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92話〜バラを摘むにはまだ早し〜

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 場所は変わって再び魔族領。
 針葉樹に囲まれた屋敷にエンジを引き連れて魔王アビルギウスは来ていた。

「ガァーッ!!」
「ガガァー!!」
「ガーガガーッ!!」

 そんな彼目掛けて屋敷の屋根や塀に留まって休んでいたヨロイガラスが鳴き始める。
 低く、若干しゃがれた鳴き声は本能的恐怖を抱かせる。

 ヨロイガラス。
 鳥型のモンスターで、体長はそこそこ大きい。
 このモンスター、一羽で見れば危険度は低いが群れを成すと危険度は高くなる。
 というのもこのカラス、体を覆う羽毛がメチャクチャ硬いのだ。
 軽くて、しなやかで、硬い。
 そして魔力に対する耐性すら持っている。
 そしてその鋭いくちばしや爪で目や喉、そして脇腹を狙ってくる。

 それを群れで行ってくるのだ。
 知恵も高いので、鎧を着ていれば兜を脱がそうとしてくる。
 縄張り意識も高いので縄張りと知らずに踏み込んだ魔族が餌食になる事も割とあるのだ。

 そしてアビルギウスがこれから会う相手はそのヨロイガラスを三桁単位で飼育しており、数多の目で見張りをさせているのだ。
 その見張りのヨロイガラスがアビルギウス目掛けて警戒、停止、退去の旨を伝える為に鳴く。

 が、その声はすぐに止んだ。
 屋敷の門が開いたのだ。
 それに伴いカラス達は、今自分達が警戒している相手はこの家の主人の客だと認識し、警戒を解いたのだ。

「ふぅ、全く……驚かせやがって」
「まぁまぁ、魔王なんだから落ち着けって」
「……それも、そうだな。よし、行くぞエンジ」
「はいはい」

 門を潜り、目当ての相手の元へと向かうアビルギウスとその後ろを従者のように歩くエンジ。
 庭師による手入れの行き届いた庭を進む彼等を出迎えたのは一人の男性。
 片眼鏡をかけ濃紺のスーツを着た白髪白髭のダンディーな執事だ。

「急な訪問にも関わらず、出迎えご苦労様」
「いえいえ。魔王様が来るとなりましてはお迎えしない訳にはいきませんよ。どうぞ、こちらへ」

 アビルギウスに笑顔で応対し、先導する執事。
 彼が向かうのは当然、この屋敷の主人の元。

 執事が二人を連れて行ったのは屋敷の庭にある、花で彩られた庭園。
 そこに用意された椅子に座り、本を読む一人の女性。
 その隣には灰色の美しい毛並みのレイブウルフの成体が伏せの体勢でおとなしくしている。

「あら、案外早く来たのね……魔王様?」
「これはこれは……会うのは二度目だったかな?」
「そうね。前に会った時はまだ貴方が小さい頃だったわね」
「その俺がここまで大きくなりましたよ」
「そうねぇ……態度だけは一人前ね」
「……」
「黙ってないで座ったら? それに、何か話があって来たんでしょう? アビルギウス」
「あ、あぁ……そうするよ。ラナ」

 彼は促されテーブルを挟むように椅子に座る。

 アビルギウスの前に座る女性は優しく微笑むとティーポットからお茶をカップに注ぎ、アビルギウスに差し出す。

「警戒しなくても平気よ。毒なんて入っていないから」
「わ、分かっているよ……」
「信用してくれないなんて、悲しいわ」
「っ、飲めば良いんだろ飲めば!!」

 そう言ってお茶を飲み干すアビルギウス。
 それを見て面白そうに目を細める女性。

「全く……古の魔族がこんなもてなしをするとはな」
「古の魔族って……確かにそうかもしれないけれど、私は私よ? 関係無いわ」

 アビルギウスの言葉を気にする様子も無く、自身もお茶を飲む女性。
 彼女の名前はラナスティア・エルシェント。
 今は数を大きく減らした、古の魔族の血を引く存在。

 黒く艶のある長い髪に赤黒い瞳。
 血色の良い肌は美しさと健康さを兼ね備えている。

 そして魅了魔法を使わずとも見た者を性別問わず魅了するほどの美貌を持つ彼女を前に、アビルギウスの鼓動は早まっていた。

「それで? 何の用かしら?」
「あ、あぁ……それなんだがな」
「あぁ言わないで当ててあげるから。そうね……大方」
「俺の指揮下に入れ」
「あら、言いたかった事言われちゃった」

