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67話〜狼の戯れと混ざり合う狂気〜

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「さぁて、やるとするか」
「おいロウエン。大丈夫なんだろうな?」
「ん? ……あぁ。遠吠えは聞こえたからな。そんなに時間はかけないさ」
「……よく聞こえたな」
「ま、俺はただの人間じゃないからな」

 そう言ってニックとの試合に向かうロウエン。

「……聞こえたか?」
「わふっ」
「そうか」

 ウルの反応を見る限り、ロウエンと同じように遠吠えは聞こえたようだ。
 という事はこのふざけたお祭りもじきに終わるだろう。



「おや、貴殿は武器無しか?」
「いんや? 使ったらお前死んじまうからよ……ハンデだ」
「ほうほう。それはそれはたいした自信ですな」
「実力だ」

 コロシアムのど真ん中でロウエンとニックが話している。
 ムッキムキのニックとコートを着ているロウエン。
 ニックは鎧を着ており、左腕には丸い盾。
 背中には鋼鉄で出来た棍棒を背負っている。

 対するロウエンは素手。
 右足を僅かに後ろに引いているだけだ。

「見て見てーあのお兄ちゃん何も持ってなーい」
「あらほんと。あんなんでニック様に勝てると思っているのかしら?」
「すました顔しちゃって~。ニック様にボコボコにされちゃうわよー」

 そんな事を観客達は言っている。
 が、ロウエンは気にする事なく審判にさっさと試合を始める様に促す。

「えっと、良いのですか?」
「何が?」
「武器の類が見当たりませんが」
「必要無い」
「でも」
「拳闘士だっているんだ。問題無いだろ?」
「そうですが」
「まぁ武器を使ってやっても良いけどよ」
「でしたら初めから」
「ニックが死ぬぞ? それでも良いのなら」
「そんならバカな話がありますか……ふざけるのでしたら」
「……そうなった時、お前が責任を取るのなら良いぞ?」
「……分かりました。では両者正々堂々とお願いしますね」

 半分呆れながら試合開始を告げる審判の女性。
 今度の審判は先程と違い、どこか幼さの残る顔をしている。
 空気を含んだ様にフンワリのブロンドの髪。猫みたいな目をしている可愛い子だ。
 が、その目はすぐさま驚愕のために見開かれる事になる。
 というのも……

「っなは!?」

 鎧を着込んだニックの体がコロシアムの壁まで吹っ飛んだからだ。

「な? 問題ないんだよ」

 目にも止まらぬ速さで動いたロウエンの掌底がニックを吹っ飛ばしたのだ。

「っ、や……やるじゃないか」
「な? 言っただろ? 俺が刀持ってたら今頃お前の頭と胴はお別れしていたぞ?」
「……そ、それは怖いな。お心遣いに感謝だ」
「ま、刀が無くてもお前に負けはしないがな」
「……っ!?」

 瞬きするより短い時間で距離を詰め、ニックを背負い投げするロウエン。

「なんっ……」
「そんな重い殻、脱いじまえよ」

 素手で鎧を打ち、鈍い金属音を立てながらニックを吹っ飛ばすロウエン。
 そんな彼の手に傷は全く見当たらない。

「貴殿、だいぶ丈夫な体なのだな」
「まぁな……ちっとばかり、鍛えてるからな」
「ここは、貴殿のアドバイス通り脱がせてもらおう」
「そっちの方が良いだろうな」

 ゴットンと音を立てながら地に落ちる鎧。
 その音からニックが着ていた鎧は相当な重量だったようだ。
 そのニックを吹っ飛ばし、投げ飛ばすロウエンも相当だとは思う。

「さて、これで身も軽くなった事だし……」
「そりゃ良かったな」

 右に行くと見せかけて左に跳んた所でロウエンの姿が消える。

「消えた!?」
「こっちだよ」
「いつのまにか背後に!?」

 ニックの背後に回り込んでいたロウエンの蹴りが放たれる。
 回し蹴りの様な蹴りではなく、足の裏を押し付ける様な蹴り。
 突き刺すように放たれたそれは、ガードに使ったニックの盾をベッコリとへこませる。

