱と和田義昭は、
「今すぐ援けに行かなければ、上津山砦が全滅する」
焦った。
 真島景綱は徳久砦に籠もっていた全員を引き連れると、千種川の竹中隊に向かって駆け出した。
「それー」
「つづけー」
 川上から鬨の声が湧いた。
 川上の徳久砦から、赤松の軍勢が喚きながら駆けてくる。
「来たな」
 半兵衛は敵の砦の位置を調べ、攻撃方法を予想していた。
 竹中の鉄砲隊は、川上に向きを変えると、
「まだまだ、まだ放すなー」
 戦慣れしているから、敵が近づいてくる距離で引き金を落す。
 先頭を駆けてくる、騎馬の真島景綱は格好の的になった。
「もう少し、もう少しじゃー。よく狙ってーよし撃てー」
 溜まっていたものが一気に吐き出されたように、轟音が飛び出すと馬が驚いた。
同時に、真島景綱は火玉が体を通り抜けたと感じると、叩かれたように馬から落ちた。
 鉄砲にやられなかった者も、一緒に駆けていた周りの者が、轟音に弾かれ、顔から血を噴出しながら叩きのめされると、今まで体験したことのない恐怖に犯された。
「・・・・・」
一瞬に闘志が消え、その場にしゃがみ込むと動けなかった。
竹中鉄砲隊は、一弾ごとに小分けしている火薬と、六文目の鉛玉をかるかで素早く押し込む。このかるかも先端を布で固く巻いているので、先に放った銃口内の火薬のすすや、硫黄の粘りを取り除いた。火縄も、木綿を編んで紐にしたものを一人が三本携えていた。
その紐に火をつけて、戦闘中は火種を欠かさない工夫をしている。
 一発放っても、直ぐに二発目、三発目が放せる練習を何度もしていた。
その竹中の鉄砲隊が、威力を発揮した。
 熊見砦の和田義昭も、家来を集めると、
「急げー、上津山砦が破られる」
 集まった部下に怒鳴った。
「今からでは間に合いません」
 並んでいる一人が返した。義昭はその部下を睨みつけると、
「千種川が突破されると、敵は上月城に向かうのだぞー」
 それだけ言うと、和田義昭は熊見砦を飛び出した。
その言葉に、砦の半分の守備隊が付いていった。
 重近高台の奥に陣取っていた利神山城別所定道配下の二百の軍勢は、竹中隊の鉄砲の威力に竦んでしまった。もともと戦意のない部隊だ。
定道は、織田信長に逆らう無謀さがなんとなく分かっていた。だが弟の林治は主戦派の先鋒を担っていた。長年の病気ですべてを弟に任せていたのに、このときだけ、
「織田軍と無謀な合戦はするな」
とは言えなかった。
定道は、仕方がなく上月城に兵を出す一方で、織田家の使者に会った。
言われるままに人質を三名出した。
「両天秤にかけた」
 定道は、苦笑しながら戦場に送り出す家来に、
「無駄死にはするな」
と命じていた。羽柴軍の最初の一斉射撃が強烈だったから、別所定道が送った二百の軍勢は、上津山砦の奥の陣地から姿を消した。

 秀吉本軍の先鋒を任された蜂須賀小六と堀尾茂助に、尼子の残党を率いる山中鹿之助の軍勢は、競うように志文川沿いに飛び出していった。
「一気に攻めるのじゃー」
 狼が獲物に襲い掛かるように、志文川と千種川の合流点にある、熊見砦に襲いかかった。熊見砦は地面からぼこっと盛り上がっている。
取りかかりにくい砦だったが、難攻不落と噂されていた稲葉山城や、北近江の小谷城を攻め滅ぼしてきた蜂須賀小六には、小さな岡の一つに過ぎなかった。
 その熊見砦は、隊長の和田義昭が上津の渡しに救援に飛び出していったから、混乱する半分の守備兵しかいなかった。
 蜂須賀と堀尾軍は砦を取り囲むと、鉄砲と弓を放しまくった。
たちまち熊見砦が、轟音と黒煙に包まれて見えなくなった。
 上津の渡しを目指して駆けていた和田義昭の耳に、後方から地面を裂く音が起こった。
 羽柴軍は上津の渡しに続いて、中津の渡しにも殺到してきた。
「しまったー」
 和田義昭は急いで引き返そうとしたが、熊見砦を取り囲んでいた敵に見つかってしまった。蜂須賀隊は、空に浮いたような少人数の敵を見つけると、獲物に飛び掛っていった。
 和田義昭は、全てに予想が外れた。
 戦すら出来なかった。
 一方的に攻められ、反撃も出来ないうちに蹴散らされていた。
 
 大きく迂回する、南からの攻撃隊は一日早く姫路を出発した。
 羽柴軍左隊の堀久太郎と木村源蔵に、ただ一人三木別所家から与力している別所重棟たちの千五百人は、龍野から中国街道にでると、二木峠と椿峠の山道を走り抜けた。
 上郡から千種川に沿って北上すると、王崎砦を抜き去って、
 二十七日、久崎の渡しに到達した。
 この渡しは上月城の足元になるため、右から櫛田、飯ノ山、浅瀬山、円光寺山の四つの砦が置かれていた。
 堀久太郎の部隊が勢いよく川に飛び込むと、周りの砦から一斉に鉄砲と弓矢が飛んできた。堀部隊は前にも横にも進めず、川の中で立ち往生してしまった。
このままでは攻められるだけで、反撃もできない。
 後ろから、続いて川に飛び込もうとしていた木村源蔵は、堀部隊が退却できるように、自分の部隊を一旦退けると、
「いかん。敵の裏にまわる」
 羽柴秀吉が城攻めを得意としたのは、部下が優秀だったこともあるが、敵の陣配置を詳しく調べ、攻撃方法を何通りも考えていたからだ。
 犠牲が多い正面からの攻撃を取りやめ、船岩山から旭街道に出て、浅瀬山砦と円光寺砦を後ろから奇襲した。
 砦の守備隊も、後ろからの攻撃には打つ手もなく陥落すると、飯ノ山と櫛田の砦も落ちた。羽柴軍左隊は二十八日、上月城の南に陣を進めた。

 上津の渡しを突破した竹中半兵衛と小寺官兵衛の部隊は、重近から釜須坂を越えて円応寺に下りると、そこで厳重に見張りをたて野営した。
円応寺は正式には北山円応禅寺と呼ぶ。
今はバイパスが走り、名刹の面影は全くない。
円応寺は御着小寺家の始祖、小寺相模守頼季が建てた寺である。
 
 その夜、竹中半兵衛は、小寺官兵衛と翌日の福原城攻めについて話をしていた。
 二人は絵図を見ていた。
 よく出来た絵図だった。羽柴秀吉は多くの細作を使って、細かく正確な地図を作成する。城攻めに必要な堀の広さと深さ、石垣や土塁の高さに、弓、鉄砲が届く距離から抜け道まで調べている。美濃の斉藤家の稲葉山城攻めでは、
 長良川から抜け道を通って侵入して、難攻不落といわれていた稲葉山城を攻略している。
 その地図で見る限り、正面の熊見川からの攻めは難しい。
「官兵衛どのなら、どう攻められる」
 半兵衛は、官兵衛の描く作戦が知りたかった。
勿論、秀吉から、時間をかけずに攻め落とせと命令されていた。
「力攻め致します」
「周りから一気に攻めるのか・・・・・」
「熊見川の土塁は高く攻めにくいので、鉄砲を撃ちかけ、東と西から絞るように攻めるのです」
「裏はどうしますか」
「敵が、逃げやすいように空けておきます」
 全く無駄のない会話だった。
半兵衛が要点だけを聞けば、官兵衛も問いの的だけを答えた。
 半兵衛は、何も言うことがなかった。
力攻めのときは、敵が逃げる道を空けておくことだ。
福原城は裏が急斜面の雑木林なので、逃げ込めば見つからない。

 福原城は熊見川と土塁で守られていた。
その城の中で、福原藤馬允は部下を叱咤しながら、羽柴軍の猛攻を聞いていた。
「上津と徳久と熊見砦が、半日も持たなかっただとー。三方攻めはどうした。川の中に入った敵を三方から攻めて、撃滅させるのではなかったのか」
「周りから攻める前に、羽柴軍の鉄砲隊に粉砕されました」
「鉄砲にー」
 報告する兵も、凄まじい轟音しか聞かなかった。その音が何回かすると、どの砦も兵も再起不能にされていた。
「くそー」
藤馬允は唇を噛んで、対策を考えていた。
 羽柴軍は正面から、千種川を渡って来たという。
 すぐにかーっとなる藤馬允だったが、赤松家伝統の三方からの攻めが全く通用しなかったことを知らされると、却って落ち着いた。
 じっくり城の防禦体制を見回って、自分が羽柴軍ならどう攻め落とすか、考えた。
 熊見川側の土手は高い。この方向は大丈夫だ。頭を出すと鉄砲にやられるが、じっと隠れていて、敵が土手をよじ登ってきたら、石と材木を落せば防げる。
 なら、敵の本隊は東からくる。と読んだ。
 藤馬允は弟の福原勘解由に、守備兵の約半分に近い三百名をつけ、佳福村との間にある土塁に待機させた。
 福原城攻略を目指した竹中半兵衛と小寺官兵衛の部隊は、八反田で二隊に分かれた。竹中半兵衛が率いた五百名は、佐用川の対岸沿いに進むと、福原城に向けて鉄砲を並べた。
 徳久砦を陥落させたときと同じように、鉄砲を並べると一斉に放った。
「やはり対岸から撃ってきたかー」
 予想していても、周りに着弾すると気が焦る。
 その間に、八反田から山裾を駆け抜けた、小寺官兵衛が率いた主力部隊千名は、福原城に近づくと、敵が川からの攻撃に気をとられているうちに、東側からゆっくり近づきながら、奇襲部隊を山に入れた。
 東からの攻撃を予想していた勘解由は、敵兵を城に引きつけてから反撃した。
敵は慌て、攻撃が乱れたように見えた。
「下がれ。慌てて下がれ」
官兵衛は一旦、兵を引いた。そして体制を立て直すと、前に出た勘解由の軍勢を迎え討った。両軍が死闘を始めたとき、
「今だー」
 官兵衛が山に入れた奇襲部隊が、前にのびた敵の側面を突いた。
 戦い馴れだった。
 二方面からから襲われた福原城の守備隊を、さらに対岸から半兵衛の鉄砲隊が攻撃する。
 劣性を撥ね返そうと、敵を追って城を飛び出していた福原藤馬允の奮戦を、
『福原戦記』は、
「さるほどに城主福原藤右馬允則尚は、自ら白刃を抜き放ち、何れ劣らぬ兵達五十余人、前後左右に立ち並び、群がる敵中に走りかかり斬りつける。・・・・・」
 しかし猛将の藤右馬允も、羽柴軍の猛攻で城に戻ることができず、逃げるように裏山に登ると、菩提寺の高雄山福円寺で、
「死ぬなれば花の下にと思いしに 師走の花の咲くべくもなく」
 辞世の歌を残し自害した。

 半兵衛は昨夜、官兵衛と作戦を話し合ったとき、官兵衛の策に乗った。
 城の裏を開けるのは兵法によるのだが、それは悪魔で机上の論理である。美濃、近江、伊勢、摂津、河内、越前と合戦に明け暮れてきた体験から、人間が殺し合う闘いは、両者が相手の出方を想像して作戦を練る。兵法は相手も学んでいるのだ。
 相手の上を、あるいは裏をいく作戦でないと、勝てないことを学んでいた。
 
