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番外編6
ストラングラーフィグ
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『標的の接近を確認。手筈通りに』
「了解」
通信を切って、息を潜めて待つ。身を潜めている派手な車にハイヒールの足音が近付いてきた。足音の主は有名な活動家で、先日もロビー活動の末に能力者に不利な法律の成立に関わったらしい。しかし、そんな情報はどうでもよかった。やるべきことは明確だ。ただ、標的とされた人間を殺すことだけ。
女が車に乗り込んでくる。運転席に座ってハイヒールから運転しやすい靴に履き替える。その瞬間に大きな隙ができることは把握していた。背後から手を伸ばし、その口を塞ぐ。そのまま指で女の首筋をなぞった。女は悲鳴を上げる間もなく絶命する。おそらく何をされたかもわからなかっただろう。指に纏った能力波は、人間の皮膚くらいなら簡単に切り刻める。凶器を使わない殺人は捜査を撹乱させるにはもってこいだ。同じ理由でタリタも重宝されているが、彼女は殺す前に相手を痛めつける悪癖がある。そのせいで発見されそうになったことが何度もあるのだ。
「――終わったよ」
『そうか。痕跡を残さないように離脱してくれ』
「了解」
車には爆弾が仕掛けてある。あと数分で、痕跡も何もかも燃えてしまうだろう。人を一人殺しても何の感慨も抱かない。自分というものを認識してから、毎日がこの調子だった。罪悪感もない。かといってタリタのように悦びも感じない。欠けた心は凪いだまま動かない――はずだった。
「お疲れ様。今日はこのあとは何もないから」「そうか」
職員の車に乗り込み、堂々とその場を後にする。防犯カメラなどの映像はリアルタイムで改竄されているという。どうやって警察の捜査の目を掻い潜っているかに興味はない。ただ、なぜだか体が重いと思った。
こんな姿を見たら、由真はきっと嫌がるのだろうと思う。出会った当初は確実に嫌われていた。平気な顔で人を殺すなんて信じられないと言われたこともある。普通ならそこで深く関わるのをやめるはずだが、何故か妙に由真のことが気にかかっていた。
他人を殺すのは嫌がるくせに、自分自身のことは平気で傷つける。嫌いだったはずの人間のことさえ気にしてしまう。それを優しいと言うことも、愚かだと言うことも、今のアルにはできなかった。
***
能力を使うためには代償が必要だ。それは人によって違う。記憶を使う人もいれば、体力を使う人もいる。一番多いのは感情だ。感情という大きなエネルギーを能力に変換する。アルはその中でも、負の感情を使う能力者だった。
しかし人工授精で生まれ、培養液の中で育ち、殺しに必要な情報だけを流し込まれた脳に、感情らしきものは芽生えなかった。怒りや悲しみを感じないどころか、それがどういうものかさえ理解できなかった。それでは満足に能力を使えない。だから蒔菜の能力で外から感情を植え付け、能力を使えるようにした。
しかし蒔菜はもうこの世にはいない。あるのは取り出された種から作られた、蒔菜の能力を他人でも使えるようにした装置だけだ。装置といっても、機械で動いているわけではない。原理は蒔菜の種を取り出した由真にさえよくわかっていないらしい。蒔菜が死んだあとは、それを使って能力使用に足るだけの感情を植え付けていた。
しかし弊害もあった。装置は蒔菜ほど上手く感情を調節できない。仕事が終わってからも力が溢れ、制御できない状況になることが増えた。蒔菜がいればそのときも対処できたが、もう彼女はいない。自分でどうにかするしかなかった。
施設に戻り、殺した女の血を落とすこともなく、アルは屋上に向かった。そこにはプールがあるが、夜には誰も来ないとわかっている。いや――本当は一人だけそこによく来ている人間がいるが、いることを期待してはいなかった。
屋上のドアを開けると、華奢な人影が見えた。プールサイドに腰掛けて、どこかぼんやりとした目で水面を見つめている。本人曰く、水が近くにあると落ち着くらしい。無表情に見えるが、今日は体調も悪くはなさそうだし、何より精神汚染の能力も使われていない。ただ純粋にぼんやりしているだけなのがわかり、アルは少し安堵した。
「――アル」
アルに気がついたその人影――由真が顔を上げた。少し低い声は何故だか耳に残る。
「隣、いいか?」
「いいよ」
