上 下
60 / 130
Into the Water

2・目覚めた力1

しおりを挟む
 自分なんていなくなればいいんだと思う気持ちは、由真の中で日に日に膨れ上がっていった。能力者というだけで謂れのない差別を受ける日々。そしてそのことを誰にも相談できないまま、心の中に鉛が蓄積していくようだった。相変わらず多くの習い事は続けていたが、徐々にそのどれにも身が入らなくなっていった。
(私なんて生きてても意味がないのに、どうして――)
 能力がなかなか発現しないのも気がかりだった。早くどんな能力かわかれば、例えばそれが本当に毒にも薬にもならないものであれば、少しは周りを安心させることができるかもしれないのに。由真は日常的に自分自身を呪うようになり、その表情からは少しずつ、元々あった天真爛漫さが消えていった。暗く翳った表情を見せる由真に対しての陰口も酷くなる一方だった。
「あの子いつも暗いよね」
「能力者なんだからもっと印象良くする努力した方がいいよね」
 そんなことを言われているというのは知っていたけれど、笑いたくもないのに笑うことはできなかった。

「由真」
 ある日、川沿いのベンチに座ってぼんやりしていると、梨杏が隣に座った。
「由真って川とか海とか好きなの? なんかよくそういうところに行くけど」
「んー……まあ何となくは、好き」
「そっかぁ。私は苔とか好き」
「部屋、すごいことになってるもんね」
 梨杏の部屋はテラリウムがたくさん飾られていて、さながら植物園のようになっている。そこにいるのも確かに落ち着くけれど、どちらかと言えば水辺の方が由真は好きだった。
「由真はプールも雨も好きだから、水が好きなんだね」
「うん。できるなら海の中で生活したい」
「魚じゃないんだから、息できないよ?」
「……海じゃなくてもそれは一緒だよ」
 思わず漏らしてしまった一言に、梨杏がはっとした顔で由真を見る。由真はわずかに目を逸らした。
「ねえ、由真」
「なに?」
「秘密基地つくろうよ、一緒に」
「秘密基地? なんで?」
「何でって、秘密基地いいじゃん! 私たちだけの秘密の場所」
 梨杏の唐突な思いつきに流されて、由真は学校の近くの裏山に二人で秘密基地を作ることにした。ちょうどいい木が四本あるところを見つけて、買ってきた紐でその四本を繋いで、その紐にカーテンを通す。簡単な構造で、しかも屋根がないから雨ざらしだったけれど、そこにいけば誰にも邪魔をされない、由真と梨杏だけの場所が完成した。唯一の不満があるとすれば、そこからは海も見えないし、川が近くにあるわけでもないことだった。けれど木に囲まれた場所でぼんやりとしていると、まるで水の中にいるような気分になれた。だから由真は梨杏がいなくても、その秘密基地に頻繁に足を運んだ。
 秘密基地ができてからは、誰にも邪魔されない場所が出来たこともあり、由真は少しずつ以前のような明るさを取り戻していた。
「ねぇ、やっぱり屋根欲しくない?」
「私はこのままでいいけど? 葉っぱが見えていい感じ。緑色好きだし」
「雨の日ここ来れないじゃん」
「私雨の日も来てるけど……」
「えっ濡れるじゃん」
「私、雨に濡れるの好きだから」
 傘をささないと変な目で見られるから傘をささないで歩くのはやめなさい、と家族には言われる。けれど出来ることなら傘なんてさしたくはなかった。それでも雨の日に秘密基地でぼんやりしていると全身濡れてしまって、次の日風邪をひいて後悔することもあったが。由真の言葉を、梨杏は「そうなんだ」と軽く受け流した。梨杏はしつこく付き纏ってくるけれど、由真の好きなものや嫌いなものについては何も言わないところが好きだった。本来は互いに干渉を嫌う性格で、だからこそこの距離感が心地よかったし、梨杏もそれを失いたくはなくて躍起になっていたのだろう。
「雨、降らないかなぁ」
「やだよ、私は濡れたくないもん」
「そっか。私そろそろ帰らなきゃ」
「水曜日は何もないんじゃなかった?」
「最近、合気道もやり始めて」
「じゃあ休みの日ほぼないじゃん!」
「うん。でもお兄ちゃんもいっぱいやってるし
……私は、人より頑張らないと」
 習い事をやりたいわけではなかったけれど、それについて愚痴をこぼしたら、「あなたのためを思っているのに」と母親に言われた。能力者だから、人より努力しなければ幸せにはなれない。自分にお金をかけてくれている親のためにも頑張らなければならない。由真はそう自分自身に言い聞かせていた。
「頑張りすぎだと思うけど……」
「そんなことないよ。じゃあまたね」
「待って。由真が帰るなら私も帰る」
 結局二人で山を下りる。梨杏は由真と並んで歩きながら、軽い調子で言った。
「私もなんか習い事始めようかなぁ。合気道かっこいいよね。空手とか……柔道とか、あ、あと弓道もいいなぁ」
「それ全部やったらめちゃくちゃ強い人みたいになるんじゃない?」
「それいいかも! 今の仮面ライダー見てる? すっごい強いSPの女の人が出てくるの。あんな感じになれるかな」
「見てないけど……てかえすぴー? って何?」
「ボディーガードみたいなやつ。かっこいいんだよ。私が強くなったら由真のSPになってあげる!」
「いや、普通もっと偉い人とか守るんじゃないの? ボディーガードって。よくわかんないけど」
 他愛のない会話をしながら裏山を出た由真は、不意に視線を感じた。振り向いて視線の主を探す由真に、梨杏が声をかける。
「どうかしたの?」
「なんか見られてる気がしたけど……気のせいかな」
 由真は自分の勘違いだったということにして、そのまま梨杏と二人で家路に着いた。けれど数日後――由真はそれが単なる思い過ごしではなかったことを知ることになった。

