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デッド・オン・フロート

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 ■ 惑星プリリム・モビーレ 北半球 浄土大陸 無念湖畔

 墨汁よりも濃い夜のしじまに蛍が諸行無常を点描している。

 その破壊的な寂寞感をライブシップの大推力が打ち破る。それでも死後世界の吸精力は半端ではなく、#永久機関モーダルシフターの灯は線香花火程度のルクスを投げかけるのがやっとだ。


「こんな所にまでレーテ―川の支流が来ているんだね」

 真帆は浅瀬に乗り上げた小舟をじっと眺めている。ヤポネ人が死者に宛てたのだろう。お菓子やぬいぐるみなど供物が小さな灯に照らされている。彼らは古代エジプト人に似た死生観を持っている。亡者にも生理的欲求があり、物質の霊気を摂取すると考えた。

「下界とつながっているのよ。哀悼の意が高次元宇宙を貫いてプリリム・モビーレまで届いている。葬送の習慣がなければ、新しい命が現世に生まれ落ちる通路も成立しえない。蘇生が実現したこんにちでも葬式はちゃんとするのよ」

 シアはオーランティアカの姉妹が人間だった頃を思い出した。南極に出現したドラゴンは二人の女学生にブレスを浴びせた。メイドサーバントに転生した後に残った焼死体は荼毘に付された。

「死者が必要に迫られて降臨する際もこの川を渡るのよ。それだけじゃなく、幽子情報系を浮世にまき散らすのもここの働きよ」

 怨念や残留思念が地上に滞留するのも霊魂の発露であり、霊的な湿気を供給するのも三途の役目だ。永劫回帰惑星は死人を絡めとるだけではなく、来世へ循環させる機能も持っている。


 玲奈が長い櫂で燈舟をたぐり寄せた。

「これ、食べちゃっていいのよね?」

 一抱えほどもある大ぶりなメロンを抱え上げ、おずおずと養母に差し出す。

「ありがたく頂戴しなさい。ヤポネ人の気持ちを無にしないように」

 シアは包丁を一気に振り下ろした。景気のいい音を立てて果実が両断される。

 甘美な芳香が陰鬱な雰囲気を一気に吹き飛ばす。肉厚もかなりあり、歯ごたえも充分だ。頬張るとたっぷりとした果汁がしたたる。

 至福のひと時は幼い非難に中断させられた。

「それ、わたしのメロン~」

 三歳くらいの女の子がトコトコと駆け寄ってシアを睨みつける。

「おかーさんがわたしにくれたメロン、横取りしないでー」

 彼女はポロポロと涙をこぼしてシアに拳をぶつける。

「おかーさんに逢いたい~」

 あ゛~゛~゛~゛ん゛!!

 小さな子供の肺活量はあなどれない。シアは鼓膜と胸が今にも張り裂けそうだ。

「かわいそう!」

 真帆がサンダーソニアに超生産能力でメロンを作らせ、召喚した。幼女に手渡そうとすると「いやいや」と首を振る。
「おかあさんのメロンじゃなきゃ嫌」
 シアは泣き叫ぶ少女を抱き上げた。が、手を噛みつかれた。
「わたし、帰りたい」
 懇願されても法を破るわけにはいかない。

 川べりに特権者戦争当時のエジソン式霊界ラジオが吊るしてある。ケプラーやアインシュタインなど冥界の偉人と現世が技術交流するために使われたものだ。
 その成果が実ってサンダーソニア・熊谷真帆という元人間/メイドサーバントがここに立っている。

