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り
前編
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「呪いの道具ばかり集めた展示ですか……」
「そう。まあ大体レプリカだから危険性はないらしいんだけどね」
オカルト雑誌のライターである緑川律樹は、助手である一倉景とともにある街の博物館を訪れていた。そこでは「呪い」にフォーカスした特別展が開かれる予定で、ネットのみで展開する記事にしたいから取材をしてこいと編集長に言われたのだ。
「でも、呪いなんて本当にあるんですか?」
「……景、今日は調子が良さそうね」
「何ですか、いきなり。そう見えますか?」
「違うわよ。今のも一種の呪い。調子が良さそうと言われたら、自分でもそんな気がしてくるでしょう? 逆に『調子が悪そう』と言い続けて、本当に相手を体調不良に追い込むことだって出来る」
人の心は大きな力を持つ。律樹は人の心をぼんやりとした色や形で見ることが出来た。だからこそ人が人にかける呪いのことには詳しい。
「呪われているのではないかと思うことで、本当に効果を発揮することがある――というのは科学的にも立証されていることね。あとは使った人がみんな早死にする道具は実は鉛が多く含まれていたとかそういう話もあるわ。今回の展示にもそういうものがあったはず。でも未だに説明のつかない呪いというものもあるのよ」
話しながら博物館のセキュリティーチェックを通り抜けると、館長が二人を待ち構えていた。閉館後の博物館。宣伝にもなるからと快く取材を許可してくれた館長は、ゆっくり取材できるようにと普通は入れないその時間に二人を通してくれたのだ。
「展示はこちらからになります。何せ小さな博物館なので、それほど展示が多いわけではありませんが」
律樹は順路に従い、ひとつひとつ呪いの道具を見ていった。細かな解説もついている。小さな博物館だが、優秀な学芸員がいるのだろう。歴史的にどのような位置づけにあったのか、呪いによって何が起きたとされているのか、予備知識がない者が見ても理解し、楽しむことが出来る。
「呪いの品だと思うと全部不気味に見えますね」
「そういう思い込みで呪いにかかることもあるから気をつけてね」
座ってはならない椅子や、手足が引きちぎられたような人形などが並ぶ。景はそれらを眺めながら呟いた。
「座った人が不幸になる椅子が呪いの椅子なら、そこで転んだら三年以内に死ぬとかも呪いになりませんか?」
「そうね、それは噂が呪いになったと言えるだろうけど。あとはカップルで乗ると絶対別れるボートとか。ああいうのは乗ったけど別れなかった人のことはほとんど話題にならない。別れた人の話だけが広まってジンクスという一種の呪いになる」
「いい方向に使えば、いい呪いみたいなことも出来そうですね」
「それは呪いと言うのよ。漢字も同じだから」
律樹は展示を見て回りながら、記事の構成を考えていく。今回は雑誌に掲載されるものでない。そして特別展の宣伝も兼ねているのだから、シンプルに簡単に展示を紹介するものがいいだろう。
とはいえ曲がりなりにもオカルト雑誌のライターだ。ある程度は不気味さが伝わるような筆致で書かなければならない。そういう意味で景の新鮮な反応は役に立つ。
「これが最後ね。――何かしら、これ」
ここまでは有名どころの品が多かった。オカルト関連の知識がある律樹にとっては正直新鮮な驚きのようなものはあまりない。しかし最後の展示品だけは異様だった。「り」とだけ書かれた掌くらいの大きさの紙。それがガラスケースの中で小さなライトに照らされている。しかもそれには、これまで丁寧に書かれていた解説文がついていなかった。
「り……って何ですかね?」
「若い子がそういう返事してくることがあるわね」
「了解を縮めて『り』って奴ですね。絶対違うと思いますけど」
「それは私もわかってるわよ」
り――それから連想されるものはなんだろう。
理科の理、利益の利、離別の離、表裏の裏。手がかりが少なすぎて解釈が難しい。景も真剣に考えているが、答えは見つからないようだった。取材なのだから、館長や学芸員に正解を聞いてもいい。律樹は遠巻きに二人を見ていた館長に声をかけようとした――そのときだった。
りん、り、り、りりりり、りん――
