【R18】Life Like a Ring

深山瀬怜

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第5話 トラロープ・1

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 遼が何を考えているかは、正直わからないままだ。
 けれどここにいる間は誰にも邪魔をされずに好きなことができるから、居心地が良くて結局毎日のように通ってしまっている。よく知らない異性の家に入り浸るなんて危険極まりないことだろう。でも遼になら何をされてもいいと思えた。私にこんな場所をくれたのは彼が初めてだったから。
 学校にも家にも居場所がない。自分の現状を表現すると、こんなありきたりな言葉になってしまう。ありきたりな言葉には回収されない痛みがいつも身体の中に蹲っている。それが爆発すると、この手は生き物を傷つけてしまう。
 でも遼の家に行くようになってから、その爆発は起こらなくなっていた。このままでいられたらと思うこともあった。幸いにも私がやったことは遼以外にはまだ知られていない。遼だけは私のことをわかってくれる。だから安心することが出来た。
 遼は何も言わないけれど、彼はおそらく少年事件についてそれなりの知識を持っている。彼が仕事に行っている間に、マガジンラックに入れられていた水色のノートに気が付いてしまった。五年ほど前に起きた事件の記事がスクラップされているノート。そんなものを所持しているということは、少なくともそれについて関心はあるということだ。そこに書かれている少年たちは私とよく似ていると思った。理由はそれぞれだけれど、人の道を外れてしまった子供たち。中には私と同じように動物を殺してから人間を殺すに至った人もいる。
 彼はもしかして、私と同じ感情を抱えているのだろうか。自分の中を突き破って溢れてくるような殺意を理解している人なのだろうか。普段の彼は穏やかで、そんな気配は微塵も感じない。けれど彼の部屋にあるものは、彼がただの親切なだけの人間でないことを物語っている。
 私は机の上のアクセサリースタンドから、遼がいつもつけている指輪を取った。仕事のときは外しているようだが、家に帰ってくるとすぐにこの指輪をつける。もしかして誰かにもらったものなのかと思って尋ねてみると、「自分で買った」という答えが返ってきた。単純に気に入っているだけだという可能性もある。けれどその指輪をつけると、遼の雰囲気が少し変わるのだ。仕事用のよそいきの自分から、本来の自分に戻るためのスイッチなのか。遼自身には自覚がないのかもしれない。
 輪の形をしたアクセサリーは、装飾具であると同時に枷のような意味合いが込められることもある。私には遼の指輪が枷のように見えた。考えすぎかもしれない。でも、少なくとも遼が私に本心を打ち明けていないことだけはわかる。本来の彼はもしかしたら、枷を必要とするような、そうしなければ日々を生きていけないような人なのかもしれない。もしそうだとしたら――私は、少しだけ嬉しい。



 学校にいると息が詰まるように感じる。授業中の教室は酸素が薄い気がするし、休み時間の教室は空気が尖っている。私のことが気に入らないのなら、いない者として扱ってくれればいいのに、何故か今日もひそひそと陰口を叩いているのが聞こえてくる。いや、わざと聞かせているのだろう。
 ただ成績が良いだけで学校行事には非協力的。親がうるさいタイプ。同世代に嫌われる要素は十分にあった。でも私も別に彼らと仲良くやっていこうとは思っていない。どうせ中学を卒業したらほとんど会うこともない人たちだ。早くこの時間が過ぎ去ってくれればいい。そう思っていた。
 けれどただ陰口を言われているだけの冷戦状態は、それほど長くは続いてくれなかった。
 私が自分の席で本を読んで時間を潰していると、教室の一部が騒がしくなった。けれど私は本から目を離さない。そちらに目を向けたらどんな言いがかりをつけられるかわかったものではないからだ。
 聞こえてくる話では、クラスメイトの見上さんの教科書に誰かが悪戯をしたということだった。落書きをしたり破いたり。立派な器物損壊だ。嫌われ者の私と違って、見上さんは多くの人に好かれていた。スポーツ万能で、所属している軟式テニス部ではエースの扱い。人当たりも良く、いつも微笑みを湛えていて、しかも成績優秀。そういえば先日の試験で理科で1位を取ったのは見上さんだったらしい。私にとっては自分の順位だけが重要だから、誰が私の上にいるのかなんてどうでも良かったけれど。そんな見上さんがこんなあからさまな嫌がらせをされるなんて、何かあったのだろうか。どうせ知ったところで大したことはない理由だけれど。