 熊見砦を制圧した蜂須賀と堀尾の軍勢は、千種川の中津の渡しを競争するように駆け抜けぬけようとした。
 上月城側は、敵の主力はこの渡しに来ると読んで、筆頭家老の高嶋右馬助正澄に、国府寺勝兵衛と小林宇右衛門をつけて、強固な陣を構えていた。 
この防衛陣に、蜂須賀と堀尾勢が正面から攻撃を仕掛けた。
 両軍が高倉山の裾で激突した。
 城側もここが破られると高倉山が占領され、佐用谷の中心拠点が敵に渡る。
 蜂須賀小六も高倉山を占領すれば、佐用谷全体に手が伸ばせるから、どうしても制圧したかった。
 攻める羽柴勢も、守る高嶋隊も一歩も引かなかった。
 蜂須賀小六は鉄砲隊に一斉射撃をさせ、敵が怯んだ隙に川を渡りきろうとしたが、対岸に逆茂木を並べ、その後ろから打ち込んでくる鉄砲と弓矢は数が少なかったが、不安定な川の中の敵兵を狙うには、十分余裕があった。
 その狙撃を掻い潜って、羽柴軍は対岸に辿り着くと岸を攀じ登っていく。
それを待ち受けていた、赤松勢が突き落とす。
そこからは白兵戦になった。
 敵を倒さなければ殺される。少しでも前に進もうとする羽柴勢と、それを阻止しょうとする赤松勢が激しく打ち合った。両者は、弱気になつた方が負けて死ぬことを知っているから、無我夢中で、力一杯敵にぶつかっていった。
 激戦が最高潮に達した時、高嶋隊の後方から、
「ダンー、ダダンー、ダン」
 三十挺の鉄砲が、一斉に高嶋隊を後ろから襲った。
 高嶋右馬助は右肩に激痛を感じると、前のめりに倒れた。
前方に全神経を集中させていたから、何が起こったか分からなかった。
「うおー。おぉー」
 味方がいるはずの高倉山から、山賊のような連中が駆け降りてくると暴れ回っている。
こうなると、陣地の確保なんかできない。
「敵かー」
「敵です」
「どうして高倉山から・・・・・」
 全神経を前方に注いで、死に物狂いで支えていた、戦線の支え棒を外された高島隊が崩れると、中津の渡しを守る防衛線は、あっけなく崩壊した。
 高嶋右馬助正澄も、激痛の走る、右肩の出血を抑えて逃げるだけだった。
 どこからどのようにして現れたのか、羽柴軍の伏兵攻撃を受けると、激戦が一気に赤松軍の敗戦になった。
 赤松軍の高嶋隊を奇襲したのは蜂須賀小六の手の者で、数日前から高倉山に忍び込んでいた、稲田大炊助が率いた百二十人の野伏せ隊だった。
 野伏せ上がりの川並衆にとって、奇襲や夜討ちは老巧だった。
じっと両軍の様子を伺っていて、戦闘が頂点に達し、周りを見る余裕がなくなったところを襲う。
 福原城も、側面からの奇襲にやられた。
 
 数日前に、蜂須賀小六は、山中鹿之助と二人で高倉山に忍び込んだ。
高倉城の主赤松美作守義則に会うためだった。
 美作守は以前から織田贔屓だったが、上月城の評定で、毛利と宇喜多に加勢することが決定された。一族の決めたことに逆らうことはできないが、美作守は、
「織田軍に逆らって、勝てるわけがない」
 一族が、織田信長の威勢を過小評価していると考えていた。現に織田信長は都を手中に治め、将軍のように振舞っている。織田に抵抗しても、かまきりが竜車に向かうようなもので、一族の滅亡に繋がるだけだと蟠っていた。
 悩んでいる美作守の前に、蜂須賀小六と山中鹿之助が訪ねてきた。
 相手の懐に飛び込んで、じっくりと話をするのが蜂須賀小六の得意技だ。
 
 著者は、羽柴秀吉を過少評価していると想っているが、それ以上に蜂須賀小六を過少評価していると考えている。秀吉が天下を取れたのは、黒田官兵衛ではなく、この蜂須賀小六がいたからだと考えている。
 
 小六は最初に、
「但馬の話は、聞かれましたか」
と聞いた。
美作守は、羽柴軍が但馬に侵攻したことを知っていた。
「岩州城一日、竹田城を三日で攻略しました」
 小六は、静かに義則に話し掛けた。
「なにー、あの要害堅固な竹田城が三日、たった三日で落ちたというのかー」
「はい、羽柴秀長さまは三日で竹田城を陥落させると、八木城以下の朝来郡と養父郡を、十八日で平定されました」
「それは本当の話か・・・・・」
 信じられる話ではない。いくら羽柴勢が精鋭だとしても、但馬に侵入したのは三千二百人から三百人だと聞いていた。
「もし三千二百の兵で、但馬二郡をたった十八日で制圧したのならー」
上月城など逆らうだけ無駄だ。
 織田にも逆らいたくないが、一族の決定も無視できない。
美作守の反応を見ていた小六は、
「一族を裏切る必要はありません」
「そんな方法があるのかー」
美作守は、織田にも一族にも、助力しなくてすむ手があるなら、その手に縋りたい。
「この高倉城に籠もっていて下さい。ただ」
「ただ・・・・・」
「私の家来を、この山の何処かに篭もらせて下さい」
「城には、入らないのだな」
「義則どのの城には、決して入りません」
「そ、それで済むのかー」
「はい、味方を裏切ることもなければー」
「味方を裏切らないの、だな」
「羽柴の兵を、城に引き入れることもありません」
 これは良い。これなら裏切りではない。
(勝手に羽柴の兵が、高倉山に紛れ込んだだけだ)
「それにー」
「まだあるのか」
 美作守の目に不安が浮かんだ。
「武門の誉れの高い赤松一族の血を、絶やしてはいけません」
 小六は、美作守が一番気にしていることを言った。
「それじゃー。この美作も、赤松家再興をしたいだけなのだ」
 美作守が膝を詰めてきた。
「家は永代、続くことが大切です」
「わしの代で、赤松の血を絶やしたくない」
「美作守さまが生き残っておれば、いつか赤松家を復活できます」
 美作守は、蜂須賀小六の案に乗った。
その夜、小六の手の者が高倉山に忍び込んだが、
(わしの知らぬことだ)
 それよりも、赤松家再興の為にも生き残ることだ。

 中津の渡しを越えた蜂須賀、堀尾、尼子隊は、一気に高倉山を占領すると、尾根伝いに前進して、上月城の正面にある仁位山に陣を張った。
 十一月二十八日午後、その陣に羽柴秀吉が合流した。
 同じ日、竹中半兵衛と黒田官兵衛の部隊は、猛攻撃で福原城を攻略すると、北から上月表に出てきた。
 羽柴軍が上月城を包囲すると、秀吉は、
(毛利と宇喜多の援軍が到着しないうちに、上月城を攻略しなければ・・・)
 焦っていた。
 気になるのはいつ備前から援軍がくるかー。
「宇喜多の援軍を、上月城に入れてはいかん」
その備えに、秀吉は、佐用谷に入る全ての峠に見張りを置いた。
美作から侵入する石井、熊井、万能、杉坂の四峠と、備前方面からの船坂峠と、旭街道の西新宿の六箇所だった。
 そして但馬の秀長に、
「いつでも、佐用谷に引き返せるようにー」
朝来、養父郡の経営に専念させて、それ以上北へ攻入ることを禁じた。
「敵が攻めて来ても、城に籠もって相手にするな」
「分かった。鉄砲で追い払うわ」
秀吉は、毛利の大軍が出動したときのことを考えると、頼れるのは但馬の秀長軍しかいなかった。その秀長の援軍が素早く駆けつけられるように、但馬と播磨間の道普請を行った。
 養父より法道寺高田までの三十五町は宮部善祥坊に。
 朝来郡の竹田から和田山までの二十六町は藤堂与右衛門。後の藤堂高虎である。
 竹田より山口までは神戸田半左衛門。
 山口より真弓岩谷、播磨と但馬の境の栗賀までを、前野将右衛門が担当して、道を広げ平らに均して有事に備えた。
 秀吉の方針に添って行動する秀長は、竹田城に入ると、両郡の支配体制を確立させることに力を注いだ。そして青木勘兵衛を、出石の山名祐豊と氏政親子に派遣して、領土の安堵を条件に和平を持ちかけた。それ以外の地侍たちにも、但馬侵攻は一時的で侵略の意図のないことを説明して協力を求めると、領土を保障した。

 上月城で別所林治は、各砦に配置していた奥根衆から、羽柴軍の攻撃の凄まじさを聞いていた。
「どの砦も一日も持ち耐えることができないとはー」
「はい、大人と子供の合戦でした」
 水根の子狐が、呆れたように報告した。
 羽柴軍の攻撃は鉄砲を放しまくると、野盗の様に攻め、奇襲、火つけなど何でもありの攻撃を走り回って行うとー。
「筆頭家老の高嶋さまが守将されていた孤田の陣も、羽柴軍の鉄砲隊に散々打ちのめされたところを、高倉山に潜んでいた敵の伏兵に、切り捲られ壊滅しました」
 敵の主力部隊の侵攻を予想して、千名を配置していた中津の渡しも、、一触で蹴散らされるとは・・・・・。
(但馬を十八日で制圧したのは、本当だったのだ)
「我が陣にも鉄砲があったはずだがー」
 子狐は少し考えると、
「羽柴軍は鉄砲の扱いに慣れているというのか、一発撃つと、素早く弾込めをして次の弾を撃ちましたがー」
「・・・・・」
「高嶋隊の鉄砲は、一発撃つとー」
「間があくのか」
「はい。次の弾込めに手間取り、まごまごしている内に撃ち取られてしまうのです」
 何年も鉄砲で戦をしてきた織田軍は、鉄砲の扱いだけでなく、火薬、火縄、弾込めなどに改良を加えて、扱いやすく強力なものに変えていた。
 羽柴秀吉は近江の今浜に築城すると、信長の一字を貰って長浜と改め、郊外にある国友村の頭領国友藤二郎に百石を支給して、鉄砲の製造に専従させた。
 最新式の鉄砲を使用する羽柴隊は、高嶋隊が一発撃つのに対し、同じ時間に二、三発撃つという。そのうえ、鉄砲で何度も戦をしている羽柴の鉄砲隊とは、射撃の腕に格段の差があった。さらに鉄砲の数が大きく異なった。上月赤松軍が所有する鉄砲の数は、雑賀の五十挺を入れても百五十挺しかなかったが、羽柴軍は八百挺だった。数に差がある上に、射撃力と扱い慣れが大きく違うから、一千挺の鉄砲を相手にしているようなものだ。
(これでは戦にならん)
 林治は、竹田城の太田垣一族が、三日で攻略された理由が分かった。
 林治は、赤松政範に会うと、
「殿、鉄砲対策を強化しなければなりません」
「どうするのじゃー」
 政範の声が上ずっている。
 政範も、上津山等の砦が一日で撃破され、家老の高嶋右馬助正澄を守将に置いていた高倉山の防衛線ですら、一撃で突破され、高倉山が占領されたことを知っている。
「羽柴勢は、明日にも上月城に攻めてきます」
「間にあうのかー」
 政範も、羽柴軍の鉄砲が気になる。
「時間があるだけ、石や木や竹束で厚く補強するのです」
 林治と磯辺主計は、各部署を駆け回って、鉄砲対策を徹底させた。
「木でも土でも石でもよい。分厚く備えるのだ。そして鉄砲の音がしたら首を出さないことだ」
 各持場を守る兵も、千種川沿いの砦が一日で攻略されたことを聞いていたから、慌てて陣地の補強にかかった。
 
