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僭主ラブラドルと病の光学と

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 ■ 僭主ラブラドルと病の光学

 世界を変革する者は、常に時代より数歩を抜きん出ている。トロールロードはそうありたいと願い、立候補した。アングーラの学者先生といえども、羊頭の巨人がパリッとしたスーツを着込み、大学講堂で演説会を催すなど予想だにしなかった。良識派は彼の真意を測りかね、警戒した。しかし、トロールの強烈な思想が大衆受けするにつれ、批判の矛先を収めた。

 何が共感できるかといえば、彼独特の人間学だ。人間の行動原理は観念や理念ではなく、生存欲求を満たすということ。ただひたすらに生きるため、食、快楽快眠、そして腐るほどの金品。その追及のために他人の命すら犠牲にする、森鴎外が言うところの病の光学が狂科学者たちの理解を得た。

 極めつけは、彼がフレイアスターの遠縁である点だ。ああ、忌むべきかなキャリントン・イベントセカンドはラブラドルの様なトロールも輩出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その部屋はアングーラのハーレムと綽名されていた。じっさい、女尊男卑が幅を利かせる妖精王国で男が筆頭者となる数少ない実例だ。
 科学や戦闘純文学がガラパゴス化した世界から素養を持った男達が弾きだされ、つむじ風が巻くように集まった――アングーラ。かび臭い書斎に黄ばんだ紙切れが積み上がり、不気味な女児玩具フィギュアや得体の知れぬ金属製品パーツが転がっている。

 そしてただよう、海産物特有のにおい。

 男の天下である!

 そこには魔法音痴の女たちも拠り所を求めて転がり込む。術式の使えない女は妖精王国に居場所がない。
 ビクトリア朝風のスカートを膝上で切り詰め、長い髪を結いあげたエルフのロリ奥様たちが、花模様の壁紙を背にしてマホガニー材のテーブルで、刺繍でもするかのようにヒエロニムス回路を描いている。

 座り心地が悪いのか、腰を動かすたびに白い「ぱんつ」が見え隠れする。
「どうかね。コンピューターたちは成果をあげているか?」

 女体化から解放されたショウ・ネビュラはひさびさに「男」を満喫していた。肩で風を切り、女の下半身をねめつける。
 女性研究員コンピューターと呼ばれた女は意に介さず状況を伝える。
「テランスミッタの最終調整は順調です。若干改善すべき点がありますが、余った作業工数で吸収できます」
「そうか。よろしい」
 議員の手が満月のようなヒップを撫でまわす。
「ひゃん!」
 ハーレムの女リーダーハイエルフは殺意に満ちた視線を投げつけた。
「フムン。性奴隷にされるより椅子にすわる仕事の方がマシだと思うがね。それとも同じ腰掛でも三角木馬が良いと?」

 ジャラジャラと干し首の胸飾りを鳴らして僭主が入室した。「それぐらいにしておけ」
 悪鬼王者ロードらしい落ち着いた物腰だ。彼は女をなだめ、報告を再開させる。

 フッと灯りが消え。二人は壁に映ったエンケラダスの最新映像に見入った。衛星軌道からも目に見える形で変化している。分厚い氷床がひび割れ、もやもやとした雲があちこちから噴き出している。融解が始まっているのだ。非常にゆっくりとしたペースだが、徐々に加速をつけて、やがて真っ赤なボールと化すだろう。

 ふてくされた女の声が地下司令所に響く。

「ご覧の通り、第一次プライマリとして利用できる段階にあります。連射はできません。電圧変化が安定しませんので」

 ハイエルフが示す通り、色鮮やかな棒グラフがせわしなく動き回る」

「構わんよ。試し撃ちしたいな。街の一つぐらい消し飛ばせるんだろう?」

 議員がはやる気持ちを抑えきれず、急き立てる。

「そうだな。らみあに対する恣意にもなる。よし、いいだろう。許可する」

 鶴の一声で古代都市が二つも消えることになる。それは後々、世界最古のベストセラー小説に記され、忌まわしい記憶として語り継がれる。


 南極点、アムンゼンスコット基地跡。トゥエインズが革命評議会最高幹部ですら立入を禁じている場所。愚者の塔を何十倍もスケールアップしたタワーが立っている。いや、適切な呼び名は軌道エレベーターが良い。


「みなさ~~ん、撤退しましょう~~!」
「掩蔽壕へ避難して下さ~~い!」

 可愛らしい案内放送が流れ、きゃあきゃあと戦闘純文学者たちがスカートやブルマの破片を散らして逃げ惑う。


 玉の汗を吸い上げるように荷電粒子のしずくが基部によりあつまる。


『多世界解釈レーザー、対地攻撃、精密照準モード。目標、紀元前三千百二十三年六月二九日、アッシリア』

 カウントダウンが始まった。


 ◇ ◇ ◇ ◇

 アングーラ狂科学大学。街の地下を掘り抜いてキャンパスがすっぽり埋まっている。

「らみあ……。君と言う奴は本当に糞ビッチでつね」

 悪鬼僭主オーがロードがらみあ像に唾を吐きかけている。

「別にいいでつ。君はロヂャーとかゆー【チンカス野郎】とよろしくやってればいいでつ。僕はとことん愛想がつきまちた」

 ちろちろとレーザーの光が燃え上がる。男の怒りを代弁するように、静かに、ゆっくりと文字を形づくっていく。

『AD.20C←=→AD.27C.<<<<< AD.453C』という数式が虚空に浮かび上がる。

「さふさふ。君はロジャー以前にカシスのDTドーテーから魂を貰ったんでつね。男のおとこのこがアイドル少女の身体を借りて、妖精と同棲する。これ何てエロゲーでつか?」

 いったい、このオーガロードはどうしたというのだろう? 気でも触れたのか、死んだイエスターイヤー社員の口ぶりにそっくりだ。
「……どうも、この身体は滑舌が悪くて溜まらん。牙が舌に絡まるんだ」
「そうでしょうな。四万年も生きてらっしゃるんです。ご自愛のほどを」

 議員がまるで老人を相手にするかのよう僭主をに気遣った。

 ガチャリと目の前に鉄扉が浮かび上がり、戸口から燃え盛る不知火が見えた。

「ディレクター。【ロケ車】が着きました。玄関前で待っています」

 金色の骸骨が顔をだし、カタカタを顎を打ち鳴らす。

「すぐ行く」

 僭主は苛立ち気味に短く返事した。扉が裏返り、くるくると丸まって消えた。

「ショウ……この身体も……寿命が尽き……あと……頼……む……」

 ネビュラ議員にはゆっくりと前のめりに倒れる僭主が見えていた。



 あまりに突然のことで動転したものの、冷静にポータブル水晶を取り出し、救護室を呼んだ。
 屈強な狂看護婦が三人がかりでトロールを担架に乗せている。

 褐色の肌に大人の腕ほどの注射器が刺さり、はだけた赤がね色の胸に蘇生器が乗せられる。

「記憶転写が終わるまで持つかしら?」
「死んでも持たせて! 間に合わなきゃ、あたしもあんたも全員が死ぬことになる。あの糞アマに殺られる!」

 婦長らしいのが新米看護婦を叱り飛ばす。死にゆく体にチューブがいくつもつながれ、バタバタとどこかへ運び出されていく。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「世界の半分をくれる約束ですよ?!」

 暗がりで議員がヒステリックに叫ぶ。ぱっと照明がともり、消毒薬のにおいがツンと鼻に刺さる。
 ここは狂医学部の培養タンク。不定形な肉塊がいくつも水槽に浮かんでいる。その一つに接続されたスピーカーから、鐘が割れるような声が響いた。


「らみあちゃん。僕も君を捨てて仕事に生きることにしまつ。君が現実をそっくり書き換えるなら、僕は未来を書き殴りまつ」

 幼女体型のホムンクルスが分厚いガラスを叩き破る。どろりとジェル状の粘液が床に堆積する。

 ショウ・ネビュラ議員が壁面のキーボードを操作すると、ふたたび蛍光色のフォントが宙に舞った。

『AD.20C←=→AD.27C.<<<<< AD.453C』

「マイロード。これの意味をお忘れですか? 多世界解釈レーザーの動力源は人間の認識力――人間原理です」

 ホムンクルスはニンマリとほほ笑む。

「過去なんて感傷でつよ。愚民にそれを判らせるのでつ。歴史はこれから綴られまつ」


 まるで世界がどうなろうと関係ないような言いぶりで議員はリアクションに困った。
「二十七世紀から過去の歴史がすべてレーザーの燃料に費やされるんですよ? いいんですか」

 元トロールロードは自信満々で答えた。自分はイエスターイヤーBBをスターダムにのし上げる為に御崎らみあを地下アイドルから育てた。それが不意になったなら、歴史番組の最高傑作を撮るのが自分を含めた協力者へのたむけである、と


「足掛け四万年に渡るリアルタイム歴史ミステリー。高視聴率まちがいなしでつよ」

 彼は愛おしそうにフォントを見上げる。「アングーラの航時商人は、ただのんべんだらりと時代間取引をしていたわけじゃありセンよ」

 七十インチ液晶画面では怒髪冠を衝くロケットが屹立している。真夜中の太陽と見まがうばかりにかがやきだした。

「スペースデブリはマイクロ衛星をばら撒いてたんでつ。こやつらが僕の【番組】をサポートしてくれまつヨ」

 多世界解釈レーザーで過去を消し去ってしまうばかりでなく、人類の未来すらも自作自演の「番組」として「制作」しようというのか! どこまで気が狂った陰謀者だ。

「しかしながら、視聴者はどうするんです? 番組と言うモノは見る者がいなければ成立しませんよ。過去を含めて現実を書き換えてしまっては……」

 議員のもっともなツッコミを彼は即座に否定した。

「観客を創造するばいいんです。僕はディレクターでつよ。イエスタイヤーBB歴史スペシャル。果てしなき旅立ち~の総合プロデューサーなんでつ!!」

 コマネズミの様に下卑た顔の小男は、偉そうに腕組みした。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ハイエルフが狐につままれたような顔をしている。

 部屋の隅に灰色の立方体が浮かんでいるのだ。大きさは家庭用冷蔵庫ほど。触ろうと手をだすと、吸い込まれてしまった。

 悲鳴をあげてあわてて腕を引っ込めると、何事もなかったように戻った。幸い、怪我はない。

「ここ、ピクセルが欠けてまつ!」

 ディレクターはハイエルフを厳しく叱りつけたs彼女は言われたことが判らず、キョトンとしている。
 彼女がフリーズするのも無理はない。

「ドット欠け」あるいは「ドット落ち」は液晶ディスプレイの不良だ。現実世界がドット欠けするなんてあり得ない。

 ハイエルフがそう反論すると、逆ギレされた。

「現実世界の不連続性ぐらい勉強なさい。波動関数がプランクスケールで『たまたま』収縮しなかったんでショ」
「は、はぁ……」

 彼女は涙目でテランスミッタの調整を続けた、

「この機械は現実をグツグツ煮るんでつよ? 火気取扱いチュー意でつよ? 本当に大丈夫でつか?」

 上司は彼女の作業にいちいち口を挟み、追い打ちを駆けるように背後から毒づく。

「ちょっと休んでいいですか?」

 たまりかねた彼女は休憩を申し出た。定時はとっくに過ぎている。そそくさと女子更衣室に逃げ込み、妖精大麻に火をつけた。

 妖精代の嗜好品は品種改良され、依存性はまったくない。

「ふぅっ」

 吐息と一緒に黄緑色の煙を絞り出す。

 出窓からは地下空洞が見える。ライトアップされた軍艦島に無数のボランティア女子学生が張り付いていた。
 非常口のドアを開けて充満した緑煙を逃がす。

 鉄の扉に「イエスタイヤーBB」のロゴマーク。途切れ途切れに社員の雑談が聞こえてくる。

 お昼は何にしようか?
 麹町郵便局の前に美味しいカツ丼屋がある。
 いや、あそこは衣がベタベタだ。ご飯粒は堅いし。

 などというエルフ女子にあるまじきオッサン会話が聞こえる。

 ギェーっと翼竜がビル街を過り、「ヴェロウゾフ・ジャボチンスキー反応……」と毎度おなじみ特権者の攻撃警報が響き渡る

「竿やぁ―…… 竿竹ぇ――」

 竿竹売りが大阪都迷惑処罰法違反で現行犯逮捕され、その横をブルマ姿の列が駆け抜けていく。


 いったい、どこから現実で、どこまでが虚構なのか。何から何までいつわりの世界で真実などどこにもないのか。

 それとも……

 ハイエルフは、コンクリート壁をぼうっと見つめていたが、押し潰されるような閉塞感に耐えきれず、踊り場に出た。

 らせん階段から見上げると、夜空に橙隻眼が輝いていた。

「あ、大麻、切らしてたんだ」

 トントントンと階段を駆け下りて、高架下のローソンに入る。

「はい、トランプはマスタードとバーベキューソースとございますがぁ?」

 紅白横縞の制服を着たオーク娘が愛嬌たっぷりに聞いてくる。

 エルフ嬢は背後の棚を一瞥し「八番」と指定する。

 店員は慣れた手つきで「ピッ」とバーコードを読み取り、電子レンジに放り込む。

「あ、ゴノレゴ。新作が出たんだ?」

 待つ間にハイエルフは書架のコミックを立ち読みする。

「ギリシャ内戦かぁ。どう考えてもロシア乙だよねぇ」

 大麻がキンキンに冷える間、つい読みふけってしまう。

「ピーッ♪」

 オーク女子が赤ん坊の様なハイトーンで出来上がりを告げる。

「お箸、おつけしますねぇ」

 ビニール袋にゴノレゴの新刊十冊。ババンと大人買いだ。

「全部で二十七京ジンバブエドルになりまっす♪」

 聞き覚えのある声が支払いを要求している。

「はい。一不可思議ドラクマで…」

 彼女が財布を開くと妖精代に滅びた筈の通貨が唸っていた。

「どうでもいいけど、さっさとしなよ」

 店員にドヤされて、思わず顔をあげる。


 まず、名札が目に入った。

「御崎らみあ」





「いや~~~~ッ!!」

 ハイエルフは心臓麻痺を起こし、即死した。
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