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疾風の到達不能極(インレット)~ラーセン・マグナコア① 到達不能極のツアーはいかが。

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 ■ 疾風の到達不能極インレット~ラーセン・マグナコア
 ■ 到達不能極のツアーはいかが。

「実は地球は真っ平。どいつもこいつも騙されるなよ。黙っちゃいないぜ、この俺様は。ものみなすべて、真っ平~♪」
 物々しい衝突音とけばけばしい掘削音が聴取者リスナーの神経を容赦なく削り取る。不協和音とタイミングのずれた打楽器は、どう聞いてもまともな音楽とは思えない。演奏をまるっきり無視して、ボーカルが言いたい放題まくしたてる。果たしてこれは歌詞なのか、MCなのか、もはや、歌っている本人しかわからない。主張が絶叫に変わり、無意味な語呂合わせが連続する。
 ファナティックな旋律が可聴域を飛び越えて、キーンという耳鳴りに変わった。男はビルジ・キールを震わせている量子ラジオを遮断シャットダウンした。
 すると、隣で激しく首振運動ヘッドバングしていた女が平手打ちを食らわせた。色黒肌で郭公の巣の様な髪から、今にも雛鳥が飛び出して来そうな勢いで怒る。。
 男は露骨に顔をしかめ、女から遠ざかった。鳥の巣女は立てかけてあった金属バットに手を伸ばした。三白眼に睨みつけてくる。
 話し合いができる精神状態ではない。
「もう、いいだろう」
 男は状況を踏まえて、キールに腰かけている聴衆に同意を求めた。デッキに集まったメンバーは鳥の巣女の孫娘ぐらいの年齢だ。プレッピースタイルの丸眼鏡にヒップホップなミリタリーキャップを被っている。太腿みあらわなミニスカートにモスグリーン色のマントを組み合わせている。確かにポンチョやストールは冬のマストアイテムだが、このコーディネートはないだろう。
 彼女たちが違法薬物に染まっていないとすれば、大真面目にメタフィジカルを追及している異端学者のどちらかだろう。
 つまり、一見して頭の行かれた集団であることは間違いない。少女たちは声をそろえて男に賛同した。
 ニューヨークのハーレム出身の女性シンガーことキャメロンにはそれが気に入らなかったようだ。ビルジ・キールにフルスイングした。摩天楼から檻を投げ落とすような不協和音が耳を弄する。少女たちはきゅっと縮こまった。
「わかったよ。この船のオーナーはあんただ。俺たちが席を外すとしよう」
 男はひらひらと手を振ると、女の子たちは潮が引くように船内へ退散した。
 アルクイーク・ノーヴォスチは二万トン級を超えるロジウム塩熱力砕氷船で内部はブルジョワジーを極めている。それはアドルフ・ヒトラーがもっとも忌み嫌った民族による潜在能力の証でもある。異世界ラーセンマグナコアに逃れた人々は大分裂グロースシスマの騒ぎに乗じて裸一貫から財を築き上げた。分裂後七十余年、戦争を知らない子供たちは爛熟した社会のなかで緩慢な死を迎えつつあった。
 だが、種の保存則は進化の遅滞を許さない。袋小路に直面している生物は淘汰圧に屈しまいと先鋭化する。それはラーセン・マグナコアの富裕層子女おかねもちのボンボンに方向性を与えた。見せかけの安定は大人が若者たちを飼い慣らす便利な道具である。つまらない社交に明け暮れて内臓疾患を患う生活習慣すら、次世代を弱体化させる策略でる。そもそも、年老いて死ぬことはエントロピーの浪費であるし、人生を無意味にしてしまう。ラーセンの頂点に立つ支配的成人たちは裏で不老不死を実現している。世代交代を演出することで、若者たちに死を意識した人生設計図を描かせて、自分たちに対する下克上の機運を削いでいる。
 そんな極端な思想が蔓延するなか、『若年迫害主義者』の圧政を覆す取り組みが勃興した。
 量子ラッパーのボブ・ブラックスワンが主催する驢馬耳王錬金運動マイダス・ムーブメントは既成概念の地平線に仙薬を探求するプロジェクトだ。彼は幼いころから有名な童謡「パフ・ザ・マジックドラゴン」の歌詞に不老不死の鍵を発見していた。コード2027のステイツに留学して、キャメロンと出会ってから彼の信念は確信に変わった。痴情のもつれによる刃傷沙汰で彼の野望は道半ばで終わったが、遺志を許嫁キャメロンが継いだ。
 アルクイーク・ノーヴォスチは印税のカタに始祖露西亜の音楽出版社から奪い取ったものだ。北極海を舞台にした大規模なカルトムービーを企画していたらしいが、資金繰りの悪化や監督の相次ぐ降板で塩漬けにされていた。
「そうおびえるな。キャメロンの譫妄せんもうは今に始まったことじゃない」
 総合社会福祉士のダッチマンは震えている少女に声をかけた。恋人のライナー・ミルドラースは今しがた枢軸特急で到着したばかりだ。キャメロンを要介護認定させるという名目でゲルマニアから医師団を呼んだ。そのついでに呼び寄せたのだ。
「嫉妬妄想はレビー小体型認知症の初期症状よ。私みたいな医学の素人でもわかるもの。だから、こわいの」
 彼女はスカートのすそをギュッと握りしめてブルマーをあらわにした。
「フムン。まぁ。彼女はじきにいなくなる。しかし、君はずっとここにいる」
 ダッチマンはミルドラースの髪をやさしく撫でた。少女はサッと身を引く。
「放して! 夕方六時からセミナーがあるのよ」
 退路を屈強なゲルマン人が塞ぐ。
「介護ならここでだって学べるさ」
 ミルドラースはムッとする。
「悪いけど、単位が足らなくなるの。イカレた音楽家に人生を捧げるより、よっぽど有意義なことよ」
 彼女は別れを切り出すつもりで棘のある言い方をした。
「地球平面物理学者の俺が福祉士の資格を取ったのは、まやかしの社会福祉を葬り去るためだ」
 ダッチマンは介護現場にあるまじき言葉を吐いた。
「キャメロンを放逐するのは最初からわかっていた。そのつもりで、わたしは説得しに来たの。信じたわたしを殴りたい……って、ひゃん☆!」
 ダッチマンは無言で恋人のセーラー服を胸元から引き裂いた。純白のテニスウェアの下から白衣が覘いている。
「ちょっちょっと! ヤダ!! やめてったら!!」
 ミルドラースは抵抗むなしく、ブルマ姿に剥かれた。大声で人を呼ぼうとして、唇を塞がれた。
「んぐぅ! はン♡」
 彼女はすぐに意識を手放した。
 異変に気付いた看護婦が枢軸特急からアルクイーク・ノーヴォスチに降りてきた。ふわりと純白ビキニの天使が着艦する。
「どうされました?」
 ダッチマンは臆することなく、流ちょうなドイッチェラント語で事情を話した。
「この娘が発作を……すみません、今すぐAEDを!」
「はい」
 看護婦は枢軸特急にとんぼ返りした。医療コンテナが落下傘を開く。
 開封と同時にAEDからけたたましいアラーム音がした。それはワールドノイズとなって世界首都ゲルマニアまで届く。不測の事態にそなえて救急搬送の受け入れ準備が整う。病院裏の引込線に当直医が集まり始めた。
 ダッチマンはバナナの皮を剥くようにレオタードとスクール水着をボロ布に変えた。高価なブラをぶちっと引きちぎる。幸い肩紐にワイヤーは通っていない。それでも万一の感電を防ぐために下着の類は除去する。電極パッドを胸に貼り付けると自動的に心電図の解析が始まった。彼はポケットから銀色のケースを取り出すと、それを電極パッドに直結した。