 その日は塾の前に時間があったから、裏山の秘密基地でのんびりしてから行くつもりだった。けれど山の中に入り、目的地に辿り着く直前で異変に気がついた。
「何これ……」
 慌てて駆け寄ると、由真と梨杏の二人だけの場所はめちゃくちゃに壊されていた。元々紐にカーテンを通しただけの簡素な作りだったが、そのカーテンがハサミか何かで切り刻まれていたのだ。
「っ……」
 誰がこんなことを。
 どうして――その答えは、誰が、という問いよりは簡単だった。近付いて見れば、秘密基地の中にマジックで何かが書かれた紙が何枚もあったからだ。そこには能力者である由真を中傷するような言葉が並んでいた。
(私のせい……)
 秘密基地を作るとき、梨杏はとても楽しそうにしていた。カーテンを選ぶのにたくさん時間をかけて、百円均一の店を何軒も回って、ようやく納得できるものを見つけて嬉しそうにしていたのに。
(私じゃなかったら……私がいなかったら、壊されることもなかった……?)
 その場で膝を抱える由真に呼応するように、雨が降り始める。次第に強くなっていく雨は、そこにいる由真の微かな泣き声も掻き消すほどの音を立てながら、周りの木々を、そして蹲る由真の体を打った。
(私がそんなに邪魔なら、このまま消してくれればいいのに……)
 やり場のない想いが胸の中で渦巻いて、出口を探していた。好きで能力者になったわけでもないのに、どうしてこんな目に遭わされなければならないのか。自分が気に入らないなら自分だけを攻撃すればいいのに、どうして梨杏の大切なものまで壊すのか。強い悲しみと怒りをどうやって表に出せばいいかもわからず、由真はただ、自分の左手首を指の痕が残るほどに強く握りしめた。
(私が……私がいなければよかったんだ……!)
 頬を伝って流れているのが雨なのか涙なのかは、由真自身にもわからなかった。ただこのまま雨が自分の存在を消し去ってくれることを望んでいた。土砂降りの雨は誰にでも平等に降り注ぐ。そこに能力者と無能力者の違いはない。
(水の中にいなきゃ、息が出来ない――)
 地上がこんなに息苦しいのは、本当はここに生まれてくるべきではなかったからなのか。このままここにこの雨が溜まり続けて、その中で溺れてしまえればいいのに。
(私なんて、このまま――)
 由真が再び自分の左手首を強く握ったとき、雨の音でかき消されながらも、微かに誰かの声が聞こえた。でももう誰だって構わなかった。味方なんて誰もいないのだから。由真は体を縮こまらせた。
「由真!」
「梨杏……? どうして……?」
 梨杏は今日は用事があるから先に帰ったはずだった。それなのにどうしてここにいるのだろう。梨杏は由真の頭を抱え込むように由真を抱きしめた。
「由真のお母さんが、由真が帰って来ないってうちに電話してきて。ここにいるかもしれないと思って探しにきたの」
「そっか……もうそんな時間……」
「由真……」
 梨杏ももう見てしまっただろう。二人だけの大切な場所の惨状を。由真は梨杏に抱きしめられながら嗚咽を漏らした。
「ごめんなさい……っ」
「なんで由真が謝るの」
「私の……私のせいだから……全部、私が……っ」
「由真のせいじゃない。悪いのはこんな酷いことをするどこかの誰か」
「でも……っ、でも私が……私が能力者じゃなかったら……っ!」
 そのとき梨杏が何を言ったのか、由真は覚えていない。気付けば由真は家に帰っていて、雨に打たれ続けたせいで酷い風邪をひいてしまって、三日間ほとんどの時間を布団の中で過ごしたのだった。

