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旧校舎の幽霊
1・旧校舎の鍵
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星音が通う学校の生徒のほとんどは能力者だ。この閉じられた空間の中では外の世界の差別なんて気にすることもなく穏やかに生活できる。特殊な力を持っていることを別にすれば、そして能力者絡みの事件を解決するバイトをしていることを別にすれば、星音は何の変哲もない高校生活を送っていた。
「……最近、何か面倒事を任されることが多い気がするんやけど」
「有名人になっちゃったからね、星音」
「主にやってるのは私やなくて由真さんなんやけどな……」
星音の調停人のバイトはいつしか周囲に知れ渡ることになり、生徒からも教師からも何かしらの相談を受けることが多くなっていた。星音ひとりではどうにもならない問題も多いのでその度に寧々を紹介したり、手伝えそうなものがあれば手伝ったりはしているのだが――。
「私は傷治すのが専門で、幽霊退治とかそういうのはさぁ……もう能力者何も関係ないやん」
文句を言いながらも旧校舎の鍵を開けた星音を見ながら、付き合わされているカナエが微笑む。カナエの腕にはいつものように白い毛が生えた球体――通称もふもふが抱えられている。このもふもふを出すことがカナエの能力だが、もふもふ自体にはただもふもふである以外の役割はない。幽霊退治の戦力になってほしくて連れてきたわけではなく、ただ、一人で旧校舎に入りたくなかっただけだ。
「でも旧校舎ってずっと使われてないのに、どうして今頃になって幽霊騒ぎなんだろうね」
「進藤先生の話では、こないだどっかのクラスのあほが肝試ししたら、そのあと三日くらい行方をくらませて、戻ってきたら何かおかしくなってたらしい」
「おかしくってどんな感じ?」
「ずっとぼーっとして空中を見つめていたと思ったら急に叫びだしたりとか、何か誰かに見張られてるとか言い出したりとか」
「え……それ私達で解決できる? もふもふ差し出したら何とか許してくれる?」
「相手が由真さんだったらそれで勝てると思うけどな」
星音のバイトの先輩でもある柊由真は、戦闘力を必要とする仕事を担うことが多い。要はとても強い能力者だ。しかし戦いのときの苛烈さとは裏腹に、カナエの生み出すもふもふを見るやいなやそれに埋れようとしたりする一面がある。能力特性上、対能力者戦では最強とも言える由真だが、おそらく何の攻撃力もないカナエにはあっさり負けるだろう。
「結構危ないよね……。寧々さんとか連れてこなくてよかったの?」
「そもそも幽霊なのか能力者なのかもまだわからんからなぁ。でもあほが三組いたおかげで、無事に帰る方法はわかったから」
「三組もいたんだ……」
「そう。で、被害に遭ったのは最初の一組だけだから、他の二組と同じことをすれば帰ってこれるってわけや」
正直、星音とカナエが旧校舎を調べたところで、寧々のように能力者かどうかを判断できる目もないし、由真のように戦うこともできない。だから今日は下調べだ。寧々には写真を撮ってきてほしいとは言われている。撮影してすぐの写真なら何かがわかる可能性もあるという。
「つまり、今日は写真だけ撮って帰るってことね?」
「それとこれを置いてくるだけや」
「鍵?」
星音がポケットから出した二本の鍵を見て、カナエは首を傾げた。鍵を置いて帰るとはどういうことだろうか。
「助かった二組は一人一本の鍵を置いていったらしいんや。で、これはもう使わなくなったチャリの鍵がうちにあったから持ってきたんやけど。とりあえず一本もっとき」
「ありがと。でも何で鍵?」
わざわざ鍵を置いていくなんて妙な行動だ。星音は暗い旧校舎の廊下を歩きながら、カナエに説明した。この旧校舎にはほとんど忘れられていたけれど、一つの怪談があったらしい。かつて旧校舎に大切なものを隠されてしまった女の子の話だ。同級生にいじめられて大切なものを隠され、鍵のかかっている戸棚を開けられずに失意のまま家に帰ろうとしたらその途中で事故に遭って死んでしまった女の子。その子は成仏できずにその戸棚を開ける鍵を探しているという。だから鍵を置いていけばとりあえずはその鍵で試そうとするから無事に帰れるということだ。
