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ユズハの飛翔

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 ■タホ湖
 水中からながめるクリスタル湾は百花繚乱に染まっている。
 新月の夜空を彩るのは妖精王国と慈姑人民共和国の空中戦だ。
 王国は反乱者に秋波を送ったが、露骨な軍事介入を嫌った革命政権が公式に拒否した。
 梯子を外された徴兵忌避者たちは疑心暗鬼を生じた。めいめいが勝手に武器を持ち出し、どちらにも与しない軍閥を立ち上げ、三つ巴の様相だ。ハーランピークの定点カメラには遠いシェラネバダの山々が影絵のように照られさる様子を捉えた。

 父祖樹が聳える吹き抜けに惨劇が浮かんでいる。
 激戦が立体ライブ中継されているのだ。

 今夜、いったい幾つの命が燃え尽きてしまうのだろう。
 慈姑姫は見上げて将来不安を覚えた。
 小町は惨状を意に介していないようで、ダージリンの香りに似たビートラクティブに仔山羊の乳を注いだ。
 人間はデリケートだ。異物を体内に入れる事を誰もがためらう。慈姑姫は冷めたカップをおそるおそる口に運ぶ。
 先天性の好事家たる小町は横目で姉を一瞥し、優越感に浸りながら一気飲みした。
 劇薬にありがちな焼け付くような喉ごしを覚悟していたが、ごく普通の味わいに慈姑姫は拍子抜けした。
「なんてことないのね……身構えて損したわ」
「良薬は口に苦しといいますが、飲みにくいと普及しませんよ」
 父祖樹つきの植物学者が当然のように答える。
 森羅万象を意志の力でねじ伏せる戦闘純文学者は、人工的に認識力を高めて確率変動を収縮させる。
 その方法はいくつかあって、父祖樹のとりまきたちは薬物によるドーピングを編み出した。彼が分泌する樹液は人間の視床下部に働きかけてプラセボ効果を巨視的なレベルに拡張する。
「なんだかフワフワするわ」
 慈姑姫は雲の絨毯を踏むように足取りがおぼつかない。千鳥足で小町の胸によりかかり、抵抗されることもなく、倒れ込む。
 二人の身体は綺麗な弧を描いて臥せった。
「いかがなされました? お体の具合は?」
 衛生兵が駆け寄ると、姫は呂律の回らない声で制した。チェダーチーズのようにとろけた言葉が彼女の本心を包み隠さず、小町の耳元へ押し流す。
 後悔などない。慈姑姫は日頃から育んだ思いの丈を洗いざらいぶちまけた。小町は悲鳴とも驚愕とも取れぬ叫びをあげた。姫は躊躇せず、ぐい、と華奢な身体を抱き寄せた。
 不意打ちともいえる求愛に小町は戸惑いを覚えつつも、居心地のよい関係を昇華させる好機ととらえた。
「その言葉に偽りはありませんよね?」
 涙腺をきらめかせながら何度も念を押す。
「本当よ。でも……ああ、夢見心地のようだわ、上下感覚が保てない」
 浮足立つ慈姑姫は、まるで、特売品を買い占めようと開店を待つ主婦たちのようだ。いそいそと、小町の腰へ手をのばす。
「発狂したのか、臨終の時が来たのか、わからないけど、天井がわたしを誘っている」
 慈姑姫が言葉にならない嗚咽をあげると、絡み合った肉体が重力にあらがい始めた。
 小町の目尻からぽたりぽたりと水滴が伝う。
「ああ……これで二人は結ばれたんです」
 小町をずっと妹――いや、家族という言葉で括れない存在だと思っていた。良識と言う一線を越えた今、ようやくもどかしさが消えた。
 ビートラクティブの物理法則改竄効果が目に見えてきたのだ。
 二人の気持ちの高まりは天使の昇天ともいうべき飛翔力を発揚している。感情の強さと垂直方向の移動量が比例している。
 そのシルエットを歓喜と言う単語で修辞する以上に美しい表現はない。
 逆さまに開いた陥穽が小町と姫をゆっくり吸い寄せる。
「その調子だ。ビートラクティブの酔いに身を委ねて時を翔けろ」
 父祖が見守る中、因果律を破る奈落が二人を歴史の深淵へ引きずり込んでいく。

