月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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旧校舎の幽霊

21・記憶

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「引き摺り出すってどういう――」
「向こうの世界じゃこっちは勝てないから、こっちの世界で勝負するの。振り落とされないでよ、星音」
「え」
 星音が身構える前に由真はポケットから小さな缶のようなものを出した。片手で蓋を開けて、何もない空間にそれを投げつける。その瞬間に奇怪な叫び声が聞こえた。
「由真さん、あれは」
「理世子の能力を溜めたビー玉を、特殊加工した缶に入れたやつ。幽霊限定の小型爆弾みたいなもんだね。でも缶の方が特殊だからまだ三つしか作れてない」
「……で、これからどうするんですか?」
「もちろん外に出るよ」
 幽霊が黒い腕を伸ばして追いかけて来る。由真はそれを振り切るように階段を駆け下り、一気に外に躍り出た。そこには既に理世子と寧々、そして心配そうな顔をしたカナエが待っていた。
「寧々!」
 由真が叫ぶと、寧々は微笑みながら右眼の眼帯を外した。いつもならば決まった言葉を唱えるところだが、寧々は何も言わずにただ目の前の空間を見つめた。その瞬間に旧校舎の扉がひとりでに閉まった。
「これでもうしばらく旧校舎には戻れないわよ。――さて、決着をつけましょうか、旧校舎の幽霊さん」
 寧々が宣戦布告をする。それに怒ったのか寧々に向かって伸ばされた腕を青色に輝く矢が射抜いていく。
「理世子!」
 由真が叫ぶ。理世子は数本の矢をつがえながら頷いた。由真は星音を安全な場所に下ろしながら小声で言う。
「理世子にあの幽霊の周りの部分を削いでもらう。でも本体をどうにかしないと結局何もできないから」
「勝てるんですか?」
「正直わからない。理世子の能力も連続使用には限界があるし。でも負けるわけにはいかない」
 星音は頷いた。今自分にできることはないけれど、勝利を祈ることはできる。前線に向かっていく由真の背中を星音は静かに見送った。



 理世子の活躍によって、幽霊の力は確実に削られている。このままいけば寧々の作戦通り本体に辿り着くのも時間の問題だ。けれどそれだけでいいのだろうか――由真は迷いながらも理世子のサポートに回っていた。
 他者の罪や穢れを消すことによって重宝されつつも忘れられていく能力者の家系。その中で、忘れられたくないと願った幽霊。このまま倒してしまえばおそらく幽霊の望みは完全に砕かれる。それでいいのだろう。この幽霊は由真を殺そうとしたし、星音やカナエも危険な目に遭った。これは敵なのだ。それでも――気になってしまう。
 けれど攻撃の手を緩めるわけにはいかない。寧々に託された理世子の力を溜めた缶はあと二つ。右目に大きな負担をかけずに作るのはこの数が限界だった。できれば一発で決めなければならない。そのためには迷いはない方がいいのはわかっている。
 不意に由真の右手が意思とは関係なく僅かに動いた。そこに確かにアルの気配を感じる。
「迷いがあってもいい。それが由真の正直な気持ちなら、必ず剣は届く」
 由真の喉を微かに震わせて、アルが言う。それが由真の正直な気持ちなら――という言葉に、由真は静かに頷いた。一発に賭けるその剣に迷いなんてない方がいいに決まっている。けれどこのまま倒していいのかどうか由真は迷っている。けれどとにかく幽霊の心の一番奥にまで届かなければ何の意味もない。心を決めて、由真は剣を構えた。理世子の放った矢によって攻撃に生まれた一瞬の隙を狙って地面を踏み込み、懐に潜り込む。そして小さな缶を目の前に放り投げ、それごと幽霊の本体を貫いた。
 由真の力だけでは、この世界で幽霊に攻撃を加えることはできない。けれど理世子の力を混ぜ合わせた剣は死者にも届く。
 幽霊の少女を取り囲んでいた黒いものがその瞬間に消え去り、少女は地面に倒れ込んだ。少女が由真を睨みつける。
「あなたは最後まで……私を邪魔するのね……私はただ、忘れられないものになりたかっただけなのに」
 由真は静かに少女を貫いた剣を消す。血が流れたりはしない。幽霊には実体がないのだ。ただ剣を突き立てた場所からその体が少しずつ火の粉のようになって崩れていくのが見えた。
「……あなたを覚えてくれる人は、すぐそばにいたはずだよ」
「そんなことないわ。だって私たちは……忘れられる家なのだから」
 そんな二人のところに叫び声を上げながら駆け寄って来る人影があった。進藤だ。妹の名前を呼びながら、そこにいる由真のことには一切構わずに消えゆく体の前に跪く。
「すまない……お前の望みを叶えてはやれなかった」
「兄さん……」
「これは、お前がずっと望んでいたことなのに……僕は何度もしくじってしまったから」
 由真は二人を見ながら、落ち着いた声で言う。
「先生はどこかで、止めてくれる人が現れるのを待っていたんじゃないんですか?」
「え?」
「手が込んでいる割に杜撰なところが多くて、だから私たちはその計画を止めることができた。星音だって、あんな時間のかかる殺し方を選ばなければ今頃死んでただろうし。少なくともカナエから連絡をもらって、私たちがここに来るまでの時間はあった」
「それは……」
 本気で妹の願いを叶えたいとは思っていたのだろう。けれど進藤には迷いがあったように由真には見えた。
「妹が完全な怪異になってしまうのは、嫌だったんじゃないの?」
「君は僕がそんな殊勝な人間に見えているのかい?」
「星音やカナエにしたことは許せない。あれだってあなたの本心だったとは思うし。それでも、人殺しが人を愛せないわけではない」
 たとえたくさんの人の命を奪った悪人であっても、人を愛することはある。誰かを大切に思うことはできる。それどころか、誰かを愛する気持ちこそが人を殺してしまうことすらある。人の心は一つの色で染め上げられているわけではないのだ。
「それが環の願いとわかってはいた。けれど……大切な妹が異形となっていくのは……」
「だから私と戦ったときは、怪異の力を使わなかったんでしょ? 罪を消す能力が使えるのは一人一回だけ。今あなたが捕まったら、あなたは普通に裁かれるしかなくなる」
 殺意がなかったとは言わない。けれどそこには迷いがあった。殺すまでの猶予を欲しがっていた。進藤のその感情は――由真にはよく理解できるものだ。今も由真は、一瞬で幽霊を消し去れる場所を選ぶことはできなかった。待っていればいずれその存在は消えてしまうだろう。けれどそれまでの時間を少しでも延ばしたかった。
「――あなたは誰からも忘れられてしまうと言ったけど」
 忘れられたくないと思う気持ちに嘘はない。そして何かを成したところで決して名前が残らない家に生まれついてしまったことの苦しさの全てを由真が知ることはできない。けれど、ひとつだけ伝えなければならない。
「あなたのお兄さんは、あなたのことを決して忘れないと思う」
 幽霊の姿はもうほとんど消えかかっている。言葉が届くかどうかはわからない。けれどこれ以上は何も言わない方がいいだろう。由真は目を閉じ、泣き崩れる進藤に背を向けた。
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