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蒼き櫻の満開の下

1・人の夢2

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「――予想通り、あの喫茶店に行ったようだね」
 手駒にしているClanのリーダーからの報告を受け、創一は笑みを浮かべた。ここまで準備するのに何年かかったのか。ようやくこれまでの努力が身を結ぶ。A-7エリアに借りた高級マンションの一室で、創一は皮張りの椅子にゆったりと腰掛けた。
「父上はわかっていないんだ。あの能力は僕たちの能力の欠点を埋めるのに最適だってね。種にとりつくものだから、能力者しかその対象にできないのは不便だが……それもそのうち解決する方法が見つかるだろうし」
「創一様。あまり調子に乗らない方がよろしいかと」
ιUMaタリタ。君は本当に僕のやることなすことに水を差してくるね」
 創一の横に控える少女――ιUMaタリタは、彼女を睨みつける創一の視線をものともせず、長い髪の毛を指に巻きつけた。
「気に入らないならその能力を使ってみたらどうですか? まあ創一様に私を支配して使いこなせるならの話ですが」
 タリタの言葉に創一は歯噛みした。タリタはふわふわとした喋り方をする。けれど言葉には毒があり、そして腹立たしいことにそれが何も間違っていないのだ。空間支配能力は確かに強い能力だ。しかし能力者が思いつく範疇の動きしかさせられないという欠点もある。タリタのように戦闘に慣れた能力者ならば、支配した方が弱くなってしまうという皮肉な事態を招くこともあるのだ。
「まあ私も創一様のおかげで命拾いしましたし、個人的に昔の仲間にも会いたいので、ちゃんと従いますよ」
「勝てるのか?」
「創一様がサポートしてくだされば?」
 創一は鼻を鳴らした。これまでタリタを手元に置いていることが外に漏れないように、彼女を戦わせないできたが、もう力を温存する局面ではない。
「この前の公園の戦闘でアズール中毒者との戦い方は掴んでいると思いますが、あの子は多数との戦闘は苦手ですから、雑魚を使って気を逸らしていただければ、不意を突いたりはできるかと」
「期待しているぞ、タリタ」
「創一様の言葉って本当に軽いですね。心にもないことばっかり言うから」
「貴様も大概だと思うが」
 タリタは創一の向かい側にあるソファーに飛び込んだ。創一はタリタの雇い主ということになっているが、タリタに雇い主に対する敬意は全く感じられない。
「私は嘘は言ってませんよ、創一様。でも創一様は嘘ばっかり。或果ちゃんの絵、本当は創一様が破ったのに。あとコンクールの審査員に裏で手を回したのも」
「絵を破ったのはお前だろ」
「私は創一様にやれって言われたからやっただけだもん。今までだって味方のフリしてあの子を安心させて」
「何が言いたい?」
「そういうの大っ嫌いな子が敵になるから気をつけて下さいね、って」
 気遣うような言葉だが、口調も相俟って薄っぺらく聞こえてしまう。けれどタリタは一事が万事この調子だ。
「ふん。でも今のお前なら勝てるんだろう?」
「勝ちますよ。薬もいっぱいもらったし」
中毒者ジャンキーが」
「ドーピングって言ってほしいですね、創一様。だいいち私がいなかったら創一様負けちゃいますよ?」
「あれはそんなに強いのか?」
 タリタは嫣然と微笑む。透明なグロスを塗った唇がゆっくりと動く。
「当たり前じゃないですか。完全開花してない限り、どんな能力者も種を取り出されたら負けですよ。その上今は攻撃能力まで手に入れてますし」
「触れさせなければいいんだろう?」
「そんなに油断してるとやられちゃいますよ、創一様」
 タリタは飄々としているように見えて、敵をかなり警戒しているようだ。直接戦ったことはないらしいが、その強さを知る上なのか。
「多分、相手を殺していいなら今よりも上手く戦えると思うし、あの子。ていうか殺していいなら種取り出す必要すらないか」
「縛られているということか。難儀なものだな」
「でも昔から殺しは嫌いですよ、あの子。あんなに楽しいこと、なんで嫌がるのか私にはわかりませんけど」
 創一は再び鼻を鳴らした。タリタを手に入れてから、邪魔者を排除するのに便利だから使ってきたが、殺しに快楽以外の目的がないことは理解できなかった。けれど躊躇いなく仕事をこなすところは気に入っていた。
「ふふ……楽しみだなぁ。久しぶりだなぁ。由真ちゃんたちに会えるの」
「言っておくが遊びじゃないんだぞ。あと順番を間違えるな」
「わかってますよ。あーあ、まだ待機かぁ」
 タリタは切り札だ。敵にその存在が知られないように、そのカードを切る直前まで気付かれてはならない。けれどタリタは一刻も早く戦いに出たい――いや、人を殺したいらしい。
「やっぱりあの人も私がやっちゃダメなの?」
「人を殺したいのはお前だけじゃないんだ」
「創一様のところだったらもっといっぱいやれると思ったんだけどなぁ……」
「彼女に勝ったらいくらでもやらせてやる。ああ、でもそうだな……目障りな虫がいるんだ。然るべき時期になったら合図をする。そうしたらそいつを好きにするといい」
「さすが創一様。十五歳で自分の意思で人を殺した人はやっぱり違いますね」
「……貴様はもっと下だろう」
「私は……最初は五歳だったかなぁ。でも私は創一様みたいなめんどくさい殺し方はしませんよ?」
「俺にとっての支配は呪いだ。呪いには当然決められた手順がある。丑の刻参りだって、ちょっと今日は早く寝たいから子の刻に、というわけにはいかないだろう」
 ただ殺したいから殺すだけのタリタとはそこが違う。タリタはソファーの上で大きな欠伸をした。
「俺はもう戻る。くれぐれも勝手なことはするなよ」
「わかってますよ。私たちは持ちつ持たれつ。私は人が殺せて、創一様は邪魔者を楽に消せる。これを手放すほど馬鹿じゃないですよ、私は」
「ふん、どうだかな。――追加の薬だ。いい働きを期待しているぞ」
 創一は青色の錠剤が入った瓶をタリタの目の前に置く。アズールを使ったところでタリタを操ることはできないが、タリタの能力を強くすることはできる。アズールによる擬似的な開花。偽りの覚醒者ブルーム。それがどこまで渡り合えるのか。十二年前から描いてきた夢が、ようやく結実しようとしているのだ。