 一方、高倉山から尾根伝いに仁位山に移動した羽柴秀吉は、正面の上月城を睨むと、
「山は低いが、掘が広いわ」
 熊見川の土手から上月城までの間に、幅五十間ほどの堀が城を守っている。
 秀吉は、全軍で上月城を包囲すると、配下の武将を集めた。
 細作から雑賀の鉄砲衆が、数名援軍に来ていることを聞いた。
(雑賀の鉄砲は邪魔になる)
 石山本願寺と雑賀庄で何度も痛い目に合っているから、少数でも侮ると危険だ。
(上杉謙信を真似て、暗くて的が狙えないときに攻める)
 大量の鉄砲を持つ織田軍は、鉄砲の一斉射撃が敵陣に与える効果を知っていた。的に当たらなくても、大量の鉛玉を打ち込むだけで、敵を振るえ上がらせ動きを鈍くする。特に夜はものが見えないだけに、却って近くに着弾すると、相手を竦ませて動けなくする。
 秀吉は、上月城を囲んだ明るいときに鉄砲を構えさせて、体と目印で放つ方向と角度を覚えさせた。敵に当たらなくても敵陣には当たる。
  
 寅の刻(午前四時)、
 まだ暗く辺りが見えないとき、上月城の周辺に潜んでいた羽柴軍の忍びが一斉に火を付けた。
 上月城が闇の中に浮かぶと、取り囲んでいた八百挺の鉄砲が一斉に放たれた。
 凄まじい射撃に上月城が震えた。 
 籠もっていた城兵が、慌てて身を隠した。
 それが合図だった。
 大手先陣の福富部隊が突入していくと、仁位山の裾に詰めていた蜂須賀、堀尾、尼子勢が遅れまいと押し出していく。
 谷、浅野、中村隊が駆ける。
 南側からは堀、杉原、別所勢が攻める。
 西からは木村、糟谷、三沢隊が山を駆け上っていく。
 北からは竹中、黒田、桑名隊が攻め上がる。
 正確な射撃を得意とする雑賀の桑原率いる鉄砲隊も、暗い中の敵は倒せなかった。
 炮焙玉も使い慣れていないせいか、羽柴軍の勢いを止めることは出来なかった。
 朝になってものが見えだしたときには、上月城は左右の大平山と大亀山が、羽柴軍に占領されていた。
 目高の水の手も生駒親正の部隊に押えられ、赤松勢が籠るのは本丸のある荒神山だけになっていた。
 明るくなると羽柴軍の攻撃は一段と激しくなり、少しずつ包囲網を狭めていった。
「頑張れー、宇喜多の援軍がそこまで来ている」
「毛利の大軍が、備前に入ったそうだ」
 林治と主計は、声を嗄らして励ましてまわる。
 宇喜多掃部助広維が三千の宇喜多軍を率いて、上月城に接近していたのは事実だった。
それを先に知ったのは、羽柴秀吉が旭街道に置いていた見張りだった。
 この情報は、直ちに秀吉本陣に伝えられた。
 宇喜多直家は、羽柴秀長の軍勢が、いつまでも但馬に駐留していることに疑問を感じた。
(羽柴秀吉は、播磨攻略を急がなければならないはずだ)
 それなのに、秀長軍は竹田城に入って動かない。
(これは囮かも知れない)
 不審に思った直家は、家老の長船久右絵門と岡剛介を目付けに、宇喜多広維に三千をつけて上月城に送った。
 しかし、羽柴軍の上月城攻めが余りにも早かった。いや早すぎた。
 二日で上月城の周りの砦を破壊して、上月城を荒神山の一山だけの裸城にするとは、誰も想像できない。
 電撃作戦は秀吉が得意とする。
上月城を裸にすれば、宇喜多の援軍が駆けつけて来ても、恐れることはない。
一安心したところへ、
「宇喜多の援軍が、旭街道に入った」
 報告を受けた。
「来たかー」
 秀吉は喜んだ。
「待ち伏せして全滅してやる」
 三十日の昼過ぎ、
 羽柴秀吉軍の待ち構える旭街道の北条に、宇喜多軍三千人が姿を現した。
 山側の高地に陣を構えた羽柴軍は、宇喜多軍が半分通りすぎたところを攻撃した。
 谷筋を細長い隊列で進む、宇喜多軍の横腹を突いた。
 奇襲された宇喜多軍は、何度も陣形を立て直そうと試みたが、狭い谷間では機敏に動けず前後に分断された。
 前軍は前に逃げるしか道はなく、円光寺で待機していた羽柴の別部隊と激戦になった。己を守るだけで精一杯の宇喜多軍は、明石三郎右衛門、まなこ甚左衛門らの勇者を含む八百人が討ち取られた。羽柴軍も宮田喜八郎はじめ、多くの犠牲をだした。
 この場所は今も、「戦(たたかい)」の地名で残っている。
 宇喜多広維軍の後続部隊のうち、必死で山を駆け上った六百人が裏から上月城に入った。       
 
 その夜、林治は、秀吉を見張らせていた奥根衆から、秀吉が高倉山を下りて、山垣村の慈林寺に本陣を移した事を聞いた。
(慈林寺はよく知っている)
 林治は、羽柴秀吉を襲って直接頸を獲る以外に、落城寸前の上月城を救う方法がないと想った。
(夜襲に懸ける)
 夜は鉄砲も役に立たない。それに、接近戦に持ち込めば頸を狙える。
 林治は、この日のために待機させていた奇襲隊を集めた。
本位田薫、外記之助、杉田三兄弟と、奥根衆が顔を揃えた。
 林治が秀吉本陣夜襲を命じているところへ、忙しい足音とともに川島三郎頼村、横山藤左衛門尉、太田新兵衛尉ら、数十人が厳しい顔で入ってきた。
「林治どの、敵陣を夜襲するなら是非加えて頂きたい」
「水臭いではないか、わしらこそ秀吉の頸が欲しいのにー」
「このざまでは死ねん」
 どの顔も、なんとしても、一矢でも報いたい想いがにじみ出ていた。
「せめて秀吉の頸を土産にあの世に行かんと、ご先祖様に合す顔がない」
 気持ちは分かるが、人数が多くなるほど奇襲は失敗する。
 少数精鋭で敵の本陣に忍びこんで、刺し違える覚悟がなければ、秀吉の頸は獲れない。皆を加えると、気配と雑音が大きくなり、敵陣に忍び込む前に発見される。
 林治は迷ったが、川島たちの気持ちを断ると、独断で奇襲をかけそうだった。
「分かった」
 仕方がなく、林治は襲撃隊を三隊に分けた。
 夜目の利く奥根衆は、それぞれの隊の斥候に遣った。
杉田三兄弟は、
「自由に秀吉を襲う」
といったので、任せた。
磁林寺は高倉山を背にした山垣村の高台に、高い石垣を積んだ真言宗の寺である。
三隊は息を殺して接近する。
山垣村に入ると、急に明るくなった。
篝火だった。村の入り口からずらっと並んで赤々と燃えていた。
所々に立ててあるのではない。村中の闇をくまなく消して、昼のように明るかった。
 各隊は戸惑った。
この明るさでは、村に忍び込むこともできない。
各隊を案内していた奥根衆が動いた。
篝火の側にいる番兵を投げ剣で倒すと、篝火を消して回った。
「敵だー」
「敵の忍びが潜入したぞー」
山垣村が、蜂の巣を突付いたように騒がしくなった。
それも束の間で、百戦錬磨の羽柴軍は立ち直しが早かった。
秀吉の周辺を固めると、直ぐに篝火を燃やした。
そうなると、赤松の奇襲隊も、秀吉に近づくこともできず、孤立すると順に討ち取られた。
 本位田薫と外記之助も寺に侵入したが、薫はそこで敵の警備兵に見つかり討ち取られた。外記之助は、辛うじて裏山に逃げ一命を取り留めた。
 戦忍びの杉田三兄弟も、寺の屋根に上ったが、秀吉や蜂須賀が抱える忍び衆に囲まれ捕獲されたと言う。

 翌日の十二月二日、夜襲を受けた羽柴秀吉は、上月城に総攻撃をかけた。
 秀吉の檄に、各隊は競って攻めた。
上月城主赤松政範も必死に防戦したが、勝ちが見えた者と、負けが見えた者の勢いに大きな差があった。
 十二月三日、赤松政範は、残っている兵を二の丸の大広間に集めると、別れの杯を与えた。
 その後政範は、幼い娘二人を刺し殺して自害した、妻政子に止めを刺した。
そして、その血のついた刀で、己の腹を掻き切った。
 続いて、肩に傷を負っている筆頭家老の高嶋右馬助正澄が腹を切ると、宇喜多家から援軍にきていた宇喜多広維と、政範の叔父早瀬正義が続いて自害して、上月の七条赤松家は滅亡した。

 秀吉は、上月城に因幡と出雲の奪還を目論む尼子勝久と、山中鹿之助たち尼子の残党六百名を入れた。

 上月城を攻略した羽柴秀吉は、十二月五日、龍野に入ると、翌六日に姫路城に戻った。
 姫路で一休みをすると、生野銀山から掘り出したばかりの白銀を積んだ荷駄十台と、播磨の特産物を山ほど集め、それを土産に安土に帰った。
但馬と播磨平定の報告であったが、織田信長は三河国の吉良に鷹狩に出かけて不在だった。信長は、二国攻略の褒美を用意していた。
「乙御前の釜」
 だった。秀吉は、お多福のような乙御前の釜を抱いて長浜に帰った。

 年が明けて天正六年、正月。
 織田信長は、安土城に配下の武将たちを集め年賀を祝った。
 このとき参賀したのは三位中将信忠、二位法印(武井夕庵)、林佐渡守、丹羽長秀、滝川一益、荒木村重、細川藤孝、長谷川丹羽守、市橋左衛門、長谷川宗仁と、羽柴秀吉の十一人だった。信長は天下布武が順調に進行しているせいか、珍しく上機嫌で、自ら酌をして回った。ただ受けた方の家来たちは、恐縮して味すら覚えていなかった。

 上月城を抜け出した別所林治と磯部主計は北に向い、羽柴軍の監視の厳しい万能峠と杉坂峠を避け、地の人間しか通らない室生峠を越して美作に入ると、五名から大原を回って利神山城に逃げ込んだ。
 利神山城主で林治の兄、定道は、羽柴秀吉に人質三人を出して領地を安堵されていた。
羽柴軍が保障した城に、裏をかくように戻ると、次の対策を考えていた。 
 その別所林治を追っていた尼子の山中鹿之助は上月城に入ると、尼子再興の旗を揚げ美作、備前、因幡にいる尼子の残党を呼び集めた。
 この呼びかけに応じた元尼子家家臣の寺本半四郎、矢吹左衛門尉、秋上甚助、池田新右衛門たちが二人、三人と上月城に集まってきた。
 その内の一人が、
「別所林治が生きております」
「なにー」
 鹿之助も、林冶が、反織田同盟の立案者だと聞いている。
「利神山城に逃げ込んでおります」
「よし、攻めて頸を刎ねてやる」
 