 結局日頃の憂さ晴らしをする方法を探しているだけだ。けれどやってはいけないことを堂々とやる勇気はない。だから陰口や嫌がらせをしてもいい正当な理由を探す。「誰でもよかった」という無差別殺人犯の方がよほど動機に関しては誠実ではないだろうか。でもここで寄り集まって誰かを傷つける有象無象は、警察に捕まることもなく、ともすれば将来的には幸せな人生を手に入れたりもする。
 ここにいる人間を全て撃ち殺せたら、どれほど気持ちが晴れるだろうか。手に入るはずはないけれど、マシンガンのようなものがここにあったら。ニュースで見た、外国の凄惨な事件現場が頭に浮かぶ。銃乱射事件と一括りにされてしまうけれど、動機は実に様々なものがある。けれどやはり銃は身近ではなくて、自分がそれを持っているところは上手く想像が出来なかった。引き金の重さも、火薬の匂いも、銃弾が発された瞬間の反動も体験したことがないからわからない。私が知っているものはせいぜい、引き金を引けば具じゃって音が出るおもちゃくらいだ。それは前に店で見かけたときに見本を触ったことがある。それ以外は屋台の射的ですらやったことはない。
 首を絞めてから鋏を突き立てる。それは昔、昼間に再放送されていたドラマで見たものだ。けれどそのドラマのタイトルは覚えていない。そんなシーンがあるのだから、きっとサスペンスドラマだったのだろう。犯人の男が馬乗りになって被害者の女の首を絞め、細工が施された鋏を死んだ女に突き立てる。いつ見たかも思い出せないそのシーンが、ここ数ヶ月繰り返し頭に浮かぶようになった。
 もしかしたらこれは私の頭の中で記憶が混ざり合って生成された、偽りのものなのかもしれない。でも嘘か本当かはどうでもいい。ただ時々、その光景を再現したくて仕方なくなってしまうだけだ。
 別に猫である必要はない。私はいつも猫に被害者の女を重ねている。でもその女の顔もドラマではよく見えなかった。それは誰でもない女なのだ。けれど最近は――。
「ねぇ、今井さん」
 思考を中断させる尖った声。私の目の前には、クラスの中心人物である中川さんが立っていた。中川さんの後ろには中川さんの取り巻きが二、三人。そしてその後ろに困惑した顔をしている見上さんがいる。
「何?」
「見上さんの教科書、やったの今井さんでしょ」
「私じゃない。全く心当たりないし」
 本当に心当たりはない。だいいち、見上さんの教科書を破いたりする以上のことを私は既にやってしまっている。彼女らは私が何度か猫を殺していることを知らないのだ。
 中川さんが私の机に見上さんの教科書を叩きつける。理科の教科書だ。元々は丁寧に使っていたのだろう。教科書にマーカーで線を引くタイプではないけれど、きっちり読み込んでいたであろう折り目がノドのところについている。
「動機があるのは今井さんだけじゃない! この前理科のテストで負けたからって!」
「あれは私がミスをしただけで、それがなければ見上さんと同じ満点だったと思うけど」
 見上さんはそこでようやく中川さんを止めた。その前から止めようとしていたのは見えていた。でも遅すぎる。
「私は別に犯人を見つけたいとかそういうんじゃないの。教科書は新しいのをもらえばいいんだし……」
 物には執着しないのか、それとも教科書だったのが幸いしたのか。見上さんはただ教科書が使えなくなって困っているだけで、本当に誰がやったかを気にしている様子ではなかった。彼女が善良なのはわかっている。見上さんは私に対する陰口の輪には絶対に入らなかった。いや、私だけではない。彼女が誰かの悪口を言っているところは見たことがない。
「でもこういうのって一回じゃ終わらないんだよ? 他にもやられる人が出てくるかもしれない」
 よくご存じで、とは言わなかった。中川さんは悪意を持った人間の思考がよくわかっている人だ。フィクションの世界では、こうやって積極的に犯人を突き止めようとする人が真犯人であるというありがちな展開があるけれど、それだけで中川さんを疑うようなことはしない。別に誰だっていい。少なくとも私ではないのだから。
「とにかく、私はそんなことしてないから」
「じゃあ証拠は? やってないって証拠見せてよ」
 悪魔の証明だ。それがどれだけ難しいかというのは、裁判で無罪を証明するのがどれだけ困難かを考えればわかるだろう。プロの弁護士でも出来ないことがただの中学生に出来るわけがない。
「中川さん、もういいから」
「見上さんは優しすぎるんだよ。こういう奴は絶対つけあがるから」
 そういう中川さんの口元には笑みが浮かんでいる。己の正義に酔っているのだろうか。くだらない。そもそもそんな動機だけで犯人を決めつけて、冤罪だったらどうしようだとかは考えないのだろうか。
 その瞬間、頭の底から赤い靄が噴き出した。それは私の視界までも真っ赤に染めていく。こうなってしまったら止められない。自分でもどうにも出来ない。私の手が意思とは関係なく空(くう)を握った。