「……私この学校通ってるのにその話知らなかったんだけど」
「いつの間にか忘れられてたらしいで。でもこの学校に昔通ってた先生は覚えてて、あと、文芸部の部誌にそれを検証したレポートを載せた先輩がいるって話や」
「じゃあ本当にその幽霊がやってるの?」
「幽霊だと私らの仕事じゃなくなるんやけどな」
写真を撮りながらも星音は旧校舎を進んでいく。幽霊だとわかっているならこの仕事は最初から断る案件だ。実際はそうではない可能性もあるから調査に来ている。星音は声のトーンを少し落として続ける。誰もいないとは思うが念の為だ。
「最初のあほを診た医者が実は歩月先生でな。で、その直後の歩月先生にたまたま会ったのが由真さんなんやけど、『なんだか嫌な感じがした』って言っててな」
「由真さんがそう言うとき、だいたい当たるよね……」
「カナエは知ってるんか、一応」
「知ってるってほどじゃないけど……少しは」
由真は寧々のように能力波を見られるわけではない。だからそこに能力者が絡んでいるかどうかはわからない。けれど例外がひとつだけある。由真は特定の能力に対する感度が高いのだ。
「幽霊じゃなくて、精神汚染……」
「まだ可能性の段階やけどな。歩月先生のも多分その患者に触れたから残り香みたいになってただけやし」
「ていうかそれなら、その発狂した人と寧々さんを会わせれば一発でわかったんじゃない?」
「会わせてもらえんかったらしい。理由は私には教えてくれんかったけどな」
カナエは腕の中のもふもふを強く抱いた。次が最後の部屋だ。ここまで特に何もなかった。そもそも旧校舎は長らく使われてはいなかったものの、建物が傷んで倒壊したりしないように定期的に職員が掃除をしていたのだ。幽霊騒ぎがあるとは思えないくらい綺麗に片付いている。もしその幽霊なり能力者がかなり前からいたのだとしたら、掃除に入った人が同じ目に遭ってもおかしくはない。けれどそんな人は今までいなかったのだ。
最後の教室の教壇の上には既にいくつもの鍵が並べられていた。星音とカナエはそこに鍵を置く。そのときも特に何も起きなかった。
「――帰ろうか」
行きよりもいささか早足で星音たちは旧校舎を出て、その扉に鍵をかけた。無事に帰れる方法を取っていたとはいえ、不安はあった。二人同時に安堵の溜息をもらす。とりあえず仕事はした。鍵を職員室に戻してから、校舎の方は見ないようにして二人で校門を出る。その瞬間に、門の横に見覚えのある人物を見つけて、星音は目を瞠った。
「由真さん、何でここに」
「……ちょっと近くに用事があって。無事そうでよかった」
由真の、夜に完全に紛れてしまう黒一色の服装は、星音もよく知る由真の私服だ。今日は由真もシフト休みの日だから、おそらく本当にプライベートなのだろう。そこまで考えたところで、星音は一つの可能性に思い当たった。
「もしかして……心配してくれはったんですか?」
「カナエと二人だけで行くって言うから……。本当はついていきたかったけど、寧々に止められて」
「そもそも部外者だから学校入られへんしな」
「門は越えられそうだったけど、アレがあったからね。何かあったらこのあと学校入れてもらえなくなるって寧々がうるさいし」
アレ、と言って由真が指差したのは監視カメラだった。今の時代、門にカメラを設置していない学校の方が少ないだろう。そもそも監視カメラがなかったら不法侵入する気満々だったのか。
「で、どうだったの?」
「とりあえず何もありませんでしたよ。写真はあとで寧々さんに」
「そう。それならよかった。カナエも大丈夫だった?」
由真が言うと、カナエが少し頬を赤らめる。同時に小さなもふもふが生まれるのを星音は見逃さなかった。非常に元気そうだ。
二人の無事を確認するやいなや帰ろうとする由真を星音は慌てて引き止めた。確かに方向は違うが、わざわざ来てもらったのに送っていかないわけにも行かないだろう。けれど由真は首を横に振った。
「今日はこれからもう一つ用事があるから。また明日ね」
「あ、はい……また明日」