それは耳をつんざくほどの鈴の音だった。展示室の照明がひとりでに割れ、火花とともに破片が宙を舞う。そのひとつひとつに律樹は「り」という文字を見た。いや、それだけではない。暗闇に包まれた展示室に視線を巡らせる度に、その文字が視界の隅に入る。眼鏡の端に汚れがついたときのように、確かに見えるのに全体を視界に収めることが出来ない。そのくせ顔を動かす度にそれがついてくる。やがてその文字は生き物のように蠢きだし、律樹の足元にまで忍び寄った。
「律樹さん!」
景の声で、律樹はハッと我に返った。
暗闇はいつの間にか消えている。それどころか何かが起きた形跡もない。おそるおそる先程まで見ていた場所に目を向けると、そこにあったはずの展示品はガラスケースごと跡形もなく消えていた。
「今のは……」
「何かありました?」
館長は気が付いていないようだった。何かを隠しているようにも見えない。けれど景は確かに同じものを見たはずだ。律樹は景を引き寄せて、小声で尋ねた。
「何が見えた?」
「……何か、小さな虫のようなものが飛び交っているような……それが律樹さんに向かっていくのが見えたので、声をかけたんです」
「間違いなくあの紙のせいだけど……もうどこにもないわね。何か条件を満たしたら現れるのか……。でも、特定するには情報が少なすぎる」
律樹はふと足元に目を向ける。そこには蟻ほどの小さな虫がいて、細い脚を動かしながら律樹の脚を登ろうとしていた。景がそれに気付き、即座に虫を払いのけてから踏み潰す。景には霊感がある。昔は見えるだけだったのだが、体を鍛え続けた結果、何故かある程度の物理攻撃が通じるようになっているのだ。
「どうしますか、律樹さん」
「そうね……とりあえずこの展示は延期してもらった方がいいかもしれない」
どういう条件で起こるのかもわからない。もしかしたら展示の順番も関係しているのかもしれない。ひとつひとつには意味がなくても、それがある法則で並べたときに意味を持つこともある。平仮名などの表音文字もそのひとつだ。
「それじゃあ、もう少し調査を始めましょうか」
「大丈夫ですか? だってまだ――」
「どんな呪いかわからなければ、解き方もわからないでしょ」
久しぶりにライターとしての血が騒いでいた。根本的に呪いの類は嫌いではないのだ。律樹は再び脚を昇ろうとしている虫を見下ろして微笑んだ。
「そう。まあ大体レプリカだから危険性はないらしいんだけどね」
オカルト雑誌のライターである緑川律樹は、助手である一倉景とともにある街の博物館を訪れていた。そこでは「呪い」にフォーカスした特別展が開かれる予定で、ネットのみで展開する記事にしたいから取材をしてこいと編集長に言われたのだ。
「でも、呪いなんて本当にあるんですか?」
「……景、今日は調子が良さそうね」
「何ですか、いきなり。そう見えますか?」
「違うわよ。今のも一種の呪い。調子が良さそうと言われたら、自分でもそんな気がしてくるでしょう? 逆に『調子が悪そう』と言い続けて、本当に相手を体調不良に追い込むことだって出来る」
人の心は大きな力を持つ。律樹は人の心をぼんやりとした色や形で見ることが出来た。だからこそ人が人にかける呪いのことには詳しい。
「呪われているのではないかと思うことで、本当に効果を発揮することがある――というのは科学的にも立証されていることね。あとは使った人がみんな早死にする道具は実は鉛が多く含まれていたとかそういう話もあるわ。今回の展示にもそういうものがあったはず。でも未だに説明のつかない呪いというものもあるのよ」
話しながら博物館のセキュリティーチェックを通り抜けると、館長が二人を待ち構えていた。閉館後の博物館。宣伝にもなるからと快く取材を許可してくれた館長は、ゆっくり取材できるようにと普通は入れないその時間に二人を通してくれたのだ。
「展示はこちらからになります。何せ小さな博物館なので、それほど展示が多いわけではありませんが」
律樹は順路に従い、ひとつひとつ呪いの道具を見ていった。細かな解説もついている。小さな博物館だが、優秀な学芸員がいるのだろう。歴史的にどのような位置づけにあったのか、呪いによって何が起きたとされているのか、予備知識がない者が見ても理解し、楽しむことが出来る。
「呪いの品だと思うと全部不気味に見えますね」
「そういう思い込みで呪いにかかることもあるから気をつけてね」
座ってはならない椅子や、手足が引きちぎられたような人形などが並ぶ。景はそれらを眺めながら呟いた。
