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エトワール・ノワールの燭光 ⑦ 七つの大罪(前編)

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 ■ 異世界【マランツ】 邨埜研究所 山麓付近(承前)

 女ボスは緑一色の自然美をひとしきり堪能すると現実に戻った。
尾鷲おわせ。ヤンガードライアス彗星が世界の害悪とは限らないさ。既得権益を破壊する事にも繋がるんだからねぇ」
 沼田コヨリは決して強盗団のリーダー格などではなかった。後発の宿命量子色力学者として、独自の視点で研究を進めているうちに邨埜純色の傲慢と偏見に満ちた学説に我慢できなくなった。邨埜はハイパー核の鉱脈を発見しておきながら、その成果を独占し隠蔽し続けてきた。コヨリは純色のセミナーに出入りするメンバーの証言や純色がお為ごかしに発表する啓発本から断片情報を拾い上げてハイパー核の存在を突き止めた。そして、それを枢軸基幹同盟の共有財産とするためには、話し合いや法的拘束力ではどうにもならないと判断して強奪という強硬手段に出た。もちろん、犯罪行為をあえて冒すからには「間違いでした」では済まされない。慎重に物的証拠を積み上げて、周到に計画を練り上げた。
「しかし、ボス。ハイパー核を見つけたからと言って喜べませんぜ。俺たち『懐疑派』には輸送手段も掘削機もないんですからね」
 尾鷲はハリアーの眼下に広がる緑地帯を背に肩をすくめた。
「それどころか、シュターツカペレがとっくに嗅ぎつけているでしょうな」
 部下たちも尾鷲の懸念に同調する。
国家秘密警察シュターツカペレが怖くて懐疑派が勤まるかい。エルフリーデ・ハートレーの総統府と一緒に共倒れするんだからね」
 女ボスは動じることもなく、尾鷲にサンプルの回収を命じた。ハリアーから命綱を垂らしてハイパー核の採集に向かわせる。彼の頭には機関砲の照準が向いている。猫糞ねこばばを決め込む奴には12ミリ弾が待っている。
 十五分ほどかけて彼は悪戦苦闘を続けたあげく、五キログラムほどのハイパー核を入手した。慎重にケースに移す。
 蓋を閉める直前、コヨリがうっとりと緑色の原石に見入った。
「綺麗だね。これぞ狂わしいまでの美しさって奴さね」
「どれ、俺たちにも見せてください」
 尾鷲たちの求めに応じて女ボスは気前よく回覧させた。
 彼らは悪魔的な輝きにすっかり魅了された様である。
「異世界を根こそぎぶっ壊すヤンガードライアス彗星の脅威。エルフリーデはどこまで国民に白を切りとおせるか楽しみだね」
 コヨリは勝ち誇ったように哄笑する。

