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赤羽美也子
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しおりを挟む「何、どうしたの?」
突然の大声に、先に行こうとしていた人々も戻って来た。少年は窓の外を凝視したまま、一歩、二歩と後ずさり、廊下の壁に背をつけた。震える指が窓を指す。
「そ、外……」
「外?」
「真っ暗じゃないか」
何があるというのか。他の面々と一緒に、美也子も窓を覗き込む。
そこにはただただ夜の闇があるばかり。
――いや、違う。
そこにあるのは暗闇ではない。黒だ。黒々とした何かだ。
黒は、一面を均一に塗り潰しているわけではなかった。よく観察すれば、それは蠢いている。渦を巻いている。外の空間を埋める真っ黒い何かが絶えず流動し脈打っている。
ほとんど同時に四人は窓から離れた。帽子の男が乱暴にカーテンを閉める。
束の間、沈黙が流れる。
突然、女が踵を返した。先ほど出てきたばかりのリビングへと駆け戻って行き、少しの後、強張った表情で戻って来る。
「リビングの窓も、同じ……外は全部こうなってるみたい」
「何なんだよ、これ!」
少年の怯えた悲鳴に、長髪の男は「分からない」と静かに答える。
「ただ、僕たちは、思っていた以上に厄介な状況に置かれているのかもしれない」
その後、五人は一階を見て回り、キッチンの脇に勝手口を発見した。しかし結果は玄関と同じ。内鍵を開けてもドアは開かなかった。落胆よりも安堵の空気が流れたのは美也子の気のせいではないだろう。窓の外の景色を見てなおドアを開けたいかと聞かれれば回答は難しい。
一度座って落ち着こうと促したのは長髪の男だった。
目覚めた時と同じように、五人それぞれにソファに腰を下ろす。
文字通り一息吐いたところで、女が身を屈めて何かを拾い上げた。
紅色の、薄くて四角い――
あっ、と美也子が声を上げるのと、女がそれを開くのは同時だった。
「あ、これあなたの?」
「そうだと思います」
普段から使っているパスケースだ。受け取って開いてみると、確かに自分の学生証が収まっている。
「ごめんね、勝手に中見ちゃって」
「いえ、大丈夫です」
「……そういえば、持ってた荷物、どこ行ったんだろ」
女の言葉に、全員がハッとして自分のポケットなどを探り始める。
美也子も着替えを入れたキャリーケースと財布などを入れた鞄を提げていたはずだが、今身に着けているものは何もない。鞄に入れていたパスケースが床に落ちていたということは、他の荷物もどこかにあるかもしれない。
「財布もスマホもない……」
「どこかに落ちてるのか?」
腰を浮かせかけた帽子の男と、ちょっと待ってと女が止めた。
「まずは自己紹介しましょう」
「自己紹介?」
「どういう状況なのか分からないけど、だからこそ、何者かも分からない人たちと一緒にいるのは不安でしょ。せめて名前くらいは知っておきたくない?」
女の言葉に、それぞれが互いの出方を窺う。
自己紹介などしている場合なのかという疑問はある。しかし、互いの素性を知っておきたいという気持ちは確かにあった。
「じゃあ、まずは私からね。
名前は照内周防。普段は営業の仕事をしてます。今日はオフで一人旅してました」
「俺は硯一基だ。一応写真家の端くれで、今日も山を撮りに来てた。ったく、何でこんなことに……」
「岸見頼です。高校三年生で、K市に住んでます」
「赤羽美也子です。東京から来ました。高校三年生です。この別荘に来るのは十年ぶりなので、この辺りのことはほとんど覚えてません」
美也子が簡単な自己紹介を終えた時、頼がじっと自分を見ていることに気付いた。
関心を持って耳を傾けている、という表情ではなかった。何かに驚いているような。
しかし目が合うとすぐに逸らされてしまう。その真意は分かりかねた。
最後になった長髪の男が、さて、と話し始めたので注目はそちらへ向かう。
最初から感じていたが、男は耳目を集めることに慣れた様子だった。発声なのか調子なのか、彼が何か言えばつい耳を傾けてしまう、そういう力がある。
「僕の名前は……ひょっとしたらご存知の人もいるかもしれません。ノア、と名乗っています」
「ノア……って、もしかしてあの、霊能者の?」
頼に言われて美也子もようやく思い出す。
テレビや雑誌で何度も見たことがある。今日本で最も有名な霊能力者。名前をノア。メディアに出る時は髪を下ろしているし、服装も特徴的な黒づくめだったから、目立たない格好をしていると気付けなかった。そうだ、確かにこんな顔だった。一度そう認識してしまえば記憶の引き出しから同じ顔が出てくるのだから不思議な話だ。
「霊能者さんが、何しにこんなところに?」
「もちろんオフで一人旅に……と言いたいところですが、残念ながら。『様子見』とでも言うべきですかね」
「……と言うと?」
「近頃、K市のとある別荘地で、霊障の報告が相次ぎましてね。要は、この別荘と同じ地域だと思うのですが。
赤羽さんは、そういった話は聞いていませんか?」