由真の隣に腰掛けると、大きな瞳に覗き込まれた。けれどすぐに目を逸らされる。
「仕事……してきたんだね」
「まあ、少しだけな」
「大丈夫なの?」
由真はアルが今どういう状態にあるかを知っている。そして、蒔菜ほど繊細な調整はできないが、由真の能力でアルの能力を制御することもできた。由真はアルの手にそっと触れようとする。やろうと思えばその手で簡単に人を殺せるということを知っているはずなのに。
「――由真」
アルは先回りして、由真の細い首筋に手を伸ばした。その意味がわかっている由真は、何も言わずに自分の首筋を晒す。
「いいよ、アル」
「……いいってことはないと思うけどな」
その細い首に触れた手に、ゆっくりと力を込める。由真が微かな呻き声を漏らした。由真はアルの背中に手を回そうとする。由真の能力で種に直接触れることで、アルの能力を制御しようとしているのだ。しかしアルはそのまま由真を地面に引き倒し、背中に回そうとしていた腕を膝で押さえつけた。
「アル……っ、」
どうして、という問いは言葉にならなかった。アルはそのまま由真の首を絞め続ける。苦痛に歪む綺麗な顔を見ていると、説明のつかないような熱がせり上がってきた。
か細い声。少しずつ弱くなっていく脈。このまま続ければ取り返しがつかないことになることはわかっていた。けれど止めることができなかった。得体の知れない熱が全身を興奮させていく。
「……抵抗しないと死ぬぞ」
自分でそれを封じるようなことをしておいて、何を言っているのだろうと思う。けれどそんな言葉が口を突いて出た。でも、抵抗してほしいのだろうか。由真が苦しむ姿から目が逸らせなくなってしまっているのに?
指先にだけ纏わせていた能力を、まるで紐のように伸ばしていく。由真は少しだけ驚いた顔をした。そんなことをしたのは初めてだったからだろう。
「う……っ」
見えないものに全身を締め上げられ、由真は呻いた。このまま続けていれば危ないのは間違いない。
不意に、前に誰かがしていた話を思い出した。他の木を締め付け、寄生することで成長する木の話だ。それは締め付けていた中の木が枯れて中が空洞になっても生き続けるらしい。
このまま絞め殺せば、その木と同じになるだろうか。自分の内側で枯れていく姿を一瞬想像してしまって、アルは慌てて首を横に振った。
そっと手を離す。解放されてからも由真はぐったりとその場に横たわっていた。首には赤く手の痕が残ってしまっている。
「……ごめん」
「大丈夫……」
由真の声は掠れていて、まだ呼吸はしづらそうだった。由真は体を起こさないままでアルの頭を撫でる。由真は知っているのだろうか。先程までアルが感じていた歪な熱を。苦しむ姿に昂っていたことを。
そんな感情を抱いていいはずはないのに。言われるがままに人を殺していたときは何も感じなかったのに。
(タリタはこんなことじゃ悩まないんだろうな)
いっそそうなれてしまったらよかったのかもしれない。与えられたものを全うするだけではなく、心の底から楽しめるようなら。戯れに人を殺しても全く悪びれなく笑っていられるような人間なら、苦しむことはなかっただろう。
「もういいの?」
「……あれ以上続けてたら無事じゃ済まないだろ」
「別にそれでもいいけど」
たまに恐ろしくなってしまう。このままいつか歯止めが効かなくなってしまいそうで。そのときに由真が抵抗してくれると自信を持って言えなくて。
中身ががらんどうになったストラングラーフィグの姿が頭から離れなかった。それはもしかしたら未来を暗示しているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。ゆっくりと体を起こした由真の隣に座り、アルはプールの水面を見つめていた。
***
結論から言えば、あのときの予感は当たっていたのかもしれない。けれど予想していたのとは違う未来が待っていた。言ってしまえば、今の方がずっと由真をとり殺してしまう可能性がある。このままだと少しずつ蝕んでいき、由真の自我を奪ってしまうのだ。
そんなことになるくらいなら――という気持ちが強いのは事実だ。けれどどこかで、そうなってしまう未来を考えていることもある。自分の内側で、少しずつ枯れていく姿を見ていたいような、そんな願望が確かにある。
(最悪だ……)
自分の体が失われている状況では、熱を発散することすらままならない。傷つけたくないと思っているのに、同時に苦痛に歪む顔が見たくなってしまう。それは支配欲なのか、ただの嗜好なのかはわからない。でも、それが愛情という言葉で言い表せるものでないことだけは確かだった。