 一月二日、鹿之助は兵を集めると利神山城を攻めた。
 尼子勢の襲撃を知った磯辺主計は、
「林治さま、逃げて下さい。ここは私が防ぎます」
「主計、もうええ。逃げるのはこりごりじゃー」
 別所林治は、何年もかかって練り上げた作戦が、僅か七日で破れるとは思わなかった。
「悔しくないのですかー」
 主計は、林治の心に問い掛けた。
「もう一度、織田信長の頸を獲ろうとは思わないのですかー」
 主計は、鎧を身に付けながら畳み掛けた。
主計は、余りにも呆気ない敗戦が信じられず、何度も敗戦の原因を考えていた。
(わしでさえ諦めきれないのだからー)
 主計は、林治の本心を見ていた。
(林治さまは、もう一度、信長に挑みたいはずだ)
「そりゃぁー悔しいが、だが、上月赤松は負けたわ」
林治は肩を落として、諦めているように言ったが、
「いいえ、上月は負けましたが、赤松一族はまだ負けてはおりません」
「政範さまも、高島どのも腹を切った」
「まだ残っております。三木別所がおれば、御着の小寺家も英賀の三木家も健在です」
「・・・・・」
「それに、安芸の毛利家が、織田と一戦もしておりません」
「織田は強い、本当に強い」
「いいえ、織田信長との闘いは、これから始まるのです」
 主計は、林治の目を見つめると、
「私は、ここでお別れします」
 丁寧に頭を下げると、
「もう一度、三木別所家や毛利家を巻き込んで、信長の頸を狙って下さい」
 主計が出て行くと、昼が夜に変わったのか急に暗くなった。
(もう一度、闘えー)
 本当は、林治が一番闘いたかった。
余りにも不甲斐ない合戦が悔しくて、夜も眠られなかった。
三山一体の上月城が、たった七日で陥落するとは、夢にも思わなかった。
(後三日、持ち堪えていたら・・・・・)
 宇喜多広維の援軍が間に合っていた。
 宇喜多軍三千人が、上月城の籠城に加わっていたら、
(毛利本軍も到着していたのにー)
 そうなるはずだった。
 この狭い佐用谷で、大軍同士が激突して戦が長引くと、痺れを切らした織田信長が出陣してくる。
 その信長を、反織田同盟が囲い込んで頸を獲る。
 それが、長年もかかって林冶が立てた作戦だったのにー。
 羽柴軍は、鉄砲をばんばん放しまくって、力攻めできた。
 羽柴兵は戦慣れしているのか、動きが速かった。走り回って無茶苦茶に攻める。
 赤松勢は、その動きに全くついていけなかった。
何もかも期待外れだった。が、
(できることなら、もう一度、信長の頸を狙ってみたいー)
 林治は付けかけていた鎧を脱ぐと、城の裏に回って、急な尾根を下りていった。
 杉林を抜け、庵から桑野に出ると、山を越えて、三河から三木別所に向かった。

 磯部主計は、別所兵をまとめると出撃した。
 甕岩横の高台に登ると、尼子勢が目前に迫っていた。
(およそ三百かー)
 味方は八十だが、敵の真ん中に突き込むだけだ。
主計は、振り返って利神山城を見た。
(林治さまは、もう逃げただろう)
 主計も悔しかった。
赤松勢が情けないというよりも、羽柴軍と赤松軍と戦が違い過ぎた。
 もう一度、林治さまらしい戦をして欲しかった。
(後は、林治さまに任そう)
 左に構えている、本位田外記之助の顔を見た。
その横には森本惣兵衛、安積隼人、小林羽山、中村、重近等利神山別所家に仕え、林治を盛り立ててきた者たちが揃っていた。
 主計には、どの顔も、
(死に場所を求めている)
ように見えた。林治と一緒に上月城を脱出したが、
(やはり、逃げ切れんわ)
 主計は、無様に生き長らえるよりは、この方が良いと思った。
「いくぞー」
「おうー」
 別所勢は坂を利用して駆け下りると、敵の真ん中を狙って進んだ。
主計は先頭を駆けながら、山中鹿之助を探した。
尼子勢の先頭を、山中鹿之助と思われる大柄な男が走っていた。
(この男だ)
 直感で分かった。相手も主計を目指してかけて来る。
(山中鹿之助なら、望むところだ)
 主計は馬の尻を叩いた。
 両集団から二頭が飛び出した。
主計も鹿之助も、手に槍を持っていた。
すれ違う一瞬に、どちらが正確に相手の急所を突けるか。
主計は、近づいてくる鹿之助の眉間を狙った。手綱を絞り、上体を低く構えながら馬がすれ違う直前、鹿之助の顔を見た。
 兜の下の顔は、主計の目だけを見ていた。
(落ち着いている)
 その憎らしい顔に、槍を突き入れた。
(顔の真ん中を突いた)
 手応えがなかった。逆にすれ違いざまに腰を突かれた。
一瞬、息が止まった。
 両軍がぶつかった。
 死を懸けた別所勢は奮戦したが、時間が経過するにつれて、数に勝る尼子勢が優位になった。
 この合戦は「甕岩の戦い」と呼ばれ、利神山別所勢は、山中鹿之助の率いた尼子勢に惨敗した。
 別所林治の手足となって働いた磯辺主計の墓が、甕岩の裏にある口長谷の田圃の中にぽっんと忘れられたようにある。
 剣の達人の本位田外記之助はこの甕岩の合戦も生き延びた。
この後、美作の本位田家に戻り、再び大原竹山城の新免伊賀守に仕えたが、羽柴秀吉に恭順した伊賀守の命令を聞かず、上月城に入って、羽柴軍と戦った外記之助を伊賀守は許さなかった。
 数年後、外記之助は切腹を命じられて死ぬ。


     八 三木城決戦

 三木別所家に行った林治は、城主長冶以下の三木城の重臣たちに、上月城落城の様子を報告していた。
「西播磨の七条赤松が、百姓上りの羽柴秀吉に、たった七日で惨敗するとはー」
 長治の叔父で、執権の別所山城守賀相が、林治を詰った。
「林治、負けた原因はどこじゃー」
 長治は毛利家と手を結んでいるが、織田には与力する素振りを見せていた。
 しかし、いずれ、ばれて羽柴軍と戦うことになる。
 そのとき、どう戦うかを考えていた。
「鉄砲です」
「鉄砲か」
「戦慣れした羽柴軍の鉄砲隊に、打ち負かされましたのじゃ」
 林治も、これほど徹底してやられるとは想像していなかった。
城と砦に籠もっての戦である。亀のように頸を甲羅の中に入れておけば、時間が稼げると思っていた。時間さえ稼げれば、宇喜多と毛利の援軍が到着する。
結果は、凄まじい射撃に、楯さえも砕け散った。
「鉄砲なら、この三木は四百挺もあるぞ」
「羽柴軍は、八百挺持っています」
「なにー、六、七千人が八百挺だと・・・・・」
 鉄砲が好きな長治は、鉄砲の威力を知っている。
実際に雑賀攻めで、雑賀衆の鉄砲の恐さと効果を見てきている。
「どうすればよいのじゃー」
 長治の顔が、心持青ざめている。
「撃ち合いでは勝てません。鉄砲の届く距離に入らないことです」
 横から、長治の弟が身を乗り出してくると、
「それでは戦にならんではないか。正々堂々とぶち当たって蹴散らせばよい」
 友之が勇ましく言った。
「兄者の言うとおりじゃー」
 一番下の治定までが、口をだした。
「私に千人も付けてくだされば、上方の口兵法など一戦で砕いてみせます」
それを、賀相が扇ぎたてた。
「さすがは三木別所家の血筋じゃー」
「さようでございますな。武士は戦場で華々しく戦うものです」
 治忠までが追従する。
「その気迫があれば、羽柴秀吉など恐れることはありませんぞ」
「大体、上月勢がだらしなかっただけじゃ」
 話が上月の不甲斐なさに及ぶと、林治は耳が痛かった。
「相手は百姓の陣立てではないか」
 秀吉を見下しているが、甘く見ないほうがいい。
「過ぎたことはもうよいわ」
 長治が諌めた。
「今は戦に備える時、まずは籠城の用意が先だ」
 長治は、織田信長と戦うと決意したときから、軽はずみな行動は慎むと誓った。
林治が言うように、但馬も上月も短期間で攻略された。
それを考えると、迂闊に合戦を挑むことは避けるべきだ。
「まずは鉄砲に対する備えを、十分にしてからだ」
三木城周りの支城の備えを、見直すことから始めよう。
長治は志方、神吉、野口、淡河らの城に人数を入れた。
「林冶、鉄砲対策はー」
「距離です。敵が射程距離に入らないよう、堀を深く、鹿垣を丈夫なものにー」
 長冶は、林冶の意見を取り入れ、鉄砲に耐えられるよう補強した。

この三木城の普請に、竹中半兵衛が気づいた。
半兵衛は、龍野にいる蜂須賀小六に伝えた。
三木城の怪しき普請を、竹中半兵衛と蜂須賀小六が別所山城守賀相に問い質すと、
 今も反信長を隠している別所家は、とぼける。
「大国毛利との戦は、攻めるだけでなく、守りも大切である」
 山城守は二人を睨むと、
「城を補強するのは、城主の務めじゃ」
「播磨と備前境の上月城が陥落したら、後は備前に攻め込むだけではないか」
 小六が責めると、
「三木城の強化は、安土の織田信長様にも伝えてあるー」
 賀相は撥ねつけた。

 竹半と蜂小は、すぐに長浜の羽柴秀吉に連絡した。
そして、三木城周辺に多くの細作を張り付け、様子を探った。
 結果、三木別所家は、御着の小寺政職、丹波の波多野秀冶とも連携していることが判明した。さらに、この後ろに石山本願寺と安芸の毛利家がいた。
 再び、竹中半兵衛が、龍野の蜂須賀小六の住居を訪れた。
二人は、播磨の情勢を分析していた。
「やはり三木別所の造反は間違いない」
「上月城攻めのときも、陣配置を伝えていたのに来なかったからな」
「何度も三木の反逆を長浜に報告しているのに、大将が播磨に戻らない」
 竹半が心配して言うと、
「逆かも知れん」
「ぎゃくー」
「御大将は、三木が造反するのを待っているのかも・・・・・」
 じっと蜂小の顔を見つめていた竹半は、病に侵された白い顔を紅潮させると、
「大きくなられたな、御大将はー」
 竹半も蜂小も、秀吉を若い頃から知っている。
 労咳(肺結核)の持病をもつ竹半は、無理して上月城攻めに参加した。
それ以来、苦しそうな咳をするようになった。
 竹中半兵衛と蜂須賀小六の予想どおり、秀吉は、長浜で三木別所の造反を待っていた。
(東播磨八郡は大きい、二十万石はあるー)
 播磨十六郡の半分を占める。西播磨の上月赤松は片付いた。
御着の小寺も、三木と一緒に片付ければ、播磨は秀吉のものになる。
 宗圓がいった、
「まず播磨を我が物にすることです」
秀吉は、信長の目の届かないところで、力を蓄えておきたかった。

(空が低くて、雪が多いところだ)
 黒猿は、安土城を見ながら思った。
 奥根も雪が多かったが、空は高く、晴れの日が圧倒的に多かった。
琵琶湖周辺は、黒い空が山においかぶさっているから、奥根よりもよく雪が降る。
(上月城が落ちたそうだが、林治さまも討ち死にされたのかー)
 黒猿は、単独で信長の頸を狙っている。
 刀で襲うのは無理だ。
 村上武吉のくれた炮烙玉を仕掛けて吹き飛ばす。その炮烙玉は、安土城の隣、六角氏の観音寺城があった尾根筋から下った、山小屋の床の下に油紙に包んで埋めてある。
(意地かも知れないがー)
 黒猿は大猿と同じように、一人では可能性が低いことも分かっていた。
(何年かかろうと、必ず吹き飛ばしてやる)
 それに、奥根には帰れない。
 奥根村の男たちが上月城で玉砕したのに、大猿の息子がおめおめと帰ることはできない。
帰らないと誓うと、なぜか木猿の顔が浮かぶのがつらい。

 三木城で別所林治は、上月城が負けた要因をもう一度考えていた。
(負けるのが早すぎたー)
 宇喜多の援軍が来た時、上月城は裸にされて、反撃できない状態だった。
(三木城は徹底して、籠城に耐えるようにする)
 そして、今度こそ宇喜多軍と毛利の大軍を播磨に引き入れ、織田軍にぶつける。
 林治は、長冶に鉄砲だけでなく弾薬も十分用意することと、籠城用の水と食料を最低一年は備蓄することを提案すると、城周りの鉄砲対策を強化させた。
 この対策が、後日の三木城攻防戦を長引かせることになった。
 三木城は、釜山の丘陵を利用して築城されていた。
本丸、東の丸、二の丸、新城と曲輪が多く配置されている。
南、西、北に空堀があり塁壁が高く、美蓑川とその支流に守られていた。
「この塁壁なら、羽柴の鉄砲も届かん」
 下から上に向けて放つには、距離があった。
林治は三木城を隈なく点検して、大手側は安心できたが、裏の八幡山からの攻撃には備えが薄いと想った。
「羽柴勢は、野武士ではないかー」
 上月城のときも、まさかと思ったところから攻めてきた。
 林治の忠告を、長冶は一つずつ実行し補強していく。
八幡山と、その間の尾根に鷹の尾砦を築いた。
さらに堺表から鉄砲、弾薬を買い付けると、支城の志方、櫛橋、神吉、野口、淡河、御着との連携を強く図った。