「こ、こんな!?」
「悪いな。まぁ防がずとも骨を折る程度だろ?」
「いやいや。盾をこんなにしておいてその程度で済むと思うか!?」
「鍛えてんだろ? 何のための筋肉だよ」
「うぐぐ……だなお主の技はもはや」
「悪いな。文字通りの必殺だ」
「そんなのが試合に出ないでくださいませんか!?」
「そりゃ悪かったな。極力後遺症が残らないようにするから」
「不安しかないぞ……こ、ここは俺の筋肉を信じるしかないか」
「そうそう。それしかないって……の!!」

 またロウエンは右に行くと見せかけて左に跳んで姿を消した。

「……なぁハヤテ」
「ん?」
「あれ、どうなってんの?」

 俺の隣でエラスに傷の手当てをされながら試合を見ているアニキが尋ねてきた。

「いや簡単だよ」
「分かるのか?」
「右に行くと見せかけて左に行くと見せかけて、とんでもない速さで右に行ってるだけだろ」
「……そんな簡単な事なの?」
「おう。ほら、ちっちゃい頃鬼ごっこで似た事やってたじゃん」
「……あ~、確かに」
「ロウエンはそれを高スピードでやってるだけだよ」
「……すげぇ」

 感心したように頷くアニキ。

「まぁ、仕組みは分かっていても見えないけどな」
「え、お前も見えてないの?」
「あぁ。それどころか俺なりに再現してもあそこまで速くは動けないけどね」
「そうなのか!? いやでもお前速く走れんじゃん」
「なんていうか……弓を遠くに飛ばすのと的に正確に当てるのとは違うようにさ、俺はただ速く走れるだけ。あそこまで精密にはできないんだよ」
「もしお前がロウエンみたいにやったらどうなるんだ?」
「……どっかにすっ飛んで行くだろうな」
「マジか」
「あくまでロウエンと同じ速さでやったらだからな!? 速度落とせば似た事はできるさ……」
「それはそれで凄いな」
「そりゃどーも」
「ははは。拗ねない拗ねな」
「エラス。アニキの痣を指圧してやれ」
「はい」
「はいじゃねぇぇぁぁえっ!?」

 エラスに痣を指で押され、痛みで悶えるアニキ。

「悪かった悪かった悪かった悪かった!! 悪かったってぇ!!」
「そこまでできるロウエンの相手をしているんだよ。ニックは」
「そ、それはすげぁんだな」
「バカか。あそこで立っていられるのはロウエンが手加減をしているからだ。その気になりゃ、アイツは今頃倒れてるさ」
「……ま、まじか」
「言っておくけど、俺達群狼のメンバーが一斉にかかったとしてもロウエンには勝てないさ」

 そうだ。
 アイツは俺達の中で一番強い。
 それこそ、アイツが本気を出してしまえば俺達は手も足も出ずに倒れるだろう。
 それほどまでに彼は強い。

「そんなすげぇ奴なんだな……」
「あぁ。っと、もう終わるな」
「おっ?」

 俺の視線の先で足払いをかけられ、宙を舞うニックに拳を打ち込み、壁まで吹っ飛ばすロウエンの姿があった。

「まだやるか?」
「……っ、ぐう……俺の自慢の筋肉が……歯が立たぬとは」
「……まぁ、頑張った方だろ」
「そ、そうなのか?」
「あそこにいる俺達のリーダーだったら爆睡だからな」
「おいバラすなよ!!」
「バラすなと言われていないからな」
「ロウエンお前!! 俺がこの前お前が残しておいた肉食ったのまだ根に持っているな!?」
「いやいや。そんな事は無いぞ。うん、あの肉の煮込み具合は良かったな」
「絶対に根に持ってるだろ」
「さぁな?」
「やべぇ……」
「食いもんの恨みってのは怖いな」
「アニキの言う通りだな……」

 そんな軽い喧嘩を俺達がする中、ニックは静かに手を挙げた。

「……俺の負けだな。話をしている最中でも警戒を怠らない。これでは俺が攻め込む隙は無さそうだ」

 フッと笑いながら、どこか清々しいといった様子で負けを宣言するニック。
 これで俺達側の二勝。これで試合は終わりだ。

 だが、話はそこで終わらない。

「ふ、ふざけるな!!」
「ルクスィギス様?」

 貴賓席から試合を眺めていたルクスィギスが怒鳴り、俺達を指差して叫ぶ。

「ガーラッド貴様!! 負けは許さんと言ったはずだぞ!! なのに何だこのザマは!!」

 怒りで顔は真っ赤。
 目は血走っている。
 うん、明らかに冷静ではない。

「バリーナもニックもなんだその無様は!! 無様だ無様!! この無様やろうが!!」
「汚ねえ言葉遣いだなぁ」
「何だとこの手品師が!!」
「あ? 俺の事か?」
「他に誰がいる!! どんな種だか知らんが……我等教国の誇りをよくも傷付けてくれたな!!」
「種分かってねぇのかよ」
「ええい黙れ黙れ!! 此度の試合は無効試合だ!! 後日改めて開く!! 貴様等の代表は不正を働かない者をこちらから選ばせてもらう!!」
「んじゃそっちの代表はこっちが選ばせてもらうか」
「そんな横暴を許すと思ったか!!」
「まぁまぁルクスィギス殿」