「実験は順調です。慈姑姫親衛隊は後に続くように」
 国防大臣が言い終わらぬうちに、親衛隊兵士たちはぐびぐびとビートラクティブを飲み干し、異世界へ渡っていった。


 ……
 …………
 ………………
 気付くと慈姑姫は煤けた大空に舞っていた。見渡す限り摩天楼が林立し、その一本ずつが雲海の彼方から生え、霞む下界へ消えている。
 二人はガラスのような一枚板に座っている。
 小町が膝をついてのぞき込む。熱狂する世界観は遮蔽されて実相を伝えられずにいる。
 その透明な検閲の意味を慈姑姫は洞察した。
「ここは露の都じゃない?」
「量子空爆直前の。いえ、直後かもしれない。確率変動が渦巻く世界に時制は無用よ」
「このアクリル板みたいな床は何かしら?」
「鈍感ね。慈姑姫様ともあろうお方が。これが正に、慈姑の教えに言うところの『実相を歪めているというわたし達の認識』そのものでしょう」
「この下に見えているのは?」
「肉眼を曇らせている邪でしょう」
「じゃあ、心を澄ませれば晴れるのね」
 慈姑姫に言われて小町も括目した。
 すると、割れ鐘が坂道を転げ落ちるような怒号が聞こえてきた。
<i164843#12666>
 |量子空爆__リセット__#が完了した地表へサジタリア海軍の輸送艦が降下していく。難民たちは一刻も早い帰還を望んでいた。
 そこに黒い船影が襲いかかった。
 鏃を研いだようなスマートなフォルム。軍用秘匿回線セキュアラインを強引にハッキングし、退去するよう脅迫してきた。
 サジタリア軍が惑星上にとどまるなら、殲滅も辞さないという。
 輸送艦の艦長は慌てふためいてガロン提督に指示を仰いでいる。
 黒船は先頭に立って追突を誘ったり、船尾にぴったりとついたり嫌がらせを徹底している。
「精密照準されました!」
 対空監視員が青ざめる。いつでも撃てるぞという意思表示だ。
「いったい何の恨みがあるっていうんだ?」
「これからやり直そうって時に死と隣り合わせるなんて……」
 赤ん坊を抱いた夫婦が通信席に詰め寄る。
 難民たちの恐怖をガロンがくみ取った。
「よし、いったん引き揚げろ。人命は地球より重い。そして、大きな代償を支払わせる」
 提督は個別自衛権を越える強力な軍事力発動を決定した。

 ■ 黎明市れいめいし レーテ―川支流

「……でありますからして、強制査察は主権の侵害に他なりません!」
 バレル大佐の饒舌をぷっつりと途絶えた。たまりかねたシアが霊界ラジオを止めたのだ。
 ユズハの頭にはド真ん中から剃り込まれ、青々とした地肌が見えている。彼女は気丈を装っていたが堪えきれずに泣き出してしまった。バリカンは牧草を食む牛のように女の命を貪り、刃先から毛屑がこぼれ落ちていく。揉み上げがガッツリと切り落とされ、小さな耳がのぞく。
「うぐぅ……」
 口元を歪めるユズハ。
「痛いでしょ。髪がときどき絡まるのよ。わたしもバリバリやられたのよ」
 シアの慰めも耳に入らない。冷や汗と一緒にチョビ髭ほどの頭髪が散る。
「拷問だろ」
 殴りかかる観衆を真帆がなだめる。
「メイドサーバントは飛んだり、航空戦艦ライブシップ脳波接続ブレインリンクするためにじゃまな髪を永久脱毛するんですよ」
「こんな子どもに恥ずかしい思いをさせて!」
 独善的な群衆は聞く耳を持たない。
「認識を実体化させる戦闘純文学者ビジョナリーが術式を行使するためにはなるべくおおぜの衆目に『認識』される必要があるんです」
 とか、なんとか、玲奈が原理原則を解いてみてもまったく理解は得られない。
 暴動も時間の問題だ。
「玲奈。ユズハをどうにか説得して、さっさと頭を丸めさせなさい!」
 シアに怒鳴られて玲奈はバリカンを握った。
「泣く女は嫌いよッ!」
 雪下ろしするようにつややかな黒髪をバリバリと剃り落していく。
 まだら模様の剃り跡に追い打ちをかけるようにバリカンを当てる玲奈。その間に真帆は裁ちバサミをユズハの襟元に入れた。
 胸当てから青い縁取りの体操服がのぞいている。痩せこけた皮膚が荒い呼吸に追随し、鎖骨が透けてみえる。
 ジョキリ。
 真っ赤なスカーフごと切り刻む。
 セーラー服の上着を前開きに鳩尾あたりまで裂く。
 そのまま、スカートのファスナー付近に刃先を入れ。厚い生地を端切れに変えていく。
 裏地がめくれあがり、化石のような太腿が見えた。
「あ……はぅ」
 ユズハは脚を閉じようと身悶えるが麻酔が効いて動けない。
 真帆は躊躇なくスカートを両断する。スッと衣擦れの音がして腰巻だったものが地面に溜まる。
 かろうじて女らしい脂肪が残るヒップ。ブルマの裾ゴムが余って、白いビキニがはみでている。
「は、ぃゃ……」
 恥じらうユズハに玲奈が熟れた唇を重ねた。
「むぐぅ……。あン……」
 強引に舌をねじ込こむ。その隙に真帆が華麗なハサミ裁きで下腹部をスッポンポンにしてしまう。
「もうダメぇ」
 ユズハの羞恥心が麻痺に打ち勝った。
 耳が尖り、ぶわさっと背中から翼が生える。
「ひぁあああああ」
 揮発油が爆燃するようにユズハは車いすから飛び出した。そのまま冥界の冷風に乗る。
 身体が軽い。
 髪と衣服を失った代償にユズハは自由を得た。
 縦横無尽に翔ける。
 車椅子生活から想像できない機動性を限界まで試したい。
 しかし、病み上がりの身体では体力がもたなかった。
 そのままレーテ―川に着水し、ズブズブと沈んでいく。
「わたしはこんな恥ずかしい恰好のまま死んでいくの?」
 みじめさに苛まれ生きる気力が燃え尽きようとした時――。
 がっしりした腕に抱きあげられた。
「わたしってば……やっぱり誰かに迷惑をかけなきゃ生きていけないんだ」
 泣きじゃくるユズハをシアが母性愛で包み込む。
「いいえ。あなたは生きていていいのよ。誰かを支えられない社会なんて存在意義がないもの」

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