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33話〜武を扱う資格〜

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「遅い!!」
「だっ!?」

「無駄が多すぎる!!」
「ぐはっ!!」

「貴様それでよく生き残れたな!!」
「ぶべらっ!!」

「それもういっちょ!!」
「げふっ!!」

「掴んで終わりか!!」
「ごふっ!!」

 俺はフォンエンさんにひたすら投げられたていた。

「全く……」
「す、少し休ませてくれ……頼む」
「……少しだけだぞ」
「あ、ありがとう……」

 一旦室内に入るフォンエンさん。
 疲れを感じさせない態度の彼女とは対照的に俺は既に疲労困憊。
 ドテッと大の字になって寝転がってしまう。

 経験値もそうだが、体の使い方が彼女の方が上手い。
 思い返してみれば俺は今まで走る事しか知らなかった。

 ただただ足を速くする事しか考えてこなかった。
 だから俺は、体術の類がまるでできない。
 更に……

「ほら、飲め」
「え、何これ……」
「寝不足のように見える。貴様、昨晩は寝たか?」
「あ~……いや、あまり」

 そう。昨日はそんなに寝れていないのだ。
 原因は分かっている。
 同日になったエンシさんだ。今の今まで一緒に寝た事のある異性といえば母親とユミナやセーラぐらい。

 肉親や幼馴染みのように知った相手ぐらいだったのだ。
 それが初対面ではないが大人の女性と同じ部屋で寝る事になったのだ。
 俺だってそういう歳頃だ。
 ドキドキするのだ。

 窓から風が吹き込む度に隣から爽やかな香りが漂うのだ。
 そう、布団を並べて寝ていたのだ。
 ドキドキしないわけがない。
 おかげで昨晩はほとんど眠れなかったのだ。

 しかもここは温暖な気候。
 故に掛け布団は必然と薄くなる。
 つまり、そういう事だ。
 エンシさんに背中を向け続け、しかも時折不意に吹く風が爽やかな香りを運んで来る。
 意図せず始まる精神的修行。
 おかげでバッチリ寝不足だぜ。

「ふむ……寝不足の状態でこのまま続けるのは少し危険だな。いや、実戦の時に寝不足だからと敵は待ってくれんし……いやいや今は実戦ではないし」
「あ、あの~……」
「うぅむ……」

 顎に手を当てて考え込んでしまうフォンエンさん。

「よし、少し休憩にしようか。昼寝するなりして休め」
「良いんですか?」
「怪我をれるよりかはマシだ。それに、休みながらできる事もある」
「そ、それは……どうも」
「それに……」
「それに?」
「見るのも修行だ」
「え?」

 どういう意味か問うために口を動かす。
 だがその尋ねる言葉は突如鳴り響いたパァンッという破裂音によってかき消された。

「なっ!? 今のは……」
「やはり始まったか」
「え? な、何が始まったの!?」

 音の出所である屋敷を見ながら苦笑いするフォンエンさん。
 何の音かとエンシさん達も屋敷の方を見ている。
 すると屋敷の戸が開け放たれ、そこからロウエンとゲンエンさんが飛び出してくる。

「テェェヤァァァァッ!!」
「ちぃっ!! ……相変わらずだな、爺さん!!」
「口の利き方のなっとらん子犬め。礼儀というものを叩き込んでくれる!!」
「謹んでお断りさせてもらうぜ!!」

 素手による打ち合い投げ合い蹴り合いド突き合い。
 互いに相手の手を弾いて打ち込む。

「っとと!?」
「基礎が揺らいでおるぞ!! この!!」
「うげっ!?」

 ロウエンが着ているコートの襟首を掴み、ゲンエンさんは

「馬鹿弟子がァッ!!」
「のあっ!?」

 背負い投げの要領で、門に向かって投げ飛ばす。

「こりゃぁ!!」
「うげぇっ!?」
「屋敷の外に出るな!!」
「お前が投げたんだろうが!!」
「投げられるお前が悪い!!」
「こんのジジイ!!」
「ジジイで何が悪いか!!」
「うっわコイツ加減って言葉知らねぇな!?」