「了解」
通信を切って、息を潜めて待つ。身を潜めている派手な車にハイヒールの足音が近付いてきた。足音の主は有名な活動家で、先日もロビー活動の末に能力者に不利な法律の成立に関わったらしい。しかし、そんな情報はどうでもよかった。やるべきことは明確だ。ただ、標的とされた人間を殺すことだけ。
女が車に乗り込んでくる。運転席に座ってハイヒールから運転しやすい靴に履き替える。その瞬間に大きな隙ができることは把握していた。背後から手を伸ばし、その口を塞ぐ。そのまま指で女の首筋をなぞった。女は悲鳴を上げる間もなく絶命する。おそらく何をされたかもわからなかっただろう。指に纏った能力波は、人間の皮膚くらいなら簡単に切り刻める。凶器を使わない殺人は捜査を撹乱させるにはもってこいだ。同じ理由でタリタも重宝されているが、彼女は殺す前に相手を痛めつける悪癖がある。そのせいで発見されそうになったことが何度もあるのだ。
「――終わったよ」
『そうか。痕跡を残さないように離脱してくれ』
「了解」
車には爆弾が仕掛けてある。あと数分で、痕跡も何もかも燃えてしまうだろう。人を一人殺しても何の感慨も抱かない。自分というものを認識してから、毎日がこの調子だった。罪悪感もない。かといってタリタのように悦びも感じない。欠けた心は凪いだまま動かない――はずだった。
「お疲れ様。今日はこのあとは何もないから」「そうか」
職員の車に乗り込み、堂々とその場を後にする。防犯カメラなどの映像はリアルタイムで改竄されているという。どうやって警察の捜査の目を掻い潜っているかに興味はない。ただ、なぜだか体が重いと思った。
こんな姿を見たら、由真はきっと嫌がるのだろうと思う。出会った当初は確実に嫌われていた。平気な顔で人を殺すなんて信じられないと言われたこともある。普通ならそこで深く関わるのをやめるはずだが、何故か妙に由真のことが気にかかっていた。
他人を殺すのは嫌がるくせに、自分自身のことは平気で傷つける。嫌いだったはずの人間のことさえ気にしてしまう。それを優しいと言うことも、愚かだと言うことも、今のアルにはできなかった。
***
能力を使うためには代償が必要だ。それは人によって違う。記憶を使う人もいれば、体力を使う人もいる。一番多いのは感情だ。感情という大きなエネルギーを能力に変換する。アルはその中でも、負の感情を使う能力者だった。
しかし人工授精で生まれ、培養液の中で育ち、殺しに必要な情報だけを流し込まれた脳に、感情らしきものは芽生えなかった。怒りや悲しみを感じないどころか、それがどういうものかさえ理解できなかった。それでは満足に能力を使えない。だから蒔菜の能力で外から感情を植え付け、能力を使えるようにした。
しかし蒔菜はもうこの世にはいない。あるのは取り出された種から作られた、蒔菜の能力を他人でも使えるようにした装置だけだ。装置といっても、機械で動いているわけではない。原理は蒔菜の種を取り出した由真にさえよくわかっていないらしい。蒔菜が死んだあとは、それを使って能力使用に足るだけの感情を植え付けていた。
しかし弊害もあった。装置は蒔菜ほど上手く感情を調節できない。仕事が終わってからも力が溢れ、制御できない状況になることが増えた。蒔菜がいればそのときも対処できたが、もう彼女はいない。自分でどうにかするしかなかった。
施設に戻り、殺した女の血を落とすこともなく、アルは屋上に向かった。そこにはプールがあるが、夜には誰も来ないとわかっている。いや――本当は一人だけそこによく来ている人間がいるが、いることを期待してはいなかった。
屋上のドアを開けると、華奢な人影が見えた。プールサイドに腰掛けて、どこかぼんやりとした目で水面を見つめている。本人曰く、水が近くにあると落ち着くらしい。無表情に見えるが、今日は体調も悪くはなさそうだし、何より精神汚染の能力も使われていない。ただ純粋にぼんやりしているだけなのがわかり、アルは少し安堵した。
「――アル」
アルに気がついたその人影――由真が顔を上げた。少し低い声は何故だか耳に残る。
「隣、いいか?」
「いいよ」
由真の隣に腰掛けると、大きな瞳に覗き込まれた。けれどすぐに目を逸らされる。
「仕事……してきたんだね」
「まあ、少しだけな」
「大丈夫なの?」
