月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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三番目の足跡

3・再会の前には別れがある

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 穏やかな日常は突如崩された。無差別に放たれる能力によってみんな切り刻まれ、命を落としていく。
「咲くとこんなに強くなっちゃうんだ」
 自分自身を箱の中に閉じ込めて、その中から外の様子を窺う。アルコルの能力は多数を相手にするのは苦手だったはずだが、今は彼の体から常に能力波の刃が放たれている状態だ。その赤みがかった緑の瞳にはもう何も映っていない。だけどそこにたったひとつの感情だけが浮かんでいた。
「あの子のためなら、そこまで怒れるんだねぇ」
 何があったのかはわからない。でも、今の彼の目に映ることが出来る人がいるのならば、それはきっと彼女だけなのだろうと思った。周囲は混乱していて、誰も私に注意を配っていない。今ならこの状況に乗じて好き放題出来る、と私はひらめいてしまった。
「バイバイ。もう会うことはないだろうけど」
 ここで死ぬつもりはない。だって私はまだまだ殺し足りないから。私は裏口に向かって走り、邪魔する人たちを殺しながら外の世界に辿り着いた。この先のことは何も考えていなかった。でももうこの場所は終わりだ。仕方がない。私にとって楽しい場所を探しに行かなければ。

 その日から二週間のうちに三人の人を殺した。三人目を殺したところで、若い男に声を掛けられた。
「……よくも人の駒を殺してくれたな?」
「この人あなたの知り合い? ごめんね、殺しちゃった」
「ここまで心のこもってない『ごめんね』は初めてだよ」
 その人からは嘘と血の匂いがした。けれど自分では手を下さないタイプ。同種の人間をこの前まで見てきた。
「何者だ、お前」
「んー、この前まではιUMaタリタって呼ばれてたよ。本名はねぇ……忘れちゃった」
「その命名には覚えがある。北斗の家の関係者か?」
「そうだよ」
「一人だけ保護されたけど、あとは全滅したと聞いていたが……他に生き残りがいたのか」
 一人だけ生き残った、という話は初耳だった。この二週間、世の中の状況は全く把握せずに生きてきたのだ。人を殺して、その人の所持金を拝借して、そのお金で色々な場所を転々としていたのだ。
「僕の駒にならないか?」
「駒って何するの?」
「これまでやってきたこととおそらくそう変わりはしない。僕が殺せといった人を殺すだけの簡単な仕事だ。本当は他の奴に頼んでいたんだが、そいつは残念ながらお前が今殺してしまった」
「別にいいよ。でも沢山殺させてくれなきゃダメだよ」
 男は呆れたように笑った。そしてにこやかに黒革の手袋をした手を差し出す。私は右手に箱を出現させてそれを潰そうとした。しかしなぜかその箱はどれだけ力を入れても潰せなかった。
「僕の能力の射程内に入って、簡単に力が使えると思ったら大間違いだよ」
「強いんだねぇ、あなた。どういう能力?」
「空間支配能力だ。月島の名前を聞いたことはないか?」
 前に角田が強い能力者の家系だと言っていた気がする。月島家と友好関係を築けば、政界にもパイプを持つ彼らの力を使って計画が進められると思っていたらしいが、月島家は他の能力者と対等な関係を築くつもりは毛頭なく、その計画は頓挫してしまったという。他に能力者の名家といえば進藤家や不破家もあるが、目的は似通っているのにそれほど仲は良くなく、バラバラに活動していたのだ。
「僕は能力者の世界を作り、七星をも超えてその頂点に立つのが目標だ。協力してくれるかい?」
「私は目標なんてどうだっていい。ただたーくさん人を殺したいだけ」
「明確だな。だったら僕は君に多くの人を殺す機会を与えよう」
 それが月島創一との出会いだった。彼が邪魔だと思う人を私は片っ端から殺していったし、たまに拷問の手伝いもした。彼の計画なんて正直どうでも良かったから、彼が何を作っているかなんて知らなかった。
