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最終話
別れと再会
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甘い空気は一変する。
天照大御神は、閻魔大王の元へ向かうため身支度を整え始めた。
羅瑠璃も手伝うために衣服に手をかけるが、天照大御神に止められてしまう。
「羅瑠璃! お前は颯太を連れて『刻の塔』へ向かうのだ。人界が崩壊したら時間を戻せ。だが、それは最終手段だ。先ずは、綻びを修復するまで、そこで待機してるのだぞ」
「……わかった。ちょっと待って! 叔父さん、ママは大丈夫なの?」
天照大御神は、プハッっと吹き出した。
「案ずるな! 義姉は妖鬼界に戻って、早々に戦闘態勢に入っておる」
羅瑠璃は安心したように微笑んだ。
そして天照大御神に言われた通り、颯太を連れて刻の塔へ向かった。
天照大御神は、目を擦りながら起き上がる夜鬼丸の額にちゅっと口づける。
「愛する夜鬼丸よ、全て片づいたら余の妻になってくれるか?」
夜鬼丸は目に涙を浮かべながら答える。
「はい……喜んで」
天照大御神と夜鬼丸は、閻魔大王がいる法廷へと急ぐ。
──その頃、人界では修羅界から溢れ出た妖魔たちに、毒された人々による暴動が起きていた。
普段、抑えていた欲求が爆発したかのように、互いを傷つけ死に追いやる。
界鏡から人界の様子を見ていた閻魔大王は、険しい顔で呟く。
「まるで、地獄ではないか……」
すると、界鏡の映像が切り替わり黄泉の国を映す。
閻魔大王は鏡に映った人物を見て驚いた。
「阿修羅王⁉︎ こんなこと、やめるんだ!」
阿修羅王は不敵な笑みを浮かべる。
「やめろと言われて、やめる悪役がいると思うか? これが儂のやり方だ。閻魔大王よ。人界はもう終わり。簡単だったぞ、人は欲深いな。あんたは修羅界を見下していたが人界の連中も、儂らと何ら変わりないな」
閻魔大王は、ギリッと奥歯を噛みしめた。
「お前の目的はなんだ?」
すると阿修羅王は、意味深な笑みで言う。
「目的などない。儂ら修羅界の住人は、他人の不幸が好きなだけさ」
閻魔大王は怒りで身体が震えた。
「ほらほ~ら、黄泉は死者で溢れているぞ。どうする閻魔大王? 儂も裁くのを手伝ってやろうか?」
「貴様如きが、私と対等に話すな!」
小馬鹿にしたように阿修羅王は右手を上げ、勢いよく下に向けた。
すると、空間が裂け地獄の門が現れる。
「やめるんだ!」
地獄の亡者が溢れ出し、黄泉の国の死者の魂を次々に喰らってゆく。
阿修羅王と閻魔大王は睨み合ったまま動かない。
その時だった。
「兄上!」
「閻魔大王様!」
天照大御神と夜鬼丸が駆けつけた。
「羅天、夜鬼丸。人界はもうダメだ! 今は、修羅界の連中が黄泉の国の魂を喰らっている……」
天照大御神は拳を握りしめる。
そして、夜鬼丸は閻魔大王に言う。
「私は地獄の番人として、この様な状況は見過ごせません! 今すぐ地獄の門を閉じさせて頂きます」
「待て、夜鬼丸!」
閻魔大王は、夜鬼丸の腕を掴み引き止めた。
「…………?」
「もう、お前一人では無理だ。私にとって、夜鬼丸も部下も大切な家族……私が行く」
「閻魔大王様、それはダメです! 貴方様に万が一のことがあれば、誰が死者を裁き、冥界の秩序を守るのですか?」