 三木城の積極的な補強を、潮が満ちたと判断した竹中半兵衛と蜂須賀小六は、
「別所家と小寺家の造反は間違いなし」
と、秀吉に早馬を送った。
 長浜で報告を受けた羽柴秀吉は、
「よしー」
 飛び上がって喜ぶと、
 三月四日、七千の軍勢を率いて播磨に下った。
 三月七日、播磨に入った秀吉は、蜂小と竹半から三木別所の動向を聞いた。
その後、加古川に移動した秀吉は、糟屋真雄の加古川城で軍議を開くことを、周辺の地侍にも連絡した。
 驚いたことに、その軍議に来ないと思っていた三木別所家から、別所賀相と三宅治忠がやってきた。
 籠城の時間稼ぎである。
 評定が始まると、突然賀相が口をだした。
「毛利は大国でござる。その毛利家に、羽柴軍だけで当たられるのか」
 播磨一の実力を持つ三木別所家の筆頭家老は、最初から百姓出の秀吉を見下していた。
「だから、三木別所家に、与力をお願いしている」
 秀吉は本心を隠し、丁重に応じた。
「たとえ三木別所が与力したところで、毛利軍の半分にもならん」
 合戦は、兵の数で決ると考えている。
「中国に攻入れば、織田信長さまの援軍がくるのじゃー」
「上月城を落せても、大国毛利家は簡単にはいかん」
 慎重論というよりも、時間稼ぎであるから講釈をたれた。
「そもそも合戦というものは・・・・・」
 賀相は、羽柴秀吉に対する不満を軍略に混ぜて喋りだした。
 これが長かった。
 実戦体験を積み重ねて這い上がってきた秀吉は、机上の軍略と実戦との違いを知っている。黙って聞いていた秀吉も、
「これは全く参考にならん」
と判断すると、
「もうよい。そんな口だけの軍略など、合戦には何の役にも立たん」
「なにー、我が三木別所家に伝わる軍法が、参考にならんと言うのかー」
 三宅冶忠が、顔色を変えた。
「合戦は生き物で、想像や軍法でするものではない」
「なにー」
 もともと羽柴軍の与力になる気がないから、喧嘩になった。
 秀吉も相手方の本心を知っていたから、怒って帰ることを期待している。
当然、物別れになった。
 秀吉が別所家の意図を見抜いていたのに対し、別所賀相と三宅冶忠は、秀吉が無理に怒らせたことに気がつかなかった。
 この差が、戦国を生き残る者と、滅びる者に分かれた。
 三木に帰った二人は、長治に軍議が決裂し、別所家の軍法が嘲罵されたと報告した。
 長治は、大広間に一族を集めた。
 事前に連絡を受けていた仕方城の櫛橋左京亮、神吉城の神吉民部少輔、淡河城の淡河弾正忠、高砂城の梶原平三兵衛、野口城の長井四郎左衛門、端谷城の衣笠豊前守たちが集まった。
 どの城も、織田信長と戦う決意をして、その準備にかかっている。
 一人、織田信長との合戦に反対した者がいた。
「お待ちください」
 家老の後藤将監基国だった。
 後日、徳川家康が豊臣秀頼の籠もる大阪城を攻めたとき、劣勢の豊臣方に付いて活躍した後藤又兵衛の父だ。
「織田信長と羽柴秀吉の力を、侮ってはいけません」
 静かに切り出したが、強い意志が籠もっていた。
「猿男が恐いのかー」
 三宅治忠が蔑んで言った。
「ああ恐い」
 基国は、現実を冷静に分析していた。
「但馬を十八日、上月城を七日で制圧した羽柴秀吉は、戦慣れしたしたたかな男です」
「ふん、但馬と上月に策がなかっただけだ」
 基国は、長治に向き直ると、
「殿、今一度再考をお願いします」
と迫ったが、
「三木別所家は、上月赤松とは違う」
 長治が、目を逸らして答えると、横から治忠が、
「その通り。この三木別所家は東播磨八郡、二十万石を軽く越す名門の家ではないか」
 この場で、家の格式を持ち出した。
「それがなぜ、百姓上りの近江三郡、長浜十二万石の手先を勤めるのじゃー」 
 家来たちも、城主の長治が、織田信長との戦争を決意していることを悟っているから、強硬な意見を口にした。
 評定は圧倒的な差で、石山本願寺、毛利家と同盟して、織田信長と戦うことが決った。
 長治は、上月城の二の舞だけは避けたかった。
 それには鉄砲対策と、裏切りの防止である。
 そのため集まった武将から人質をとると、別所家への忠誠を誓わせた。
長治は、籠城の準備をする時間を得るために、織田信長に書状を送り、自分が捕った人質は、織田家に忠誠を誓わせるために集めたと、嘘の報告をした。
 さらに念を入れ、
「羽柴秀吉どのとは作戦に食い違いがあるが、中国攻めの先陣はこの長治が務めます。ただ毛利は大国故、念入りに準備を整えております。今しばらくの猶予を頂きたい」
と、申し入れた。これに対し信長は、
「最も神妙である」
納得して急がせなかった。
というよりも、播州人のしたたかさに手を焼いていたから、
「ほざいておれ」
 冷静に分析していた。
 秀吉も慌てなかった。
それまでは銀じゃー、生野の銀を掘り出す。
「前将の銀山経営には、頭が下るわ」
 どこから銀山の知識を得たか知らんが、銀山が宝の山になった。
 上様に十駄進呈しただけで、大喜びされた。
内緒だが生野の倉庫には、白銀が山のように積まれている。
 この頃の生野銀山は、
「銀のでること恰(あたか)も土砂の如し」
 と言われるほど銀が産出したのだが、資料は一切残っていない。一説には年間六万二千枚の銀が掘り出されたと伝えているが、本当のことは分からない。
 意図的に隠していたと思われる。
 秀吉は、ゆっくりと三木城の周りに将兵を配置して、監視を厳しくした。
そして、得意の切り崩しで、端城を一つずつ落していく計画を実行していった。
 この秀吉の切り崩しに応じたのが、三木郡細川庄の冷泉為純だった。
冷泉家は名門の血筋で、為純は鎌倉時代の歌人藤原定家十二代の孫で、従三位参議だった。息子の為勝も正五位下の官位を持っている。
都の情勢に聡い冷泉親子は、天皇も凌駕しょうとする織田信長の実力を直接見ていた。
その冷泉家を、
 四月一日、長治は攻めた。
「敵の芽は早く潰す」
 攻められる前に攻める、戦国の法則である。
 毛利家と組んで、打倒織田信長を決意した別所勢は、冷泉為純の屋敷のような細川城を奇襲した。
 為純は勇敢に戦ったが、多勢に無勢では抵抗する間もなく憤死した。

 これを別所長治の造反と判断した羽柴軍は、三木城の包囲網を強化する。
 四月三日早朝、羽柴軍は加古川城から近い平城の野口城を囲むと、近くの教信寺と曾根八幡宮を焼き払った。野口は印南野の口と呼ばれ、奈良時代に駅家里の厩が置かれ、繁栄していた土地で、城主長井政重が三百八十の兵と守っていた。
 羽柴軍は三千で攻めた。
 三方が沼地で、残る一方も池があったので攻め倦んだが、周りから石俵、土俵を積み重ねると、それを押し出して包囲網を狭めていった。
 長井政重は鉄砲と弓矢で、近づく羽柴軍を追い払おうとするが、羽柴軍の物量作戦には効果がなかった。
 この頃から、羽柴秀吉の城攻めに、大掛かりな土木工事が取り入れられている。
 その源は生野銀山であった。
 羽柴軍は三千の兵を入れ替え、差し替えながら太鼓を叩き、貝を吹き、鬨の声を上げながら攻めた。この音攻めに、城兵は精神から追い詰められ、
 六日、ついに降伏した。
 野口城を、三日余りで陥落した秀吉は、
「好きなところへ行くがよいわ」
 長井政重を許し、城兵が逃亡しても追わず余裕を見せた。

 別所林治は、三木城を密かに抜けて出ると、加古川から高砂に出た。
そこから村上水軍の船で、小早川隆景の三原城に行った。
三原は、毛利家の東の玄関でもある。
(毛利家を動かす)
 三木別所家が、反織田の旗を挙げた。
ここで毛利家が動かないと、三木別所家は潰される。
 三原城で小早川隆景に会った。
「毛利家に、兵を出してもらいにきたんじゃー」
 小早川隆景が、じろっと林治を睨んだ。
「どこへ兵を出すのかな」
「まずは上月城じゃ」
「上月城は尼子勝久がいる」
 隆景は、よく知っていた。
「その上月城を毛利軍が囲んでくれんかー」
「で、どうなるのか」
 将棋を指すように、次ぎの手を読む。
「そうなると、必ず上月城に羽柴秀吉が戻ってくる」
 取った城を取り返されたら、黙っている筈がない。
「それでー」
 隆景は、はっきり勝つとわかるまで慎重だった。
「小早川さま、いま三木別所を見殺しにしてはいかんぞー」
 林治は一歩前に詰めると、
「別所家は織田信長に対し、開戦を決意して羽柴軍と戦っておるのじゃから。ここで毛利家の出陣がなければ、この先、織田信長に反抗する者が一人もいなくなってしまうぞ」
 林冶は、三木別所が立ち上がった今が、最後の機会だと思っていた。
 今、毛利軍が上月に出陣すれば、羽柴秀吉は、上月城と三木城を同時に相手にすることになる。
 数日後、林治の期待通りに、毛利軍が動いた。
 小早川隆景は、三道のひとつ水軍を動かした。
 隆景の命を受けた児玉内蔵は、船七百隻で瀬戸内海を東に進むと、淡路の岩屋に陣を張って瀬戸内を押さえた。
 山陰の吉川元春は、元尼子の月山富田城から一万三千で出撃した。
 因幡から但馬、丹波を抜けて波多野秀冶、荻野直正と合流して、京に攻め込む作戦だったが、弟の隆景から
「都に攻め込むのは、まだ早い」
「どうする」
 元春も、都周辺で信長の大軍と合戦する不利を知っている。
「上月城に、信長を誘い込む」
「あんな狭いところにかー」
「狭いから、信長を討ちとれる」
 今回の織田軍との合戦は、大国同士の全面戦争になるから、軍を二つに分けるのは不利だと強く説得され、美作道から上月城の北、宇根高地に陣を展開した。
 三月十二日、毛利輝元は、山陽道を進む軍勢一万五千を発進させ、船坂峠を越えると、上郡から千種川沿いに北上して上月城の南に出た。
 備前の宇喜多直家も、毛利軍の進撃に歩調を合わせ、一万の軍で岡山を出ると、吉永から旭街道に入り、上月城の西を押さえた。
 四月十八日、尼子勝久、山中鹿之助ら尼子残党七百人が立籠もる上月城を、毛利と宇喜多の連合軍三万八千が取り囲んだ。
 驚いた山中鹿之助は、加古川の羽柴秀吉に緊急事態を伝えた。
「毛利全軍に囲まれた」
 秀吉は、与力の荒木村重率いる三千と、自分の配下の軍勢に、但馬に駐留していた秀長の軍勢を合わせた一万三千を引き連れると、急いで佐用谷に向かった。
 上月城を大軍で包囲した毛利軍は、猫がネズミをいたぶるように、包囲陣を補強しても攻めない。
 あくまで織田信長をおびき出して、山間での決戦に持ち込もうと覚悟を決めていた。
 五月五日、羽柴秀吉は高倉山に登ると、尾根越しに上月城を見た。
 周りの山も谷も毛利の軍勢で埋め尽くされている。これにはどうすることも出来なかった。上月城に籠もる尼子勢を助けたくても、近づくことも無理だった。
 毛利軍が播磨に入ると、三木別所の動きが活発になり、周りの支城も連動して反撃を開始する。
 連携して立ち上がった反織田軍に、羽柴秀吉も追い詰められた。
西に上月城を囲んだ、毛利と宇喜多の三万八千。
東に三木別所一族一万二千に挟まれ、身動きも出来なかった。
 秀吉は、安土の信長に、援軍を求める早馬を立て続けに送った。
 信長も毛利家出陣に対し、滝川一益、筒井順慶、明智光秀の八千を送るが、上月城を取り囲んで、攻めやすく守りやすい高台に逆茂木、鹿垣を取り付けて陣地を築いていた毛利軍に付け入る隙がなかった。
 秀吉は援軍にきた滝川、筒井、明智と三日月の陣屋で軍評定を開いたが、三将はこの状態で、毛利軍と戦っても勝てないことを見抜くと、
「この状況では、鉄壁の毛利軍に勝てん」
 積極的に協力しなかった。
 毛利軍と織田軍は、上月城を真ん中に睨み合ったまま動かない。
 別所林治は、自分の考えた作戦通りの上月城の攻防が、大軍同士の睨み合いになったことを喜んでいた。
(これで、痺れを切らした織田信長が出陣してくる)
 林治の読み通りに、安土城の織田信長は埒のあかない戦況に業を煮やすと、自ら出陣の準備を始めた。
(信長が佐用谷に入れば、三木別所に続いて摂津の荒木村重が造反に加わる)
 こうなれば、信長を閉じ込め、頸が獲れる。