「ねぇ、ハゲのおばちゃん!」

 呼び止められて真帆は我に返った。スカートをめくってブルマとアンダースコートの間に挟んだ手鏡を取りだす。

 カツラがずれていないか、体操着の下に着込んだレオタードやスク水の背中が破れて翼がはみ出ていないか、確かめた。どこもおかしなところはない。

「ハゲ天使のおばちゃん!」、

 霊魂となった幼女は扮装を見抜いている。

「わたしを連れてって!」

 シアは灯舟の中から一枚の手紙を拾い上げた。母親が亡き娘に宛てた手紙だ。生きていれば今年で小一になる。赤いランドセルの中に新品のセーラー服やブルマが詰めてある。

『紅子。元気ですか……』で始まる文面には母親の愛が溢れていた。

「どうにかしてあげたいんだけどねぇ……」
「あ゛~゛ん゛。わたしもハゲおばさんみたいにせーらぁ服着たい~」
 小さな拳でポカポカと殴られながらシアは考えた。

 ヤポネが肉体喪失者の再生に関する権利条約を頑なに拒む理由は、世襲を維持したいという理由以外にもいろいろあるのだろう。

 紅子の顔から肉が削げ落ち、ギョロリと眼球が飛び出した。身体もやせ細って白いワンピースが抜け落ちる。あばら骨が浮いた胸から下は力士のように膨満しており、小さなリボンのついた女児用ぱんつがはち切れそうである。

「を゛ヴァヂャン!!」

 少女が重低音で呼びかける。

「いけない!」

 ユズハが車椅子を猛ダッシュさせてシアに体当たりする。

「ひゃん☆」

 彼女が浅瀬に尻もちを付くと、鋭い爪が宙を切った。シアは第二撃が来る前にメイド服を破り捨てて翼を展開、白いビキニが灯火に映える。

「紅子は餓鬼に転生してるわ。倒しても構わない。査察公務妨害自衛権発動」

 真帆が太もものガンベルトから量子ハンドガンを取りだし、牽制する。銃弾を撃ち尽くし、スカートをめくり、アンダースコートのポケットから予備弾倉を換装。ユズハを襲う餓鬼に向けて、連射する。

「小さいくせにチョコマカと!」

 真帆は苛立つ。逃げ回る餓鬼を射線が後追いする。シアは大きく翼を広げて無念湖畔を観察した。足止めに使えそうな地形はない。
 と、激しい機銃掃射が河原をえぐり取っていく。草むらが地面ごとめくれあがり、砂利が爆ぜる。

 餓鬼の足取りが停まった。間髪をいれず劣化ウラン弾が叩き込まれ、餓鬼の周囲に紅蓮が燃え盛る。GAU-8アヴェンジャー機関砲の威力はすさまじく、滾る泥濘と砂塵で敵の安否が確認できない。

「やっほー☆」

 風防の中で玲奈が手を振る。対地攻撃機がシアの頭上をローパス。アストラル・グレイス号の艦載機だ。玲奈が趣味で超生産したものだが。
 フェアチャイルドA-10A サンダーボルトII 通称|荒くれ猪__ウォートホグ__#。

 乱暴なイノシシの名に恥じず、これでもかと猛射が大地を削りまくる。

「死んだ?」

 狂える猪八戒が飛び去ったあと、真帆は爆風が晴れるまで待った。

 もうもうと立ちこめる煙の中に青白い人影が見えてきた。何やら座り込んでムシャムシャと貪っている。

「え?!」

 真帆の目が点になった。

 餓鬼が銃弾を頬張っていた。血走った眼は明後日の方向をにらみ、乱杭歯の間からボロボロと薬莢がこぼれ落ちていく。

「見ちゃいられないわ!」

 シアは沖合の強襲揚陸艦シア・フレイアスターからドローンを呼び寄せた。電柱ほどもある対地量子誘導弾を二基ぶらさげている。

「対人―幽子情報系還元、緊急避難措置!」

 シアは躊躇なく紅子にミサイルを撃ち込んだ。
 ドンっと震動が腹の底を揺るがす。ユズハは車いすから転げ落ちてしまう。
 粉みじんになった餓鬼は霧状になってレーテ―川に降り注いだ。

「こうするしかなかったのよ……今度こそ、幸せな家庭に生まれ変わって……」

 幼女だった幽子情報系に合掌するシア。

「でも、あいつ。確実に殺しに来てたよね?」
 玲奈が疑心暗鬼な表情で訊く。

「そうね。誰が送り込んできたか、だいたい見当がついたわ」

 シアは街頭霊界ラジオを見やった。「ヴァンパイア・デストロイア……」
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