黙って聞いていた天照大御神も口を開いた。
「兄上以外に閻魔大王は務まらん。天界からも援軍を呼び、余が現地に赴き指揮する。仮に余が消えても後任は羅瑠璃にやらせればよい。あの子には、刻の塔で待機し最悪、時間を戻すようにと伝えておる。そして……夜鬼丸よ」
急に名前を呼ばれた夜鬼丸は驚き、背筋をピンと伸ばした。
天照大御神は優しく微笑むと、夜鬼丸の肩に手を置く。
「兄上の側にいるのだぞ。お前は、閻魔大王の有能な秘書だからな。兄上を守るのが、お前の役目」
「羅天……必ず戻ってきてください」
天照大御神は、閻魔大王に視線を移す。
「兄上。夜鬼丸を頼んだぞ」
「羅天……行くな」
閻魔大王は声を振り絞った。
しかし、天照大御神は首を横に振る。
「兄上の泣きそうな顔は、本当に愛しいのう」
天照大御神は笑顔を見せ、消えてしまった。
冥界の住人は永遠の生命ではあるが、死は存在する。
同じ冥界の住人同士で争えば、魂は消滅してしまうのだ。
だからこそ、各界の住人は争うことはしない。
人と同じように欲はあるが一線を画す。
だが、修羅界だけは違う。
彼等は力で支配したい連中の集まり……。
──刻の塔に辿り着いた羅瑠璃と颯太は、天照大御神の指示に従い待機していた。
刻の塔には、悪しき者は近づけない術が施されている。
外部からの侵入も不可能だった。
二人は刻の塔の中心部、時を刻む大きな振り子時計の前に座っていた。
羅瑠璃は颯太を後ろから抱きしめ、頭を撫でながら言った。
「颯太……怖いか?」
颯太は首を横に振り微笑んだ。
「俺は、羅瑠璃がいるから大丈夫! それより閻魔大王様たちが心配だけど……負けたり……ンンッ⁉︎」
そう言いかけたところで、羅瑠璃に唇を塞がれてしまった。
暫くして、唇が離れると唾液の糸を引く。
そして、再び舌を絡ませながら深い口づけをした。
颯太はトロンとした瞳で、羅瑠璃を見つめた。
「パパたちは強い。ママだって強いんだ……でも、もしもの時は、僕は迷わず時間を戻す」
いつもより、羅瑠璃の口調が重い。
嫌な予感がした颯太は、羅瑠璃の袖をギュッと掴んだ。
「時間を戻したら、どうなるんだ?」
「人界が元に戻るだけだ。安心しろ」
「元に……って。冥界は?」
「颯太は人間だから、冥界のことは気にするな。ちゃんと平和な人界へ戻してやるから大丈夫だぞ」
そう言う羅瑠璃の表情は、もう出会った頃の可愛い羅瑠璃の面影はなかった。
さらに、大人の男性のように落ち着き、美しくもあり、凛々しくもあった。
羅瑠璃の長い髪が揺れるたびに、颯太の心も揺れ動く。
「羅瑠璃、俺も冥界に残るよ。だって俺たち結婚するんだろ? まだ式も挙げてないし」
「……そうだな」
羅瑠璃は颯太の首筋に舌を這わせた。
ゾクッとした感覚に襲われ、思わず身体を捩らせる颯太だが、羅瑠璃の力には敵わない。
そのまま耳を甘噛みされると、もう抵抗する力も抜けてしまった。
(あぁ……このまま時間が止まればいいのに)
颯太が心の中でそんなことを思った時だ。
──ボーンと、鐘の音が鳴る。
同時に、閻魔大王の声が響き渡った。
「羅瑠璃、時間を戻すんだ! 颯太の寿命は続く!」
羅瑠璃は静かに瞼を閉じ、颯太から身体を離した。
「颯太、必ず寿命を全うするんだぞ。颯太が僕を忘れても、僕はずっと愛している。こっちで待っているからな」
羅瑠璃は、颯太の鼻先に口づけをし振り子時計に手を翳した。