 秘密基地が壊されてから一ヶ月。今度は梨杏がある噂を持ってきた。
「幽霊屋敷?」
「そう。今は誰も使ってない古い家で、でもお金持ちの家だったらしくてプールとかもあって……でも幽霊が出るからって買い手がつかないらしいよ」
「……で、その幽霊屋敷がどうかしたの?」
「そこなら秘密基地にピッタリじゃない? 私たちで幽霊倒してその家を私たちのものにしようよ」
「幽霊退治……いや無理でしょ」
「でもさ、行ってみたら実は幽霊いないかもしれないし!」
 梨杏に押し切られ、行くだけ行ってみることになった。由真はお化け屋敷も苦手で、梨杏も同じくらい苦手だったはずなのだが、その幽霊屋敷に関してはかなり前のめりだった。
 フェンスを乗り越え、二人で体を寄せ合いながらその屋敷の中に入る。
「おじゃましまーす……」
 誰も住んでいない古い家は幽霊がいなくても不気味だ。それでも梨杏は由真の半歩前ほどを歩いていたが――目の前に現れた青白い炎を見て、二人は同時に悲鳴を上げた。
「まじでいるじゃん幽霊! どうすんの由真!?」
「梨杏がここ来ようって言ったんじゃん! に、逃げようとにかく!」
 二人は一目散にその場所から逃げた。幽霊屋敷からだいぶ離れたところまで来て、二人はようやく息を吐き出す。
「幽霊いたじゃん……どうすんの?」
「うん、あそこはやめよう。別の場所探した方がいい」
 梨杏は幽霊退治をすると言っていたことをすっかり忘れ、もう別の場所にすることにしたらしい。けれどそんなものを作ってもまた壊されてしまうかもしれない、と思うと、由真は梨杏ほど秘密基地作りに積極的にはなれなかった。
 そして、その後はちょうどいい場所が見つからないまま、三ヶ月ほどが過ぎていった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

俺に着いてこい〜俺様御曹司は生涯の愛を誓う

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:15

いとなみ

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:1,740pt お気に入り:16

瞬間、青く燃ゆ

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:1,278pt お気に入り:148

雨上がりの虹と

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:33

異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:6,724pt お気に入り:1,618

猫と幼なじみ

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:426pt お気に入り:249

流されドスケベ!まひろさん ~よくある!AVインタビュー!~

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:23

【完結】四季のごちそう、たらふくおあげんせ

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:19

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

恋愛 / 完結 24h.ポイント:163pt お気に入り:13

出会い系で知り合ったのが会社の同僚だった話

BL / 完結 24h.ポイント:497pt お気に入り:827

処理中です...