 それを知ることになったのは創一の下についてから数年後のことだった。
「アズール? これ使えば強くなるってこと?」
「その代わり僕の駒になってしまうけどね。これは種に外側からとりついて、中のものを吸い上げていく。最終的には開花と同様の状態まで持って行ける」
「でもそうなったら死んじゃうね?」
「使い捨ての駒なんだからそんなことはどうだっていいだろう」
「創一様って本当にそういうとこ、人として終わってますよね」
「サイコパスに言われるとは心外だ」
「私はただ人の悲鳴を聞くのが大好きなだけですよぉ」
 別に創一が人でなしだとかそういうことは私には関係なかった。お互いにお互いを利用しているだけだ。私は今の環境に満足していたのだ。
「開花した人間に対抗できる人なんていない。いるとしたら……いや、いないな」
「それがηUMaアルカイドのことなら、いると思いますよ」
「知ってるのか? 確か北斗の家は七星を二人確保していたと聞いていたけれど……」
「だってたった一人の生き残りがそのηUMaアルカイドだもん」
 北斗の家で何が起きたのか、創一には知っていることは全部話した。でも彼がただ一人殺せないだろう人のことと、その人がたまたま種に関する能力を持つ唯一の能力者であることは、話す必要がないと思ったから話さなかっただけだ。
「……お前だったら殺せるか?」
「向こうが本気で能力使ってきたら能力者である限り勝てないですよぉ? 種取られちゃったら終わりだもん。でも射程はすごく短いから、そこが弱点だけど……」
「その生き残りについては予め調べて置いた方がいいだろうな」
 何の因縁なのだろうか。もう由真にも会うことはないと思っていたけれど、そのうち戦うことになりそうだ。私は創一が目の前に置いた錠剤が入った瓶を指先で転がした。
 暫くして、創一は言ったとおりに由真の現在について調査したらしい。今は調停人として働いているらしい。創一が手に入れたという映像を、私は買ってきてもらったプリンを食べながら眺めていた。
「まさかこんな小さなところが二人も七星を擁しているとは。なかなか厄介だな」
「でも、もう一人は戦闘向きじゃないんでしょ?」
「定義する能力っていうのは案外厄介だ。この組み合わせなら、アズールへの対抗手段を生み出しうる可能性が十分にある」
「ふぅん。まあどうでもいいんだけど」
 そんなことよりも、問題は由真が使っている能力の方だった。種に関する能力は由真本人のもの。でも、もうひとつ――彼女が使っていたのはアルコルの能力だったのだ。
「確か他人の種を取り込む実験もしてたはず……だったら、これは彼の種を取り込んだってことになるのかな」
 実験では開花前の、普通の能力者の種を取り込んでいたはずだ。それなのに土壇場でいきなり開花した種を取り込む荒業をやってのけたということか。そんなことをした理由はひとつしかない。
「いいねぇ、愛だねぇ」
「どうかしたのか?」
「何でもないですよ。でも、今の状態で私が勝てるかって聞かれたらちょっと難しいですよ」
 アルコルとの模擬戦でも、彼に勝てたことはなかった。二人の能力の組み合わせかつ、能力依存の戦い方という私の弱点を知られている以上、勝てる見込みはあまりない。けれど希望があるとすれば――。
「完全には使いこなせてない? いや、わざと弱体化させてる?」
 アルコルの能力は、本来剣など持たなくても使える。能力で見えない剣を作ることも出来るし、体に能力を纏わせて防御することも出来る。由真がそれをしていないのは、何らかの事情でアルコルの能力を完全に使えていないと考えられる。
「どっちにしろ、また会えるとは思わなかったなぁ」
 私は映像を見ながら微笑んだ。映像の由真の目は呑み込まれそうなくらい深い黒色だ。けれどその目に宿る光を私は知っていた。
「好きな人同士って似るのかしら。それとも、影響を受けてるのかしら?」
 おそらくその能力に感情を使うからなのだろう。アルコルが人を殺すとき、その目には普段はあまり見えない強く複雑な感情が浮かんでいた。その目が眩みそうな強い光をもう一度見ることが出来るとは思わなかった。それが由真のものなのかアルコルのものなのかなんていうのは、私にとってはどうでもいい違いだった。