「座った人が不幸になる椅子が呪いの椅子なら、そこで転んだら三年以内に死ぬとかも呪いになりませんか?」
「そうね、それは噂が呪いになったと言えるだろうけど。あとはカップルで乗ると絶対別れるボートとか。ああいうのは乗ったけど別れなかった人のことはほとんど話題にならない。別れた人の話だけが広まってジンクスという一種の呪いになる」
「いい方向に使えば、いい呪いみたいなことも出来そうですね」
「それは呪いと言うのよ。漢字も同じだから」
律樹は展示を見て回りながら、記事の構成を考えていく。今回は雑誌に掲載されるものでない。そして特別展の宣伝も兼ねているのだから、シンプルに簡単に展示を紹介するものがいいだろう。
とはいえ曲がりなりにもオカルト雑誌のライターだ。ある程度は不気味さが伝わるような筆致で書かなければならない。そういう意味で景の新鮮な反応は役に立つ。
「これが最後ね。――何かしら、これ」
ここまでは有名どころの品が多かった。オカルト関連の知識がある律樹にとっては正直新鮮な驚きのようなものはあまりない。しかし最後の展示品だけは異様だった。「り」とだけ書かれた掌くらいの大きさの紙。それがガラスケースの中で小さなライトに照らされている。しかもそれには、これまで丁寧に書かれていた解説文がついていなかった。
「り……って何ですかね?」
「若い子がそういう返事してくることがあるわね」
「了解を縮めて『り』って奴ですね。絶対違うと思いますけど」
「それは私もわかってるわよ」
り――それから連想されるものはなんだろう。
理科の理、利益の利、離別の離、表裏の裏。手がかりが少なすぎて解釈が難しい。景も真剣に考えているが、答えは見つからないようだった。取材なのだから、館長や学芸員に正解を聞いてもいい。律樹は遠巻きに二人を見ていた館長に声をかけようとした――そのときだった。
りん、り、り、りりりり、りん――
それは耳をつんざくほどの鈴の音だった。展示室の照明がひとりでに割れ、火花とともに破片が宙を舞う。そのひとつひとつに律樹は「り」という文字を見た。いや、それだけではない。暗闇に包まれた展示室に視線を巡らせる度に、その文字が視界の隅に入る。眼鏡の端に汚れがついたときのように、確かに見えるのに全体を視界に収めることが出来ない。そのくせ顔を動かす度にそれがついてくる。やがてその文字は生き物のように蠢きだし、律樹の足元にまで忍び寄った。
「律樹さん!」
景の声で、律樹はハッと我に返った。
暗闇はいつの間にか消えている。それどころか何かが起きた形跡もない。おそるおそる先程まで見ていた場所に目を向けると、そこにあったはずの展示品はガラスケースごと跡形もなく消えていた。
「今のは……」
「何かありました?」
館長は気が付いていないようだった。何かを隠しているようにも見えない。けれど景は確かに同じものを見たはずだ。律樹は景を引き寄せて、小声で尋ねた。
「何が見えた?」
「……何か、小さな虫のようなものが飛び交っているような……それが律樹さんに向かっていくのが見えたので、声をかけたんです」
「間違いなくあの紙のせいだけど……もうどこにもないわね。何か条件を満たしたら現れるのか……。でも、特定するには情報が少なすぎる」
律樹はふと足元に目を向ける。そこには蟻ほどの小さな虫がいて、細い脚を動かしながら律樹の脚を登ろうとしていた。景がそれに気付き、即座に虫を払いのけてから踏み潰す。景には霊感がある。昔は見えるだけだったのだが、体を鍛え続けた結果、何故かある程度の物理攻撃が通じるようになっているのだ。
「どうしますか、律樹さん」
「そうね……とりあえずこの展示は延期してもらった方がいいかもしれない」
どういう条件で起こるのかもわからない。もしかしたら展示の順番も関係しているのかもしれない。ひとつひとつには意味がなくても、それがある法則で並べたときに意味を持つこともある。平仮名などの表音文字もそのひとつだ。
「それじゃあ、もう少し調査を始めましょうか」
「大丈夫ですか? だってまだ――」
「どんな呪いかわからなければ、解き方もわからないでしょ」
久しぶりにライターとしての血が騒いでいた。根本的に呪いの類は嫌いではないのだ。律樹は再び脚を昇ろうとしている虫を見下ろして微笑んだ。
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