星音はどこか釈然としないまま由真を見送った。用事があるとしてもその場所まで送ることもできるのに、というか普段はそういうことも頼んでくるのに。星音には知られたくない場所なのだろうか。由真の姿は夜に紛れていく。もしここで一緒にいたいから送っていくと言ったら、由真はどうするのだろう。星音はそんなことを考えながら、冷たい光を投げかける月に目をやった。
「……最近、何か面倒事を任されることが多い気がするんやけど」
「有名人になっちゃったからね、星音」
「主にやってるのは私やなくて由真さんなんやけどな……」
星音の調停人のバイトはいつしか周囲に知れ渡ることになり、生徒からも教師からも何かしらの相談を受けることが多くなっていた。星音ひとりではどうにもならない問題も多いのでその度に寧々を紹介したり、手伝えそうなものがあれば手伝ったりはしているのだが――。
「私は傷治すのが専門で、幽霊退治とかそういうのはさぁ……もう能力者何も関係ないやん」
文句を言いながらも旧校舎の鍵を開けた星音を見ながら、付き合わされているカナエが微笑む。カナエの腕にはいつものように白い毛が生えた球体――通称もふもふが抱えられている。このもふもふを出すことがカナエの能力だが、もふもふ自体にはただもふもふである以外の役割はない。幽霊退治の戦力になってほしくて連れてきたわけではなく、ただ、一人で旧校舎に入りたくなかっただけだ。
「でも旧校舎ってずっと使われてないのに、どうして今頃になって幽霊騒ぎなんだろうね」
「進藤先生の話では、こないだどっかのクラスのあほが肝試ししたら、そのあと三日くらい行方をくらませて、戻ってきたら何かおかしくなってたらしい」
「おかしくってどんな感じ?」
「ずっとぼーっとして空中を見つめていたと思ったら急に叫びだしたりとか、何か誰かに見張られてるとか言い出したりとか」
「え……それ私達で解決できる? もふもふ差し出したら何とか許してくれる?」
「相手が由真さんだったらそれで勝てると思うけどな」
星音のバイトの先輩でもある柊由真は、戦闘力を必要とする仕事を担うことが多い。要はとても強い能力者だ。しかし戦いのときの苛烈さとは裏腹に、カナエの生み出すもふもふを見るやいなやそれに埋れようとしたりする一面がある。能力特性上、対能力者戦では最強とも言える由真だが、おそらく何の攻撃力もないカナエにはあっさり負けるだろう。
「結構危ないよね……。寧々さんとか連れてこなくてよかったの?」
「そもそも幽霊なのか能力者なのかもまだわからんからなぁ。でもあほが三組いたおかげで、無事に帰る方法はわかったから」
「三組もいたんだ……」
「そう。で、被害に遭ったのは最初の一組だけだから、他の二組と同じことをすれば帰ってこれるってわけや」
正直、星音とカナエが旧校舎を調べたところで、寧々のように能力者かどうかを判断できる目もないし、由真のように戦うこともできない。だから今日は下調べだ。寧々には写真を撮ってきてほしいとは言われている。撮影してすぐの写真なら何かがわかる可能性もあるという。
「つまり、今日は写真だけ撮って帰るってことね?」
「それとこれを置いてくるだけや」
「鍵?」
星音がポケットから出した二本の鍵を見て、カナエは首を傾げた。鍵を置いて帰るとはどういうことだろうか。
「助かった二組は一人一本の鍵を置いていったらしいんや。で、これはもう使わなくなったチャリの鍵がうちにあったから持ってきたんやけど。とりあえず一本もっとき」
「ありがと。でも何で鍵?」
わざわざ鍵を置いていくなんて妙な行動だ。星音は暗い旧校舎の廊下を歩きながら、カナエに説明した。この旧校舎にはほとんど忘れられていたけれど、一つの怪談があったらしい。かつて旧校舎に大切なものを隠されてしまった女の子の話だ。同級生にいじめられて大切なものを隠され、鍵のかかっている戸棚を開けられずに失意のまま家に帰ろうとしたらその途中で事故に遭って死んでしまった女の子。その子は成仏できずにその戸棚を開ける鍵を探しているという。だから鍵を置いていけばとりあえずはその鍵で試そうとするから無事に帰れるということだ。
「……私この学校通ってるのにその話知らなかったんだけど」
「いつの間にか忘れられてたらしいで。でもこの学校に昔通ってた先生は覚えてて、あと、文芸部の部誌にそれを検証したレポートを載せた先輩がいるって話や」
「じゃあ本当にその幽霊がやってるの?」