 打ち込まれた肘を受け止めるロウエン。
 珍しく、あのロウエンが防戦一方となっている。

「重心!!」
「ぐっ!?」

 そこから回し蹴りで蹴り飛ばされるも大勢を立て直し、トンットンッと何度か飛んで着地するロウエン。

「じゃが……」
「やっ……」
「まだまだじゃな」
「べ!?」

 ロウエンが顔を上げた時には既にゲンエンの顔が目の前に迫っていた。
 直後打ち込まれたのは頭突き。

「……うわ」
「あれは」
「痛そうだな」
「くぅん」
「きゅうん」
「くるる……」

 頭突きを受けて倒れたロウエンに向けられる言葉には哀れみが含まれていた。

「ふん。だいぶ弱くなったな」
「う、うっせぇ……爺さんが強くなったの間違いじゃねぇのか?」
「否定はせん」
「おいおい……」
「じゃが、それがお前が負けた理由では無いな」
「……相変わらず、素手でアンタにゃ勝てねぇわ」
「……得物を持ったお主に、勝てた事も無いがな」
「……ありゃ引き分けだろ。引き分けは勝ちにはなんねぇよ」
「勝ちにはならぬが、負けにもならん」
「ははっ……相変わらず口が上手いっつーか……」
「そう言えるのならまだ元気そうじゃな」
「え? ……」
「どれ、もう一本やるか」
「いやいやいやいやちょっと待てよジジイ」
「よーし、始めるぞい!!」
「人の話を聞けぇ!?」

 そこから第二ラウンドが始まる……と思いきや

「おらぁ!! 何か寄越せ!!」

 屋敷の門の所に武器を持った数名の男性がやって来て叫んだ。

「食いもんでも飲みもんでも服でもなんだも良いから寄越せや!!」

 おそらく盗賊だろう。
 ならば撃退するかと俺達の気配がピリついた時だった。

「ほいほい。そろそろ来ると思って用意しておいたぞ。今持ってくるから、少し待っておれ」

 なんとゲンエンさんは戦うのではなく、与える事を選んだのだ。

「え、でも……」
「良い良い。ほれフォンエン、手伝っておくれ」
「はい」

 そう言って屋敷の中から食料や衣類、薬の類がこれでもかと持ってくるゲンエンさん達。

「これで良いか?」
「あ、あぁ……いつもありがとうな」
「良い良い。約束さえ守ってくれればな」
「……本当にありがとうな」

 何故か感謝を告げるとゲンエンさんから貰った物を荷台に積み込み去って行く盗賊達。

「良いのだ。あれで」

 にこやかな笑みで盗賊達を見送るゲンエンさん。
 そんな彼から逃れる様に忍び足のロウエン。だけど当然

「……さて、二本目始めるか」

 直後、あのロウエンが脱兎の如く逃げた。



「お腹いっぱいですね」
「そ、そうですね……」
「お風呂も気持ち良かったな」
「ですね。聞いたのですが、地熱で温めているみたいですよ」
「ほう。どうりで気持ち良いわけだ」

 エンシさんと話しつつ布団を敷く。

「ではまた明日な」
「お、お休みなさい」
「あぁ、おやすみ」

 そう言ってさっさと寝てしまうエンシさん。
 全く、こっちの事も考えて欲しい。
 そんな事を思いつつも、昨日の寝不足に加えて昼間の稽古の疲れが出たのだろう。
 俺のまぶたはみるみる重くなっていき、気付けば俺はグッスリと眠りに落ちていった。

