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第四幕 少年たち
五 悪い人に攫われそうなの!
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ミラの名酒とグラスをもらった朔夜は浮かれていた。
とくとくとグラスに注いだのを一息に飲み干して幸せそうな顔をしている朔夜を、ミーシャは不思議そうに見ている。
「なんだ、お前も飲みたいのか?」
「水は嫌いって言っただろう」
「これは酒だけど……」
「同じだよ」
冷たく断られて少し傷ついた朔夜をよそに、ミーシャは朔夜の机の上に置かれた一枚の紙を拾い上げる。極彩色の版画が目についたようだ。
「これは何だい?」
「芝居のチラシだ。この近くで今日上演するらしい。興味あるのか?」
「面白そうだね、見に行こう」
「でも、医院の外に出るのは……」
ミーシャの身体は万全ではない。それに昼間は日光もある。それに何より、一果が許可するだろうか。外出禁止とはっきり言われてはいないが、医院の周りに紙人形が仕掛けられていることに朔夜は気付いていた。おそらくミーシャが勝手に出て行かないように見張らせているのだろう。
「珠白の言葉を学びたいんだ。きみと上手く話せるように」
理由は本人にもよく分からないが、この言葉は朔夜に効いた。
「わかった、母さんに相談してみる」
ミーシャを医院の外に出していいか一果にお伺いを立ててみたところ、朔夜の同行が条件ではあるが、あっさりと許可が出た。
水仙の香りを焚き込めた浅紫の男物を着、長い白銀の髪を簪でまとめ、人目を憚るように日除けの傘を深くさした。珠白の街中では目立ちすぎてしまうためだ。
- - - - - - -
芝居を観終わって外に出ると、隣の茶店で女性たちが集まって何か噂話をしているのが聞こえた。
「近頃、子供が行方不明になる事件が多いわよね」
「うちの子も先日神隠しに遭ったでしょう。その三日間どこで何をしていたのか訊いてみたら、知らない男の子と一緒に遊んでいたというの」
「みんなそう言っているわ。それで、誰もその子供の名前を知らないんですって」
「怖かったわけではないみたいだし、お腹も空かせていなくて、ちゃんと家に帰ってきてはくれるけれど……」
「心配よね」
先日も、朔夜は往診に行った先で似たような話を聞いた。綴見町とその周辺のみで起こっているらしい。正体は分からないが、一果は「心配する必要はない」と言っていた。
芝居小屋の周辺の店を少し覗いてから二人は帰路についた。
演劇の感想を語り合いながら薄暗い川沿いを歩いていると、路地裏に少年が一人でぽつんと立っているのを見かけた。身長から推測すると、七歳前後だろうか。
「おい、こんな時間に一人でいたら危ないだろ。大人は一緒にいないのか?」
朔夜に声をかけられて振り向いた少年は、顔に面布を被っていた。路地の奥へ走っていく。
不気味に感じたが、幼い子供を放っておくわけにはいかず、朔夜は追いかける。
ここはどこの細道じゃ、細道じゃ。
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
少し通して下さんせ、下さんせ。
迷路のような路地の奥から、聞き覚えのあるような子供たちの唄声が幽かに聞こえる。
ごようのないもな通しません、通しません。
天神様へ願掛けに、願掛けに。
通らんせ、通らんせ。
次第に唄声がはっきりと聞こえるようになる。
やがて、じめじめとした森に囲まれた広場に出た。
そこには面布を被った少年たちが集まっている。二十人はいるだろうか。
少年たちは一斉に面布を外した。その顔は、幼い頃の朔夜にそっくりだった。
一人が朔夜の袖を引いて、一重瞼の白群の瞳で、瑠璃色の瞳を見上げる。
「こんばんは、お兄さん。一緒に遊ぼう」
蹴鞠は、かくれんぼは、草遊びは、と口々に言う。
声を出せなくなった朔夜は硬くなった身体を引き摺るように後退りする。冷たいものが背中に触れた。ミーシャだった。朔夜の震える両肩に陶器のような手が乗せられる。
「悪いね、彼はぼくと遊ぶ約束をしているんだ」
少年たちは表情を変えないままゆらりと背を向け、ぞろぞろと去っていった。
朔夜は、それから翌朝までの記憶が無い。
- - - - - - -
「匿って! 悪い人に攫われそうなの!」
貸本屋からの帰り道、朔夜はともえの突進を危うくもかわしたが、腕を掴まれて茂みの中に連れ込まれた。外国の貴重な医学書を袖の中に入れ、葉の露から死守する。
「おれが一緒に隠れる意味ないだろ」
「喋らないで! 見つかってしまうわ!」
「お前の声の方が大きい」
言い争っていると、大きな影が二人を覆った。
「誰が悪い人ですか」
上から聞こえる澄んだ声。
「げっ、光刻さん……」
氷室祭りが近いんだなと、朔夜は思った。
光刻は優雅な所作で手を差し出した。ともえは渋々とその手を取って立ち上がる。光刻の手が髪に着いた葉を払った。ともえは鬱陶しそうに体を後ろに傾けて拒否の姿勢を見せている。
「一緒に来なさい、ともえ。剣のお相手をいたしますから」