 ここに銃があれば。ナイフでもいい。いや、ロープならいつでも持っている。百均で買った黄色と黒のロープだ。でも、この衝動をこんなどうしようもない人たちに使ってしまっていいのか。首を絞めて殺すのには時間がかかる。この衆人環視の中で実行してしまうと、すぐに取り押さえられてしまう。そうすればただの殺人未遂だ。
 この感情は今は抑えなければならない。そう思った瞬間に頭に浮かんだのは遼の顔だった。彼を殺す理由があるわけではない。むしろ現状ではたった一人の理解者だ。それでも、殺すなら彼がいいと思った。
「ちょっと、どこ行くのよ!」
 私は中川さんを突き飛ばして走り出した。頭の中が赤に染まっていく。今まで思い描いていたドラマの中の被害者が、遼の姿に置き換えられていく。ああ、殺してしまいたい。早く、早く。その整った顔が苦痛に歪むところや、抵抗して伸ばされる手や、絶命して体から力抜けるところが見たい。
 私は学校を飛び出す。けれど校門を出たところで我に返った。このまま出て行ったところで見つかってしまうだろうし、そもそも今から遼の家に行っても彼はいない。だからといって教室に戻ったら余計立場が悪くなることは確実だ。
 何かに追い立てられるように、私は再び走り始めた。どこでもいい。今の私を隠してくれる場所が欲しい。そう願って、いつもは通らない道を通る。今自分がどこを歩いているかもわからなくなったところで、空き地の茂みの中から首輪をつけた猫が現れた。
 首輪があるということは脱走した飼い猫か。だけどそれ以上は何も考えられなかった。こんなときに目の前に現れてくれた存在は運命だ。人に飼われて人に慣れた猫は、私が捕まえようとしてもそれほど抵抗はしなかった。そのまま猫を人目のない茂みの奥へ連れて行く。
「君が家から逃げたりしなければ、こんなことにはならなかったんだよ」
 ロープは学校に置いてきた鞄の中だ。二重底にして、簡単には見つからないようにして入れてある。鋏も持ってきてはいない。けれど頭の中に広がった赤い靄が私の体に命じる。早くしろ、早くしろ、と私を追い立てる。
 猫の首に手を掛けて、全体重を乗せた。私の手の中で苦しんで藻掻いている灰色の猫。きっと愛されていたのだろう。少なくとも野良猫たちと違って毛並みは綺麗だった。それなのに終わりはあまりに理不尽だ。でも飛び出した結果車に轢かれて死んでしまうのと、誰かに殺されるのと、主観的には同じなのではないかとも思う。
 猫が動かなくなることには、赤い靄はすっかり消えていた。けれど私の手はまだ動き続ける。誰も気付かないかもしれない。でも見つけてしまう人もいるかもしれない。私は猫の上に近くに咲いていた白(しろ)詰(つめ)草(くさ)で作った花輪を置いた。花輪は少し歪になってしまったかもしれないけれど、とても綺麗だ。私は道沿いにそれを飾ると、誰も見ていないことを確認してからその場から離れた。
 遼の家に行こうと思った。今行ってもいないことはわかっている。でも他に行くところなどない。お金も持っていない。何よりも気分が高揚していて、早く彼に会いたいと思った。会えなくてもその気配を感じたい。彼ならきっと私をわかってくれるはずだ。私は何も悪いことなどしていないのだから。
 宛もなく歩いてしまっていたので、地図アプリで現在地を確かめてから遼の家に向かう。幸い遠回りにはなっていないようだ。学校を出る前に起きた出来事などもうどうでもよくなっていた。
 遼のアパートに到着し、郵便受けのダイヤル錠を回す。そして郵便受けの上に貼り付けてある袋を取った。鍵はこの中に入っている。そのまま音を立てないように階段を上り、二階の奥の部屋のドアノブに鍵を差し込んだ。
「お邪魔します」
 当然のことながら誰もいない。今朝はばたついていたのか、朝食に使ったのだろう茶碗や味噌汁のお椀がシンクの中で洗われずに置いてあった。両親は手伝いをするくらいならその時間に勉強しろと言う人たちなので、私はほとんど料理をしたことがない。けれど洗い物くらいならできる。これを洗っておいたら、遼は嬉しいだろうか。そんなことを考えながらスポンジに洗剤をつける。
 一人分の洗い物はすぐに終わって、私は静かな部屋の中に一人だった。リビングの二人がけのソファーに座って、畳んで背もたれに掛けられているブランケットを手に取る。鼻に近付けてみると、柔軟剤らしき花の香りがした。でもわずかに違う匂いもある。それを身に纏っていると、まるで抱きしめられているようだと思った。実際には遼に抱きしめられたことなど一度もないけれど。
 このソファーは知り合いに譲ってもらった物だと遼が言っていた。全体的に落ち着いた色でまとめられた室内に、少し不釣り合いなオレンジ色。部屋のカーテンの色は藍色で、本来彼が好きなのはこの色なのだろうと思う。私はソファーに横になって、ブランケットをかぶって目を閉じた。
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