6 / 9
雨飾の森
6
しおりを挟む
贄になるために育てられた私は、あんまりにも世の中のことを知らない。
頼るあてもないのに、一人で生きていくために何が必要なのか、何ができるのかも分かっていないのだ。
魔女様が私を生かしてくれても、森を出たところで、路頭に迷って行き倒れるのが目に見えている。
「自分の力で生きて行けるようになったらすぐに出て行きます。なるべく邪魔にならないよう努めますし、私にできることなら何でもやります。
ですから、どうか……!」
「オ、オレも! オレも働くぜ!」
交渉できるような材料は何もないから懇願することしかできない。魔女様が嫌だと言えばそれまでだ。
魔女様は私たちを見て、困ったような顔をした。
「いや、俺はもとよりそのつもりだったんだが」
…………へ?
「お前に行くあてがないことくらいは分かるし、その上で放り出すようなことはしないさ。そうでなけりゃあわざわざ新しい部屋なんて用意しないだろ」
「新しい部屋、って」
ふと、ひとつ、思い浮かんだことがある。
私は二階からこの部屋に降りて来た。だけど昨日この部屋に、二階に続く階段なんてあっただろうか?
昨日は精神的に今以上にいっぱいいっぱいだったから見落としていただけかと思っていたけど。……まさか。
「あの、私が使わせていただいた部屋って、もしかして……」
「お前が寝ている間に作った」
『作った?!』
私とブレンダの声が重なった。
「この家に客室なんてものはないからな、ないなら作るしかないだろう」
魔女様は当たり前のことみたいに言うけれど……この口ぶりからすると、何もなかったところに本当に「作った」ということなのだろう。
魔法で?
そんなことができるの?
信じがたくても、私たち人間の想像が及ばないのが「魔女」だ。直接会ったのは雨飾の魔女様が初めてだけど、魔女に関する本は色々読んできた。
「じゃあ、私、ここにいてもいいんですか?」
「お前が嫌でなければ」
本当に、信じられない。家を発つ時、森に入る時には想像もできなかった。こんなに何もかもがうまくいくなんて。
「よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げる。
魔女様が何を思って私によくしてくれるのかは分からない。
何だっていい。
せっかくのご厚意。せっかく繋いだ命。
ここで暮らして、成長していこう。いつか一人で生きていけるようになるまで。
「さて、そうなればひとまず、契約を結ばなけりゃならんな」
食べ終わった食器を片付けようとまとめていると魔女様が言った。
「契約?」
何だか私、魔女様の言葉を繰り返してばかりだ。
初めて知ることばかりなのだから仕方ないと思いたいけど、これから覚えていかないと。
「この森は俺の所有物で、よそ者が簡単には歩き回れないように魔法がかかっている。お前がこの家まで辿り着けたのはひとえに妖精の道案内のおかげだな」
言われて、まじまじとブレンダを見つめてしまう。彼はテーブルの上のものを端から見聞している最中でこっちの話を聞いてもいない。
私が歩きやすいように道を教えてくれたのは分かっていたけど、そこまで重要な役割を果たしていたなんて。
「そういうわけで、このままでは人間のお前がこの森で暮らしていくのは難しい。だから俺と契約して、……簡単に言えば、俺の所有物になってもらう」
「所有物、ですか」
「もちろん仮のものでいい。死ぬまでお前の命を縛るつもりはないからな。そうだな――」
魔女様は私の顔の前に手を差し出した。人差し指の背がこちらに向けられている。
「ここに唇を当ててくれ」
「えっ!」
「本来なら口付けを交わす必要があるんだ。嫌だろうが、これくらいは我慢してくれ」
い、嫌とは言いませんけども。
魔女様の白く長い指。
私はあまり外に出ることがなかったから日に焼けていない方だと思うけれど、魔女様の肌は比べ物にならない。――以前見た、どこかの国の陶器のよう。
高価な美術品に触れるような心地で、私は恐る恐る唇を寄せる。
触れた箇所にはひやりとした冷たさがあった。
魔女様はその指を自分の顔の前に持っていくと、低い声で何か唱え始める。
呪文、あるいは誓約文だろうか。魔術の呪文は私には分からない。
そうして唱え終わると、魔女様は人差し指の背にキスをした。
……危うく喉から変な音が飛び出すところだった。
本来なら口付けを交わすと言っていたのだから、間接的にそれを再現するのも考えてみれば当たり前なのかもしれない。
