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 十九話

 野狐とは?

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 暫くすると、分厚い閻魔帳を抱えて戻ってきた。

 夜鬼丸に閻魔帳を持たせたまま、閻魔大王はページを捲る。

 そして、鏡に映る加藤健人について読み上げた。

「加藤健人、二十六歳、A型。両親と三歳年下の妹が一人」

 夜鬼丸は、颯太に向かって閻魔帳を掲げ確認する。

「間違いないですか?」

 颯太は首を横に振った後、神妙な顔つきで言った。

「家族構成までは……知らなかったな。それで……彼は死んでしまうんですか?」

 閻魔大王は冷たく言い放つ。

「ああ。彼は野狐に喰われて死ぬ。人界の表向きの死因は心臓麻痺だ」

 颯太は拳を握りしめ、界鏡に映る楽しそうな加藤健人を見つめた。

「閻魔大王様、どうにか助けられないんですか?」

 閻魔大王は界鏡から目を離さず首を横に振った。

「無理だな。この男の死はもう決まっている」

「じゃ……じゃあ、小林さんから野狐を追い出す方法は?」

「そんな方法あるわけないだろ。颯太、何か勘違いしてないか? この女に野狐が取り憑いたわけではない。自ら野狐になり人間のフリをしているのだ」

「そ、そんな」

 颯太は床に崩れるように座り込んだ。

 閻魔大王が颯太を見下ろす。

「男のくせに女々しい奴だな。こんな欲求だらけの化け物より、私の羅瑠璃の方が数万倍の輝きを放ち、愛くるしいだろうが?」

 天照大御神も呆れたように笑う。

「うむ! 羅瑠璃の愛らしさは神級だからな!」

 すると、閻魔大王がハンッと鼻を鳴らす。

「なぁ~にが神級だ。そもそも羅天が天の裁きなどと言って、可愛い羅瑠璃を人界へ行かせることになったのだぞ。そしたら、こんな女々しい優柔不断の人間なぞに心を奪われる始末。まったく、羅瑠璃は……ブツブツ……」

 閻魔大王の説教に、天照大御神は耳を塞いだ。

「兄上、お説教が長い! もうよい」

「フン。まったく、羅天は兄の話を聞かないな」

 閻魔大王は、界鏡に映る小林愛美を見つめる。

 そして、声を低くし言った。

「颯太、この女は確かに人だった。だが、生まれつき野狐になってしまう要素が備わっていたのだろう。そこに、修羅界の連中が引き寄せられ力を分け与えた。だから、野狐になってしまったのだ」

「野狐になってしまう要素?」

 颯太は首を傾げる。

「そうだ。修羅界の話は聞いたな?」

 颯太は天照大御神が突然、自宅に現れた時のことを思い出す。

『修羅界の住人は戦いを好む者たちの集まりで、常に他者と比較し勝利のためなら手段を選ばない者、自身より他者を羨み、妬み嫉む者……』

 ある意味、人間ならば誰でも持っている欲求だ。

「ええ。天照様から聞きました。でも、小林さんが? そんな風には見えなかったけど……」

 閻魔大王は話を続ける。

「修羅界の住人は、その醜い部分を刺激する。だが、皆が悪になるわけではない。野狐にまでなってしまうのは元々、修羅の要素が強かっただけだ」

 颯太は、小林愛美が加藤健人に見せる笑顔との落差にゾッとした。

 自分もこの笑顔に惹かれていたというのに。

(……あの、優しい小林さんが? 信じられない)

 閻魔大王は話を続けた。

「この女は、人の言葉で言えば見栄っ張り。常に他者から自分がどう見られるか? 自分がどれだけ優れているか? 評価されることを求めている。その欲求が異常に強く、その為だけに罪もない人や動物を道具のように扱い、役に立たなければ殺す……」