 熱くなるルクスィギスを宥めるために隣に現れる一人の騎士。

「お前は……ラギルか」

 そこにいたのかとでも言うような様子で相手の名を言うロウエン。
 そう。
 その騎士は王国から逃げたラギルだったのだ。

「ふん。相変わらず虫唾の走る奴と一緒にいるようだな。ロウエン」
「お前老けたか?」
「ッ!! ……ふん」
「まぁ良いか。ウゼルが探してたぞー」
「誰が戻るか阿呆め。俺はこの国に召し抱えられたのだ。残念だったな」
「いや、別にお前みたいな咎人はいらねぇけど」
「なっ!?」

 ロウエンに煽られ、顔を真っ赤にするラギル。

「まぁまぁお二人共。落ち着いて下さいな」

 そんな二人を落ち着かせようと現れる女性。
 身体の線が出るドレスを着た女性の声はどこかで聞き覚えのある声だった。

「あんな下々の言葉にいちいち反応していたら身が持ちませんよ?」
「……お前、どっかで見たような」

 彼女を見てアニキが呟く。

「……ふふっ。私の名前はサラ。以後、お見知り置きを……カラト、ハヤテ」

 俺達の名を言いながら、ニヤァッと笑うサラ。

「……サラ、だと?」
「そんな知り合いはいな……」

 サラという名の知り合いはいない。
 が、聞き覚えのある声と、あの笑い方には覚えがある。
 そしてそれは、アニキも同じだった。

「まさか、お前……セーラか?」
「……セーラ……」

 アニキの呟きに続くように俺の口が動く。
 そんな俺達を見て彼女の口の端が歪み、目が細められ、肩が震え……

「っぷ!! あーっはははははは!! アンタやっと気付いたの? どこまでも間抜けねぇバカラト~。ハヤテもハヤテよー? 元カノの顔、忘れちゃったの?」
「お前……」
「生きていたのか!!」

 俺達を見て腹を抱えて笑うセーラ。

「生きていた? そうねぇ……アンタ達に復讐する為に私は生き返ったのよ」
「俺達に復讐だと?」
「魔女のお前が何を語る!!」
「魔女? 私は魔女ではないわ。私は今、ルクスィギス様に重宝されているの。それこそ、聖女待遇でね」
「何だと……」
「んな馬鹿な」
「だ・か・ら……魔女なんて嘘を言わないで欲しいわ~?」
「嘘だと?」
「……な、何を……言って……」

 呼吸が乱れる。
 視界が揺れ始める。
 俺には、セーラが言っている事が理解できない。

「アンタ達のせいで魔女へと貶められ、火刑に処せられかけ……何とか逃げたら砂漠で盗賊団に捕まって……助けが来たと思ったら貴方達は私ごと埋めた。とても、とても怖かったわ」
「まるで被害者みたいな言い方だな!!」
「だってそうだもの……私は被害者。貴方こそ、勇者の名を語り、利用して周囲を不幸にした大罪人じゃない!!」
「お前……」
「皆様聞いて下さい!! あそこにいるカラトは群狼のリーダーに取り入り、彼を利用しようとしていたのです!!」
「ふざけんな!!」
「皆様はどちらを信じますか!! ルクスィギス様に信頼され、側に置かれる私と!! そこにいる、バリーナ様を殴り倒した野蛮人の、どちらを信じますか!!」

