26 / 39
第五幕 蛇
二 丸呑みするのが美味しいと思うよ。
しおりを挟む
朔夜はぼんやりと天井を見つめている。魂が抜けたように見えるが、頭の中は母の作った料理を拒否してしまった罪悪感で大忙しだ。布団が何十倍も重く感じられる。潰されて地面に埋まってしまいそうだ。
「朔夜、起きてるかい?」
母の声が聞こえる。唐紙が開いて、声の主が現れ、その手に持っているものが目に入り────つい数秒前まで朔夜の中で澱んでいた感情が全て吹き飛んだ。
「………………何だそれ?」
「これなら食べられるだろう」
「…………………………正気か?」
つい、心の声がそのまま口から出てしまった。
朱漆に蒔絵で秋草の描かれたお膳台の上に乗せられていたのは、珠白で生まれ育った者にとってはとても人間の食べ物とは呼べないものだった。
高く積み上げられた、白いネズミの死体である。
一果はお膳台を朔夜の前へ運ぶ。箸で一匹を摘み上げ、朔夜の顔に近付ける。
開かれた赤い瞳と目が合う。
「食べなさい」
──ネズミを、それも調理されていないものを食べろと突然言われても。
弟子が師の言動を理解できないのは、未熟であるからだ。理解できなくても、何か意図があるはずだと信じ、従うべきだ。朔夜はそう心得ている。しかし、それでもネズミを食べろというのは、即座に覚悟を決められることではない。そのはずなのに、不思議とお粥や果物よりも食べられそうに感じられた。
朔夜が固まっていると、一果は口に指をねじ込んで開けさせた。
「栄養あるよ。これを食べればきっと治る」
一果の口調は普段と変わらず冷静で明朗だが、その笑顔はやや無理を感じさせるものだった。
ネズミが口に近付けられていく。身体を捩って抵抗するが、一果にあっさりと組み敷かれ、口にネズミが押し込まれた。
口の中に体毛と手足の感触がある。喉の奥に鼻先が強く押し当てられている。苦しい。だが、吐き出したいとは思わない。
飲み込みたいと、本能が訴えている。
そこへ、一果の言葉。
「丸呑みするのが美味しいと思うよ」
ネズミの丸呑みなんて、人間にできるわけがない。そう思ったのに。
「んっ……」
喉は動いて、口内のネズミをするりと腹の中へ運んだ。
「どうだい?」
「………おいしい」
それが、ネズミを丸呑みした朔夜の、嘘偽りない率直な感想だった。
一果の表情に光が戻る。
「そうかそうか! もっと食べなさい!」
二匹目のネズミを箸で摘み上げる。朔夜は素直に口を開け、ネズミをおいしそうに飲み込んだ。
一果は次々とネズミを朔夜の口に運んだ。最後の数匹は一果に食べさせられるのを待たずに、朔夜自ら手で掴んで飲み込んだ。そうして、あっという間にお膳台の上は空になった。
「よく食べたね。これだけ食欲があれば安心だ」
朔夜は一果の余計な不安を払拭できたことに安堵したが、何か言いたげに、徐々にその表情を曇らせていく。
「母さん……これはどういうことなんだ? 説明してくれ」
「ミラの一部にはネズミを食べる文化があるらしいよ」
「さすがに生で丸呑みはしないだろ」
「でも、美味しかっただろう?」
「うん…………」
本当に、美味しかった。
「いやいや、それじゃ説明になってな……うっ」
一果は咄嗟に、布団の傍にあった桶を朔夜の膝の上に置いた。胃の中のものを喉に詰まらせ吐き出せずに苦しむ朔夜の背中をさする。
飲み込まれる前と同じ姿のネズミがボトリと桶の中に吐き落とされた。
何度も喉に詰まらせながら苦心してネズミを全て吐いた朔夜は過呼吸を起こした。
「ごめんなさい……っ、」
「大丈夫だから、落ち着きなさい。息を止めて、ゆっくり吐いて」
時間をかけてようやく落ち着き、赤く潤んだ目で一果を見上げている。
「かあさん……」
「無理をさせて悪かったね。しばらく何も食べていなかったところへ消化に悪いものを大量に入れたからだろう。少しずつ食べようか」
「朔夜、起きてるかい?」
母の声が聞こえる。唐紙が開いて、声の主が現れ、その手に持っているものが目に入り────つい数秒前まで朔夜の中で澱んでいた感情が全て吹き飛んだ。
「………………何だそれ?」
「これなら食べられるだろう」
「…………………………正気か?」
つい、心の声がそのまま口から出てしまった。
朱漆に蒔絵で秋草の描かれたお膳台の上に乗せられていたのは、珠白で生まれ育った者にとってはとても人間の食べ物とは呼べないものだった。
高く積み上げられた、白いネズミの死体である。
一果はお膳台を朔夜の前へ運ぶ。箸で一匹を摘み上げ、朔夜の顔に近付ける。
開かれた赤い瞳と目が合う。
