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3・寧々の右目1

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「気をつけて、由真。――多分あの人たち、普通の状態じゃない」

 桜の木の下には若い男女が十人ほど集まっていた。目を凝らして見れば、彼らの全員に青い光が見える。アズールの中毒者の特徴だ。そしてその効果の中には、能力が強くなるというのもあった。寧々と由真は戦闘中でも会話ができるようにインカムを装着する。それが問題なく使えることを確認した由真は、右手に剣を出現させて姿勢を低くした。それを合図にしたように由真を目掛けて小石のようなものが飛んできた。体に当たると弾けて皮膚を傷つける危険なもの――けれど由真は剣を一振りして、能力波でそれを吹き飛ばす。集団と由真の距離が一気に詰まっていった。状況を見ながら加勢することも想定し、寧々は左目に軽く指を添える。十人の男女の中に見覚えのある顔を見つけ、寧々は目を見開いた。
(あの子、純夏の――)
 純夏は彼女を友達だと言っていた。それはおそらく本当なのだろう。かなり手荒なことはしていたが、それは彼女を心配するが故だった。けれどこの状況は、純夏の想いが彼女には届かなかったことを意味する。
(あのときより進行してる……おそらく、少なくともあの後一回は薬を使ってしまったのね)
 能力は強いが動きは緩慢だ。寧々がサポートするまでもなく由真はあっという間に三人を行動不能にした。
『――寧々』
 インカムから由真の声が聞こえる。
『この人たち、なんか変だよ』
 あくまで推測でしかない。けれどこれまでの経験から感覚で理解できる。これまで相手にしてきた能力者たちは、ある程度自分の意思で向かってきていた。だから行動不能に追い込まれそうになっても由真に向かっていく。けれど彼らは簡単に動きを止めてしまう。要するに倒しやすいのだ。その理由はおそらく――。
「多分、全員誰かに操られてる」
 由真は前に他人に絶対遵守の命令を下せる能力者を相手にしたことがある。その命令はそれなりの刺激を与えれば簡単に吹っ飛ぶほどの命令だった。けれど今回は違う。痛みを与えようとも命令はそのまま維持されるが、命令を下している人間が能力者を使い捨てている。行動不能に追い込まれたらすぐに次の能力者をあてがう。そんな戦い方をしているのだ。
 とりあえず全員、行動不能に追い込めばいい。由真の戦いは順調そうに見えた。しかし――。
「由真、後ろ!」
 由真の背後に能力波を感じ、寧々は叫んだ。由真が弾かれたように振り返り、剣を振るう。それで攻撃自体は避けることができた。しかし咄嗟の行動だったがために力の加減が出来ず、由真の能力が攻撃を放った少女の体に傷をつけた。純夏の友人だというあの少女だ。彼女の腕からの出血はかなりのものだ。由真は剣をしまい、腕から血を流しながらもなお由真に向かおうとする少女に近付いていった。
「由真、駄目……! その子の能力は……っ!」
 寧々が言い終わる前に、少女の傷口から溢れる血が紐のようになって、由真の首に巻き付いた。血を操る能力。けれど操れる範囲はそれほど広くはない。アズールを使わなければ、体から五センチメートル以上離れると効果を失うほどの能力だ。明らかに薬の作用で力が強くなっている。
「っ……!」
 由真の首に巻き付いたものが、由真の喉を絞め上げる。寧々が少女に向かって走り出すのと、能力波の塊が少女を吹っ飛ばすのはほぼ同時だった。
「純夏……!」
 どこかに隠れていたのだろう。戦闘に気を取られていて直前まで気がつかなかった。能力を解除して姿を見せた純夏は、怒気をはらんだ目で少女を見下ろした。
「――強くなってやることがこれか?」
 吹っ飛ばされた少女は虚ろな目をしていて、純夏の声は届いていないようだった。純夏はおそらく彼女が操られていることに気が付いていない。純夏は少女の胸倉を掴んで叫んだ。
「しっかりしろよ! お前が強くなりたかったのは、理不尽をぶっ飛ばすためじゃなかったのか!?」
 泣き声にすら聞こえるほど、純夏の叫びは悲痛なものだった。二人にどんな事情があるのかはわからない。けれど純夏が少女のことを大切に思っていることは十分過ぎるほどに伝わってきた。けれど操られている今の少女にそれが届かないだろうことと寧々には理解できた。少女の血がゆらりと動き、刃の形に姿を変える。その瞬間に由真が純夏を突き飛ばした。迫る刃には構わず由真が少女を抱きしめる。背中に当てた手の下が白く光り、ゆっくりと少女のシードが引き抜かれていく。
 その種は今まで寧々が目にしたどんな種とも違う状態だった。深い青色の根のようなものが種を抱え込むようにして張り付いている。由真が目を瞠った瞬間に青色の根から同じ色の枝のようなものが伸び、由真の腕に巻き付いた。
「……っ、寧々!」
 由真が叫ぶ。寧々が尋ねる前に由真は呻きながらも言葉を紡いだ。
「種そのものには傷はないし暴走もしてない。これだけを引き剥がす」
 それを可能にする方法が一つだけある。けれど寧々がどれだけ手を尽くしても、由真に負担をかける方法であることには変わらない。しかし今はそれしか手がないのも事実だ。

「――右目を使って、寧々」

 寧々は頷き、右目を手で覆った。その手を外すと、寧々の目に映る世界は一変する。
 左目は能力を解析する。けれど滅多に使わない右目は――ありとあらゆるものを寧々の基準で定義することができる能力を宿している。寧々が定義し、線を引けば種とアズールの青い根を完全に分けることができる。もちろん定義せずに無理やり引き剥がすことができなくもないが、そんなことをすれば種に傷がついてしまう。けれど寧々が右目を使うことは寧々に負担がかかるのも事実だ。けれど由真はそれを理解した上で右目を使うことを望んだ。それには応えなければならない。

「――由真。少しの間、耐えられる?」
「誰に聞いてんの?」

 定義をして、取り除くべきものとそうでないものの境界線を引くには時間がかかる。一度定義すれば呼び出すだけだが、最初はかなりの時間を要してしまう。その間、今も由真を侵蝕しようと枝を伸ばすアズールに耐えてもらわなければならない。けれど由真は右の口角を上げて笑った。今はそれを信じて任せるしかない。
「――『姿なき者よ』」
 定義開始の合図としての言葉だ。右目で捉えた青い枝がそれに反応して光り出す。寧々はその輪郭をなぞるように視線を動かした。
「『我が境界は混沌から光を分かち、以って遍くものを照らすものとする』――」
 その正体を掴もうとすれば、触れずに見ているだけの寧々にまで牙を剥こうとする。それならば実際に触れている由真はどれだけの苦痛に耐えているのだろうか。寧々の頭に映像が流れ込んでくる。青い桜が舞い散る中に佇む白い着物を着た女。そしてその女が振り向いた瞬間にその胸を貫いた青い枝。由真が微かな声で呻き、首筋を汗が伝って落ちていくのが見えた。おそらく由真も寧々と同じものを見ているのだろう。これ以上由真に負担はかけられない。けれど始点と終点が重なるまでは終えることはできないのだ。
 右眼が熱を持ち始める。寧々はそれでも目を動かし続けた。あとは始点と終点を結べば定義は完成する。
 アズールとは、本来ならばこの世に存在しない植物――青色の桜の種子を利用し、それに空間支配能力で能力者のシードにとりつく作用を付加された薬。長い間使用していれば取りつかれたシードは弱っていくが、今ならまだ間に合う。外側にあるものだけを引き剥がせば助けられる。
「――行くよ、由真」
 寧々は由真に言ってから、由真の左耳のイヤーカフに触れた。寧々が定義したものは、こうすれば由真に直接伝わる仕組みだ。一瞬の沈黙のあと、由真がゆっくりと頷いた。少女の種を握ったままの由真の手が動き、青色の根だけを握る。その瞬間に、少女の種を覆っていたものも、由真の腕に伸ばされていた枝も跡形もなく消えた。由真は息を吐いてから少女の中に種を戻す。
「……これで大丈夫、だと思う。さっきつけた傷は、星音がいないから治してあげられないけど」
「こいつは人より傷の治りが早い。それに関しては問題ないが……」
 純夏が寧々を見上げる。寧々は周囲の惨状を見回して溜息を吐いた。
「じきに悠子たちが来てくれるらしいから――詳しい話はそれからにしましょうか」
 気絶した人間を放っておくわけにもいかない。悠子たちに引き渡すまではここで待っていなければならない。寧々がそう言うと、今度は由真が少女を純夏に預けて立ち上がった。
「由真?」
「一人だけってわけにはいかないでしょ。このにいる全員さっきのあれ使ってたんでしょ?」
「いや、それはそうなんだけど……まさか全員にやるつもり?」
「そのつもりだけど」
 由真はさも当然のことのように言う。それがどれだけ由真に負担をかける行為なのかは由真自身が一番理解しているはずなのに。
「倒れるわよ、そんなことしたら」
「だからって助けられるのに放置するわけにもいかないでしょ。私は大丈夫だから」
 由真はそう言うと、さっさと気絶させられている人たちに近付いて行ってその種を取り出し、外側にあるアズールの根だけを引き剥がした。
「……そういえば種に直前干渉できる能力者は、支配系能力すら上回る稀少さか」
「代償は大きいけれどね。今は種の外側のものを壊してるだけだからまだいいけど」
 それでも能力を使うこと自体が由真の心身に負担をかけるのは事実だ。寧々は右目を押さえながら、左目で由真の様子を見守り続けた。
「その右目もなかなか厄介そうだけどな」
「昔はこっちも常時発動だったから、そのときよりはましよ。今回は由真が使えって言ったから使っただけ」
 右目はまだ熱を持っている。見ることで定義する能力は強いが、使いすぎると種の前に寧々の目に負担がかかりすぎて、気をつけなければ失明してしまうおそれもあるという。使う機会を減らし、使った後はすぐに目を休ませることで防ぐことはできるが、大きなリスクであることには変わりない。
「……それにしても、今日のこれは何が目的だったんだろうな。言っちゃ悪いけど、結構辺鄙な場所でこんな」
「たまたま私たちが来てしまったから戦闘になったけど、本当はそこまで人が多くなくて広い場所で実験がしたかったとか……」
「実験?」
「アズールでどれだけ人を操ることができるか……その範囲、精度、どれだけ能力の底上げができてるか……とか、試してみなければわからないこともあるわ」
 いや、あるいは誰かに邪魔されることも想定していたかもしれない。中央エリア外の辺鄙な場所でも、通報があれば警察は動くし、数が多ければ機動隊が動くこともある。そして――アルカイドのメンバーがこうして対処する場合も十分考えられる。
「どうした?」
「……実験、だとしたら……本来の目的は別にあるはず。それにアズールを使ってるのがあの一族の人間だとしたら、Clanとの関係は……」
 考えをまとめるために寧々が呟いた言葉を聞いた純夏は、ボディーバッグの中から写真を数枚取り出して寧々に渡した。
「……求めている情報はそれで合ってるか?」
 そこにはClanのリーダーである男と、彼に錠剤が入った瓶を手渡している顔を隠した男が写っていた。顔を隠していても背格好から若い男だということはわかる。そして、この写真には寧々にしか見えないものも確かに写っていた。
「手を引けって言ったの、やっぱり聞いてなかったわね」
「私が撮ったんじゃない。焔のリーダーにそれとなく言ったらこれが出てきただけで。だから私は手を引いてる」
「びっくりするくらい屁理屈ね……まあいいわ。おかげで繋がった。あとは――由真がどうするかだけど」
「一人で進まないでくれよ。この写真にどんな意味があるんだ?」
 どうやら純夏は写真の意味を理解していなかったらしい。寧々は写真の中の顔を隠した男を指し示しながら話す。
「アズールは空間支配能力を利用して作られてる。空間支配能力は万能に見えて有効範囲がとても狭いという欠点がある。アズールはおそらくそれをカバーするために作られた。そして自分が自由に使える手駒を増やすために、Clanを利用してばら撒かれたってところでしょうね。でも、Clanがそれに協力する理由が私にはわからなかった。だって彼らは多少能力が強くなるくらいで誰かを操れるようになるわけではないもの」
「能力強くなるのは十分な理由じゃないのか?」
「それだけだとしたらClan以外にもばら撒いてるのがおかしいのよ。だって自分たち以外も強くなったら意味ないじゃない。でもこれを見てわかった。――彼もまた、この男に操られた手駒でしかないのよ」
 写真はありのままを写しとる。撮影されてから日が浅いものであれば、映っている人物の能力もうっすらとだが見ることができる。Clanのリーダーには青い光がはっきりと見えた。そしてもう一人の男には――。
「いずれ対立することになるとは思っていた相手なのだけど……まさかこういう方向で来るとは思わなかったわ」
「そう言うからには、正体はわかっているんだな?」
「空間支配能力の段階で二人に絞れていたのよ」
 寧々がそこまで言ったところで、由真が溜息を吐きながら戻ってきた。疲れてはいるようだが体調に異変はなさそうだ。寧々は小さく安堵の溜息を漏らす。
「とりあえずここにいる全員、あの青いやつを全部引き剥がした。種にも異常はないから、多分大丈夫」
 けれど今日のことを仕組んだ人間は、ここにいる何人かが手駒として使えなくなったところで大した痛手はないと考えているだろう。支配できるものは全て手駒と考える。あの男がそういう人間であることを寧々は知っていた。
「それから、寧々。――あとで話がある」
「奇遇ね。私もよ、由真」
 これ以上隠しておく意味はない。おそらく由真ももう気が付いているのだ。寧々が笑みを浮かべると、由真は目を伏せて寧々からそっと目を逸らした。
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