途端、目の前にいた羅瑠璃の姿が消える。
颯太は叫んだ。
「羅瑠璃っ!」
だが、その声は虚しく響きわたるだけだった。
時を刻む大きな振り子時計の針は、物凄い速さで逆に回りだした。
──ボーン、ボーン。
その間に、閻魔大王の声が再び聞こえてきた。
「颯太、全ての記憶は消えるが、愛する者は忘れないだろう……」
颯太の意識は徐々に薄れ、そして途絶えた。
──冥界はすっかり荒れていた。
「あ~ら、間に合ったようね。羅天、感謝してちょうだい。半分、消えかかってるじゃないの~。そんなんじゃ、うちの夜鬼丸を嫁になんてさせないわ」
閻魔大王の妻こと猫女の凛は、妖艶な笑みを浮かべながら手を差し伸べた。
「ハハ。義姉……感謝する。だが、阿修羅王には逃げられてしまった。羅瑠璃がいる刻の塔の方向へ……」
凛は、羅瑠璃のいる刻の塔の方角へ視線を向けた。
「心配無用だわ。愛することを知ったあの子の力は無限の強さ。それに羅瑠璃は、あたしの子だもの。そんなことより、傷ついた者たちを閻魔殿で手当てをしなきゃね」
凛はニヤリと笑う。
冥界は崩壊寸前のところで、妖鬼界から数万もの援軍を引き連れた凛によって救われた。
──刻の塔では、羅瑠璃と阿修羅王が対峙していた。
「どうして、あなたが刻の塔に近づけたんだ?」
羅瑠璃は、鋭い眼光で阿修羅王を睨む。
阿修羅王は微笑んだ。
「君は、あの時の子だね? 随分、美しく成長したね。儂の妻にしてやりたいところだが残念! 君のパパが許してくれないだろうね」
「黙れ! 本当は知っている。あなたが、刻の塔に近づける理由……」
初めて羅瑠璃と阿修羅王と出会ったのもここだった。
──なぜ、阿修羅王が近づくことができたのか?
羅瑠璃は本能で感じ取っていた。
『真の悪人ではないから』
「あなたは……僕を傷つけたりしない」
羅瑠璃は、阿修羅王を見据える。
「君はおめでたい子だね。儂が、君を傷つけないとでも? 本気でそんなことを言ってるのかい?」
「本気だぞ。倒し方も知っている。だって、あなたは子供と同じだから」
羅瑠璃は屈託のない笑顔で答えた。
すると、阿修羅王も笑いだす。
「ハッハッハ! 儂が子供と同レベルと? 面白いな。では、倒してもらおうか?」
羅瑠璃は深呼吸をしてから両手を広げ、阿修羅王をぎゅっと抱きしめた。
予想外な行動に、阿修羅王は動揺する。
「な……何をしている? 離せ!」
「あなたは、認められたかっただけでしょう? 阿修羅王はおバカさんだね。こんな事をしなくても、僕はあなたに憧れていたし、大好きだったのに……僕の初恋の人」
羅瑠璃は、阿修羅王の背中をポンポンと優しく叩いた。
「な……何を言って……」
優しい温もりが阿修羅王を包み込み、次第に身体から力が抜けていく。
羅瑠璃は、阿修羅王を抱きしめたまま話を続けた。
「あなたは悪さをし過ぎた。でも、それは仕方がないこと。だって、あなたは誰かに愛されていることに気づけなかったから」
羅瑠璃は、阿修羅王の顔を見つめた。
「僕から、あなたに愛をあげる」
羅瑠璃の唇が、阿修羅王の唇に触れる。
「ん……」
「もう、悪さはしないね? 約束だよ」
阿修羅王の瞳から一筋の涙が頬を濡らす。
瞬間、身体が黄金の輝きに包まれ、段々と光が消えていく。
──羅瑠璃の腕の中には、小さな赤ん坊が眠っていた。
「もう、あなたは阿修羅王なんかじゃないね」