「食べなさい」
──ネズミを、それも調理されていないものを食べろと突然言われても。
弟子が師の言動を理解できないのは、未熟であるからだ。理解できなくても、何か意図があるはずだと信じ、従うべきだ。朔夜はそう心得ている。しかし、それでもネズミを食べろというのは、即座に覚悟を決められることではない。そのはずなのに、不思議とお粥や果物よりも食べられそうに感じられた。
朔夜が固まっていると、一果は口に指をねじ込んで開けさせた。
「栄養あるよ。これを食べればきっと治る」
一果の口調は普段と変わらず冷静で明朗だが、その笑顔はやや無理を感じさせるものだった。
ネズミが口に近付けられていく。身体を捩って抵抗するが、一果にあっさりと組み敷かれ、口にネズミが押し込まれた。
口の中に体毛と手足の感触がある。喉の奥に鼻先が強く押し当てられている。苦しい。だが、吐き出したいとは思わない。
飲み込みたいと、本能が訴えている。
そこへ、一果の言葉。
「丸呑みするのが美味しいと思うよ」
ネズミの丸呑みなんて、人間にできるわけがない。そう思ったのに。
「んっ……」
喉は動いて、口内のネズミをするりと腹の中へ運んだ。
「どうだい?」
「………おいしい」
それが、ネズミを丸呑みした朔夜の、嘘偽りない率直な感想だった。
一果の表情に光が戻る。
「そうかそうか! もっと食べなさい!」
二匹目のネズミを箸で摘み上げる。朔夜は素直に口を開け、ネズミをおいしそうに飲み込んだ。
一果は次々とネズミを朔夜の口に運んだ。最後の数匹は一果に食べさせられるのを待たずに、朔夜自ら手で掴んで飲み込んだ。そうして、あっという間にお膳台の上は空になった。
「よく食べたね。これだけ食欲があれば安心だ」
朔夜は一果の余計な不安を払拭できたことに安堵したが、何か言いたげに、徐々にその表情を曇らせていく。
「母さん……これはどういうことなんだ? 説明してくれ」
「ミラの一部にはネズミを食べる文化があるらしいよ」
「さすがに生で丸呑みはしないだろ」
「でも、美味しかっただろう?」
「うん…………」
本当に、美味しかった。
「いやいや、それじゃ説明になってな……うっ」
一果は咄嗟に、布団の傍にあった桶を朔夜の膝の上に置いた。胃の中のものを喉に詰まらせ吐き出せずに苦しむ朔夜の背中をさする。
飲み込まれる前と同じ姿のネズミがボトリと桶の中に吐き落とされた。
何度も喉に詰まらせながら苦心してネズミを全て吐いた朔夜は過呼吸を起こした。
「ごめんなさい……っ、」
「大丈夫だから、落ち着きなさい。息を止めて、ゆっくり吐いて」
時間をかけてようやく落ち着き、赤く潤んだ目で一果を見上げている。
「かあさん……」
「無理をさせて悪かったね。しばらく何も食べていなかったところへ消化に悪いものを大量に入れたからだろう。少しずつ食べようか」
2
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
AIアイドル活動日誌
ジャン・幸田
キャラ文芸
AIアイドル「めかぎゃるず」はレトロフューチャーなデザインの女の子型ロボットで構成されたアイドルグループである。だからメンバーは全てカスタマーされた機械人形である!
そういう設定であったが、実際は「中の人」が存在した。その「中の人」にされたある少女の体験談である。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
マトリックズ:ルピシエ市警察署 特殊魔薬取締班のクズ達
衣更月 浅葱
キャラ文芸
人に悪魔の力を授ける特殊指定薬物。
それらに対抗するべく設立された魔薬取締班もまた、この薬物を使用した"服用者"であった。
自己中なボスのナターシャと、ボスに心酔する部下のアレンと、それから…?
*
その日、雲を掴んだ様な心持ちであると署長は述べた。
ルピシエ市警察はその会見でとうとう、"特殊指定薬物"の存在を認めたのだ。
特殊指定薬物、それは未知の科学が使われた不思議な薬。 不可能を可能とする魔法の薬。
服用するだけで超人的パワーを授けるこの悪魔の薬、この薬が使われた犯罪のむごさは、人の想像を遥かに超えていた。
この事態に終止符を打つべく、警察は秩序を守る為に新たな対特殊薬物の組織を新設する事を決定する。
それが生活安全課所属 特殊魔薬取締班。
通称、『マトリ』である。
あやかし警察おとり捜査課
紫音
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる