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『こちら司令部』

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メルは事も無げに言った。だが内心冷や汗ものだった。根拠などない。単なる当てずっぽうである。しかし、ここで嘘をつくことは得策ではない。何故なら敵はこの世界に紛れ込んだ異物だからだ。正体不明の存在に自分の居場所を教えることはないだろう。ならば、相手の思考をトレースして動く他はない。
(さて、どこから攻めるべきか)
その時、通信が入った。
『こちら司令部』と男の声が流れてきた。
「なんだ?」『目標の座標を送った。確認してくれ』
「確認とはどうやって」
メルが尋ねると、『マップを開いて、そこにピンを立てて欲しい』と指示された。
「わかった」
メルは網膜に投影されている地図に意識を向けた。
すると、視界に矢印が表示された。その先は赤い点になっていた。
(あれか?)
メルは慎重に狙いを定めた。
次の瞬間、銃声が鳴り響いた。
敵は建物の陰に隠れていたが、弾丸が命中し、敵は倒れ伏した。
「やったぞ」
「敵の増援が来る前に、一気に突入する」
メルは突入部隊を急かした。「待ってくれ。負傷者が出た」
リンド隊が担架を担いで戻ってきた。負傷兵は肩を撃ち抜かれ、苦悶の表情を浮かべている。
「大丈夫か!」
メルはすぐに駆け寄った。出血がひどい。
「応急処置はしたけど、早く医者に見せないと」とリンド隊の一人が言った。
「私が行こう」とリンドが申し出た。「君は負傷者を連れて先に脱出してくれ」
「わかった」
「ここは我々に任せろ」「頼んだぞ」
リンド隊は負傷した兵士を連れると、撤退を開始した。
「敵が逃げるぞ!」
「逃がすな」メルは追いかけようとしたが、「ダメだよ、少尉」と止められた。
「何故だ」
「これ以上、死者を出すわけにはいかないんだよ」
「このままでは全滅してしまうぞ」
「そうだよ。でも、今無理をして犠牲を増やすこともない」
「……」
メルは無念さを滲ませながらも、引き下がった。
「ごめんね。もう少しだけ我慢していて欲しい」
「……」
「すぐに終わらせるからさ」
「……」
「それじゃ、また後でね」
そう言って、リンドは走り去っていった。
※ メルは一人になると、大きくため息をついた。「私は一体何をやっているのだ」
メルは自問したが、答えはなかった。
「……」
しばらく考え込んで、それからメルは顔を上げた。
「まあ、いいか」
メルは頭を切り替えることにした。
「それよりも、これからどうするかだ」
メルが考え込んでいると、不意に背後から声を掛けられた。
「あのぅ」
メルが振り向くと、メイド服の少女がいた。
「何だ君は」
メルが身構えると同時に、少女は頭を下げた。
「初めまして、メルさん」
「……何者だ」
「私の名前はアムです」「ちょ、なんで生きてるのよ? 戦死したはずでは?」「そう簡単にくたばりませんよ。しぶといのが取り柄ですから」
「アムのアカウントで不正ログインしてるんでしょ。どういうチートを使ったのか知らないけど運営に通報する」「いえ、そんなことしてないですよ」
「じゃあ、なんであなたがここにいるのよ」
「だって、この体は本物の体じゃないし」
「えっ」
「ちょっと、これ見て下さい」
「うわぁ、本物じゃん」
「はい。バーチャル空間にダミーボディを繋いで、そこに精神を転送したんです」
「そんなことできるの?」
「できます。この手の技術は進んでるんですよ」
「うーん、よくわかんないけど、とにかくすごいわね」
「ところで、さっきから気になってたんだけど、そのコスプレは何ですか?」「ああ、これはね」
メルはこれまでの経緯を説明した。
「なるほど、それでこんな格好をしている訳ですね」
「そうなの」
「お似合いだと思います」
「ありがとう」
「それより、そろそろ本題に入りましょう」
「本題って?」
「決まってるでしょう。このゲームをクリアする方法についてです」
「クリアねぇ」
メルは首を傾げた。
「もうとっくにクリア条件を満たしてると思うよ」
「そんなことはない。まだ敵は残ってるし、街も復興していない」
「いや、そもそもゲーム自体終わってるし」「どういうことだ」
「そのままの意味よ」
メル・リンドは仮想世界に閉じ込められていた。
「いつまで経ってもこの世界は終わらないし、私はいつまでもこのセクターにいる」
「……」
「そして、敵はどんどん強くなっていっている」
「……」
「さすがに疲れてきたから、さっさと終わらせたいのよね」
「……」
「あんまり長く留まると、現実にも影響が出そうだし」
「……」
「ねえ、どうしたらいいかな?」
「……」
「なんとか言いなさいよ」
「一つだけ方法があります」
「どんな方法だ!」
「この世界に干渉できないように、私の体を消します」
「それが一番楽だけど……」
「……」「やっぱり、だめか……」
メル・リンドが目を伏せた。「……」
「ごめんね」
アムは申し訳なさそうな顔をした。「私なんかを助けてくれたから……」
メルは黙ったままアムの手を握った。アムもまた無言のまま、メルと向き合った。
二人の沈黙を破ったのはメルの方だった。メル・リンドの目つきが変わっていた。その瞳に迷いの色はない。メルはゆっくりと口を開いた。
「君の提案は魅力的だ」
「だが」
「断る」
メルはきっぱりと言い放った。アムの顔に落胆が走った。だが、メルは言葉を繋いだ。「なぜなら、それは本当の意味で勝利とは言えないからだ」

『メル少尉より本部へ』メルの声だ。『敵部隊、残存戦力を撃破』
『了解。ただちに作戦を終了して帰還せよ』
『了解』メルは回線を切断して、「さて、あとひと仕事しますか」と言った。『アムの体』は消えかけていた。「さよなら、アム。本当にありが……」その時、突然銃声が轟いた。メル・リンドの脇を銃弾が通り抜けた。次の瞬間、目の前にアムが現れた。撃たれた筈のアムが無傷の姿で現れた。
(なんで?)
一瞬、状況を忘れ、アムは立ち尽くした。
(まずいっ)
次の瞬間、メルは身を翻した。メルはアムを抱え込み、地面を転がった。「ぐあっ」背中から衝撃を受けた。「痛っ……」メルは苦痛に顔を歪めた。だが痛みはすぐに治まった。
(まさか、これがゲームのバグ?)とアムは思いつつ、「大丈夫、メルさん」と尋ねた。「問題ない」メルはアムに覆いかぶさっていた。「アムこそ大丈夫なのか」
「はい」
「なら、良かった」
メルはほっとした顔を見せた。アムはその笑顔に見惚れた。と、同時に心拍数が上がるのを感じた。
(な、なんでドキドキしてるんだろう……)
「……」
「あの……」
「……」
「……」
「……」
「……なに?」
「なんでもありません」
※ メルとアムは戦闘後の処理を行った。
「これでよしっと」メルが言った。
「……」アムは何も言わなかった。
「どうかしたか」メルは怪しげな顔を向けた。「どこか怪我でも……」
アムが目をそらした。「なんでもないです……」
メル・リンドは自分の体に視線を下ろした。胸の谷間に一筋の血が流れていた。「出血……」
メルが呟いた。
「えっ」
「出血しているぞ!」
メルの声に慌ただしい空気が流れた。
メルが応急処置を行う間、周囲が静寂に包まれた。
メルが言った。「さて、と」
「そろそろ帰らないと」「」
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