 ■ 虚無山要塞駅操車場

「一人で納得するのはキミの悪い癖だよ。ハーベルト」
 祥子に注意されてハーベルトは簡単なブリーフィングを始めた。彼女は不知火高美たちの挙動に関して一つの仮説を打ち立てた。彼らは枢軸側の迎撃を見越して、故意に物体を投げ込んだのではないか。ハーベルトはスペクトル分光光度計を用いて天空を覆う粉塵の成分を分析させた。物質が反射する光には固有の輝きがある。それをプリズムに当てると色々な虹のバリエーションを形作る。
 留萌のモニタースクリーンに青緑色のグラデーションが現れた。
「やはり、猿ヶ森の鳴き砂です。特徴が一致します」
「睨んだとおりだわ……」
 ハーベルトが言うには頭上で展開している惨劇は大掛かりな虚像――イリュージョンに過ぎない。それが証拠に質量を持った物体が運動する際の余波が微塵も感じられない。
「大気の揺らぎや衝撃波を僅かでも検出できたら教えて」
 留萌はハーベルトに尋ねられてあらゆるセンサーの記録をプレイバックしてみた。そして、首を横に振った。
「ねぇ、あいつらはこんなことをして何の得になるの」、と祥子。
「彼らは地獄を飽和させようとしているのよ。祥子。お祖母ちゃんか誰かから、こんな話を聞いたことはない? 祭壇に捧げる供物はスピリチュアルなかてになるって」
「ボクんちの宗派はわからないけど、キミって仏教徒なの? それとも、それって共通認識なの?」
 ハーベルトはそんなこともわからないのかと却って不思議そうな顔をした。
「ゲルマニアでは東洋神学の研究も盛んなのよ。特にエルフリーデ・ハートレー大総統はチベットに御執心で……」
 彼女は偉大なる女性指導者が僧侶たちと談笑している写真を取り出した。その背後には祥子の世界で一部の人々にタブー視されているシンボルが掲げられている。
 祥子は何度もためらった末に恐る恐る聞いた。
「もしかして、そのお方って……」
 ハーベルトは殺意に満ちた目で睨み返した。「今のは聞かなかったことにしてあげる。シュターツカペレにはわたしに方から計らっておくわ。少なくとも貴女が懸念するようなお人じゃないってこと」
 ただならぬ気配を感じて祥子は素直に謝罪した。
「ごめん。ボクは彼女に一度は命を助けられたんだ。恩人を侮辱するつもりはなかったんだよ。ただ……」
「偉大なるドイッチェラントは祥子とは違う時間軸上に聳えている事を忘れないで!」
 ハーベルトは厳しく釘を刺さすことで矛先を収めた。
「それで、霊気……ですか? 供物のスピリットも冥界では実体を持つとして、それを3Dイリュージョンに投影することで、どういう結果が得られるんですか?」
 頃合いを見計らって、ハウゼルが話を戻す。
「さっきも言ったように地獄の飽和よ。地獄と言えども異世界に変わりはないわ。大量の遺物混入に耐えられない。シュワニーシーのように崩壊するか、『進歩と調和』のように歪んだ形で咀嚼するか、どちらかよ」
「地獄の住人に破滅願望があるとは思えませんが」
「百裂鬼よ。獄卒の中でも選りすぐりのエリート。向上心が高じて他の世界で一旗あげたいと願う輩よ。そういえば、あそこに高美も居たんだっけ。利害が一致したに違いない」
「でも、どこへ行こうっていうんです? ここはエントロピーのどん底ですよ。3Dイリュージョンで足掻いたところで逃れようがない」
 ハウゼルが首をかしげていると、大学院卒のブレースが口を挟んだ。
「宿命量子色…力学でしたっけ。選択科目のオリエンテーションで聞いたことがあります。熱力学第二法則に抗うマイナーな学問だと。とても単位を取れそうになかったんで」
「それよ!」
 ハーベルトはポンと膝を叩いた。喉のつかえが取れたようにスッキリした表情で続ける。
「さっき遭遇したアスモスデウス。色彩を司る悪魔の一柱よ。他にもいるけど、ゲルマニアのグリモワール(註、悪魔の図鑑)に載ってる」
「うろ覚えですが、マックスウェルだかラプラスの悪魔だか、そういう熱力学に逆らう魔物を理論的に扱うと説明会で聞きました。私は頭痛がしてそれ以上は聞かずじまいで」
「ブレース。あなた、功労者だわ。そうよ。この件には宿命量子色力学者が噛んでいる。親衛隊諜報部に照会してちょうだい」
 ハーベルトの命に応じて、情報将校がコンソールを叩くと、即座に返答が来た。
「運命量子色力学は異端中の異端でアカデミズムも黙殺された形ですが、細々と研究が続いています。その中でもメジャーなのは……」
 その報告を警報音が吹き飛ばした。
「地震です。地震です。P波を感知しました。速やかに避難してください。地震です。地……」
 保線区武装司令部が虚無山周辺の地殻変動を察知し、警報を発した。脱線事故防止のために列車の車輪がロックされる。枢軸兵達は地下要塞の崩落に備えて避難を開始した。
「山頂レーダーに感あり。大型異世界生物―」
 グラグラと前震がディスプレーを揺らす中、ハーベルトは砲兵に攻撃開始を命じた。本震が来る前に一発でも撃てればいい。寂寥の漠野駅周辺の目標地点を叩いてから撤退せよと。
 危険を顧みない無茶振りについてこれるのは、彼女に対する掩蔽壕よりも厚い忠誠心のなせる業か。操車場に号砲が鳴り響いた。

 ■ 寂寥の漠野駅

 ALX427ψは弾道を描く飛翔体を探知した。
「砲撃だと?!」
 鬼哭は名も知らぬ敵将に敬意を抱いた。地震を司る悪魔アグアス=カリエンテスに歯向かうとは肝の据わった奴だ。アグアスは大鰐に跨った巨人で、身の丈は20メートルほど。一歩踏み出す度に蟻地獄が生まれる。
「いいわ。その調子よ。運命量子色力学は六つの欲色と物質を構成する六つの基本粒子クォークに対応するの。貪欲の権化アグアスが姿を現した。理論の完成も近いわ」
 邨埜純色がカロリーメーターを揮うと残りの四柱が虚無山を取り囲んだ。

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