 その信長の出陣を、佐久間信盛らの重臣が止めた。
「上様が、上月表に行く必要はありません」
 信盛は、毛利軍がたった七百の尼子残党が籠もる上月城を、三万八千の大軍で包囲して攻めないことに危惧していた。
「予が行って、毛利と三木の狸どもを成敗してくれる」
「いいえ、上様が出馬するのはまだ早いです」
「毛利輝元が出てきたのだぞ」
 白い顔の信長が、眉間に皺を浮かびあがらせて怒鳴ったが、
「まず、三位中将信忠様に行って頂くのが筋でございます」
「なにー」
「毛利軍は、上月で上様を待ち伏せているように思います」
「・・・・・」
「なら信忠さまに出陣していただいて、敵の出方を見てからでも遅くはありません」
 もっともな説明に信長が折れた。
 信長は嫡男の信忠と、三男神戸信孝に美濃、尾張、伊勢と畿内衆二万を付けると、
 五月八日 播磨に向かわせた。
 この時、別所林治が臨んだように、織田信長が上月城に出陣していたら歴史はどのように展開しただろう。
 林治の作戦に乗った小早川隆景らの毛利軍も、織田信長の出陣を待って、たった七百人で籠もる上月城を、七十日余りも攻めなかった。
 それどころか、攻めるだけでよいのに、包囲した自分たちの陣地を、鹿垣や逆茂木で厚く補強していたのは、織田軍との直接対戦に備えていたからだ。
 狭い佐用谷で、大軍同士の激突がどんな結果になったかー。
 結局、織田信長の播磨出陣は実現しなかった。

 播磨に入った信忠率いる織田軍は、上月に向かおうとしたが、滝川、筒井、明智らの献策で、加古川で止まった。
ここで、播磨制圧の軍議が開かれた。
 もし織田軍が、上月城で毛利軍を撃破すると、大将は織田信忠だが、播磨平定の司令官は羽柴秀吉である。当然秀吉の手柄になる。
 これを滝川一益ら、秀吉を軽蔑する武将が嫌った。
「まず造反した三木別所を血祭りに上げてから、上月に向かうのが筋道でござる」
「その通り、背に敵を置いて、毛利の大軍と決戦するのは愚か過ぎるわ」
 滝川一益と筒井順慶が、秀吉を無視して信忠に進言した。
「後ろに三木別所を置いて、上月で毛利と戦うのは危険じゃがー」
 秀吉も唾を飛ばして、
「織田に忠誠を尽くして、先陣をかけてきた尼子一族を見捨てるのかー」
「情に溺れるな」
「情ではない。この先、中国筋で地侍の協力が得られなくなる」
 秀吉は、上月城に立て籠っている尼子勝久、山中鹿之助たちを助ける案をだした。
 織田信忠と信孝は、黙って聞いていた。
「尼子を援けるのは、義理でしかない」
 平然と言った者がいた。
 明智光秀だった。
「所詮毛利の大軍の中から、助け出すのは無理な話です」
「無理だとー」
 秀吉は援け出せなくても、援軍を出すことで尼子に誠意を見せたい。
「ここは三木別所を打ち滅ぼしてから、西に進むのが正道かと思います」
 光秀が、竹を割ったようにはっきりと言った。
光秀の受け持つ丹波の敵、波多野一族は三木別所と婚姻関係がある。
八上城の波多野秀冶の妹照子が、別所長冶の嫁に来ていたし、長冶の弟冶定の嫁も、氷上城主波多野宗長の娘であった。
光秀にとって、いずれ再開する丹波攻めのためにも、波多野一族は叩き潰しておきたい。その波多野と連携する三木別所は、一日でも早く消し去りたい敵だった。
 この軍議は、秀吉以外が圧倒的に三木別所攻めを主張したため、信忠は織田軍を三木に向けた。
この決定に、不満の秀吉は単騎安土城に駆けた。
秀吉は畳に頭を擦りつけて、信長に上月城に援軍を送るように嘆願した。
 じっくりと秀吉の意見を聞いた信長は、琵琶湖を見る。
いや、その先にある何かを見ていた。
そして、目を秀吉に戻すと、
「猿、上月を捨てよ」
「はっー」
 秀吉は、聞き間違いだと思った。
「即刻上月城を引き払い、三木城攻めに専念せい」
「尼子を見捨てるのですか」
「仕方がない。足元に本願寺を抱えているのに、上月と三木との二面で毛利とは戦えん」
「尼子一族が死にます」
「尼子に執着すると、毛利の術中に嵌るだけじゃー」
「しかし、今まで尼子は織田の手足となって、お家の再興を信じて必死で働いてきました」
「・・・・・」
「上様、もう一度考え直して頂けませんかー」
「くどいー」
 信長の目がつり上がっている。秀吉は失せるしかなかった。
この後、何かを言えば殺される。
近年、頭に血がのぼった信長は、感情で判断する。
 秀吉は逃げるように馬に飛び乗ると、上月に向かった。
(勝久、許せ。鹿之助、済まぬ)
 京都東福寺の僧だった新宮孫四郎は、山中鹿之助と立原源太兵衛に、尼子の当主に担ぎ出され、名を尼子勝久と改めると、尼子家再興を目指し、毛利との戦に身を委ねた。
秀吉は、世の中の駆け引きも知らず、真っ直ぐに目的に邁進する、勝久の純粋な気持ちを援けてやりたかった。
 鹿之助も一本気な男だった。秀吉は鹿之助の合戦ぶりを見て、下手なことが一目で分かった。相手の動きを読んでの策が全くなく、自分が描いた作戦に夢中になっていた。
 これでは何回戦っても勝てないと思ったが、鹿之助の闘志が憎めなかった。
 この二人が毛利に捕まると、
(尼子家が滅ぶ)
 上月城から羽柴軍か撤退したら、尼子一族が助かる可能性はない。
山陰の名門尼子一族がこの世から永遠に消えてしまう。
秀吉は馬を走らせながら、
(一軍の将なんて、何の力もない)
 全軍を率いる、信長のような大将にならない限り、自分の力が発揮できないことを知った。
 佐用谷に入ると、直ぐに高倉山に登った。
 毛利軍に囲まれた、上月城が小さく見えた。
(勢いが消えている)
 毛利軍に包囲されて二ケ月になる。
 食料も水も限界だろう。
 秀吉は、山中鹿之助の娘婿の亀井新十郎を上月城に送った。
「上様の命令で三木城攻めに決った。明日の夜、麓まで兵を出すから、全員で脱出するようにー」
しかし、鹿之助からの返事は、
「少数の元気な者は脱出できるが、全員は無理だから残る」
と返ってきた。
 上月城麓の熊見川では、毛利軍と羽柴軍のいざこざが頻繁に起こっていたが、大きな合戦にはならなかった。
 六月二十六日、羽柴秀吉は高倉山を下りると、姫路の書写山に撤退した。
織田軍が撤退した後の上月城は、食料だけでなく戦意も消えた。
 七月三日、尼子勝久、通久の兄弟が自害して陥落した。
 山中鹿之助は毛利領に送られる途中、阿井の渡しで(岡山県高梁市)で殺害された。
 
 姫路から三木に戻った羽柴秀吉は、播磨侵攻の不手際を責められ、三木城攻めからも外された。
 中国遠征軍の司令官も剥奪された秀吉は、弟秀長と前野将右衛門のいる但馬の竹田城に入ると、糸の切れた凧のように、ふらふらした日々を過ごしていた。
 一方、秀吉を外した織田軍は、信忠を総大将にして印南郡の神吉城に押し寄せた。
 信長の三男神戸信孝を攻撃軍の大将にして、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、荒木村重、筒井順慶に二万をつけて猛攻撃をかけた。
神吉城は石垣も高く土塀も厚く、四隅に櫓を建て、本丸、中の丸、西丸と東丸を持つ堅固な城に二千人が立籠もって十倍の敵を迎えた。
「相手に不足はないわ」
 城主の神吉頼定は二十九歳だったが、織田の軍勢を引き付けると、一斉に鉄砲と弓を撃ちかけた。
 攻勢に出ていた織田軍が怯むと、頼定が命じた。
「門を開け」
大手門が開いて、神吉頼定が百人ほどの近習を引き連れて飛び出してきた。
大軍の中に太い槍を突き刺すように、一丸となって織田の軍勢に打ちかかった。頼定は二尺九寸の菊一文字で織田兵を斬り捲くると、頼定の精気が乗り移った近習たちも暴れまわった。
 そして、怖じている織田兵を見下すと、
「よし、引け」
 堂々と城に引き上げていった。
 一瞬、台風が去った後の静寂が訪れた。
 我に返った神戸信孝は怒った。
百人ほどの若者に、好き放題に蹂躙されて、怒らない司令官はいない。
 織田軍は七月十五日、再度総攻撃をかけた。
 信孝に怒鳴られた武将たちは、競って自分の攻め口に殺到した。
 敵の勢いを感じた頼定は、
「これまでのようだな」
 不様に生き延びたくはない。
「地獄までお供します」
「地獄はいかん。天国で会おう」
 城兵に笑って礼を言うと、最後まで天主に残って戦ったが、城に火がつくと防ぎ切れず討ち取られた。このとき頼定を守っていた梶原十右衛門、柏原冶部右衛門、長谷川権太夫たちは、切られて腕が飛んでも、突かれて槍が体を突き抜けても、頼定の側を離れなかった。 