それでも、無性にドキドキしてしまうのは仕方のないことだと思いたい。
異性とこんな距離感で接するのは私にとって初めての経験なのだから。
「これで契約は済んだ。この森については追々教えていくから……どうした?」
「いっ、いえ、何でもありません!」
動揺を隠せない私に魔女様は訝し気な顔をする。
彼にとっては人間の小娘なんて特別な意識を抱く相手ではないのだろうに。一人で慌ててしまうのも馬鹿みたいな話だ。
早く慣れていかなければ。
この美しい人とこれから一緒に暮らしていくのだから。
……慣れるのかなぁ。
テーブルの上のブレンダも、私の様子を不思議そうに見上げている。
この子がいなければ二人きりだったのだ。そう思うと、これまでとは違った意味でブレンダに感謝したくなる。
「いつもありがとうね、ブレンダ。これからもよろしく」
私の複雑な胸中など想像できるはずもない小さな妖精は、へへ、と照れ臭そうに笑った。
頼るあてもないのに、一人で生きていくために何が必要なのか、何ができるのかも分かっていないのだ。
魔女様が私を生かしてくれても、森を出たところで、路頭に迷って行き倒れるのが目に見えている。
「自分の力で生きて行けるようになったらすぐに出て行きます。なるべく邪魔にならないよう努めますし、私にできることなら何でもやります。
ですから、どうか……!」
「オ、オレも! オレも働くぜ!」
交渉できるような材料は何もないから懇願することしかできない。魔女様が嫌だと言えばそれまでだ。
魔女様は私たちを見て、困ったような顔をした。
「いや、俺はもとよりそのつもりだったんだが」
…………へ?
「お前に行くあてがないことくらいは分かるし、その上で放り出すようなことはしないさ。そうでなけりゃあわざわざ新しい部屋なんて用意しないだろ」
「新しい部屋、って」
ふと、ひとつ、思い浮かんだことがある。
私は二階からこの部屋に降りて来た。だけど昨日この部屋に、二階に続く階段なんてあっただろうか?
昨日は精神的に今以上にいっぱいいっぱいだったから見落としていただけかと思っていたけど。……まさか。
「あの、私が使わせていただいた部屋って、もしかして……」
「お前が寝ている間に作った」
『作った?!』
私とブレンダの声が重なった。
「この家に客室なんてものはないからな、ないなら作るしかないだろう」
魔女様は当たり前のことみたいに言うけれど……この口ぶりからすると、何もなかったところに本当に「作った」ということなのだろう。
魔法で?
そんなことができるの?
信じがたくても、私たち人間の想像が及ばないのが「魔女」だ。直接会ったのは雨飾の魔女様が初めてだけど、魔女に関する本は色々読んできた。
「じゃあ、私、ここにいてもいいんですか?」
「お前が嫌でなければ」
本当に、信じられない。家を発つ時、森に入る時には想像もできなかった。こんなに何もかもがうまくいくなんて。
「よろしくお願いします!」
勢いよく頭を下げる。
魔女様が何を思って私によくしてくれるのかは分からない。
何だっていい。
せっかくのご厚意。せっかく繋いだ命。
ここで暮らして、成長していこう。いつか一人で生きていけるようになるまで。
「さて、そうなればひとまず、契約を結ばなけりゃならんな」
食べ終わった食器を片付けようとまとめていると魔女様が言った。
「契約?」
何だか私、魔女様の言葉を繰り返してばかりだ。
初めて知ることばかりなのだから仕方ないと思いたいけど、これから覚えていかないと。
「この森は俺の所有物で、よそ者が簡単には歩き回れないように魔法がかかっている。お前がこの家まで辿り着けたのはひとえに妖精の道案内のおかげだな」
言われて、まじまじとブレンダを見つめてしまう。彼はテーブルの上のものを端から見聞している最中でこっちの話を聞いてもいない。
私が歩きやすいように道を教えてくれたのは分かっていたけど、そこまで重要な役割を果たしていたなんて。
「そういうわけで、このままでは人間のお前がこの森で暮らしていくのは難しい。だから俺と契約して、……簡単に言えば、俺の所有物になってもらう」
「所有物、ですか」
「もちろん仮のものでいい。死ぬまでお前の命を縛るつもりはないからな。そうだな――」
魔女様は私の顔の前に手を差し出した。人差し指の背がこちらに向けられている。
「ここに唇を当ててくれ」