こうして修羅界は消え、冥界は平和な世界を取り戻したのだ。
暫く、閻魔殿や他の界は再建に追われたが、冥界の住人たちは変わらずに暮らした。
ワガママだった羅瑠璃は、愛する力が認められ天界の神の一人となった。
一月五日、神奈川に大雪が降った日の逢魔が時。
オフィス街では、雪の降っている中を帰路につく人々が行き交い、あちらこちらで車が立ち往生していた。
そんな中……。
「あー寒っ。連休明けの仕事はキツかった~。ラーメンでも食べて帰ろうかな」
そう独り呟きながら、肩をすぼめて歩く二十代前半の男。
彼の名は、桜庭颯太。
ブラック企業で元気に働く、普通の社畜サラリーマン。
連休明けで疲れきった身体を引き摺りながら、いつもの帰り道を歩いていた。
ふとコートのポケットに手を入れると……。
(俺、何か入れたっけ? ゴミかな)
颯太はポケットの中に入っていた物を取り出した。
「ん? 何これ……首輪?」
黒い首輪には、小さな鈴が付いておりチリンと綺麗な音を奏でた。
どう見てもペット用の首輪にしか見えないが、颯太は何となくその首輪の裏を見てみる。
そこには文字が刻まれていた。
「……羅瑠璃? 犬? どうして、こんな物が俺のポケットに? う~ん。職場の誰かが間違えたのかもな。明日にでも聞いて……違う……羅瑠璃……」
颯太は──雪が舞い散る空を見上げた。
「俺が皺くちゃの爺さんになっても、待っててくれるのかな?」
『颯太、必ず寿命を全うするんだぞ。颯太が僕を忘れても、僕はずっと愛している。こっちで待っているからな』
──そして、桜庭颯太は生涯独身を貫き、七十五歳で人生の幕を下ろした。
『颯太! 待ちわびたぞ』 完
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
漫画版は、小説にはないエピソードも描いていきますので、お時間があればよろしくお願いします。
天照大御神は、閻魔大王の元へ向かうため身支度を整え始めた。
羅瑠璃も手伝うために衣服に手をかけるが、天照大御神に止められてしまう。
「羅瑠璃! お前は颯太を連れて『刻の塔』へ向かうのだ。人界が崩壊したら時間を戻せ。だが、それは最終手段だ。先ずは、綻びを修復するまで、そこで待機してるのだぞ」
「……わかった。ちょっと待って! 叔父さん、ママは大丈夫なの?」
天照大御神は、プハッっと吹き出した。
「案ずるな! 義姉は妖鬼界に戻って、早々に戦闘態勢に入っておる」
羅瑠璃は安心したように微笑んだ。
そして天照大御神に言われた通り、颯太を連れて刻の塔へ向かった。
天照大御神は、目を擦りながら起き上がる夜鬼丸の額にちゅっと口づける。
「愛する夜鬼丸よ、全て片づいたら余の妻になってくれるか?」
夜鬼丸は目に涙を浮かべながら答える。
「はい……喜んで」
天照大御神と夜鬼丸は、閻魔大王がいる法廷へと急ぐ。
──その頃、人界では修羅界から溢れ出た妖魔たちに、毒された人々による暴動が起きていた。
普段、抑えていた欲求が爆発したかのように、互いを傷つけ死に追いやる。
界鏡から人界の様子を見ていた閻魔大王は、険しい顔で呟く。
「まるで、地獄ではないか……」
すると、界鏡の映像が切り替わり黄泉の国を映す。
閻魔大王は鏡に映った人物を見て驚いた。
「阿修羅王⁉︎ こんなこと、やめるんだ!」
阿修羅王は不敵な笑みを浮かべる。
「やめろと言われて、やめる悪役がいると思うか? これが儂のやり方だ。閻魔大王よ。人界はもう終わり。簡単だったぞ、人は欲深いな。あんたは修羅界を見下していたが人界の連中も、儂らと何ら変わりないな」
閻魔大王は、ギリッと奥歯を噛みしめた。
「お前の目的はなんだ?」
すると阿修羅王は、意味深な笑みで言う。
「目的などない。儂ら修羅界の住人は、他人の不幸が好きなだけさ」
閻魔大王は怒りで身体が震えた。
「ほらほ~ら、黄泉は死者で溢れているぞ。どうする閻魔大王? 儂も裁くのを手伝ってやろうか?」
「貴様如きが、私と対等に話すな!」
小馬鹿にしたように阿修羅王は右手を上げ、勢いよく下に向けた。
すると、空間が裂け地獄の門が現れる。
「やめるんだ!」
地獄の亡者が溢れ出し、黄泉の国の死者の魂を次々に喰らってゆく。
阿修羅王と閻魔大王は睨み合ったまま動かない。
その時だった。
「兄上!」
「閻魔大王様!」
天照大御神と夜鬼丸が駆けつけた。
「羅天、夜鬼丸。人界はもうダメだ! 今は、修羅界の連中が黄泉の国の魂を喰らっている……」
天照大御神は拳を握りしめる。
そして、夜鬼丸は閻魔大王に言う。
「私は地獄の番人として、この様な状況は見過ごせません! 今すぐ地獄の門を閉じさせて頂きます」
「待て、夜鬼丸!」
閻魔大王は、夜鬼丸の腕を掴み引き止めた。
「…………?」
「もう、お前一人では無理だ。私にとって、夜鬼丸も部下も大切な家族……私が行く」
「閻魔大王様、それはダメです! 貴方様に万が一のことがあれば、誰が死者を裁き、冥界の秩序を守るのですか?」
黙って聞いていた天照大御神も口を開いた。
「兄上以外に閻魔大王は務まらん。天界からも援軍を呼び、余が現地に赴き指揮する。仮に余が消えても後任は羅瑠璃にやらせればよい。あの子には、刻の塔で待機し最悪、時間を戻すようにと伝えておる。そして……夜鬼丸よ」
急に名前を呼ばれた夜鬼丸は驚き、背筋をピンと伸ばした。
天照大御神は優しく微笑むと、夜鬼丸の肩に手を置く。
「兄上の側にいるのだぞ。お前は、閻魔大王の有能な秘書だからな。兄上を守るのが、お前の役目」
「羅天……必ず戻ってきてください」
天照大御神は、閻魔大王に視線を移す。
「兄上。夜鬼丸を頼んだぞ」
「羅天……行くな」
閻魔大王は声を振り絞った。
しかし、天照大御神は首を横に振る。
「兄上の泣きそうな顔は、本当に愛しいのう」
天照大御神は笑顔を見せ、消えてしまった。
冥界の住人は永遠の生命ではあるが、死は存在する。
同じ冥界の住人同士で争えば、魂は消滅してしまうのだ。
だからこそ、各界の住人は争うことはしない。
人と同じように欲はあるが一線を画す。
だが、修羅界だけは違う。
彼等は力で支配したい連中の集まり……。
──刻の塔に辿り着いた羅瑠璃と颯太は、天照大御神の指示に従い待機していた。
刻の塔には、悪しき者は近づけない術が施されている。
外部からの侵入も不可能だった。
二人は刻の塔の中心部、時を刻む大きな振り子時計の前に座っていた。
羅瑠璃は颯太を後ろから抱きしめ、頭を撫でながら言った。
「颯太……怖いか?」
颯太は首を横に振り微笑んだ。
「俺は、羅瑠璃がいるから大丈夫! それより閻魔大王様たちが心配だけど……負けたり……ンンッ⁉︎」
そう言いかけたところで、羅瑠璃に唇を塞がれてしまった。