 そんな中、気付けば俺は夢を見ていた。
 辺り一面青々とした草原。
 吹き抜ける風が葉を揺らし、心地良い音色を奏でる。
 その音色に聞き入る俺を呼ぶ声が聞こえる。

「お~い、ハヤテ~」

 その声の主はいつの日かのセーラ。
 まだ付き合いだしたばかりの頃で、俺は彼女とこれから歩む未来を楽しみにしていた。
 なのに……

「あのね、もうこの指輪いらないから」

 彼女は番の指輪を外すや投げ捨てる。

「なに悲しそうな顔してるのよ。だって当然でしょ? 私に洗脳されて、私が欲しいって言ったらなんでも買ってくれる財布勇者がいるんだから」

 そう言って彼女は別の指輪を取り出す。

「アンタが買ってきたやっす~いオモチャの指輪なんてもういらないの」

 やめろ。
 やめてくれ。
 そう願っても彼女はやめてくれない。

「チャンスをくれてやったのにねぇ?」

 不意に足が掴まれた。
 驚き、足元を見るとそこにはセーラが地面から生える様におり、俺の足を掴んでいた。

「利用してやろうと思ったのに」

 逆の足が掴まれる。

「ねぇ、私のどこが気に食わないの?」

 腰に抱きつかれる。

「あれだけ私に好きだと言ってくれたのに」

 後ろから手が引っ張られる。

「あれだけ愛していると言ってくれたのに」

 足を掴まれ、手を引っ張られ、前から押されてバランスを崩した俺は仰向けに倒れる。

「ねぇねぇ、あれは嘘だったの?」

 地面に固定する様に腕が体を這う。

「嘘を吐いたんだ?」
「ち、違う!! お前が」
「言い訳はダ~メ」

 口が塞がれる。

「お前が」
「お前……」
「お前だけが」
「悪いんだ」
「そうよハヤテだけが」
「悪いの」
「私に」
「寂しい思いをさせたから」
「お前だけが悪い」

 数人のセーラに押さえつけられた俺に向かって、最初のセーラがユラユラと歩み寄る。

「だから、殺してあげる」

 そう言って彼女はナイフを高々と振り上げる。

(ふざけるな。お前が……お前が全部!! )

 体に力を込める。黒い風が草原を吹き抜ける。

「ヒィ!?」
「この風……」
「いやぁ!?」
「顔が、私の顔が崩れる!!」
「可愛い顔が!!」
「お前の兄を誑かした私の体が!!」
「崩れちゃう!!」
「崩れてしまう!!」

 そう叫びながら生えていたセーラは我先にと地面の中へと消えていく。

「お前が……お前さえいなければ!!」

 俺はすかさず跳ね起き、目の前でナイフを振りかざすセーラを押し倒す。

「お前が……お前が全部狂わせたんだ!!」
「えぇそうよ!! 私が狂わせた!! 私がアンタ達を狂わせた」
「だったらお前が死ねぇ!!」

 俺はいつの間に持っていたのだろう。
 聖装をセーラに突き刺す。

 一度だけじゃ無い。
 二度も三度も……何度も何度も突き刺す。

「あっ……ハハ。無駄な事……だってこれはアンタの夢……どれだけ殺しても、無意味無意味」

 血に塗れながら彼女は笑う。
 気味悪く笑う。
 目を細めて笑う。

「ここで私をどれだけ殺しても、意味は無いのよ」

 ゲラゲラと笑いながらセーラは叫ぶ。

「意味の無い事をするのも疲れるわよね。だから……」

 そっとセーラが俺の首に両腕を回す。

「私が、お前を殺してやるよ」
「ふざけんな……」

 また黒い風が周囲を漂う。

「ふざけんなぁぁぁ!!」

 黒い風が刃となってセーラを切り刻む。

「あは、あははハハ!! アハハアハアハハ!! 良い風ねぇ!! ねぇハヤテェ!!」

 そう言いながら夢の中のセーラは細切れになって消えていった。



「……嫌な、夢だったな」

 セーラが消えると同時に俺は目を覚ましていた。
 だが夢にしては少しリアルだった。
 手が血に濡れる感触とか……

「……少し風に当たるか」

 寝れる気がしなかったので俺はエンシさんを起こさない様にそっと部屋を出る。



「良い風だな……」

 縁側に座りながら風に当たる俺を月の光が照らしてくれる。

「……おかしな気分だな」

 先程の夢で見た黒い風。あれが出てからどうも心がザワつく。
 嵐の時に木々が揺れる様に穏やかじゃない。

「一体なにが……」

 そう思った時だった。

「良い月夜だな」
「っ!? ……ゲンエンさん」
「隣、良いかな?」
「……はい」
「すまんの。儂も寝れなくてな」

 笑みながら座るゲンエンさん。

「……さて、お主。荒れておるの」
「……分かるのですか?」
「あぁ。まぁの。これでも、お主達の数十倍は生きておるからな」
「勝てませんね」
「なぁに、気にする事は無い。荒れず、闇も抱えぬ者はおらん」
「……」
「じゃが……」
「え?」
「それは別じゃ」
「それはって……一体」
「動くなよ?」
「はい?」