「えっ!」
「本来なら口付けを交わす必要があるんだ。嫌だろうが、これくらいは我慢してくれ」
い、嫌とは言いませんけども。
魔女様の白く長い指。
私はあまり外に出ることがなかったから日に焼けていない方だと思うけれど、魔女様の肌は比べ物にならない。――以前見た、どこかの国の陶器のよう。
高価な美術品に触れるような心地で、私は恐る恐る唇を寄せる。
触れた箇所にはひやりとした冷たさがあった。
魔女様はその指を自分の顔の前に持っていくと、低い声で何か唱え始める。
呪文、あるいは誓約文だろうか。魔術の呪文は私には分からない。
そうして唱え終わると、魔女様は人差し指の背にキスをした。
……危うく喉から変な音が飛び出すところだった。
本来なら口付けを交わすと言っていたのだから、間接的にそれを再現するのも考えてみれば当たり前なのかもしれない。
それでも、無性にドキドキしてしまうのは仕方のないことだと思いたい。
異性とこんな距離感で接するのは私にとって初めての経験なのだから。
「これで契約は済んだ。この森については追々教えていくから……どうした?」
「いっ、いえ、何でもありません!」
動揺を隠せない私に魔女様は訝し気な顔をする。
彼にとっては人間の小娘なんて特別な意識を抱く相手ではないのだろうに。一人で慌ててしまうのも馬鹿みたいな話だ。
早く慣れていかなければ。
この美しい人とこれから一緒に暮らしていくのだから。
……慣れるのかなぁ。
テーブルの上のブレンダも、私の様子を不思議そうに見上げている。
この子がいなければ二人きりだったのだ。そう思うと、これまでとは違った意味でブレンダに感謝したくなる。
「いつもありがとうね、ブレンダ。これからもよろしく」
私の複雑な胸中など想像できるはずもない小さな妖精は、へへ、と照れ臭そうに笑った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【R18】青き竜の溺愛花嫁 ー竜族に生贄として捧げられたと思っていたのに、旦那様が甘すぎるー
夕月
恋愛
聖女の力を持たずに生まれてきたシェイラは、竜族の生贄となるべく育てられた。
成人を迎えたその日、生贄として捧げられたシェイラの前にあらわれたのは、大きく美しい青い竜。
そのまま喰われると思っていたのに、彼は人の姿となり、シェイラを花嫁だと言った――。
虐げられていたヒロイン(本人に自覚無し)が、竜族の国で本当の幸せを掴むまで。
ヒーローは竜の姿になることもありますが、Rシーンは人型のみです。
大人描写のある回には★をつけます。
王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。
みゅー
恋愛
王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。
いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。
聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。
王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。
ちょっと切ないお話です。
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
【完結】「今日から私は好きに生きます! 殿下、美しくなった私を見て婚約破棄したことを後悔しても遅いですよ!」
まほりろ
恋愛
婚約者に浮気され公衆の面前で婚約破棄されました。
やったーー!
これで誰に咎められることなく、好きな服が着れるわ!
髪を黒く染めるのも、瞳が黒く見える眼鏡をかけるのも、黒か茶色の地味なドレスを着るのも今日で終わりよーー!
今まで私は元婚約者(王太子)の母親(王妃)の命令で、地味な格好をすることを強要されてきた。
ですが王太子との婚約は今日付けで破棄されました。
これで王妃様の理不尽な命令に従う必要はありませんね。
―――翌日―――
あら殿下? 本来の姿の私に見惚れているようですね。
今さら寄りを戻そうなどと言われても、迷惑ですわ。
だって私にはもう……。
※他サイトにも投稿しています。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる