【R18】Life Like a Ring

深山瀬怜

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第7話 鑢・1

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 日曜日に遼の家に行くのは久しぶりだ。遼は平日の昼間は仕事でいないから、顔を合わせるのも久しぶりだ。でも今日、彼が家に入るかどうかはわからない。家にいると予想しているのは私の希望的観測だ。
 親には「図書館で勉強する」と言って出てきた。わざわざ図書館には監視に来ないから、この嘘はまだバレていない。遼の家に着いた私は、まずインターホンを鳴らした。すると中から物音が聞こえる。今日は家にいるらしい。しばらくするとドアが開いて、上下スウェット姿の遼が姿を現した。明らかに外に出るつもりがない、気の抜けた格好をしているのに、ピアスと指輪をつけているのは不思議だと思う。けれどそれがよく似合っているので、私は何も言わないことにした。
 遼は私を部屋に入れると、鍵とチェーンを掛ける。万が一にでも誰かが入ってこないようにだろう。私がここにいることは、本来は許されないことだ。私は望んでここにいるのに、私達の関係が露呈したら、責められるのは遼なのだ。
 遼はソファーで寝転がって漫画を読み始めた。私の家にはない、だらけた休日だ。私がここでどう過ごそうがあまり気にしていないその態度が、私には心地よかった。
「何か飲む?」
「大丈夫です、自分の飲み物は持ってきたので」
「そう」
 短い会話が終わると、遼はまた漫画を読み始める。内容はよく知らないけれど、その漫画が最近ヒットしたものであることは知っている。私の親なら「漫画なんて低俗なもの」というところだが、その低俗なものを読んでいる人が沢山いるからヒット作が生まれるんだということが最近ようやくわかってきた。
 私にとって、遼は外の世界そのものだった。家と学校という狭い世界しかなかった私に、それとは違うものを教えてくれる。漫画を読んでいる人は沢山いるし、その中には大人だっている。大人買い、なんて言葉があるくらいなのだから、むしろまとめて買って一気に読むのは金銭的に余裕がある大人の専売特許だ。遼が冗談めかして言った言葉が、私にとっては新鮮だった。
 今まで否定されてきたものが、遼によって肯定されていく。私はここで過ごす日々に安心感を覚えていた。
 けれど――私は、彼の本当の目的を知ってしまった。
 彼が私に優しいのは、私を助けたいと思っているからではない。私のことなど考えてはいないんだ、と冷静な一言が腹の底に冷たく落ちていく。遼の妹である詩乃が教えてくれた真実。誰かに殺されることを願っているという、遼の身勝手な目的。それがわかってからも、私は彼から離れることができなかった。
 でも、私では彼の望みは叶えられない。私は彼のことを殺したくないのだ。本当は何度も想像してみた。猫を殺したときのように、遼を殺すところを。しかしいつも手が震えてうまくいかない。そのときに泣きたくなるほど溢れてくる感情を、人は恋と呼ぶのだろう。単純に、私は遼のことが好きなのだ。
 私の荷物が入っている箱を開けて、中から木芯棒を取り出す。今日は数日前に成形したものがちゃんと乾燥しているか見に来たのだ。水分が残っていると、この先の工程に支障が出る。慎重に点検して、乾燥を確認したので、木芯棒からリングを外した。
 今私は、この前遼と出かけたときに買った銀粘土を使って、指輪を作っている。私のものではなく遼のものだ。作ったところでつけてくれるかどうかはわからない。これは私の自己満足的行為だ。
 遼は仕事に行くとき以外は、家にいても指輪とピアスを身に着けている。普通アクセサリーの類は、家にいるときは外すものではないかと思うのだが、遼の場合はむしろ逆だという。その話を詩乃にすると、詩乃は「確かに逆かもね」とだけ返してきた。二人にとっては昔からのことで、それが当然のことになってしまっているのかもしれない。それだけ頻繁に身に着けられているものを作りたい、というのは完全に私のわがままだ。私の作ったものが彼の肌に触れているところを見たい。
 そして、あわよくば――この銀の輪が彼を縛るものになればいい。
 歪んだ欲望だとは思う。でも、言葉に出さずに望むだけなら許されるだろう。指輪やネックレス、ブレスレットなどを送るのには、相手を束縛したいという意図が含まれる場合もあるらしい。結婚指輪はお互いに伴侶として相手を縛るもの。そこまで考えている人は稀かもしれないけれど、私はそれだけの気持ちを込めたい。誰かに殺されたいという彼の望みが消えることを私は願っている。いや、そこまでいかなくてもいい。殺されることもなく、ただ日々が続いていく今の状態がずっと続くのでもいい。今が不安定な状態であることはわかっている。でも、不安定なものが何故か崩れないまま永遠に続いたっていいだろう。
 私は乾燥した指輪に慎重にヤスリをかけていく。最初は金属ヤスリで大体を均(なら)してから、そのあとでスポンジヤスリをかける。粗い目から細かい目のものに徐々に変えていき、指輪としての形を整えていった。
 しばらく作業を続けて、疲れてきたので息を吐き出す。同時に遼が読み終わった漫画をテーブルに置いた。
「……すごいな」
「え?」
「いや、指輪ってそんな風に作れるんだなって思って」
「初めて作るので……うまくいくかはまだわからないですけど」
 遼のために作っているんだと言ったら、どんな反応を示すのだろうか。少し怖い。聞いてしまって、未来が確定するのが嫌だ。黙っていれば、受け取ってくれない未来も、受け取ってくれる未来も、両方存在したままだから。
 私は気持ちをごまかすために再びヤスリをかけ始める。けれど緊張してしまったせいか、力を入れすぎて指輪が割れてしまった。でもこれはよくあることだと本にも書いてあっった。粘土だから、余った粘土を糊の代わりにしてくっつければいい。もう一度乾燥からやり直しになってしまうけれど、それは仕方ないことだ。
「自分の好きな形に作れるのっていいな」
「そうですか?」
「気に入ったデザインのものがあってもサイズ対応していないとか、たまにあるんだよ。何か指が細すぎるみたいで」
 男性向けのデザインであれば、そういうこともあるだろう。遼の指のサイズを知るために、遼が仕事に行っている間に指輪を借りたことがあるが、どちらかというと女性の平均のサイズに近かったのだ。
「詩乃はフリーサイズのピンキーリングが中指に入るって言ってたけど」
「じゃあ、指が細いのは家系的なものもあるんですかね」
 詩乃とは一度しか会ったことがないけれど、確かに指がすらりとしていた印象がある。ただし、彼女の場合は美しく塗られた爪の方に視線が奪われがちなので、曖昧な記憶だけれど。
「あの……もし、こういうものがほしいっていうのがあれば、私が作れる範囲なら作ってみますけど」
「本当に? じゃあ今度お願いしようかな」
 今度、という言葉に私は微笑んだ。殺されたいと思っているはずなのに、「今度」の話をする。それは彼が本気ではないということを示すものではないとわかっている。死にたいという気持ちと生きたいという気持ちは、両立するものなのだ。それでもこの瞬間に「今度」のことを考えられる状態であることに安心する。
「じゃあ、これが完成したら……遼さんのリクエストを聞きますね」
 不意に考える。
 それならこの指輪が完成しなければ、「今度」は永遠に先送りされるのだろうか。先送りされている限り、遼は生きていてくれるだろうか。でも、それは彼の望みを否定する考えにほかならない。彼が好きならば、本当は彼の望みを叶えてあげるべきなのではないか。そんなことも思ってしまう。
 答えは見つからない。でも、見つからないならそれでいいと、私は結論を先送りにした。
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