グリーン・リバー・アイズ

深山瀬怜

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色水売りの男

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「さあ、どれでもいいよ。赤でも青でも緑でも」

 色水売りの男はにこやかに少年に選択を迫る。少年は親や先生から繰り返し言われていたことを思い出す。知らない人から物はもらわないように。今時飴で誘拐される子もいないだろうけれど、その色水売りというのは、誘拐犯よりも余程奇怪だった。
 男の前には一般的な500ミリリットルのペットボトルがずらりと並んでいる。そしてラベルのないそのペットボトルにはさまざまな色の液体がなみなみに入っていた。ちょうど母親が最近ハマっているビタミンウォーターの売り場のようだ。けれどあれはスーパーやコンビニの一角にあるもので、こんな道端で見られるものではない。

「あ、あの……ぼくは」

 逃げなければならない。少年は思った。明らかに怪しい人だ。男は少年の父親のようにきっちりとスーツを着ている。しかし、男の革靴はピカピカに磨かれているというのに、道端の土の部分にしゃがんでいるせいで下の方が少し汚れている。きちんとスーツを着ていて、髪の毛も整えているはずなのにどこか汚らしく見えるのは、その襟ぐりや袖が皮脂で汚れているからだろう。

「お母さんに、知らない人から物をもらっちゃいけないって言われてて」

 少年がそう言って逃げようとすると、色水売りの男はにこやかに少年を引き留めた。その手には青色の色水が入ったペットボトルがある。

「大丈夫、ここで飲んでいけばお母さんには気付かれないよ。それに毒なんて入ってない」

 ほら、と言いながら、男は手に持ったペットボトルの水を一気に飲んだ。しかし体調に変化があるようには見られなかった。蓋の空いたペットボトルからはわずかにラムネのような人工的な匂いがする。もしかして本当に毒でも何でもなく、好意で用意されたものなのだろうか。

「ほら、早くしないと温くなってしまうよ」

 ペットボトルにはすでに水滴が浮いてき始めていた。急に激しくなる蝉時雨に少年は暑さを思い出す。喉が渇いていた。水筒は持たせてもらっていたけれど、家まであと少しのところで中身はなくなっていた。意識してしまうと何が何でもそれで喉を潤したくなってしまう。
 それは少年の目に非常に魅力的に映るようになっていた。毒がないのなら。ここで飲んだら親にも先生にもバレないから。赤や青や緑や黄色の透明な液体。そしてコーラのような黒っぽい液体。普段は飲ませてもらえない甘露の味を少年の舌は思い出す。友達の家で出されたグレープジュースやメロンソーダ。それを飲んでしまったことは母親には内緒にしていた。それは少年の体にとっては悪だと言い聞かせられていたからだ。母親は天然の甘み以外は全て毒だと言う。だから果物であっても、シロップ漬けの甘い缶詰などは食べさせてもらえなかった。他の人は食べていると言っても、今は元気でも将来的に彼らはその毒で苦しんで死んでしまうのだと言って少年を怯えさせた。

 けれど少年はこうも思う。将来なんてわからないのに、と。不慮の事故などは誰にも予想できない。どれだけ気を付けていても、影響が出る大人になる前に死んでしまうかもしれない。それなのに自分だけどうしてこんなに自由にならないんだろうか。母が軽蔑するのんびり生きているクラスメイトの方が余程楽しそうだ。対して自分は、日々に何の喜びも見出せないままでいる。

 そしていつしか心の片隅で思うようになっていた。このままどこかに消えてしまいたいと。

 色水売りの男は笑みを浮かべる。彼の手にはコーラのような黒い色水があった。信じられないくらいの砂糖を使ったそれは、骨が溶けてしまうからと特に強く禁止されている者だ。
 けれど今、それが飲みたい。どうしても飲みたいのだ。

「いいよ。いくらでも飲むといい。ここでそれを飲んだことは二人だけの秘密だよ」
「うん……」

 どこか熱に浮かされたような目をして、少年は色水を受け取った。蓋を開けて、一気にそれを飲み干す。舌と喉を刺激する炭酸。慣れていない少年には少し痛いほどのそれとともに襲ってくる甘み。胸も腹もそれで満たされていく。
 どうして迷っていたんだろう。こんな美味しいものなのに、どうして最初はここから逃げようとしていたのだろう。少年はそれを一気に飲み干して、空になったペットボトルを男に渡した。

