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七年目、貴方の中にも俺がいる

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 俺が研修に行っている間、紅緒様のいる駐屯地はつつがなく回っていたそうだ。 
 まあ前線と言えど小競り合いも小さな紛争もないから穏やかなもんで、訓練や研究に集中できていたそうだ。 
 首都で買った土産を手に、紅緒様に予定通り帰還したことを伝えに行こうとすると、偶々外に出ていた食堂のおやっさんに捕まった。 

「よう、帰ったな?」 
「うっす、ただいま戻りました」 
「おう」 

 厳つい顔の造りに反しておやっさんは人が良い。だから俺は研修に行く前に頼みごとをしていったのだ。その事を尋ねると、途端におやっさんが大笑いした。 

「どったの?」 
「いや、お前。頼まれてたから、紅緒様の飯を受け取りに来た連中に、今日のは飯がどうとこかこうとかの話をしてたんだけどよ。そんなかに紅緒様とお近づきになりたい奴がいたみたいでなぁ」 
「え? そうなんすか?」 
「うん。他所から転属してきてすぐだったんだろうな。可哀そうに、飯を運んでいくときはウキウキ浮いてやがったけど、皿もって帰って来た時にはもう死にそうなくらいしょげててよ」 
「うん? なんでだ? 紅緒様、ちょっと失敗したくらいじゃ怒ったりしないぞ?」 

 俺はおやっさんの言葉に首を捻った。 
 だって紅緒様は失敗には寛容だし、感情に任せて怒ることは殆どない。失敗は何故そうなったのか検証して、同じことを繰り返さないように諭すくらいだ。 
 上がそんなだから下も自然それを見習って、うちの部隊では罵声や怒声なんかは、訓練で命に係わる失敗をした時にしか聞かれないくらいで。 
 だからうちの部隊は、ひそかに娼館でも民間の女性の間でも、穏やかで紳士的と人気があるって他の兵士から聞いてる。 
 話が逸れた。 
 兎も角紅緒様は本当に穏やかな方だ。 
 首を捻っているとおやっさんが、呵々と大笑いした。その反応が何なのか解らずにぼうっと突っ立っていると、笑いすぎて目に涙をためながらおやっさんが言う。 

「それがよぅ。あんまり落ち込んでっから奴さんに理由を聞いたら、膳を机に置いたら第一声が『ありがとう、出穂。今日は何?』ってさ」 
「いつも俺が声をかけるからな」 
「おう、でもそれだけじゃなくてよ。茶を渡すだろ? したら『出穂、今日は少し濃いめに』って言われて顔を上げたら、紅緒様と目が合ってよ。凄いがっかりした顔されたらしいぜ? 極めつけに『今日は静かだな、いず……』って言った後、謝られたらしい」 

 唖然としている俺に、追い打ちをかけるようにおやっさんは「その日だけじゃなくて、お前さんが研修に行ってから毎日やったらしいぞ」と告げた。 
 一週間同じやつが食事を持って行ったわけでなく、違う奴が持って行っても同じで、皆一様に、俺と間違えられたらしい。 
 俺は咄嗟に自分の口を手で塞いだ。そうでもしないと叫びそうで。 
 そんな俺を見て、おやっさんがまた笑う。 

「嬉しそうなツラしやがって」 
「そんなん、嬉しいに決まってる! 紅緒様の日常には俺が絶対存在してるって事じゃん!」 

 俺が何につけても紅緒様を思うように、紅緒様も俺を日常のどこかに置いてくれている。それが嬉しい以外のなんなんだ。 
 俺は紅緒様にお会いしたくなって、おやっさんに話を聞かせて聞かせてくれた礼をして、あの方のいる執務室に、跳ねるように駆け込む。 
 扉を開けると、席に座って執務をしていた紅緒様がすぐにお顔を上げて、俺に気付いてくださった。 

「おはよう、出穂」 
「おはようございます、紅緒様。ただいま帰還いたしました!」 
「お帰り」 

 敬礼して踵を打ち鳴らして背筋を正した俺に、紅緒様は穏やかに声をかけて下さった。 
 研修に関する報告書を提出してから、俺が首都土産の饅頭とお茶をお出しすると、紅緒様は仄かに唇を上げる。 
 それからさらりと結わえた唐紅の髪を揺らして、小鳥のように首をこてんと横に倒した。 

「研修中、何事もなかったかい?」 
「はい。いや……あるにはありましたけど」 

 常盤様がウザがらみしてきたけど、それを言えばきっとご兄弟の仲は益々拗れるだろう。
 紅緒様は俺の希望を聞き入れ、俺を庇うようにご兄弟から遠ざけて下さっているから、ご兄弟より俺を優先させてくださってる。
 今回みたいに断り切れなかった場合だと、俺に何事もないか事後に必ず確認してくださるのだから、これは自惚れじゃない筈だ。 
 でもウザがらみの原因は俺にあるわけで。 
 言い淀んだ俺に、紅緒様の眉が少し上がる。これは怪しんでいる、俺でなく親兄弟を。 
 そんな様子に、俺は手を横に振った。ご兄弟のせいじゃなくて、今回はウザがらみされたけど一応常磐様には労わられもしたし。 

「あの、いや、実は……俺、研修中の飯の時間とかに紅緒様に話しかけちまって」 
「え?」 
「や、なんか、横に人が来るとつい『紅緒様、お茶いりますか?』とか『今日は紅緒様のお好きな鮭ですよ』とかやっちまって。それも毎日」 
「そ、そうか」 

 だって仕方ない。俺の日常は必ず紅緒様がいらして、紅緒様と離れるなんてなかったんだから。 
 だけどそれをご本人に伝えるのは何だか気恥ずかしい。俺は照れながらポリポリと頬を掻く。そんな俺に紅緒様がへにゃりと眉を下げて笑った。 

「そうか、私もそうだよ。お前を研修に行かせたのは私なのに、気が付いたらお前に話しかけていた」 
「俺にっすか?」 
「うん。私の傍にはお前がいて当然だからだろうね」 
「じゃあ、お揃いっすね」 

 俺の言葉に、紅緒様が頬を少し染めておられて、それが何とも言えず可愛い。 

「お茶にしましょうか?」 
「うん」 

 そんな訳で、俺は紅緒様との日常に戻った。 
 それから半年ほど経ったある日のこと、青洲様の部隊がうちの駐屯地にやって来た。 
 膠着状態にあった敵国との間に相手方の降伏による講和の目途が立ったそうで、うちの部隊は少しばかり前線から下がった場所に移動になるとか。 
 その前に紅緒様には休養が必要とのことで、七日の休暇が与えられることになったと言う。 
 つまり今のうちに紅緒様を休ませておかないと、その後の統治で紅緒様に物凄い量の仕事が回って来て、休みどころの話じゃなくなるからか。 
 だけど毎回休みを貰っても紅緒様は駐屯地にいて、やっぱり仕事をしていたりする。 
 でも今回はちょっと様子が違っていて。 

「え? お出かけされるんですか?」 
「うん。陛下が保養地を用意してくれたそうだから」 
「いつもの事じゃないですか」 
「まぁそうなんだけれど……出穂と行けばいいと言われて」 
「俺!?」 

 吃驚して声を上げると、紅緒様が眉を下げる。 
 これは本当に困っている時の顔で、だから俺はぶんぶんと首を横に振った。 

「や、俺は光栄っすけど」 
「うん。七年、もうすぐ八年も副官を務めているのだから、記念にと言われて」 
「そうなんすか。俺は紅緒様のお傍にいられたらなんでもいいっすけど」 
「だから、温泉でも行こうかと……」 

 お前と一緒に、と。 
 あえかに開かれた紅緒様の形の良い唇から、吐息と一緒にそんな言葉が出て来て、俺は勢いよく頷く。 
 紅緒様となら、どこにいってもきっと楽しい筈だ。 
 護衛は一応つくが、それでも最少人数で基本は二人きりのようなものらしい。 

「俺、今からめっちゃ楽しみなんすけど!?」 
「私と、なのに?」 
「当たり前じゃないっすか!」 
「出穂は変わったやつだなぁ」 
「いやいや、通常運転です」 

 ワクワクと浮き立つ心は、もうすでに紅緒様と過ごす七日間の休暇に旅立っていた。
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