「幽霊だと私らの仕事じゃなくなるんやけどな」
写真を撮りながらも星音は旧校舎を進んでいく。幽霊だとわかっているならこの仕事は最初から断る案件だ。実際はそうではない可能性もあるから調査に来ている。星音は声のトーンを少し落として続ける。誰もいないとは思うが念の為だ。
「最初のあほを診た医者が実は歩月先生でな。で、その直後の歩月先生にたまたま会ったのが由真さんなんやけど、『なんだか嫌な感じがした』って言っててな」
「由真さんがそう言うとき、だいたい当たるよね……」
「カナエは知ってるんか、一応」
「知ってるってほどじゃないけど……少しは」
由真は寧々のように能力波を見られるわけではない。だからそこに能力者が絡んでいるかどうかはわからない。けれど例外がひとつだけある。由真は特定の能力に対する感度が高いのだ。
「幽霊じゃなくて、精神汚染……」
「まだ可能性の段階やけどな。歩月先生のも多分その患者に触れたから残り香みたいになってただけやし」
「ていうかそれなら、その発狂した人と寧々さんを会わせれば一発でわかったんじゃない?」
「会わせてもらえんかったらしい。理由は私には教えてくれんかったけどな」
カナエは腕の中のもふもふを強く抱いた。次が最後の部屋だ。ここまで特に何もなかった。そもそも旧校舎は長らく使われてはいなかったものの、建物が傷んで倒壊したりしないように定期的に職員が掃除をしていたのだ。幽霊騒ぎがあるとは思えないくらい綺麗に片付いている。もしその幽霊なり能力者がかなり前からいたのだとしたら、掃除に入った人が同じ目に遭ってもおかしくはない。けれどそんな人は今までいなかったのだ。
最後の教室の教壇の上には既にいくつもの鍵が並べられていた。星音とカナエはそこに鍵を置く。そのときも特に何も起きなかった。
「――帰ろうか」
行きよりもいささか早足で星音たちは旧校舎を出て、その扉に鍵をかけた。無事に帰れる方法を取っていたとはいえ、不安はあった。二人同時に安堵の溜息をもらす。とりあえず仕事はした。鍵を職員室に戻してから、校舎の方は見ないようにして二人で校門を出る。その瞬間に、門の横に見覚えのある人物を見つけて、星音は目を瞠った。
「由真さん、何でここに」
「……ちょっと近くに用事があって。無事そうでよかった」
由真の、夜に完全に紛れてしまう黒一色の服装は、星音もよく知る由真の私服だ。今日は由真もシフト休みの日だから、おそらく本当にプライベートなのだろう。そこまで考えたところで、星音は一つの可能性に思い当たった。
「もしかして……心配してくれはったんですか?」
「カナエと二人だけで行くって言うから……。本当はついていきたかったけど、寧々に止められて」
「そもそも部外者だから学校入られへんしな」
「門は越えられそうだったけど、アレがあったからね。何かあったらこのあと学校入れてもらえなくなるって寧々がうるさいし」
アレ、と言って由真が指差したのは監視カメラだった。今の時代、門にカメラを設置していない学校の方が少ないだろう。そもそも監視カメラがなかったら不法侵入する気満々だったのか。
「で、どうだったの?」
「とりあえず何もありませんでしたよ。写真はあとで寧々さんに」
「そう。それならよかった。カナエも大丈夫だった?」
由真が言うと、カナエが少し頬を赤らめる。同時に小さなもふもふが生まれるのを星音は見逃さなかった。非常に元気そうだ。
二人の無事を確認するやいなや帰ろうとする由真を星音は慌てて引き止めた。確かに方向は違うが、わざわざ来てもらったのに送っていかないわけにも行かないだろう。けれど由真は首を横に振った。
「今日はこれからもう一つ用事があるから。また明日ね」
「あ、はい……また明日」
星音はどこか釈然としないまま由真を見送った。用事があるとしてもその場所まで送ることもできるのに、というか普段はそういうことも頼んでくるのに。星音には知られたくない場所なのだろうか。由真の姿は夜に紛れていく。もしここで一緒にいたいから送っていくと言ったら、由真はどうするのだろう。星音はそんなことを考えながら、冷たい光を投げかける月に目をやった。
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