暫くして、唇が離れると唾液の糸を引く。
そして、再び舌を絡ませながら深い口づけをした。
颯太はトロンとした瞳で、羅瑠璃を見つめた。
「パパたちは強い。ママだって強いんだ……でも、もしもの時は、僕は迷わず時間を戻す」
いつもより、羅瑠璃の口調が重い。
嫌な予感がした颯太は、羅瑠璃の袖をギュッと掴んだ。
「時間を戻したら、どうなるんだ?」
「人界が元に戻るだけだ。安心しろ」
「元に……って。冥界は?」
「颯太は人間だから、冥界のことは気にするな。ちゃんと平和な人界へ戻してやるから大丈夫だぞ」
そう言う羅瑠璃の表情は、もう出会った頃の可愛い羅瑠璃の面影はなかった。
さらに、大人の男性のように落ち着き、美しくもあり、凛々しくもあった。
羅瑠璃の長い髪が揺れるたびに、颯太の心も揺れ動く。
「羅瑠璃、俺も冥界に残るよ。だって俺たち結婚するんだろ? まだ式も挙げてないし」
「……そうだな」
羅瑠璃は颯太の首筋に舌を這わせた。
ゾクッとした感覚に襲われ、思わず身体を捩らせる颯太だが、羅瑠璃の力には敵わない。
そのまま耳を甘噛みされると、もう抵抗する力も抜けてしまった。
(あぁ……このまま時間が止まればいいのに)
颯太が心の中でそんなことを思った時だ。
──ボーンと、鐘の音が鳴る。
同時に、閻魔大王の声が響き渡った。
「羅瑠璃、時間を戻すんだ! 颯太の寿命は続く!」
羅瑠璃は静かに瞼を閉じ、颯太から身体を離した。
「颯太、必ず寿命を全うするんだぞ。颯太が僕を忘れても、僕はずっと愛している。こっちで待っているからな」
羅瑠璃は、颯太の鼻先に口づけをし振り子時計に手を翳した。
途端、目の前にいた羅瑠璃の姿が消える。
颯太は叫んだ。
「羅瑠璃っ!」
だが、その声は虚しく響きわたるだけだった。
時を刻む大きな振り子時計の針は、物凄い速さで逆に回りだした。
──ボーン、ボーン。
その間に、閻魔大王の声が再び聞こえてきた。
「颯太、全ての記憶は消えるが、愛する者は忘れないだろう……」
颯太の意識は徐々に薄れ、そして途絶えた。
──冥界はすっかり荒れていた。
「あ~ら、間に合ったようね。羅天、感謝してちょうだい。半分、消えかかってるじゃないの~。そんなんじゃ、うちの夜鬼丸を嫁になんてさせないわ」
閻魔大王の妻こと猫女の凛は、妖艶な笑みを浮かべながら手を差し伸べた。
「ハハ。義姉……感謝する。だが、阿修羅王には逃げられてしまった。羅瑠璃がいる刻の塔の方向へ……」
凛は、羅瑠璃のいる刻の塔の方角へ視線を向けた。
「心配無用だわ。愛することを知ったあの子の力は無限の強さ。それに羅瑠璃は、あたしの子だもの。そんなことより、傷ついた者たちを閻魔殿で手当てをしなきゃね」
凛はニヤリと笑う。
冥界は崩壊寸前のところで、妖鬼界から数万もの援軍を引き連れた凛によって救われた。
──刻の塔では、羅瑠璃と阿修羅王が対峙していた。
「どうして、あなたが刻の塔に近づけたんだ?」
羅瑠璃は、鋭い眼光で阿修羅王を睨む。
阿修羅王は微笑んだ。
「君は、あの時の子だね? 随分、美しく成長したね。儂の妻にしてやりたいところだが残念! 君のパパが許してくれないだろうね」
「黙れ! 本当は知っている。あなたが、刻の塔に近づける理由……」
初めて羅瑠璃と阿修羅王と出会ったのもここだった。
──なぜ、阿修羅王が近づくことができたのか?