 この場の主導権を握らんと声を張るセーラ。
 観客達は突然の事で何が起きているのか分からないといった様子だ。

「挙句私を魔女呼ばわりするなんて……恥を知りなさい!!」
「どの口が言うか!!」

 セーラとアニキが言い争いをしているが、何を言っているのか分からない。

 でも、一個だけ分かる。

 俺の胸の内を、黒い風が吹き荒れている。

「セーラ、お前は!!」
「おいカラト、ちょっとこっち来い」
「な、何を……ぐえっ!?」

 その時だった。
 ロウエンがアニキの襟を掴んで一歩ずらす。
 するとさっきまでアニキがいた所に、背中に人を乗せたフーが降りてくる。

「間に合いましたね」
「おう。ちょろっとヤバめだったがな」
「それはすみません。彼の体調も一応見ておりましたので」
「成程な。ま、連れて来てくれて感謝するよ。エンシ」
「いえいえ」

 フーに乗って来たのはエンシさん。
 だがその後ろには貫禄のある老人が乗っている。
 が、その老人の顔を見てその場にいる教国の人全員の顔が驚愕に染まった。
 というのも彼は

「ち、父上!?」
「教王様!!」
「ここでの案内、感謝するぞ。騎士殿。それと、フー殿」
「お気になさらず」
「クルルカルル」
「……そしてルクスィギスよ。この馬鹿騒ぎは何だ!!」

 朗らかに笑いながらエンシさんとフーに礼を述べた直後、修羅の様な顔で来賓席を睨み付けるな声を張る教王。
 そう、彼こそが教国の主。バダム・アエル・ローライズなのだ。

「ち、父上……お身体の具合は」
「そこのハヤテ殿とガーラッドが用意してくれた者のおかげで、すっかり良くなったわ!! 貴様に盛られた毒でだいぶ苦しんだがな!!」
「っ!? ……」
「バレておらんと思ったか!! 全く……それに聞いたぞ、ガーラッドの仲間達の魂まで縛りおって!!」
「ち、違う……違うんです!!」
「口答えは結構だ!! 全て!! 彼等の縛られていた魂は全て解き放った!! 人質に取ろうとしても意味は無いぞ!!」
「違うんです!!」

 教王の迫力に二歩三歩と後退るルクスィギス。

「城に戻り次第詳しく話してもらうぞ。覚悟しておけ!! ルクスィギス!!」
「ち、違う……僕は悪くない!!」
「この期に及んで何を言うか!! 既に証人は捕らえてある。聞いたぞ!! この私を王座から引きずり下ろし!! 自らが王の座に収まると!! その暁には重役に取り立てる約束を交わしたと!! 証書も既に引き渡された……貴様を裁く証は既に我が手中にあるのだ!! いい加減観念しろ!!」
「違う違う違う!! 違う!! 私が悪いのではない!! 父上!! 全ての責任は貴方にあるのです!!」
「何だと?」
「私が!! 私こそが次期王に相応しいのに!! 何故父上は弟を!! ハルフェスを!!」
「何を言っておる?」
「とぼけないで下さい!! 私は聞いた!! この耳ではっきりも聞いた!! 母の墓前で!! ハルフェスを次の王にすると言っているのを!!」
「確かにそう言ったな」
「何故ですか!!」
「何故? 簡単な事よ。お前よりハルフェスの方が王の素質を持っておるからだ」
「なっ……」
「お前は王には向いていない。だがハルフェスは王に相応しい器の持ち主よ!!」
「で、では何故私を!!」
「済まなかったな。お前を甘やかして育てた、私の過ちだ」
「……そ、そんな」
「お前に期待だけ背負わせ、何もしなかった私の罪だ。お前は、私の罪だ。済まなかったな……ルクスィギス」
「……」

 そう言い切るや頭を下げる教王。
 それを見て目から力が抜けるルクスィギス。
 だったが

「だが……その事とこの事は別件だ!! 王に選ばれんからと言って、毒を盛って良い理由にはならん!!」
「あっ……それは」
「貴様が望むのなら、何度でも詫びてやろう。だが、それは貴様を裁いてからだ!!」
「何故だ……何故、何故です!! 私は!! 私はただ!! この国の未来を思って!!」
「未来を思って親に毒を盛る阿呆がどこにる!! ……もう良い。これ以上ここでこんなくだらぬやりとりをする必要もあるまい。さっさと帰るぞ!!」
「冗談じゃない……国の未来を思っての行動を糾弾される筋合いはありませ!? ……ガハッ!!」
「……どうした?」