 口に手を当てながらクスリと笑うラナ。
 そんな、余裕のある彼女にアビルギウスは続ける。

「今の俺は魔王の座こそ得たが完全に配下を掌握した訳では無い」
「そうよね。だって実の父親を追い落とした訳なんだから」
「うぐ……そ、そうだ。だから、奴等に俺の力を認めさ」
「その為に私に仲間になれと? 随分と安く見られたわね」
「そういう訳では」
「あら? 自分の力量不足を補う為に、古の魔族の私を仲間にしたいのでしょう? 安く見ているじゃない」

 顎に手を当て、目を細めるラナ。

「そ、それは……」
「まぁ安心なさい。そのお話はお断りだから」
「な、何故だ!? 魔王の配下に下るのが嫌なのか!?」
「そうよ?」
「なっ!?」
「だって貴方、面白みが無いんですもの」
「貴様っ!!」
「やめときなさい?」

 思わず立ち上がったアビルギウスに向けられたのは、ゾッとする程冷たい声。
 それを聞いたアビルギウスは、あと一歩踏み出せば崖下に落ちる時のような感覚に襲われた。
 今動けば殺される。いや、座らなければ殺されると本能が告げる。

「とりあえず、座ったら?」
「……っ、そうするさ!!」

 ラナに言われ、どっかりと座るアビルギウス。

「フフッ、まだまだ若いわねぇ」
「バカにしているのか」
「バカにする? まさか……同じ立ち位置にいない相手を馬鹿にする程、私は性悪ではないわ?」
「っ!!」
「まだまだ青いわね。そんなんじゃ、私を手に入れるなんて無理よ?」
「ぐっ!!」

 そう言うとラナはテーブルの上に置いておいた鈴を一度鳴らす。
 すると足元でおとなしくしていたレイブウルフがムクリと起き上がる。

「お客様がお帰りだから。案内をよろしくね」
「……ワウ」
「お、俺の話はまだ……」
「残念だけど、貴方にあげる薔薇は今は無いわ」
「くっ……」
「残念だが、ここまでだな。行くぞ、魔王様」
「ちっ……また来るぞ!!」
「はいはい。じゃあね」

 レイブウルフに先導されながら屋敷の門に向かう二人。
 その背中を見送るラナの目は、もう飽きたという様子だった。





「ちっ……あの野郎」

 ラナの屋敷を後にし、馬車に乗り込んで帰路に着いたアビルギウス。
 その表情は不満に満ちていた。

 彼がここに来た目的は彼女にあっさり見抜かれていた。
 当然だろう。
 彼が彼女を欲するのはその存在の希少性故だ。

 彼女の姓であるエルシェント。
 血の繋がらない古の魔族。
 それは始まりの七王族とも言われており、当時彼等はその絶大な力を持って魔族領を統治し、それぞれの働きに応じて領土を得た。
 ラナの住む屋敷があるのは彼女の祖先が得た領土はタルガヘイムと呼ばれており、冬になると極寒の地へと姿を変える。
 地は凍り、木は凍り、対策をしなければ外に出て息をするだけで凍る程の極寒の地。
 そこが彼女の領土だ。

 そして現在、エルシェントの姓を持つ魔族は彼女を入れて両手で数える程しかおらず、またその全員が強力な力を持っている。
 例えるならば、魔族版の勇者だ。

 その為、自軍に引き込めれば戦力としては非常に心強い者なのだ。
 一応、アビルギウスもエルシェントの血を引いてはいるのだが

「お前、めっちゃ血が薄いもんな」
「うるせぇ……」

 エルシェントの血を持つ者が、彼の父親の母親だったのだ。
 そのため、彼にも古の魔族の血が流れてはいるのだが、代を重ねるに連れてかなり薄まってしまったのだ。

「あの女を引き込めれば血の濃い子を産ませられたのに!! くそ!!」

 憎々しげに言いつつ馬車の壁を蹴るアビルギウス。
 二つ目の目的は彼女の血にある。
 彼女の方がエルシェントの血が濃いのだ。
 と言うのも彼の祖先は血が薄まるのを危惧し、エルシェント間での婚姻を行うなどして、エルシェントとしての血を保とうとしたのだ。
 今でこそ両手で数える程しかいないが、当時栄華を極めていた彼等に子は多く、それぞれの家間でそれこそ子を貸し借りするかのように婚姻させては子を作らせたのだ。