由真はアルが今どういう状態にあるかを知っている。そして、蒔菜ほど繊細な調整はできないが、由真の能力でアルの能力を制御することもできた。由真はアルの手にそっと触れようとする。やろうと思えばその手で簡単に人を殺せるということを知っているはずなのに。
「――由真」
アルは先回りして、由真の細い首筋に手を伸ばした。その意味がわかっている由真は、何も言わずに自分の首筋を晒す。
「いいよ、アル」
「……いいってことはないと思うけどな」
その細い首に触れた手に、ゆっくりと力を込める。由真が微かな呻き声を漏らした。由真はアルの背中に手を回そうとする。由真の能力で種に直接触れることで、アルの能力を制御しようとしているのだ。しかしアルはそのまま由真を地面に引き倒し、背中に回そうとしていた腕を膝で押さえつけた。
「アル……っ、」
どうして、という問いは言葉にならなかった。アルはそのまま由真の首を絞め続ける。苦痛に歪む綺麗な顔を見ていると、説明のつかないような熱がせり上がってきた。
か細い声。少しずつ弱くなっていく脈。このまま続ければ取り返しがつかないことになることはわかっていた。けれど止めることができなかった。得体の知れない熱が全身を興奮させていく。
「……抵抗しないと死ぬぞ」
自分でそれを封じるようなことをしておいて、何を言っているのだろうと思う。けれどそんな言葉が口を突いて出た。でも、抵抗してほしいのだろうか。由真が苦しむ姿から目が逸らせなくなってしまっているのに?
指先にだけ纏わせていた能力を、まるで紐のように伸ばしていく。由真は少しだけ驚いた顔をした。そんなことをしたのは初めてだったからだろう。
「う……っ」
見えないものに全身を締め上げられ、由真は呻いた。このまま続けていれば危ないのは間違いない。
不意に、前に誰かがしていた話を思い出した。他の木を締め付け、寄生することで成長する木の話だ。それは締め付けていた中の木が枯れて中が空洞になっても生き続けるらしい。
このまま絞め殺せば、その木と同じになるだろうか。自分の内側で枯れていく姿を一瞬想像してしまって、アルは慌てて首を横に振った。
そっと手を離す。解放されてからも由真はぐったりとその場に横たわっていた。首には赤く手の痕が残ってしまっている。
「……ごめん」
「大丈夫……」
由真の声は掠れていて、まだ呼吸はしづらそうだった。由真は体を起こさないままでアルの頭を撫でる。由真は知っているのだろうか。先程までアルが感じていた歪な熱を。苦しむ姿に昂っていたことを。
そんな感情を抱いていいはずはないのに。言われるがままに人を殺していたときは何も感じなかったのに。
(タリタはこんなことじゃ悩まないんだろうな)
いっそそうなれてしまったらよかったのかもしれない。与えられたものを全うするだけではなく、心の底から楽しめるようなら。戯れに人を殺しても全く悪びれなく笑っていられるような人間なら、苦しむことはなかっただろう。
「もういいの?」
「……あれ以上続けてたら無事じゃ済まないだろ」
「別にそれでもいいけど」
たまに恐ろしくなってしまう。このままいつか歯止めが効かなくなってしまいそうで。そのときに由真が抵抗してくれると自信を持って言えなくて。
中身ががらんどうになったストラングラーフィグの姿が頭から離れなかった。それはもしかしたら未来を暗示しているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。ゆっくりと体を起こした由真の隣に座り、アルはプールの水面を見つめていた。
***
結論から言えば、あのときの予感は当たっていたのかもしれない。けれど予想していたのとは違う未来が待っていた。言ってしまえば、今の方がずっと由真をとり殺してしまう可能性がある。このままだと少しずつ蝕んでいき、由真の自我を奪ってしまうのだ。
そんなことになるくらいなら――という気持ちが強いのは事実だ。けれどどこかで、そうなってしまう未来を考えていることもある。自分の内側で、少しずつ枯れていく姿を見ていたいような、そんな願望が確かにある。
(最悪だ……)
自分の体が失われている状況では、熱を発散することすらままならない。傷つけたくないと思っているのに、同時に苦痛に歪む顔が見たくなってしまう。それは支配欲なのか、ただの嗜好なのかはわからない。でも、それが愛情という言葉で言い表せるものでないことだけは確かだった。
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