 俺が答えるより先に彼は何と、掌を俺に打ち込んだ。

「グヘッ!?」
「思った通りじゃったな……」

 直後俺の体から黒いモヤモヤが滲み出して霧散する。

「い、今のは……一体」
「随分とまぁ、姑息で古典的な方法をしてくるもんだ……」
「あ、あの……」
「今のは……簡単に言えば相手に敵意を植え付ける術を受けた結果、根付いた敵意じゃな」
「敵意を?」
「うむ。今時こんな物を使う者がおるとはな……」
「一体誰が……」
「ま、この程度の事をする者なんて底の浅い奴じゃろう。儂の知り合いにはおらんよ」
「……」
「のうハヤテ」
「なんですか?」
「話は変わるがの。お主、何故力を求める?」
「え……いやそれは、敵から仲間を守りたいから」
「……嘘、じゃな?」
「いや嘘じゃ」
「良い良い分かっておる。儂が言いたいのはな、お主」

 そう言って彼は俺の胸を指でトンッと軽く叩く。

「頭ではそう思っていても心が納得しておらんのさ」
「どういう事ですか?」
「バランスじゃ。全てはバランスが取れて成り立つもの」
「バランス……ですか」
「そう。頭で分かっておっても心が納得できていなければバランスは取れん。でなければ武を扱う資格は無い」
「……バランスと資格ですか……」
「カカッ。そうは言ったが、悩む必要はない。この先長い道のりで探せば良い」
「……」
「仲間が居れば、己のバランスが危うくなった時に支えてくれる。仲間が側にいるのはそのためじゃ」
「……仲間の理由ですか」
「そうじゃ。答えがすぐに見つけられなくとも、仲間が側にいるからバランスを保てる。心技体の心を仲間が補ってくれるのだ」
「っ……」
「お主には、可愛い仲間もおるではないか」
「可愛い、ですか?」
「自覚無し、か……まぁ良い良い」
「良いのですか……あぁそうだゲンエンさん」
「なんじゃ?」
「あの昼間の事なんですけど」
「昼間? ……あぁ盗賊団の事か」
「はい。何故あげてしまったのですか? ゲンエンさんなら倒す事だって」
「……ハヤテ」

 糸の様に細い目を僅かに開けて彼は俺を見る。

「彼等は、悪か?」
「え、いやそりゃ……悪い事しているし」
「そうか……のうハヤテ。王国の北にある大砂漠は知っておるか?」
「それは知っていますよ。王国の北から皇国の西側にまで広がるデッカイ砂漠ですよね。それがどうかしたんですか?」
「あの盗賊団の者達はもとはあそこの民だった」
「……どういう事です?」
「今問題になっておる砂漠の盗賊団は知っておるか?」
「はい、一応は……ってまさか?」
「そう。奴等に村を焼かれ、故郷を奪われた者達がこちらへと流れて来たのだ」
「そんな事が……でも、盗賊行為は」
「分かっておる。じゃから約束をしたのだ。決して人を殺めぬ事。そして、無理に奪わぬ事。持って行くのは民が差し出した物だけにすると」
「よく納得してくれましたね」
「頷くまで投げたからな」
「マジっすか……」
「まぁ、そのおかげで彼奴等もおとなしくしてくれておる……さてハヤテよ」
「は、はい」
「彼等は悪か?」
「……いえ。そうとは、思えません」

 彼は俺の言葉を聞いて頷く。

「村の者達も儂と彼奴等の間で交わした約束を聞いて安心してくれた。これもある種の支え合いじゃ」
「恐れずに信じるって事ですか」
「その通りじゃ。力でねじ伏せ、恐怖によって従えるのは簡単な事じゃ。じゃがそこに信頼はあらず。あるのは不信。いずれはそれは爆発し、血を流す事となろう」
「……先程の心技体の心を支える仲間の様なものですね」
「まぁ……そんな感じじゃな」
「でもその信頼だって……」
「……お主も辛い目に遭ったのじゃな。ロウと同じ様に」
「……ロウエンに何かあったのですか?」

 俺の言葉に彼は一度月を見上げてこう言う。

「奴の事を語って良いのは奴のみ。いずれ話してくれる時が来よう」
「そうですか……」
「だがこれだけは言っておこう。奴は地獄を見ておる」
「……え?」
「儂から言えるのはそれだけよ」
「あ、ゲンエンさん」
「儂はそろそろ寝るとしよう。お主も早く床に就け……ではの」
「あ……おやすみなさい」

