雨降る朔日

ゆきか

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第七幕 水の神

一 みんな美しい魚の姿に変えてあげるよ。

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 血墨ちずみ

「皆、あの子を迎えに行くよ」

 蛇神は飛沫を立てて滝壺から高く舞い上がり、瑠璃の御衣おんぞを翻した。
 腰元こしもとたちが集まりざわめく。

姫様ひいさま!」

「あの子と仰いますのは……」

「決まっておるではないか。この珠白を水で満たして、迎えにゆこう」

 姫君の言葉に、腰元たちは湧き上がった。遊び場が広がることを喜んでいるのだ。その中で、甘霖かんりんが冷静に指摘する。

「しかし、そうすれば珠白のくがの生命は全て失われます」

「よいではないか。みんな美しい魚の姿に変えてあげるよ」

「あのようなことがあれば、人間どももさすがに懲りましたでございましょう。姫様、来年の祭礼までお待ちくださいまし」

「その前に朔夜が死んだらどうする。あの子に残された命は僅かだ。勝手に死なれては血墨に迎えることはできない」

 すると雨冷あまびえが焦った様子でぺたぺたと早足で歩行あるいてきた。

「姫様、客人が参りました」

「追い返せ」

「霜辻医院の一果でございます」

 その名を聞いて、腰元たちはざわめき右往左往した。

「……よい。通せ」

 雨冷に案内され、一果が友好的な微笑みを貼り付けて滝壺の前へ出てきた。墨染の法衣ではなく、丹生の祭主の装束を着ている。長く引かれる純白の裾には汚れひとつ付いていない。

「やあ、久しぶり。先日は綴見つづみのみんなを随分と可愛がってくれたね」

「何の用だ」

「うちの朔夜が、おまえに会いたいと言っている。だが、あいつはあたしのようにおまえの声を直接聞くことができない。舞台を用意したから、綴見町へ降りてこい」

 騒ぎ出す腰元たちに蛇神が視線をひとつ向けると、石のように大人しくなった。

「そのような面倒なことをせずとも、ただ渡してくれさえすればよいものを。血墨の民に迎え、美しい蛇の姿を与えてあげよう」

 一果は手を顔の前でぶんぶんと振る。

「だめだめ、物事は円満に進めないと。そんなことをしたら朔夜は泣いちゃうよ。せっかく会ってくれると言うんだから、この機会に口説いてみたら?」

「姫様、この小娘の申すことでございます。罠かもしれませぬぞ」

 天水てんすいが言うと、一果は袖口から合口造りに蒔絵で秋草の描かれた見事な手箱を取り出し、金の紐を解いて開けて見せた。

「朔夜の書いた手紙もあるよ」

 手箱の中に入っていたのは、端正な筆文字で書かれた一通の文。甘霖が受け取ろうとするより先に、蛇神が取って読み始めた。

 蛇神の僅かに動いた表情を見て腰元たちは焦り始める。

「雨雲と共に自在に空をお飛び遊ばす姫様と違い、我々は水の無い処へお供することはできません」

 一果はフッと笑った。

「いいじゃないか。おまえたちなんて、いてもいなくても一緒よ」

 腰元たちは肩を寄せ合って震え上がった。首を斬られたときのことを思い出しているらしい。

「さあ、どうするの?」

 一果が見上げて問うと、蛇神は文を閉じて言った。

「わかった。参ろう。綴見へ案内せよ」
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