「ありがとう、おじさん。えっと、お金は……」
「いやいや、お金はいらないよ。それは数日後にもらうからね」

 男の言葉に首を傾げるが、男はそれ以上は何も言わなかった。太陽が山の後ろに隠れ、辺りは急速に暗くなり始める。もうそろそろ帰らなければ母に怒られてしまう。少年は男に頭を下げ、慌てて帰路についた。
 それから少年は、色水を飲んだことを誰にも話さず、普段通りの生活を送った。けれど時折、味気ない食事の合間などにその甘さを思い出していた。そしていつかまた帰り道で、あの色水売りの男に出会えないかと考えていた。

 しかしそれも、それからたった三日ほどの話だ。



 ○○県××市△△の山中で、十二日朝から行方不明となっていた小学三年生の○○○○(9)が、十五日午後一時四十分頃、遺体となって発見されました。

 警察によりますと、○○くんの遺体は黒いビニール袋に入れられ、**沢から十メートルほど離れた場所に埋められていたということです。
 警察は、十五日午後、殺人・死体遺棄事件として捜査本部を設置し、二百人体制で周辺の防犯カメラの解析や聞き込みなどの捜査を行っています。



「色水売りの男、ですか……」
「そうです。最近話題になってる都市伝説なんですよ。最近全国各地で子供が亡くなる事件が起きたじゃないですか。それにその色水売りが関わってるっていう噂があるんです」
「ほとんど陰謀論じゃないですか、それ」
「そこをちゃんと検証するのが我々の仕事なんだよ、緑川さん」
 子供が亡くなる事件というだけで気が乗らないのに、その上それに関して囁かれている噂を検証しろと言われるとは。そもそもオカルト雑誌のライターという仕事にあまり積極的ではない緑川は、編集長のお願いに深い溜息を吐くのだった。
「だいたいとっかかりがなさ過ぎますよ。子供の前にしか現れないのに、大人の私がどうしろって言うんですか」
「でもねぇ、それが本当の都市伝説だったらいいんだけど、誰かが面白がって流した悪質な噂とか、それこそ陰謀論だったら我々が困るんだよ。我々が追い求めているのは本物のオカルト。偽物なんていらないんだから」
「はぁ、そうですか……」
「頼むよ、緑川さんしか今動ける人がいなくてさ。伏見くんも動けるには動けるけど、ほら、彼こういうのにあまり関わらせたくないというか」
 同僚の伏見は、数年前に自身の妻が死産してしまったこともあり、子供が巻き込まれる事件には思うところがあるらしい。彼の精神のためにも彼を外すというのは賢明な選択だと思う。だからといって検証を諦めるのではなく、他の人に振るということになるのか――と緑川は編集長に差し出されたスマホの画面を頬杖を突きながら眺めた。
「だいたい、範囲が広すぎますって。心霊スポットならそこに行けばいいだけだけど、これだと日本全国ですよ」
「大丈夫、旅費は経費で出すから。それに緑川さんなら、あの助手の子使えばいいんじゃないかと思って」
「あいつをこっちの仕事に関わらせないでくださいよ。助手と言っても、身の回りのことをちょっと手伝ってもらってるだけですよ」
「まあまあそう言わずに……考えるだけでも」
「わかりました。考えるだけでいいなら」
 調査するにもどこからどうやればいいのかわからない。それが決まらなければ動いたところで無駄足に終わる可能性が高いだろう。緑川はそれでも編集長に頼まれた手前、その色水売りが関わっていると噂されている事件の記事を集め始めた。
(といっても、今は画面越しじゃ何もわからないし……)
 近場で起きた事件の関係者を当たるにしても、さすがにオカルト雑誌のライターなんて相手にしてくれないだろう。それに子供を亡くして憔悴しているかもしれない相手に取材をするのは避けたい。色水売りの男は全国を移動しているようだから、どこか一点に決めて張り込みするのも現実的ではない。
(景に頼むのもな……)
 緑川が趣味でやっているもう一つの仕事の助手である一倉いちくらけいは、何故か怪異を引き寄せる体質の持ち主だ。緑川の前には姿を見せない相手でも、景の前には現れるということもある。しかし彼をそういうものとして使ってしまうと、仮に怪異が緑川の手に負えないものであった場合に対処が出来ない。
(まずはこの子たちの共通点を洗い出して、それから……誰かには会わないといけないかな)
 緑川が持つ能力を活かすには、相手に直接会わなければならない。そして緑川は周囲からはオカルト事件を解決していると思われがちだが、緑川が対処できる事件は非常に限られている。緑川は生きている人間の心が生み出す怪異を専門にしているのだ。
(色水売りの男……本当にいるとしたら、その目的は何?)
 怪異にも目的はある。特に人間の姿をしているものは大抵何らかの目的があって動いている。それが恨みを晴らすためなのか、生前に出来なかったことをするためなのか、それとも別のものなのかはケースバイケースだ。