 突然言葉を詰まらせ、苦しむルクスィギス。
 それを不審に思う教王と、彼を庇うように腕を前に出すニック。



「冗談じゃない……国の未来を思っての行動を糾弾される筋合いはありませ!? ……ガハッ!!」

 その時貴賓席で何が起きていたのかと言うと……

「サ、サラ……貴様、……なぁ、に……を!?」
「え? 何って……未来の無い船を捨てるだけよ?」
「キサ、マァッ……何故、それ……を!?」

 サラことセーラがルクスィギスの柔らかい脇腹に突き刺しているのは、ハラグロがニックに渡したと言っていた物と同じ物。

「ごめんなさいね? ちょっと手で可愛がってあげたらハラグロさんが分けてくれたの」

 セーラは中の液体をルクスィギスに注入しながら答える。

「あれだけ、良くしてやったの……にぃ!!」
「あれだけ? ハッ!! 笑わせないで? ベッドの上で自分勝手にしかできないくせに……全く、まだラギルやカラトの方がマシだったわよ?」
「っ!? ……この、尻軽……があぁぁぁっ!!」
「はい、注入完了。どんな気持ちかしら?」
「ガアァァァァッ!!」

 脇腹を押さえ、苦しむルクスィギス。
 そんな彼から離れ、ガラスの容器を投げ捨てるセーラ。

「サ、サラァ!! どうして!! 何でぇ!!」
「私はね、権力が欲しいの。王様になれない貴方にはこれっぽっちも魅力は無いの。だから、捨てるのよ」
「ぞんなあぁぁっ!? ……ぐあぁぁぁつ!!」

 ブシュッ!! と音を立てて、脇腹からピンク色の液体が吹き出す。

「か、身体がぁ!!」

 更にブクブクと身体が膨らみ始めるルクスィギス。

「まぁどの道、今の貴方みたいな男に抱かれるなんて死んでも嫌よ」
「おぉぉまぁぁえぇぇ!!」

 グズグスとスライムの様に形を崩していくルクスィギス。

「お前はぁ……僕のものだァァッ!!」
「あら危ないっと」
「なっ!?」

 セーラを捕らえようと腕を出すルクスィギス。
 その腕はスライムのように伸びてセーラへ迫るが、なんとセーラは隣に立っていたラギルの腕を掴むや自分とルクスィギスの間に来るように引き込み、盾代わりにした。

「あらら……ごめんなさいね?」
「セ、セーラ貴様!!」
「良いじゃない。貴方の相手だってしてあげたんだし、このぐらいしてちょうだいよ」
「お前という奴は……この、恩知らずが!!」
「恩知らず? そんな恩、とうの昔に返したじゃない」
「貴様ァァァァァッ!!」
「あ~らら。混ざっていっちゃうわねぇ……汚い汚い。本当に危なかったわ~」

 ルクスィギスに取り込まれていくラギル。
 だがルクスィギスはそれだけでは止まらない。
 手当たり次第に取り込んでいく。
 貴賓室の椅子、壁、壁にかけられている絵画に水差し。

「オォォォォン!!」
「まぁ、このままじゃ危なそうねぇ」

 流石に身の危険を感じるセーラ。
 彼女としてはルクスィギスに取り入って新たな妻となり世継ぎを産んで優雅に暮らすつもりだったのだ。
 その為に、ルクスィギスの妻には女子しか産めない呪いもかけたのだ。
 だがその為に必要なルクスィギスが父親に裁かれ、その未来は固く閉ざされた。
 ならば彼に固執する必要は無い。

「と言ってもこれの相手はできないし……あ、そうだ」

 良い事思い付いたと言わんばかりにセーラは持っていた水晶を手に取り、口元に持っていく。
 その水晶は拡声水晶と呼ばれている魔道具だった。

「あーあー。ハヤテ~聞こえる~? 今ね、貴賓室にモンスターが現れたの~。とっても怖いから私逃げるけど、貴方倒しておいてね? 聖装に選ばれたんだし、できるわよね~」

 ニヤッと目を細めて彼女は続ける。

「無事に倒せたら~、彼女に戻ってあげても良いよ~?」

 ハヤテなら断らないだろうと思いながら彼女は続ける。

「本当はいっぱい謝りたいの。謝りたい事、たくさんあるの……だから、もう一回やり直す為にも、貴方の力を私に見せて?」

 今まで彼にして来た仕打ちを忘れたかの様な口調で彼女は話す。

「ね? ハヤテならできるよ」

 その言葉が彼をイラつかせている事も

「私は危ないから一旦逃げるけど、私ハヤテの事信じているからね!!」

 彼の中の風が、嵐に変わっていっている事にも気付かずに。
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