羅瑠璃は本能で感じ取っていた。
『真の悪人ではないから』
「あなたは……僕を傷つけたりしない」
羅瑠璃は、阿修羅王を見据える。
「君はおめでたい子だね。儂が、君を傷つけないとでも? 本気でそんなことを言ってるのかい?」
「本気だぞ。倒し方も知っている。だって、あなたは子供と同じだから」
羅瑠璃は屈託のない笑顔で答えた。
すると、阿修羅王も笑いだす。
「ハッハッハ! 儂が子供と同レベルと? 面白いな。では、倒してもらおうか?」
羅瑠璃は深呼吸をしてから両手を広げ、阿修羅王をぎゅっと抱きしめた。
予想外な行動に、阿修羅王は動揺する。
「な……何をしている? 離せ!」
「あなたは、認められたかっただけでしょう? 阿修羅王はおバカさんだね。こんな事をしなくても、僕はあなたに憧れていたし、大好きだったのに……僕の初恋の人」
羅瑠璃は、阿修羅王の背中をポンポンと優しく叩いた。
「な……何を言って……」
優しい温もりが阿修羅王を包み込み、次第に身体から力が抜けていく。
羅瑠璃は、阿修羅王を抱きしめたまま話を続けた。
「あなたは悪さをし過ぎた。でも、それは仕方がないこと。だって、あなたは誰かに愛されていることに気づけなかったから」
羅瑠璃は、阿修羅王の顔を見つめた。
「僕から、あなたに愛をあげる」
羅瑠璃の唇が、阿修羅王の唇に触れる。
「ん……」
「もう、悪さはしないね? 約束だよ」
阿修羅王の瞳から一筋の涙が頬を濡らす。
瞬間、身体が黄金の輝きに包まれ、段々と光が消えていく。
──羅瑠璃の腕の中には、小さな赤ん坊が眠っていた。
「もう、あなたは阿修羅王なんかじゃないね」
こうして修羅界は消え、冥界は平和な世界を取り戻したのだ。
暫く、閻魔殿や他の界は再建に追われたが、冥界の住人たちは変わらずに暮らした。
ワガママだった羅瑠璃は、愛する力が認められ天界の神の一人となった。
一月五日、神奈川に大雪が降った日の逢魔が時。
オフィス街では、雪の降っている中を帰路につく人々が行き交い、あちらこちらで車が立ち往生していた。
そんな中……。
「あー寒っ。連休明けの仕事はキツかった~。ラーメンでも食べて帰ろうかな」
そう独り呟きながら、肩をすぼめて歩く二十代前半の男。
彼の名は、桜庭颯太。
ブラック企業で元気に働く、普通の社畜サラリーマン。
連休明けで疲れきった身体を引き摺りながら、いつもの帰り道を歩いていた。
ふとコートのポケットに手を入れると……。
(俺、何か入れたっけ? ゴミかな)
颯太はポケットの中に入っていた物を取り出した。
「ん? 何これ……首輪?」
黒い首輪には、小さな鈴が付いておりチリンと綺麗な音を奏でた。
どう見てもペット用の首輪にしか見えないが、颯太は何となくその首輪の裏を見てみる。
そこには文字が刻まれていた。
「……羅瑠璃? 犬? どうして、こんな物が俺のポケットに? う~ん。職場の誰かが間違えたのかもな。明日にでも聞いて……違う……羅瑠璃……」
颯太は──雪が舞い散る空を見上げた。
「俺が皺くちゃの爺さんになっても、待っててくれるのかな?」
『颯太、必ず寿命を全うするんだぞ。颯太が僕を忘れても、僕はずっと愛している。こっちで待っているからな』
──そして、桜庭颯太は生涯独身を貫き、七十五歳で人生の幕を下ろした。
『颯太! 待ちわびたぞ』 完
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
漫画版は、小説にはないエピソードも描いていきますので、お時間があればよろしくお願いします。
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ある日突然、超強火のオタクだった前世の記憶が蘇った伯爵令息のエルバート。しかも今の自分は大好きだったBLゲームのモブだと気が付いた彼は、このままだと最推しの悪役令息が不幸な未来を迎えることも思い出す。そこで最推しに代わって自分が悪役令息になるためエルバートは猛勉強してゲームの舞台となる学園に入学し、悪役令息として振舞い始める。その結果、主人公やメインキャラクター達には目の敵にされ嫌われ生活を送る彼だけど、何故か最推しだけはエルバートに接近してきて――クールビューティ公爵令息と猪突猛進モブのハイテンションコミカルBLファンタジー!

白金の花嫁は将軍の希望の花
葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。
※個人ブログにも投稿済みです。
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