 が、その後の彼等は簡単だった。
 エルシェントの家は七つも要らない。
 俺の家だけでじゅうぶんだ。
 どのエルシェントがそう言い始めたかは分からないが、結果として現在の両手で数える程にまで数を減らすことになる戦いをする事になる。

 その過程でアビルギウスの祖先は王座を勝ち取ったとも言われているが、他の家が戦いで疲弊しており、アビルギウスの祖先の家がまだ余力を残していた為に仕方なく王の座に着かせたとも言われている。
 この辺の話はかなり昔の事なので、文献もほとんど残っていない。

 長くなったが、そんなエルシェントの生き残りの一人の元を訪ねたアビルギウスの目的の一つはエルシェントの血を蘇らせる事だ。
 正確には、エルシェントの濃い血を継いだ子を誕生させる事だった。

 その為彼は、城から一番近い女のエルシェントの元を訪れたのだ。
 が、結果は散々。
 断られ、追い返された。

「クソッ……同じエルシェントでありながら手を貸さんとは……許さんぞあのアマ!!」

 怒りに肩を震わせながら吠えるアビルギウス。
 その様子は、彼女と同じはずのエルシェントには見えなかった。





「ふぅ……疲れた」

 場所は変わって先程の屋敷のラナの私室。
 冬になると寒さが厳しくなる事もあり、カーテンや絨毯は暖色だ。
 タンスや椅子、テーブルは木製でできており、どこか温かみを感じる。

「昔会った時はあんなに馬鹿じゃなかったのだけれど……」

 そんな事を呟きながら彼女は椅子に座る。
 エルシェントの血を引き、魔族でありながら魔王の誘いを蹴る。
 そんな事、彼女でなければできないだろう。

 彼女は面白い事が好きだ。
 退屈が嫌いだ。
 強い者が好きだ。
 乱暴者が嫌いだ。

 彼女にとって、アビルギウスの仲間に加わるのは面白い事ではないのだ。
 だから断った。

 そして断った際に彼が怒り、牙を剥いた時は力を行使するつもりであった。
 その結果魔王が討たれ、再び魔族領が混沌に包まれても彼女は別に気にしない。
 誰が覇権を握るか。
 誰に着けば面白いか。
 それを彼女は楽しむからだ。

 が、アビルギウスは本能で身の危険を察した。
 そのせいで、彼女は楽しみを一つ失ってしまった。

 が、それでも構わない。
 だって今の彼女の興味は別に向いているから。

「あら、今日は頭から洗うのね……」

 机の上の水晶を通して彼女が見るのは遠方の地の様子。
 そこでは緑色の髪の青年が、二頭のレイブウルフの体を洗っている様子が映し出されている。

「こうして黙って見ている分には、普通の男の子なのよねぇ」

 洗っている最中にも関わらず、レイブウルフのオスが体を振って水を飛ばし、そのせいでびしょ濡れになる青年。
 だが彼は怒る事はせず、むしろ楽しそうに笑っている。

 その笑顔の理由を彼女は知っている。
 彼女にも同じ経験があるからだ。

「こんな子が、まさか勇者の力を持っているなんてねぇ」

 新しいおもちゃを見付けたとでも言うように目を細め、水晶に手を添える。

 会ったら何を話そうか。
 どんなきっかけで会おうか。
 こちらから会いに行こうか。
 どうやって現れようか。

 そんな事を考えながら青年の姿を見続ける。

 勇者であるのなら、オーソドックスに誘惑してみようか。
 恋人はいるようだが靡くか試してみようか。
 どうやって落とそうか。
 いや、落ちるだろうか。
 落とす自信はある。
 勇者としてのプライドを守るか、男としての獣欲を優先させるか。

 そんな事も考えてしまう。
 彼女にとって今一番興味があるのはそれだ。

「貴方と会うのが楽しみだわ」

 最後に彼女は水晶の中の青年に向かって優しく、妖しく微笑んだ。










「それはそうとエンジ。マインスチルの方はどうなっている?」
「ん? あぁ。瓶の使い方は言って来たし、上手い事やっているだろうよ」
「瓶? 何の事だ」
「こっちの事だよ」
「そうか……なら良いがな」

 馬車の中で交わされた簡単な会話。
 話が終わるや外の景色に目を向けるアビルギウス。
 そんな彼を見つつ、エンジは心の中で笑みを浮かべる。

(あぁ上手くやっているだろうさ……さて、人間側はどう対処するかな? 姿の見えぬ敵を、どう倒すかな? )

 内心ニヤリと悪い笑みを浮かべながらエンジはこちらに戻る前にセラフィルアに渡した瓶を思い出していた。
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