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喫茶アルカイド

5・なんて物騒な世界だ3

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 もう、――。
 咲いてしまうともう戻れない。花が種に戻ることはできない。その状態に陥ってしまえばもう助けられないとわかっていた。
「いいんだよ、もう」
「嫌だ……! 絶対に助けるから……っ!」
「もう無理だよ。由真が一番わかってるはずだ」
 由真は首を横に振る。わかっている。けれどわかりたくはなかった。まだ間に合うと信じていたかった。
「こうやって話ができるのももう最後だ。僕は、これ以上君を傷つけたくない」
「やだよ……私にはできない……」
「由真にしかできないことだよ。……これ以上咲いてしまう前に、早く」
 そうするしかないとわかっていた。その結果何が起こるかもわかっていた。けれどその結末は到底受け入れられるものではなかった。だから――。



 由真は額の汗を拭いながら上半身を起こした。またあの夢だ。まだ誰にも言っていない、あの日の記憶。特殊光線を浴びたあとはこの夢を見る確率が上がる。予期できていたとはいえ、気分がいいものではなかった。
 もう一度眠れるような気はしなかったので、ベッドを出て階下のキッチンに向かう。冷蔵庫から麦茶が入ったポットを取り出してテーブルに置くと、ちょうど階段を降りてきた寧々と目が遭った。
「私もお茶」
「自分で入れなよ……」
 由真は溜息を吐きながらも、寧々のコップと自分のコップを取り出してそれぞれに麦茶を注いでいく。由真がポットを冷蔵庫にしまうのを待ってから、寧々は由真に尋ねた。
「体調は?」
「最悪」
「じゃあ今日はお休みだね。或果が空いてるって言ってたからシフト代わってもらおう」
「……店はそれでいいけど、何かあったときは」
「出すわけないでしょ。また機動隊と鉢合わせしたらどうすんの?」
 由真は麦茶が入ったカップを両手で包み込で俯いた。万全の状態でないことは自分が一番わかっている。けれど由真が出なければ最悪の状態になってしまうことがあることも知っているのだ。ハルに連絡が入らない事件もそれなりの数があり、由真が駆けつけることもできなかったその事件がどうなってしまったのかは想像に難くない。表面的には公権力が仕事をして無辜の市民を守ったということになっているのだろう。けれど実際のところは、助けられる人でさえ手遅れだったということになって消えていっているのが現状だ。
 この世界で、能力者ブルームの命はそれだけ軽い。
「軽い暴走くらいなら私や星音だって対応できるし、悠子さんだっているんだよ」
「進行してたらどうするの? 鎮静剤を打つだけじゃ根本的な解決にはならない」
「でも、由真一人で全ての人を助けるのは――はっきり言って不可能だよ」
「……わかってる。でも、助けられたかもしれないのに、とは思いたくない」
 自分が動けば何かが変わったかもしれないのに、自分の都合で安全な場所で休み続けることはできなかった。闘わなくても許されることはわかっている。許せないのは自分自身だ。
「それでなんだけどね、由真。――もう一人、戦闘向きの子をスカウトしようと思ってるの」
「私みたいな能力の人を見つけたってこと?」
「由真とは違う能力。でもあの子の能力と、ハル姉が考えている機械を合わせれば、能力悪用して暴れてる奴とか、機動隊とか、軽度の暴走者くらいは制圧できるようになるはず」
「……寧々、まさかとは思うけど、黄乃のこと巻き込むつもり?」
 由真は麦茶が入ったカップをテーブルに置いて寧々を見つめた。寧々はその目を正面から見つめ返す。由真の目は三白眼で、普通にしていても睨んでいると勘違いされるくらい目付きが悪く見える。その目でさらに真っ直ぐに見られると、それだけで気圧される人は少なくない。しかし寧々は微かな笑みと共にその視線を躱した。
「もちろん、本人が望まないなら強要はしないよ。ただ提案してみるだけ。スカウトってそういうもんでしょ?」
「自分が何言ってるかわかってる? この仕事がどんだけ危険か。後方支援だって現場に行けば何が起こるかわからないのに、ましてや前線に出すためにあの子を雇うの?」
「そうすれば助けられる人は今より増える」
「……でも、死ぬかもしれないんだよ。誰かをそんな目に遭わせて、自分が楽をするのは嫌」
 由真に話せば反対されることは寧々にもわかっていた。しかし由真に隠したまま事を進めるような不誠実なこともしたくはなかった。正面からぶつかり合って、由真が納得するのが一番なのだ。由真も頑固だが、頑固さで言えば寧々も負けてはいない。
「由真に楽をさせるためじゃない。私たち全体で、助けられる人を今より増やしたい」
「それはわかるけど」
「どっちにしろ、黄乃が嫌だって言うならこの話はなかったことになっちゃうけど……いずれ、戦闘に向いた能力の人が見つかれば雇うつもりだったから。私も、ハル姉も」
「寧々の言うことが正しいのはわかってる。でも……戦わなければもっと安全に生きられたかもしれない子の運命を、私たちが歪めてしまうことになる」
 それは織り込み済みだ。前線に出るということは、それだけ死ぬ可能性は高くなる。そんな仕事を人にさせるのかと、由真はそう問い質しているのだ。けれど寧々はとうの昔に覚悟を決めたのだ。
「私の力は戦闘に向いてない。でも能力者の置かれている現状を変えたい。だからこれまでこの仕事をしてきたし、これからもやっていくつもり。危険な仕事をさせる責任は私が取る。――もちろん、由真の分も」
「私は私の意思でやってることだから別にいいんだけど」
「それでも、この仕事をしていなければつかなかった傷はいっぱいあるでしょ? それでも私もハル姉も、由真に前線に出ろと言うしかない。私にとっては、それがこれからは二人になるかもしれないってだけ」
 由真なら耐えられない仕事だろう。寧々は俯く由真の頭を眺めながら思った。由真は誰かに戦わせるくらいなら自分が出て行くのだろう。そしてそのための力を持っている。持っていないとしても他人に戦わせるなんてことは耐えられないに違いない。自分以外の誰一人として、犠牲になるところは見たくないのだ。
「私たちがどう思おうと、最終的に決めるのは黄乃だけどね。それに、この仕事は危険なだけじゃないと私は思う。あの子は能力の使い方をまだわかってない。自由に使いこなせるようになれば、あの子は自分で自分の身を守れるようになると思うよ」
「……まあ、使いこなせてないんだろうなってのは明らかだったね」
「ひょっとしたら由真より強いかも。それに闘いを選ばなくたって、私たち能力者が生きてるのは生きるか死ぬかの世界でしょ」
 最近は母親の胎内にいる段階で、子供が能力者かどうかを調べることができる検査があるらしい。それで仮に能力者だった場合子供がどうなるのかは想像に難くない。自分の子供であっても能力者であれば手放してしまう人も少なくない。その能力が仮に毒にも薬にもならないような些細なものでしかなくても、ただ身体の中にシードがあるだけで迫害の対象になる。それは嫌というほど味わってきた現実だ。
「私はそんな世界を変えたい。できるだけ沢山の人を助けたいの。だから」
「――私は私のやりたいことをやるだけ。それが寧々のやりたいことと重なっているからここにいる。それはこれまでもこれからも変わらないよ」
 由真は立ち上がり、顔にかかった髪を掻き上げながら言った。飲み終わったカップをシンクに下げに行く後ろ姿を見ながら寧々は溜息を漏らした。

「……まあ、そういうところが好きではあるんだけどさ」
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