 或果が家出をしてから一週間。すっかり慣れた或果は、三人分の夕食を作っていた。今日は由真と寧々が「肉か魚かで言うなら魚」と言っていたので、安売りされていたぶりを使ったぶり大根を中心に、青菜のおひたしや具沢山の味噌汁を組み合わせた。由真と寧々が使っているのは合わせ味噌らしい。一緒に暮らし始めたときに赤味噌派の由真と白味噌派の寧々が揉めた結果だと聞いた。味噌を溶いていくと広がる香りに惹かれたように由真が台所にやってきた。
「待っててね。あともう少しでできるから」
「うん。和食ならお茶がいいかな。準備しとくよ」
 店ほどではないが、由真たちの家にも何種類かのコーヒー豆と、紅茶の茶葉と緑茶やほうじ茶の類が揃っている。由真は何故か紅茶だけは何度やっても上手く淹れられないらしいが、他は流石の手際だ。小皿を使って料理の味見をしていた或果は、由真の視線に気がついて手を止めた。
「どうかした?」
「いや、そういえば和食久しぶりかも、って思って」 
「二人は和食あまり作らないの?」
「私作れるの店で出してるやつくらいだよ……」
「カレー作れるなら肉じゃがも作れるよ。ぶり大根もそんなに難しくはないし。味醂と醤油があれば最悪なんとかなる」
 或果も誰かに教えられたわけではないのだ。そもそも家では台所に立つ機会があまりない。台所に立つのは使用人たちで、月島の人間が立ち入ることはその品格を損なうことらしい。けれど使用人たちが、妾腹であり、役に立たない能力しかない或果の陰口を言っていることも或果は知っていた。だから台所の景色で思い出すのは、薄れた記憶の中の母の後ろ姿だけだ。
「味醂がよくわからないんだよなぁ……寧々がやたらいいやつをハルさんの名前でいつも注文するけど」
「未成年だから味醂は買えないもんね。確かにめちゃくちゃ高いやつよねこれ……地味に調味料にこだわってる」
「全部寧々の趣味だよ」
「じゃあ冷凍庫のハーゲンダッツは?」
「それは私」
 喫茶店がそれほど儲かっているようには見えないが、バイトの時給もいい方だし、どこにそんな資金があるのだろう。そのわりには家の中はわりと庶民的で、安心する面もある。
「ずっとここにいたいなぁ……」
 或果はコンロの火を止めながら呟いた。思わず家を飛び出して、成り行きで由真たちとひとつ屋根の下で過ごしているけれど、ずっとここにいられるわけでないこともわかってはいる。何も解決しないまま来てしまったから、そう遠くない日に家に帰らなければならないときが来る。そう思うと暗澹たる気持ちになった。
「……ずっといてもいいよ、或果」
「由真……?」
 急に由真に後ろから抱きしめられる。優しく包み込まれていると言うよりは、何かに縋っているようにも見えて、或果は戸惑いの声を上げた。
「ごめん、やっぱり或果に黙ってるのは無理だ」
「何のこと……?」
「或果の、お母さんのこと。本当は知らない方が傷つかないかもしれないし、私が言ってしまうのは違うかもしれないけど、私が知ってて、或果が知らないままでいるのはおかしいと思うから」
 母についての記憶は多くない。幼い頃に事故で死んでしまって、或果はそのときのことをよく覚えてはいない。由真は或果を抱きしめたままで言葉を続けた。
「或果のお母さんが死んだのは、事故なんかじゃない。殺されたんだ。呪いの――空間支配能力の、道具にするために」
「由真……」
 由真の手が微かに震えているのが肌を通して伝わってくる。由真の言うことは一瞬信じられなかった。でも由真は空間支配能力が呪いの一種であると捉えられていることも知っている。それに由真がそんな嘘を言うような人間でないことを或果は知っていた。
 由真はそのまま、最近起きていた事件のことを順を追って話し始めた。寧々と梨杏が秘密裡に追っていたアズールというドラッグのこと。そしてそれを追っているうちに、空間支配能力が使われていると知ったこと。そして――寧々が右目を使っている間、アズールの侵蝕に耐えていた由真が見たもの。その全てが或果には衝撃的だった。けれど自分でも驚くほど冷静にそれを受け止めることができた。
「……お兄様は、私には優しかった」
「うん。でも――」
「利用するつもりだったのね。私の力を」
 この世に一つしかないものは、強力な道具になる。空間支配能力についての知識が深いわけではないが、あの能力の特性を考えれば何も不思議ではない。
「……だから、或果が戻りたくないなら家になんて帰らなくていい。あの家にいたら……殺されるかもしれない」
「由真……?」
「私が、守るから。だから」
 由真の様子は明らかにおかしかった。背中に感じる温もり。震えている手。或果はその手を優しく撫でた。
「由真……何かあったの?」
「……この前から――アズールに触れたあの日から、嫌な夢を見るの」
「どんな夢?」
「或果が殺されちゃう夢……でも、絶対にそれを現実にはしないから」
「大丈夫だよ、そんなのきっと夢だから。ね?」
 由真は過剰に心配しているような気がした。いや、前にもこんな由真を見たことがある。或果は由真の手をそっと握りながら、少し前の由真を思い出していた。星音が由真を庇って機動隊の特殊光線を浴びたときも、数日間は明らかに不安定に見えた。由真は仲間を失うことを恐れているのだ。それを避けるためなら、自分の身などどうなってもいいと思ってしまうほどに。それだけ大切に思われていることが嬉しくもあり、恐ろしくもある。由真だって、いつでもその身を危険に晒しているのだ。
「そろそろご飯食べよっか、由真」
「……うん」
「じゃあ私が盛り付けやっとくから、寧々呼んできてくれる?」
「うん」
 由真がゆっくりと或果から離れる。そのときの由真の顔はどこか寂しそうな笑顔だった。寧々を呼びに行く由真の背中を見送ってから、或果は小さく溜息を吐いた。
「お兄様は、何が目的でこんなことを……」
 それはまだ由真たちも掴めてはいないようだった。創一の目的。或果へと優しさが全て偽りだったとして、そこまでする理由は何だったのだろうか。どちらにしても、アズールを作ったときのようにうまくいくとは思えなかった。

「私はお母様みたいに、大きなものは生み出せないもの」

 たとえばあの青い桜のようなものは、或果の能力では作り出せない。どちらにしろ或果の力が役に立つことはないのだ。
「これくらいの力なら……いっそなかった方がよかったかも」
 誰かの傷を癒せたり、誰かを守るために戦える力ではない。その上それほど力が強いわけではない。或果は唇を噛んだ。こんな中途半端な力があるくらいなら、いっそ無能力者であった方が画家になりたいという夢ももっと近くにあるかもしれないのに。
 寧々と由真の話し声が聞こえてくる。或果は思考を振り切るように首を横に振り、盛り付け終わった夕食を食卓に並べ始めた。
「おー、すっごくおいしそう。和食なんて久しぶりかも」
 寧々が目を輝かせている。三人で食卓につき、手を合わせてから思い思いに箸を伸ばす。
「このぶり大根すごいおいしい」
「それはよかった。美味しそうに食べてくれると作りがいあるなぁ」
 由真の感想は素直で嘘がないから信じられる。三人での食事は普段より美味しいと感じながら、或果は青菜のおひたしを口に運んだ。
「美味しそうに食べるといえば、星音はいつも美味しそうに食べるよね」
「あの子、全部美味しいっていうからメニュー考案のときの味見役にはできないね」
 他愛のない話をしながら食事をする。それだけのことなのに、或果にはずっとそれが与えられなかった。母が死んで、月島家に引き取られてから、ずっと砂を噛むような気持ちで食事をしていたのだ。
 ずっとこのままでいられればいいのに。――けれどそれは、このままではいられないとわかっているからこその、願いでもあった。
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