 心電図が異常を検知し、枢軸特急が騒がしくなる。異世界逗留者たちが様子を見に一人、二人と舞い降りる。
「LET’S-JAMいまだ!」
 ダッチマンの合図でバリバリと銃撃戦が始まった。キャメロンの被害妄想は万全を期しており、ブラックスワンの信奉者たちに軍事教練まで施していた。華奢な少女たちがStG44を撃ちまくる。不意を突かれた異世界逗留者が血しぶきとなる。枢軸特急はチャーター便で平時の医療搬送を前提としており、実戦を想定していない。せいぜい暴れた患者を鎮静化させる程度だ。彼らは外套効果を発揮して、一目散に逃げようとした。
「させるか!」
 ダッチマンが再び銀の小箱をいじくる。すると、異世界列車がぐるぐるとループを描き始めた。その隙を突いてアルクイーク・ノーヴォスチが急発進する。

 ■ TWX1369 戦闘指揮車両
「砕氷船に襲われた? 主語が量子平面学会の調査船? 目的語じゃなくって?」
 ハーベルトにとってアルクイーク・ノーヴォスチ号の反乱は寝耳に水だった。
「主犯者はヨーゼフ・ダッチマン。ゲルマニア社会福祉協議会の介護福祉士。三五歳。独身男性。キャメロン・バーソロミューの生活援助のために驢馬耳王錬金運動マイダス・ムーブメントが保険適用外利用申請したものです」
「そんなペーペーの介護士がどうして?」
 シュターツカペレから説明を受けてハーベルトはますます困惑した。
「ラーセン・マグナコアの衒学げんがくブームは若者のトレンドで底堅い支持に支えられています」
 邨埜純色むらのぴゅあは自分のセミナーに衒学者げんがくしゃが混じっていた、と暴露した。
「でさあ。地球平面学って何なの?」
 望萌がコップの水で頭痛薬を飲み下す。
「地球は丸くないってひたすら主張する人々よ。その本質は修正主義よ。目の前にある現実と既成理論を一致させよぅー。だってさ!」
 ハーベルトが小ばかにする。
「突き放すのはよくありません。現に死者が出て、砕氷船が乗っ取られたんです」
 ハウゼル列車長が諫めた。
「水平線が丸く見えないから地球は平面だ。そういう貧弱な根拠を燃料にするバイタリティーだけは尊敬するわ」
 ハーベルトは砕氷船の救出にあまり乗り気でない様子だ。彼女の目的地は南極のプリンセス・マーサ・コーストにある。そこにはアドルフ・ヒトラーがとても固執した場所であるからだ。酷寒の地にナチス第四帝国を建設しようと目論んだ。彼女はそこにナチスの埋蔵技術があると睨んでいる。
「平面学より確かな事実よ。不凍港があるの。摂氏マイナス58でも凍らない場所。すごいじゃない?」
「でも、ハーベルト。討伐依頼が……」
「望萌。そんなゴロツキ、秘密警察シュターツカペレか親衛隊SSで十分よ」
 じっさい、ハーベルトの肩書は偉くなっていた。
 ドイッチェラントと大日本帝國海軍は共同で航空列車師団を創設し、ハーベルトは提督の地位を与えられている。
「陸海空の全てを兼ね備えたチャンピオンですものね」
 彼女はどっかりと提督の座で足を組む。
「通達を解釈するに枢軸特急は遊撃手扱いよ。立場上は座視できないわ」
 望萌がしつこく食い下がる。
「ええい。めざすはノイシュヴァーベンラント駅。熱力学法則を破る不凍港があるのよ。前進あるのみ」
 ハーベルトがさっそく提督風を吹かせる。
 すると、邨埜純色が悲しそうに言った。
「どうして私たちは、生きることを先延ばしにして、その向こうに咲く花畑を愛でるのでしょう?」
 ハーベルトはじっと押し黙り、進路変更を命じた。
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