『ピー!』と、界鏡の映像が途絶えた。

 法廷内に不穏な空気が漂う。

 閻魔大王は険しい表情で界鏡を見つめる。

 颯太は恐る恐る口を開いた。

「あの……今、何か見えませんでしたか?」

 一瞬の沈黙の後、閻魔大王が口を開く。

「何が見えたか言ってみろ」

 颯太は、閻魔大王の顔色を伺いながら答えた。

「え~と……小林さんの背後にグレーっぽい髪の色の男? 一瞬だったんでわからないけど……」

 閻魔大王は顔を引き攣らせていた。

「阿修羅王だ」

「えっ? じゃ……じゃあ、小林さんは……」

「……そうだ。この女は、阿修羅王の手下に成り下がっている」

 閻魔大王は界鏡に向かってゆっくり歩きながら、独り言のように呟く。

「もう、人界にまで入り込んでいるのか。阿修羅王め、野狐を増長させやがって……」

 その時、羅瑠璃が閻魔大王の背中に抱きついた。

「ねぇ~パパ。この件は、僕に任せてくれない?」

 閻魔大王は足を止め羅瑠璃に微笑んだ。

「お前には荷が重いと思うが……」

 羅瑠璃は、閻魔大王から離れて天照大御神に言った。

「ねぇ~叔父さんからもパパに言ってよ。僕が全ての界を救ってみせるから」

 天照大御神はピクっと眉を上げる。

「う~む、兄上よ。羅瑠璃の力をそろそろ解き放ってはどうだろうか?」

 天照大御神の問いかけに、閻魔大王は大きな溜息をつく。

「そうだな。そろそろ羅瑠璃にも本来の力を発揮してもらい、自立心を持たせる時期か……」

 閻魔大王は振り返ると、羅瑠璃の頭にポンと手を置いた。

「良いだろう。お前に阿修羅王の始末を任せる」

 羅瑠璃は嬉しそうにピョンピョン跳ねる。

「僕が阿修羅王を倒したら、颯太と結婚式を挙げたいんだ」

 しかし、少し困ったように閻魔大王は答える。

「羅瑠璃……その事だが……冥界の住人と人間は……」

 閻魔大王の言葉を遮り、羅瑠璃は瞳を潤ませた。

「パパ……お願い! 僕が妻にしたいほど愛した人なんだよ」

「だが……」と、言いかけた閻魔大王の袖を天照大御神が引っ張る。

「兄上よ。ここは、羅瑠璃に譲ってやれ。天界の未来を映すクリスタルでは、どうやら颯太と羅瑠璃には不思議な縁で結ばれておる」

 天界のクリスタルは界鏡と似ているが、役割は違う。

 界鏡は、過去と現在を映す。

 天界のクリスタルは、現在から見た未来を映し出す。

 しかし、未来は現在の行動で、直ぐに変わってしまうので天照大御神の部下の天使たちはフル稼働なのだ。



 ──閻魔大王は渋々、頷いた。

 羅瑠璃は瞳をキラキラ輝かせながら、天照大御神を見上げる。

 そして、しゃがむと天照大御神の両手を握りしめ、手の甲に口づけた。

「叔父さん、だぁ~い好き!」

 嬉しそうに微笑み合う二人を見て、颯太は呆気に取られていた。

(……え?)

 颯太の表情を見て、天照大御神は頬を赤らめる。

 途端、夜鬼丸が叫んだ。

「羅天! なぜ、頬を赤らめてるんですか!」

 その場にいた全員が一斉に夜鬼丸を見る。

 相当、驚いたのか? 閻魔大王は、口をぽかんと半開きにしマヌケな表情を浮かべていた。

「夜鬼丸……羅天……?」

 天狐と空狐は小声で囁き合う。

「怪しい……」

「ふふ。空狐、きっとそうだね」

 一同が驚くのも無理はない。

 夜鬼丸の立場で、天照大御神の名を呼び捨てにするなどありえないこと。

 一般企業で言えば、社長と他企業の秘書の関係なのだから。

「夜鬼丸は、余にお仕置きをされたいみたいだのう。後ほど、余の寝室に来るのだぞ」

 天照大御神は、人差し指を唇に押し当てる。

 赤鬼の夜鬼丸の肌は、ただでさえ赤いというのに、誰が見てもわかるほど更に頬を赤く染めていた。

「あ、天照様……な……なにを言って……」

 そこで閻魔大王が大きな咳払いをした。

「ンンッ! コホン」

 そういうことか⁉︎  と、颯太は羅瑠璃に耳打ちをする。

(まさか、あの二人って親密な関係?)

(その答えは、今晩わかるぞ。叔父さんは今日、閻魔殿の客室に泊まるから。僕の部屋の隣だぞ)

 言い終わると同時に羅瑠璃は、颯太の耳をペロっと舐めた。

「あぁん……くぅ~」

 耳の辺りを抑えて悶える颯太を見て、閻魔大王が割って入る。

「コホン! もうよい! 皆、聖なる法廷から出ていけ!」

 閻魔大王は眉間に皺を寄せて、羅瑠璃に言う。

「羅瑠璃よ……そろそろパパは死者を迎え入れる準備をしなければならない。阿修羅王の件は明日、話そう。それと、颯太!」

 閻魔大王は、颯太にビシッと人差し指を向ける。

「お前、勘違いするなよ。まだ。羅瑠璃との関係を認めたわけではないぞ! いやらしいことしたら許さんからな!」 

 羅瑠璃は頬を膨らませて抗議した。

「パパに認められなくてもいいもんね~。ママに認めてもらうから」

「なっ……なんだと⁉︎」

「ふふ~ん。颯太、僕の部屋を案内してやるぞ」

 羅瑠璃は颯太の手を取り、スキップしながら出て行ってしまう。

 ──二人が立ち去る姿を、閻魔大王は鬼の形相で睨みつけていた。
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