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旧校舎の幽霊

15・糖分補給

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「寧々」
 学生組が学校に行っている間の喫茶アルカイドは、由真と寧々が二人で店を回している。今日はモーニングを注文する常連が帰ったあとは、まばらに客が来るだけだった。そんな中、カウンターで食器を拭いていた由真がグループチャットに気が付き、寧々を呼ぶ。
「これはかなりクロに近付いたわね。それにしても文芸部か……」
「文芸部がどうかしたの?」
「あの旧校舎の幽霊の話を一番詳しくまとめている話が載っているのが文芸部の部誌なのよ。部誌はペンネームしか載らないから誰が書いたのかはわからないんだけど……発行された時期は、在学期間と一致してる」
「どういうこと?」
「あれを書いた張本人が今幽霊になってる可能性があるってことよ。ちなみに兄の方の在学期間とは被らないの」
 いずれにしても進藤という教師が何かを知っているのは確実のようだ。理世子の話も気にかかる。理世子はあの幽霊に違和感を覚えているようだった。
「そして進藤家ね……旧家なのは確かなんだけど、月島家に比べると本当に目立たないのよ」
「目立たない?」
「なんであんなに大きい家になったのか全くわからない、だから『忘れられた家』なんて呼ばれることもあるわ」
「能力としてもそこまで……っては感じはするね。月島の能力は正直思い出したくないけど」
 空間支配能力という、有効範囲が狭いという欠点を除けばあらゆるものを思い通りにできるという力を持った月島家に比べれば遥かに地味だ。そして、寧々の言葉とあの幽霊の言葉が奇妙に符合するのも気になる。
「忘れられたくない……っていうのは、それと関係あるのかな」
「関係あるかもしれないし、ないかもしれない……まだわからないわね」
「補習の時間ってことは授業のあとだよね。ちょっと様子見に行こうかな」
 もし本当に何か関わっているのだとしたら、戦闘力を持たない二人が相対するのは危険だ。由真の言葉に、寧々は真剣な顔で頷いた。



「補習で寝る度胸がすごい……」
 本来の対象者は星音ではなくカナエのはずなのに、当のカナエはもふもふを枕に寝てしまっている。補習の意味がなさすぎる。そんなカナエを見て進藤が溜息を吐く。、
「補習で堂々と寝る生徒は初めて見たぞ、不破……そうだな。少し疲れたし休憩にするか。勉強には適度な休憩も必要だからな」
 そう言って、進藤は鞄からおやつを出してきた。とはいえ大体がぶどう糖のタブレットだ。理世子のケーキに慣らされてしまった星音には味気なく思える。けれどくれるものはありがたくもらっておく性分なので、星音はそのうちの一つを取って、六角形の白い塊を口の中に放り込んだ。隣ではカナエが目を擦りながら同じことをしている。
「糖分補給は大事だぞ。頭を使ったときはこれに限る。あと瀧口は能力使ったときも必要だろう?」
「そうですけど、何で知ってるんですか?」
 進藤に言った覚えはない。危険な能力の持ち主は教師間での情報のやり取りがあるようだが、星音は能力も安定しており、発動条件も限定的な上に傷を治すという効果から、あまり警戒はされていないはずなのだが。
 進藤が何かを言おうとした瞬間に、カナエが勢いよく立ち上がった。
「先生。……何考えてるんですか」
 カナエの厳しい表情を初めて見た。戸惑う星音をよそにカナエは口の中に含んでいたタブレットをティッシュに吐き出す。
「個包装のものだったから油断した……星音もそれ以上食べちゃダメ」
「もうちょっと早く言うてや……」
 それでも三分の二は食べずに残っていた。カナエと同じように吐き出したそれをよく見ると、白い層の内側にうっすら青みがかった層があるのがわかった。
「盛るにしても、個包装のお菓子を選ぶくせに随分と雑だし。妹さん、ミステリーを書くのは苦手ですか」
「カナエ……」
 こんなに饒舌なところも、人を淡々と事実で追い詰めるところも見たことはなかった。呆気に取られている星音を見て、カナエは微笑む。
「不破……その頭があるなら赤点は免れたんじゃないか……?」
「今のは知り合いの頭がいい人の真似です。似てました?」
 それが寧々のことなら、頭の良さと口調は近いような気がしたが、喋り方は全然似ていなかった。表情は少し似ていたかもしれない。でもこの前の由真の真似といい、カナエは身近な人の物真似にでもハマっているのだろうか。
「それで先生。さっきも聞きましたけど、一体何考えてるんですか?」
 進藤はしばらく押し黙っていたが、やがてくつくつと笑い出した。
「まさか不破に見破られるとは思わなかったな」
「苦味と酸味には敏感です。これでもコーヒー豆卸業者の娘なので」
 僅かな味の違いで何かが入れられていることに気が付いたのか。星音は改めてカナエのことを驚きの眼差しで見た。
「目的はね……君たちには供物になってもらいたかったんだよ」
「供物?」
「この前は失敗してしまったから。あの子が怪異として成長するためには必要なんだよ。人を殺したという事実と、噂が」
 穏やかに言ってのけるが、進藤の目はどこか虚だった。寒気を感じた星音は咄嗟に逃げようとする。
「そう簡単には逃げられないよ」
 進藤の背後から黒い腕が伸ばされ、星音を掴もうとする。そのとき星音は腕を強い力で引かれた。バランスを崩して後ろに倒れ込んだ星音を支える誰かの体。星音は驚いて振り返った。
「由真さん……何で」
「様子を見に来ただけなんだけど……。とりあえず星音はカナエを連れて逃げて。ここは私がやる」
「でも由真さん……」
 由真は幽霊を攻撃する手段を持たない。そんな状態で一人残していいのか。逡巡する星音に由真は笑う。
「最悪人間の方をどうにかして私も逃げる。早く行って。足手纏いになる」
 事実、戦えない星音たちは戦闘においては足手纏いだ。けれど由真がそうはっきり言ったのは初めてだった。それだけ焦っているのだと星音は悟り、カナエの腕を掴んで出口に向かって走り出した。
「進藤先生。あなたの相手は私だよ――」
 右手に剣を構え、由真が言う。伸ばされた黒い腕を見ないようにしながら、星音たちは急いで教室を出た。