 ゲンエンさんに一礼し、部屋へと戻る。

(武を扱う資格……)

 それと危ない時に支えてくれる仲間。
 よくよく思い返してみれば俺は仲間に恵まれている。

 初めての仲間のロウエン。
 出会った時、護衛として半ば無理矢理仲間になったミナモ。
 村からわざわざ追いかけて来てくれたユミナ。
 恩返しの為に群狼に入ってくれたエンシさん。
 落ち込んでいる時にどこからともなく現れてはベロベロ舐めて慰めてくれるフー、ウル、ルフ。
 ウインドウッド村の皆。
 それだけじゃない。アクエリウスやカグニスで触れ合った皆。

 独りで始まった旅だったのに、いつの間にかこんなにも繋がりができていた。

(……ははっ。最悪だって思ってたけど、考え方次第じゃ最高になるじゃねぇか)

 部屋に入りながらそう思う。
 思い返してみればここ最近の俺は焦っていた。
 速く強くなりたいと。
 モーラの仇を討つ為に。
 アニキを操った償いをさせる為に。
 強くなってセーラを捕らえる事だけを考えていた。

 理不尽な暴力で死ぬ人を守るために強くなりたいと願っていた。
 でもその時の俺は心が伴わない。
 バランスの崩れた俺だったんだ。
 それじゃどれだけ頑張っても強くなれないはずだ。

(……バカ、みてぇだな)

 そう思いながら横になる。

「……おかえりなさい」

 そのタイミングで聞こえたのはエンシさんの声。
 寝言かと思い、そっと彼女の方を見ると彼女は薄っすらと目を開けて俺を見ていた。

「大丈夫ですよ……仲間じゃないですか……」

 そう言うとそのまま目を閉じて眠るエンシさん。

「……頼って、ください……ね」

 最後の言葉で限界だった。

「……っ、ほんと……バカ、みてぇだな……俺」

 出来るだけ声を殺しながら俺は泣いたのだった。




 さて、場所は変わって大砂漠にあるとある村。
 そこに、逃亡中の彼女はいた。

「ちっ……やっぱり安物の魔道具じゃダメか」

 手に持った曇った水晶を忌々しげに見ながら呟く少女。

「せっかく保険であの時に術をかけておいたのに……」

 あの日彼女は彼を仲間に引き込むために迫った。
 が、彼の連れのせいでそれは失敗してしまった。それが面白くない彼女は保険として、彼の心をザワつかせ、均衡を崩す術をかけておいたのだ。
 周囲にバレない様にゆっくりと、ジワジワとその術を発動させていった。
 そしてある日、彼女に対する敵意が彼の心の均衡を著しく崩した。
 その結果、術は彼の心の奥へとその根を伸ばした。
 だがその種をゲンエンがかき消した。

(……やはり私自身が縛るしか無いか……曲がりなりにも勇者の弟。ならその血に価値はある)

 彼が手に入らなくても最悪彼の血があれば良い。
 彼の兄よりも聖装に選ばれた彼の血の方が価値が高い。
 その血を売れば豪遊できるだろう。
 その金で兵を雇って王国に攻め込んでやろう。
 私を魔女として裁いたクソ王共から、私に石を投げた民共から全てを奪ってやろう。

 そして何も無くなった王国をウゼルに見せてやる。絶望させ、己が犯した誤ちを認めさせてやる。
 その後に殺してやる。
 間違いを犯していない私を裁いた罪。
 必ず償わせてやる。

(でも、その前に……)

 彼女は家に入り、ベッドで寝る男性の隣に横になる。

「んん……セーラ。夜は冷えるよ」
「ふふ、ごめんさい。えぇ、たしかに冷えるわね……だから、貴方で温めて」

 そう言って男性に抱きつくセーラ。
 目の前だろうが何であろうが、自分が幸せになればそれで良い。
 自分が幸せになれないのなら間違っている。
 自分が幸せになる事が正解。
 そう信じて疑わないセーラ。

(ふふっ……本当にラッキーだわ。王国からのお達しが来ないおかげで、村長の息子に取り入れた。結局男なんてコロッと簡単に落とせるのよ)

 ニヤリと笑いながら彼女は彼に向かって、盲目の心を今日も使うのだった。
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