「ようやく本気の目をしてくれた。――会いたかったよ、ηUMaアルカイド

 彼女の友人を陥れ、攻撃を仕掛けようとした瞬間の出来事だった。胸を押さえながらも立ち上がり、何も言わずに私を睨み付けたその目。私は想わず顔の下で手を組んだ。表面に出ている意識はあくまで由真のものだ。目の前にあるのは彼女の感情。けれどその怒りが、負の感情がもう一人を呼び覚ましている。何も言わずに私に向かってきた由真は、そのまま躊躇いなく私の左腕から下を斬り落とした。その怒りのまま殺してしまえば良かったのに。私とは正反対の彼女は、やっぱり甘いと思った。その中には爆発しそうなほどの烈しさを隠しているのに。人を心の底から憎めるほどに、誰かを愛せる人間なのに。
「うふふ……すっごぉく痛い……生きてるって感じ……」
 気分が高揚している。だってまた会えたのが嬉しかったから。あのとき、もう二度と会えないと思っていたものが、今目の前にあるから。
 由真の脚を両方使えなくしてから、私はゆっくりと彼女に近付いた。ここまで近付いてしまうと、彼女の能力の射程に収まってしまいかねない。けれどもう動くことは出来ないだろう。片腕も、両足も、もう使えないのだから。彼女は最後にどんな悲鳴を上げてくれるのだろうかと期待しながらしゃがみ込んだ私は、次の由真の行動に驚かされることになった。
「負けるのはそっちの方。私の仲間を攻撃しようとしたこと、死ぬまで後悔すればいい」
 私は笑った。これでおしまいだ。由真はきっと私の状態には気付かないで戦っていたのだろう。ここで由真に能力を使われたら私は死ぬ。それを納得した上で私は今ここに立っている。
「タリタ……どうして」
「だっていっぱい人を殺せるように、すっごく強くなりたかったんだもの」
 いや、本当はこの場に立つ資格がほしかったのだ。ドーピングしたら勝てるかもしれないと創一に思わせなければならなかった。そしてその目的は既に果たされた。
「――理解できない」
「私も、由真ちゃんのこと全然理解できない。人を殺すのはとっても楽しいことなのに、あなたはいどうしていつもそんなにつらそうなの?」
 それは由真だけではなく、その内側にいるはずの彼への言葉でもあった。いつしか彼も由真と同じように、人を殺すことに躊躇いを感じるようになってしまっていた。いや、元から楽しいとは全く思っていなかったのだ。私たちはその点で、永遠に理解し合えない。
 けれど、私たちは本当に正反対だったのだろうか。交わらない二本の線は平行で、だからこそ似ていたのではないだろうか。――たとえば、同じ人のことが気になってしまっていただとか、そういうことが。
「私はね、後悔はしてないわ。だってこれまで沢山色んな人の悲鳴を聞けたし、いっぱい殺せたし――最後にあなたの本気を見ることができた」
「タリタ……あんた」
 由真は敵であった私のことさえ、殺すのを躊躇うような人だ。私は最後まで二人のような愛を知ることはなかったけれど、私にはないその激しく美しい輝きを羨ましく思うこともあった。
 種を抜かれて、力が抜けた私の体を由真が支える。
「うふふ……優しいのね、由真ちゃん……。由真ちゃん優しいから……最後にいいものをあげる……」
 使い方は彼女次第だ。
 別に創一に恨みがあったわけではない。ただ、人を見るとその人の殺し方を考えてしまうような私が、創一の殺し方を考えていないはずがなかった。ただそれだけだ。私の種はもうほとんどがらんどうだけれど、その欠片にも一回力を使う分くらいは残っているはずだ。
 由真が種を壊した後の欠片はどこへ行くのか。実は彼女はその欠片を取り込んでしまうのだ。だからそれが積み重なって自家中毒を起こす。でもその欠片たちを受け入れてしまえば彼女の自我が失われる。一回分の私の力を使わずに拒絶することも、使って創一を殺すことも出来る。選択権は由真の手に委ねられた。
 残念なのは、その決断を私は見届けることが出来ないということだけだ。

 好きだったのか、と聞かれると、わからないと私は答えるだろう。
 私の全ての感情は殺意に変わってしまうから、好きも嫌いも全部殺したいだけだった。
 だからこれだけは確実に言える。

 私はずっと、あなたのその美しい瞳を殺したかったのだ――と。
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