美也子は首を横に振る。
「うちの家族は長い間来てないし……たまに管理会社の人に入ってもらっているらしいですけど」
「なるほど」
突然の大声に、先に行こうとしていた人々も戻って来た。少年は窓の外を凝視したまま、一歩、二歩と後ずさり、廊下の壁に背をつけた。震える指が窓を指す。
「そ、外……」
「外?」
「真っ暗じゃないか」
何があるというのか。他の面々と一緒に、美也子も窓を覗き込む。
そこにはただただ夜の闇があるばかり。
――いや、違う。
そこにあるのは暗闇ではない。黒だ。黒々とした何かだ。
黒は、一面を均一に塗り潰しているわけではなかった。よく観察すれば、それは蠢いている。渦を巻いている。外の空間を埋める真っ黒い何かが絶えず流動し脈打っている。
ほとんど同時に四人は窓から離れた。帽子の男が乱暴にカーテンを閉める。
束の間、沈黙が流れる。
突然、女が踵を返した。先ほど出てきたばかりのリビングへと駆け戻って行き、少しの後、強張った表情で戻って来る。
「リビングの窓も、同じ……外は全部こうなってるみたい」
「何なんだよ、これ!」
少年の怯えた悲鳴に、長髪の男は「分からない」と静かに答える。
「ただ、僕たちは、思っていた以上に厄介な状況に置かれているのかもしれない」
その後、五人は一階を見て回り、キッチンの脇に勝手口を発見した。しかし結果は玄関と同じ。内鍵を開けてもドアは開かなかった。落胆よりも安堵の空気が流れたのは美也子の気のせいではないだろう。窓の外の景色を見てなおドアを開けたいかと聞かれれば回答は難しい。
一度座って落ち着こうと促したのは長髪の男だった。
目覚めた時と同じように、五人それぞれにソファに腰を下ろす。
文字通り一息吐いたところで、女が身を屈めて何かを拾い上げた。
紅色の、薄くて四角い――
あっ、と美也子が声を上げるのと、女がそれを開くのは同時だった。
「あ、これあなたの?」
「そうだと思います」
普段から使っているパスケースだ。受け取って開いてみると、確かに自分の学生証が収まっている。
「ごめんね、勝手に中見ちゃって」
「いえ、大丈夫です」
「……そういえば、持ってた荷物、どこ行ったんだろ」
女の言葉に、全員がハッとして自分のポケットなどを探り始める。
美也子も着替えを入れたキャリーケースと財布などを入れた鞄を提げていたはずだが、今身に着けているものは何もない。鞄に入れていたパスケースが床に落ちていたということは、他の荷物もどこかにあるかもしれない。
「財布もスマホもない……」
「どこかに落ちてるのか?」
腰を浮かせかけた帽子の男と、ちょっと待ってと女が止めた。
「まずは自己紹介しましょう」
「自己紹介?」
「どういう状況なのか分からないけど、だからこそ、何者かも分からない人たちと一緒にいるのは不安でしょ。せめて名前くらいは知っておきたくない?」
女の言葉に、それぞれが互いの出方を窺う。
自己紹介などしている場合なのかという疑問はある。しかし、互いの素性を知っておきたいという気持ちは確かにあった。
「じゃあ、まずは私からね。
名前は照内周防。普段は営業の仕事をしてます。今日はオフで一人旅してました」
「俺は硯一基だ。一応写真家の端くれで、今日も山を撮りに来てた。ったく、何でこんなことに……」
「岸見頼です。高校三年生で、K市に住んでます」
「赤羽美也子です。東京から来ました。高校三年生です。この別荘に来るのは十年ぶりなので、この辺りのことはほとんど覚えてません」
美也子が簡単な自己紹介を終えた時、頼がじっと自分を見ていることに気付いた。
関心を持って耳を傾けている、という表情ではなかった。何かに驚いているような。
しかし目が合うとすぐに逸らされてしまう。その真意は分かりかねた。
最後になった長髪の男が、さて、と話し始めたので注目はそちらへ向かう。
最初から感じていたが、男は耳目を集めることに慣れた様子だった。発声なのか調子なのか、彼が何か言えばつい耳を傾けてしまう、そういう力がある。
「僕の名前は……ひょっとしたらご存知の人もいるかもしれません。ノア、と名乗っています」
「ノア……って、もしかしてあの、霊能者の?」
頼に言われて美也子もようやく思い出す。
テレビや雑誌で何度も見たことがある。今日本で最も有名な霊能力者。名前をノア。メディアに出る時は髪を下ろしているし、服装も特徴的な黒づくめだったから、目立たない格好をしていると気付けなかった。そうだ、確かにこんな顔だった。一度そう認識してしまえば記憶の引き出しから同じ顔が出てくるのだから不思議な話だ。
「霊能者さんが、何しにこんなところに?」
「もちろんオフで一人旅に……と言いたいところですが、残念ながら。『様子見』とでも言うべきですかね」
「……と言うと?」
「近頃、K市のとある別荘地で、霊障の報告が相次ぎましてね。要は、この別荘と同じ地域だと思うのですが。
赤羽さんは、そういった話は聞いていませんか?」
美也子は首を横に振る。
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