 勝算はあった。幽霊の世界に連れて行かれたときにわかったことだが、生者である由真の攻撃は通らないが、死者であるアルの攻撃は通じた。そして理世子と一緒に戦ったときの、理世子の力の名残が由真の中にまだ残っている。理世子の力が完全に尽きる前に、星音たちが逃げる時間を稼ぎ、自分も離脱する。それが今できる最善だった。
「幽霊に対抗できるのが一人ではないのは誤算だったな。だが供物は誰でもいいんだ。もちろん君でも」
「この前私を殺し損ねたくせに」
 何かが風を切る音がする。由真は咄嗟に体を捩ってそれを避けた。地面にはナイフが深々と突き刺さっている。
「……消したり隠したりする能力の家系だっけ、そういえば。でもどうせならそっちを使ったほうが強いんじゃない? それとも使えない理由があるの?」
「安い挑発だね」
「カナエが真似してる寧々の真似のつもりだったんだけど」
 由真は強く一歩を踏み込む。見えない場所から武器が飛んでくるが、飛ばしている手元が見えていればある程度避けられる。そして剣が届く距離まで距離が縮まったとき、由真は空中で剣を手放した。
 その動きに進藤が目を奪われた瞬間、空中から飛び蹴りをして進藤を床に倒す。足で肩を踏みつけながら首筋にスタンガンを当てると、進藤は気を失った。
「縛っといた方がいいよな……この場合は寧々か悠子かどっちに引き渡すべきかな……」
 とりあえず寧々に聞いてみよう、と思い、由真は携帯電話を取り出す。寧々に状況を伝えると、すぐに悠子と現場に向かうと返事があった。



 ある程度のところまで逃げた星音とカナエだったが、どうしても由真のことが気になってしまい近くまで戻ってきた。もう教室は静寂に満ちていて、寧々と話しているらしい由真の声が聞こえる。終わったことを確信した二人は、教室の扉を細く開けて中の様子を窺う。すると、壁に寄りかかっていた由真とすぐ目が合った。進藤は気絶したまま縛られて床に転がされている。
「逃げろって言ったのに、戻って来ちゃダメでしょ……」
「それはそうなんやけど……やっぱ気になって」
「別に手こずるようなことはなかったよ。搦手に簡単に引っかかったし」
 剣を使ってしまうと怪我を負わせてしまうので、由真は剣を使うと見せかけてスタンガンで気絶させる方法をよく使っている。相手は剣を使うと思ってその動きを見ているので、空中で剣が消えると一瞬驚きで隙ができる。その隙を逃さずにもう一つの武器で勝負を決めるのだ。それは或果の作った剣が自由に出したり消したりできるから成立する戦法でもある。
「……でも、かなり危険な状況だったのはわかってるよね」
「それは……」
「連絡してくれたからまだいいけど……一人で戦えもしないのに勝手に行動するのはやめた方がいい」
 由真の言っていることが正しいのはわかる。けれどそれが何故か癇に障ってしまった。
「……自分だっていつもそうやん」
 戦えもしないなんてことは、自分が一番わかっている。けれど戦う力があるからと言って何でもかんでも自分で引き受けて勝手な行動をする由真には言われたくなかった。危険な状況に自ら飛び込んで、星音が来てからの数ヶ月で何度も酷い怪我をしたのだ。そしてつい先日だって――幽霊に殺されかけたのは由真の方だ。
「確かに由真さんは戦えるのかもしれへんけど、だから全部自分が背負えばいいとか思ってんのかもしれへんけど、でも自分だってどんだけ危険な状態だったかわかってへんやん!」
「あのまま星音とカナエだけで何とかしようとしてたら、二人とも死んでたかもしれないよ」
「だったら全部自分でやるって言うんか?」
「少なくとも私は無傷で勝ったんだけど?」
 売り言葉に買い言葉だ。本当はこんなことを言うつもりなんてないのに、止まらなくなってしまう。由真が正しいのはわかっている。普通の能力者程度には遅れをとることはないくらい強い人だということも知っている。でも――だからこそ危険な状況に陥って、星音の力でもすぐには治せないような傷を何度も負ったのだ。
「由真さんが私らのことを心配してくれてるのはわかってる。けど――危険なことを全部由真さんが引き受けたら、私は本当に役立たずや」
「星音。私は――」
「心配なんて言葉で私の意志まで殺さないでください」
 由真は何も答えなかった。言ってしまってから言い過ぎたと後悔したけれど、もう遅かった。腹が立って仕方なくて、言わなくてもいいことまで言ってしまった。由真の瞳にいつもとは違う色が宿る。早く、言い過ぎたと言わなければならないのに――その言葉はどうしても出てこなかった。
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