 但馬竹田城の羽柴秀吉は、秀長や蜂須賀小六、前野将右衛門、竹中半兵衛と束の間の一時を、のんびりと過ごしていた。
飲み喋りながら、次の展開を考えるのが秀吉軍団の習性だった。
「三木城は、この先どうなるー」
 秀吉は、自分が担当を外された悔しさを押さえて聞いた。
「周りの支城は落せても、三木城は落せないでしょう」
「大軍が、攻めているのだぞ」
「いえいえ、大軍で攻めても要害の三木城は落せないと思います」
「なぜそう考える」
「地形です」
 竹中半兵衛が、病に侵された体を起こしながら言う。
「竹半、いいから寝ていろ。無理をするな」
「竹半、ここはわしらに任せて、ゆっくりと京都で養生せい」
 秀長も前将も、半兵衛の体を気遣って言った。
「儂をのけ者にするな」
 竹半が白い顔で笑うと、
「みんなの側がいい」
 春の日差しを浴びているように、
「こうしてみんなと喋るのが、私には一番の薬になる」
 このときだけ竹半の青白い顔に、笑顔が浮かび赤みがさした。
「それなら良いがー。とにかく横になっていろ」
 病気の体を酷使した上月城攻めが、一段と体を弱らせたのだ。
「神吉城は要害な城だったが、陥落させたではないかー」
「援軍の来ない平城一つを、十倍の兵で攻めて二十日もかかっている」
 竹半は病気で寝ていても、戦況に詳しい。
「美嚢川に隔てられた丘陵の三木城は、鉄砲が効果的に使えないから、一年かかっても落せないでしょう」
 釜山にある三木城は、名前の由来どおり釜の尻に似て丸く盛り上がっていた。
「とー、どうなる」
「再び御大将に、三木攻めが回ってきます」
 竹半は作戦の話になると、熱中するせいか、すぐ体を起こして喋ろうとする。
「竹半、寝たままでよいから・・・・・」
「上様は一度外した担当者を、再度遣うことはない」
(が、誰も出来なければやれる者に回ってくる)
 秀吉が笑ったのを見た竹中半兵衛は、
「問題はー」
 秀吉に、目を据えると、厳しい顔をした。
「上月城を囲んでいた毛利と、宇喜多の三万八千の大軍です」
 この軍勢が三木に出てきたら、播磨は秀吉のものになるどころか、反対に追い払われる。
「それじゃー、三木別所だけならなんとかできるがー」
 大局が見える秀吉も、
「三木と毛利が一緒になったら、どうすることもできん」
 蜂小も前将も、事の重大さを認識した。
いや、この場の全員が、改めて毛利軍の脅威を再確認することになった。
「そんなことになれば、手も足も出せんではないかー」
 秀吉も、三木と毛利の合隊は絶対に阻止したい。
「竹半、何か策があるのだろうー」
 前野将右衛門は問題が大きいほど、竹中半兵衛がそれを乗り越える策を考える性格を知っている。
「一つだけあります」
 竹半は苦しそうな息遣いをしていたが、目は爛々と輝いていた。
「それはー」
 皆が竹半の策を聞きたかった。
「宇喜多直家を織田に引き入れるのです」
「あの梟雄を、味方に引き入れるのかー」
「直家は、なかなかの人物です」
 宇喜多直家は滅亡寸前の宇喜多家を、己の力で立て直し、備前一国と美作半国を手に入れた。謀略だけの主人なら家臣は離れていくが、直家は家来衆に信頼されている。
「直家は、家の格式よりも相手の人物をみます」
「しかし、直家が頸をふるかな」
 秀吉も、直家の噂を聞いている。
「宇喜多を毛利から離す以外、手はないなー」
 無駄口を言わない小一郎秀長が、ぼそっと言ったことで作戦が決定した。
このまま何の手も打たないでいると、上月城を陥落させた毛利軍は、東に進み、三木に進出して来る。そうなれば、反対に三木別所と、毛利軍に挟まれた羽柴軍が全滅する。
せっかく手に入れた、宝の山生野銀山も取られる。
(博打だ)
 ばくちで、宇喜多直家を内応させない限り、羽柴秀吉の未来はない。
「何を悩む。我らは博打で成り上がってきたのではないかー」
 蜂小が、豪快に笑って言うと、
「そうだ、我々から博打を取ったら何も残らんぞー」
 前将も、合戦はどこかで懸けねばならんと考えている。
いや、何事も決断するときは賭けだ。
(尾張でも、美濃でも、近江でも、全員で博打を打ってきたではないか)
 全員で博打するのも一興だと意を合わせると、その根回しに動いた。
  
 その後、小一郎秀長は、但馬有子山城の山名豊国の元に送っていた青木勘兵衛が、本人を同行してきたことを秀吉に伝えた。
喜んだ秀吉は、早速豊国に会って旧地を安堵すると、但馬の地侍たちが竹田城に集まってきた。秀吉はその者たちに会って話を聞き、領土を安堵してやると、但馬の国衆のほとんどが羽柴秀吉の与力になった。

 竹中半兵衛は、自分の病気が治らないことを知っている。
そして、この播磨平定が、最後の奉公だと思っていた。
 半兵衛は病床を抜け出すと、小寺から名前を黒田に戻した官兵衛の紹介で、宇喜多家の武将明石飛騨守に会うと、直家との面談を申し込んだ。
 時勢の流れを見ていた宇喜多直家は、重臣に相談した。
岡平内、長船紀伊守、戸川肥後守、花房助兵衛尉たちである。
 問題は織田家に乗り換えたとき、毛利家に預けている五人の人質の命だった。
「殿の決断はー」
 人質は直家の血筋である。直家はしばらく考えたあと、
「五人の命も大切だが、もし、ここで毛利と結託していて、織田に攻められたら一族が滅ぶ。五人と一族の命なら、数千人いる一族の命の方が重い」
 この直家の決断で、宇喜多家の毛利家離反が決った。
  
 神吉城を陥落させた織田の大軍は、直ぐ北にある志方城に襲い掛かった。
城を取り囲むと、まわりから猛攻を加え陥落させた。
勢いにのる織田軍は東に転じ、衣笠豊前守範景が籠もる端谷城を攻めた。
覚悟を決めた城方は、全員が討って出て全滅した。
 しかし、織田軍の快進撃もここまでだった。
 竹中半兵衛が読んだように、支城は攻略出ても、三木城は落とせなかった。
鉄砲を撃ちかけ、大軍で攻めても撥ね返された。
総大将の信忠が叱咤激励しても、城に近づくこともできなかった。
遠征軍が長期化すると、織田信長がいらだってきた。
手薄になった畿内で、石山本願寺と雑賀衆が騒ぎ出すと、信長は焦った。
そこへ、上月城を陥落させた毛利の大軍が東に進み、三木別所と丹波衆が加勢して、本願寺に入る噂が現実味を帯びてくると、信長は堪らず、三木城を攻めていた信忠以下の軍勢を京都に呼び戻した。
「いつまで三木城一つにかかっておる」
 その代わりに、但馬にいる羽柴秀吉に再び三木城攻めを命じた。
 全てが竹中半兵衛の読んだ通りになったが、織田の大軍の後を、羽柴勢だけで三木城を相手するのは尋常ではない。
が、何らかの成果を挙げないと、中国攻めの司令官に戻れないのも現実だった。
 三木城に立籠もる別所軍七千人と、攻める羽柴軍も七千人だった。
「やるしかないわ」
 これも博打だった。秀吉はこの博打に賭けた。
 八月十八日、但馬衆を引き連れた羽柴秀吉は、三木城の東の高地平井山に陣を構えた。
 同じ人数で守る城を、正攻法で攻めるのは愚策である。
まして上月城と違い、三木城は鉄砲対策を徹底させている。
「この戦は長引く」
 秀吉は平井山の本陣を、材木を切り出し、鹿垣を何重にも張り巡らして出城に造りかえた。それだけではなかった。秀吉は三木城の周り六ケ所に砦を築いて城を囲んだ。
 羽柴軍は毎日、砦や鹿垣を造ることに精を出して、
「織田信忠さまの大軍でも、攻めきれなんだ城じゃー」
 三木城を力攻めしなかった。
 生野銀山から掘り出した銀で、材木を買い、人夫を雇い、堺から鉄砲と弾薬を買い入れた。この有様を三木城に籠もる別所兵は、
「羽柴秀吉は奇妙な武将じゃー」
「やはり商人か百姓だと思っていたら、大工普請もするのかー」
 取り囲んでも城攻めをしないー、と笑って見ていた。

 一ケ月が過ぎても、羽柴軍の土木工事は続いていた。
 城兵が外に出ると、周りに築いた砦から、鉄砲をばんばん撃ちだして追い返す。
 この砦を、三木城に籠もる兵が、
「羽柴軍は、兵糧攻めをする気で囲んでおる」
 城を閉じ込める鹿垣だと気がついたときには、三木城は出入りが出来ない状態に取り巻かれていた。
 慌てた三木城の重臣たちは、砦を壊そうと討って出ると、羽柴軍は頑丈な砦から大量の鉄砲を撃ちかけて寄せ付けなかった。
日に日に食料が減り、毎日の糧に支障が出始めると、別所長治は毛利に援助を求めた。
 毛利軍が三木城に進軍しょうとしたとき、宇喜多軍が無断で岡山に引き返した。
 宇喜多軍が戦線を離脱すると同時に、蜂須賀小六と前野将右衛門配下の乱波と細作が、備前と播磨の各地で、
「宇喜多直家が、羽柴秀吉に内応した」
 噂を流した。川並衆の得意な攪乱だった。
 この噂は、毛利の吉川元春と、小早川隆景の耳に入った。
 宇喜多軍が連絡もなく、岡山に帰った後だっただけに真実味があった。
 両川は、宇喜多直家の性格をよく知っている。
「勝つ方に味方する」
 信頼も恩義もない。義父でさえ目的のためには殺す。徹底して勝つ方につく。
 羽柴軍を、三木別所と毛利軍で挟んでいたのが、逆に羽柴軍と宇喜多勢に挟まれたら毛利軍が壊滅する。
 危険を悟った吉川元春と小早川隆景は、
「三木の援軍にはいけぬ」
 二人の考えが一致した。
 宇喜多直家に背後から襲われないうちに、自国に帰り、改めて織田軍の侵略に備える準備をしなければならない。
 吉川元春は唇を噛み締めながら、美作道から雲州富田城に帰っていった。
 小早川隆景は山陽道にでると、岡山を避けて三原に帰った。
 毛利軍が上月から国に帰ったことを聞いた、別所長治は、
「毛利軍が国に帰ったー」
「備前の宇喜多直家が、織田に寝返りました」
「織田に・・・・・」
 誰も、それ以上のことを言えなかった。
毛利軍が帰ったら、鬼神織田信長を、三木別所だけで相手にする。
(三木が孤立する)
 長治は、外の羽柴軍を見た。
 城を取り巻く砦が、大きくなった気がする。
「毛利に遣いを出せー」
 何度、遣いを送っても、宇喜多直家が毛利陣営に復帰しない限り、毛利軍は備前を通り抜けることができない。
 石山本願寺から矢のように催促しても、毛利軍は動かなかった。
 その間も、三木城を囲む羽柴軍の砦は、高く大きく丈夫なものになっていった。
 外からの物資の搬入を止められた城内は、一日一食になる。
 みんながいらいらして、仲間同士のいざこざが増えだした。