「さあ、どれでもいいよ。赤でも青でも緑でも」

 それは色水売りと呼ばれていた。子供の帰り道に突然現れ、色水を売ろうとする男。そしてその音この言葉を少しでも聞いてしまったが最後、最初はどれだけ疑っていても子供はその色水を買ってしまう。そしてその色水を飲んだ数日後に、子供は死んでしまうのだという。
 青を飲んだ子供は溺死。
 緑を飲んだ子供は毒殺。
 黒を飲んだ子供は暗い土の中に埋められて、
 赤を飲んだ子供は血塗れになって死ぬ。
 だから色水売りの男に会ったら、その言葉は一切聞かずにその場から逃げなければならない。



「緑川さん、ちょっと相談があるんですけど」
「何?」
 緑川が景がテイクアウトしてきてくれた夕食を食べようとしたそのとき、景が真剣な顔をして言った。緑川はスプーンを持った手を止め、景を見る。薬は食後に飲むものだから、朝に飲んでから時間が経っていて、少し効果が薄れ始めていた。景の周りにぼんやりと青色の傘のようなものが見える。彼はいつも緑川を心配しているから、これ自体はいつもと変わらない。けれどその中に一つ、傘ではなく雨合羽があった。青は憂い、雨具は心配。けれど傘ではないということは、他にも心配している相手がいるということだ。
「色水売りの男って都市伝説知ってますか? 最近子供たちの間で話題らしいんですけど」
 今日職場で聞いたばかりだ、とは言わなかった。緑川は「概要くらいは」と答え、景に先を促す。景は巨体を丸めるようにしながら話し始めた。
「実は、うちに通っている子で、その色水売りに会ったって子がいるんです」
 景は日中は予備校の講師をしている。彼が関わっているのは子供と言っても高校生以上がほとんどだ。そんな年齢でもあの色水売りに会うことがあるのか。もしそれが本当なら記事のとっかかりになる可能性もある。緑川は更に先を促した。
「その子は予備校の帰りに家の近くで会って、怪しいと思ってたはずなのにどうしても喉が渇いてそれを飲んでしまったそうなんです。青いやつって言ってました。で、その後で噂を知って、数日以内に死んでしまうんじゃないかと怖がっていまして……」
「青なら……水には近付かない方がいいけど、人間、条件が重なったら洗面器の水でも死んじゃうからね。それで、景の見立ては?」
「その色水売り本人を見たわけではないので……容器も返してしまったみたいだし。でも何か嫌な感じはしたんです。だからそれとなく本人に聞いて、それでこっそり教えてくれたんですけど」
「景の嫌な感じっていうのはほぼ当たるからね……。まずは私がその子に会って、私にどうにか出来る相手か確かめろって言いたいのね?」
 景は頷く。このことを編集長に話したら喜んで経費を出してくれそうだが、まずは自分で何とか出来るかどうかを見極めなければならない。編集長に報告するのはそれからでも遅くない。
「その子は今から会えたりする?」
「今からですか?」
「当然でしょ。その水飲んでから何日経ってんの? 噂が本当なら時間はないよ。ちょうど朝飲んだ薬の効果が切れ始めてきたところだし」
 緑川は人の感情を色のついた靄として見ることができる。しかしそのままにしているとその靄のせいで日常生活に支障が出るので、薬を飲んで力を抑えている。その薬は本来幻覚や幻聴に苦しむ人のためのものだが、緑川の能力にも何故か効くので、そのまま処方してもらっている。
「わかりました。今彼女に電話して会えないか聞いてみるので」
 景が椅子を立って電話をかけ始める。なかなか電話が繋がらなかったようだが、三十秒ほどしたところで、景が落ち着いた声で「もしもし、一倉ですが」と言う。しかし次の瞬間に景の顔色が変わった。

「蓮見さん!? 大丈夫ですか、蓮見さん!?」
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