 東播磨は豊饒の地である。三木城周りの田の稲が黄金色に染まるが、城から出られない城兵には絵に描いた餅だった。
 その頃、摂津守護の荒木村重が本願寺に人質を出して、織田信長への叛旗を露にした。
三木を孤立させたら、今度は、摂津の荒木村重が信長を裏切った。
再び苦境に立たされた秀吉は、蜂須賀小六を、有岡城に立籠もる荒木村重のもとに送って真意を質した。
 村重は一言、
「疲れたー」
 そして、
「やはり、織田信長は信頼できん」
 信長に仕えるのが心底疲れた、と呟いた。
 信長に疑われる要因は幾つかあった。
村重の家来が石山本願寺に米を運んだとか、神吉城攻めで、村重が命を助けた神吉頼定の伯父の神吉藤太夫が、再び三木城に入って織田軍に戦を挑んだとかー。
しかし、最大の原因は、゛疲れた゛だった。
 実際、村重は心身とも疲れていた。
村重は信長を嫌悪していたが、その信長に、牛馬のように使われても不平をこぼさない輩が、陰では不満をこぼしまくっていた。
「織田の歴々衆は、面従腹背の人が多い」
と嘆いた。
 信長は、万見仙千代と明智光秀を遣わして詰問したが、村重の反逆が覆らないことが明らかになると、信忠に三万の軍勢をつけて有岡城を囲んだ。
その一方で、荒木村重の両腕の高槻城高山右近と、茨木城の中川清秀に、
「村重どのは、いずれ負ける」
 二人も、信長と村重を比べた。
「信長さまには勝てん」
 力の差が分かる二人は、織田家に戻った。
 それでも村重は嫡子村次を尼崎城に、従兄の荒木村正を花隈城、荒木重堅を三田城に配置して石山本願寺、毛利と丹波の波多野、三木別所と連携して反織田戦線に加わった。
 怒った信長は、十二月八日、有岡城を攻めた。
毛利の援軍を期待した村重は、織田軍の猛攻を跳ね返す。
籠城が長期化すると、士気に影響する。
村重は、いつまでたっても来ない毛利軍を呼びに、僅かの人数で城を脱出した。
村重がいなくなった有岡城は、十三日落城する。
 信長は己に逆らった一族を見せしめに、女子百二十二人を磔にすると、召使ら五百人余りを民家に押し込んで焼き殺した。
 織田信長の凶暴性は増していく。

 天正七年になっても、三木城の戦意は衰えなかったが、食料は確実に減っていった。
 別所長治は、周辺の英賀城や毛利家、石山本願寺に糧米を要請する。
その搬入路を、羽柴軍が切断し包囲網を強化する。
 二月十日、食糧難に堪りかねた三木城内で軍議が開かれた。
 形勢打開を願う別所軍は、秀吉の平井山本陣へ総攻撃をかけ、秀吉の頸を狙うことが決定した。
 翌十一日、まだ夜が明けないうちに別所軍は動いた。
 攻撃隊は二班編成され、一班は、別所賀相を大将に二千五百人が城を抜け出した。
もう一班は、長治の弟小八郎治定が七百人を率いて、平井山を目指した。
 前日から、城内の慌ただしい空気を察知していた蜂須賀小六は、見張りを倍にして用心していた。その見張りから、
「別所勢が二隊に分かれて、平井山に向った」
報告を受けた。
 平井山は北の美嚢川と、南の志染川の間にある丘陵地で、三木城から一里もない。
この高台には羽柴秀吉は、上月城攻めのとき、本陣を襲撃された経験から、得意の土木工事を行って本丸、二の丸、三の丸をもつ陣城を築いていた。
別所軍の動きを察知した羽柴軍は、これらの陣城と櫓から鉄砲を並べて待ち構えた。
 それを知らない賀相が率いる別所軍は、平井山手前の与呂木村の入り口で、隊を千人と、千五百人に分けると、平井山を左右から攻め上っていった。
半分登ったところで、総攻撃に移った。
「かかれー」
 三木別所家の運命を懸けた攻撃が始まった。
別所軍は、厳しい斜面を駆け上っていく。
「まだまだ、慌てるなー、よーく引き付けてー」
 秀吉は、別所勢の顔が見えたところを、
「撃てー」
 一斉に鉄砲が放された。轟音が谷間中に響いた。
 寄せ手の先陣が崩れると、すかさず羽柴軍は打ってでた。
ここからは白兵戦になった。
 平井山の全域で激戦が繰り広げられた。
その歓声を聞いた、別所治定の後軍は、
「先陣が秀吉の本陣に突入したぞー」
「遅れるなー」
 治定を先頭に、平井山を駆け上っていった。
気負う治定は秀吉を探すが、秀吉を見つける前に、きらびやかな鎧を纏った治定が、秀吉の近習たちに見つかった。
敵の大将頸を見つけた羽柴軍は、野獣に変身すると治定に襲いかかった。
 治定の郎党山下勘解由や、中島民部らが、体を張って治定を護ろうとしたが、戦に慣れた羽柴兵の樋口次郎政武は、隙をついて治定に飛びかかった。
左手で頸を絞めると、素早く脇差を鎧の間に突き刺した。
実戦に慣れた手際よさだった。
「うっー」
 奮戦で疲れていた、十八歳の治定が漏らした最後の言葉だった。
秀吉の頸だけを狙って出陣した、久米五郎と福田孫八郎も討ち取られ、別所軍は大敗した。この敗戦は、三木城の戦意を喪失させてしまった。
 三木城は摂津の丹生山に砦を造って、山越えで食料を運び込んでいたが、これも羽柴軍に見つかり、奇襲されて潰されてしまった。
 毛利家は乃美兵部丞と、児玉内蔵大輔に、二百隻の船に食糧を満載して、瀬戸内から明石の浦の魚住に荷揚げすると、秀吉は明石と三木の間に砦を築いて遮断した。
 日に日に飢えが厳しくなった三木城では、
「これだけの砦に囲まれたら、食料は運び込めん」
 みんなの声が低く暗い。
「どこかの砦を壊さない限り、食料を運び込むことはできん」
 どの砦を攻撃するかである。
「毛利の船をどこに着けるか、それからどうするか」
「東は、秀吉の平井山の本陣があるから無理じゃー」
 城周りの絵図だったが、羽柴軍の絵図とは違い、簡単に羽柴軍の陣地を書いただけのものだった。
「やはり、西の加古川から揚げるしかない」
 平井山襲撃に失敗した山城守は、腕に傷を受けていた。
「平田の谷大膳の砦が盲点じゃー。襲うならここがよいぞ」
 別所林治が、絵図を指して言うと、
「しかし、谷大膳は戦慣れした猛将ではないかー」
 平田村は北になる。
「谷大膳の大村山砦はだれもが避けていく。だから、かえって油断がある」
「これだけ包囲されたら、どこも同じじゃー」
 包囲網は厳重に取り巻いている。
「船は加古川からが運び込みやすい。林治が言うように、北から運び込むのも、案外的をえている気がする」  
 長治の決断で、平田の谷大膳の砦を襲撃することが決った。
 七月九日の決行前日、長治は、加古川から三木までの搬入路に百人の案内人を置いた。よほど食料に欠乏していたのだ。
 七月十日、夜丑の刻(午前二時)食料を運んでくる毛利家の生石中務の秘密部隊と、三木城から忍び出た部隊が、谷大膳の大村山砦に奇襲攻撃をかけた。
砦に火の手が上ると、三木城から、別所賀相が率いる食料受け取り部隊三千人が、平田を目指して駆け出した。
 谷大膳から、急の使者が秀吉本陣に飛び込むと、秀吉は平井山の本陣を小人数で飛び出した。その秀吉の後を、羽柴軍が追いかけながら平田に走った。
賀相の別所軍と、羽柴軍が激突した。
その後の三木城からの援軍は、羽柴軍の砦に遮られて進めなかったが、羽柴軍は周りの砦から、援軍が続々と駆けつけてくる。
両軍の激戦を、風が三木城に伝えた。
長期間籠城に耐えてきた、別所長治の血が騒いだ。
長治は近習を従えると、平田村を目指して城を飛び出した。
「それー」
 気合い十分で飛び出したが、警戒をより厳重にした羽柴軍の包囲網は、蟻の這い出る隙間も埋めていたので、長治は美嚢川を越えることが出来なかった。
 この平田の合戦で、羽柴軍は谷大膳が討ち死にすれば、別所軍は大量の戦死者を出して敗れた。毛利の食料搬入部隊も、すごすごと引き返すしかなかった。
 平井山と平田村の戦に敗れた別所軍は、城内の米麦がなくなると、糠を食べたが、それも無くなると、牛馬を殺して食べた。
 この状態では戦もできず、飢え死にを待つだけの悲惨な状況に追い込まれた。

 年が代わり、天正八年、正月。
 長治は、林治を呼んだ。
「林治、これまでじゃー」
 長治は、食べるものがない城内の、地獄のような現場を見るたびに、城主としての責任を痛感していた。その状況も限界だった。
 林治も、返す言葉がなかった。
「羽柴軍から書状がきて、わしの命と引き換えに城兵を助けると言ってきた」
 長治は、遠くの空に喋るように言う。
「羽柴秀吉の申し入れを受けようと考えている」
 林治は、口まで言葉が出掛かっていたが、何も言えなかった。
「一度ぐらいー、正々堂々と合戦がしたかった」
 長治が静かに喋る言葉に、悔しさがこもっていた。
「負けたから言うのではないが、戦もせずに閉じ込められて・・・・・」
 長治の目に、小さな涙が浮かんでいた。
「何もせんまま終わった・・・・・」
 長冶は生まれたときから、武門の家の嫡男だと厳しく躾られた。
太刀から槍に弓の扱いを叩き込まれて育ったが、今回の合戦には何一つ役に立たなかった。いや使う機会すらなかった。織田軍と播磨衆とは戦が全く違った。
それも懐かしい気がする。
「そこで林治、頼みがある」
 今度は、はっきりと林治の目を見て言った。
「頼み、ですか・・・・・」
 長治が死を前にした頼みに、林治は自然に姿勢を直した。
「子供を一人、連れて逃げてもらいたい」
「子供ですか」
「そうじゃー、照子の子供ではない」
「その役は、他の者に任せてもらえんかー」
 林治は、もう逃げるのは止めようと思っている。
上月城から逃げ、利神山城からも逃げた。
その上、この三木城から逃げるなんてー。
もう、これ以上逃げるのは嫌だ。
「いや、則光は林治の手で、赤松家発祥の土地、む佐用谷に匿って育ててほしい」
 別所長治は、織田信長に逆らった一族の終局を知っている。
北近江の浅井長政の嫡子万福丸は逃げていたが、探しだされて串刺しにされた。
昨年の荒木村重の妻子も、尼崎の川原で惨殺された。
(執念深い織田信長から、逃げることはできない)
 ただ妾の子、則光のことは知られていない。
別所林治は佐用谷の人間だから、則光を匿える場所に困らない。
「それに一人ぐらい、別所家の血筋を残したいのじゃー」
(それを言われると断れない)
 同じ別所家の一族である林治も、家の血筋を護りたいと考えている。
 その夜、別所林治は四歳の則光を背中に負うと、三木城を脱出して佐用谷に帰ったが、毛利軍の引き上げた佐用谷は、羽柴軍の同盟者宇喜多家の支配地になっていた。
 
 その後、林治は別所則光を連れて、佐用谷から美作を転々としたが、詳しいことは分からない。
 別所林治に連れられて、佐用谷に逃げた別所無官則光の墓が、上月城の北にあった早瀬砦南の天神ケ峠の頂上にあった。
 今は国道一七九号線が走り、人の往来が途絶えた峠は、削られ私道のようになっている。
 墓の正面の名は、「別所長治後胤」と書かれ、裏面には、
「冶承元年(一一七七)別所頼清ヨリ則光マデ十五代別所長治一男別所無官則光」
 と読める。
 三木城は一月十七日、
 別所長治の命と引き換えに開城し、一族以外は助け出された。
 二十三歳で命を絶った別所長治の辞世の句は、

  「今はただ恨みもあらじ諸人の
         命にかはる わが身と思えば」
 
 そして、この三木城の攻防戦を、前野小右衛門の後裔が残した前野文書は、
「さりながら聊(いささ)かも屈せず播州武士の丹正見上げるべく候、部門の面目これに過ぎたるはなし」
 と記録している。
 調略が得意な羽柴秀吉でさえ、城内から誰一人寝返りさせることもできなかった。
 食べるものもなく、極限の状態に置かれても、裏切らず最後まで若い長治に追従したことは立派としかいえない。

 その二年後の、天正十年六月、
 織田信長は、京都本能寺で明智光秀に襲われて殺されたが、信長の近習と明智の軍勢が戦っているときに、本能寺内の信長がいた部屋の床下が大爆発したことが記録に残っている。                

                             
       
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