「あなたでは相手になりません。一昨年も昨年も、あなたは大口を叩いて、わたしに惨敗なさったではありませんか。それでもまだ一族の前で恥を重ねるおつもり?」
「あなたに負けて、この一年間も、それはそれは厳しい稽古を重ねました。今となっては、帝都ではどなたにも負けません」
「ふぅん……なかなかのものね。それならお相手さしあげてもよくってよ。でも、祭礼には関わりません」
「そんなわがままを申すものではありませんよ……」
光刻は額に手を当てて疲れた顔をしている。ともえを祭礼に参加させるためだけに積み重ねてきた一年間の努力がわがままひとつで無意味となったのだから無理はない。
だが、これだけで諦めるわけにはいかない。彼には、どんな手を使ってでもともえを祭礼に参加させる義務があるのだ。
「………では、こうしましょう。祭礼が終わったら、あなたが昔から憧れていたセレーネ旅行を手配します。花扇家の者には私から話をつけておきますので、ご心配なく」
「なんですって!!」
ともえは飛び上がって光刻の手を握った。ハッと我に返る。
「こ、こほん。約束ですよ」
交渉が成立し、光刻は胸を撫で下ろした。
「では参りましょうか」
その翌日、蛇目傘をさした白と青の装束の巫女たちが綴見に現れた。
あの夜に見た、幼い頃の朔夜そっくりの少年たちが連れて行かれた。
呆然と見つめる朔夜に、家から逃げ出してきたともえが説明する。
「これまで需家の子供が捧げられてきたのだけど、子供に恵まれなくて捧げられる子が一人もいなくなったから、今年からはあの子たちが蛇神様に捧げられるんですって」
「……このあたりでは見かけない子供だな」
「詳しいことは、わたしには知らされていないの。どこから連れてきたんだろう……」
今年も変わらず、祭礼の後には雨が降った。
とくとくとグラスに注いだのを一息に飲み干して幸せそうな顔をしている朔夜を、ミーシャは不思議そうに見ている。
「なんだ、お前も飲みたいのか?」
「水は嫌いって言っただろう」
「これは酒だけど……」
「同じだよ」
冷たく断られて少し傷ついた朔夜をよそに、ミーシャは朔夜の机の上に置かれた一枚の紙を拾い上げる。極彩色の版画が目についたようだ。
「これは何だい?」
「芝居のチラシだ。この近くで今日上演するらしい。興味あるのか?」
「面白そうだね、見に行こう」
「でも、医院の外に出るのは……」
ミーシャの身体は万全ではない。それに昼間は日光もある。それに何より、一果が許可するだろうか。外出禁止とはっきり言われてはいないが、医院の周りに紙人形が仕掛けられていることに朔夜は気付いていた。おそらくミーシャが勝手に出て行かないように見張らせているのだろう。
「珠白の言葉を学びたいんだ。きみと上手く話せるように」
理由は本人にもよく分からないが、この言葉は朔夜に効いた。
「わかった、母さんに相談してみる」
ミーシャを医院の外に出していいか一果にお伺いを立ててみたところ、朔夜の同行が条件ではあるが、あっさりと許可が出た。
水仙の香りを焚き込めた浅紫の男物を着、長い白銀の髪を簪でまとめ、人目を憚るように日除けの傘を深くさした。珠白の街中では目立ちすぎてしまうためだ。
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芝居を観終わって外に出ると、隣の茶店で女性たちが集まって何か噂話をしているのが聞こえた。
「近頃、子供が行方不明になる事件が多いわよね」
「うちの子も先日神隠しに遭ったでしょう。その三日間どこで何をしていたのか訊いてみたら、知らない男の子と一緒に遊んでいたというの」
「みんなそう言っているわ。それで、誰もその子供の名前を知らないんですって」
「怖かったわけではないみたいだし、お腹も空かせていなくて、ちゃんと家に帰ってきてはくれるけれど……」
「心配よね」
先日も、朔夜は往診に行った先で似たような話を聞いた。綴見町とその周辺のみで起こっているらしい。正体は分からないが、一果は「心配する必要はない」と言っていた。
芝居小屋の周辺の店を少し覗いてから二人は帰路についた。
演劇の感想を語り合いながら薄暗い川沿いを歩いていると、路地裏に少年が一人でぽつんと立っているのを見かけた。身長から推測すると、七歳前後だろうか。
「おい、こんな時間に一人でいたら危ないだろ。大人は一緒にいないのか?」
朔夜に声をかけられて振り向いた少年は、顔に面布を被っていた。路地の奥へ走っていく。
不気味に感じたが、幼い子供を放っておくわけにはいかず、朔夜は追いかける。
ここはどこの細道じゃ、細道じゃ。
天神様の細道じゃ、細道じゃ。
少し通して下さんせ、下さんせ。
迷路のような路地の奥から、聞き覚えのあるような子供たちの唄声が幽かに聞こえる。
ごようのないもな通しません、通しません。
天神様へ願掛けに、願掛けに。
通らんせ、通らんせ。
次第に唄声がはっきりと聞こえるようになる。
やがて、じめじめとした森に囲まれた広場に出た。
そこには面布を被った少年たちが集まっている。二十人はいるだろうか。
少年たちは一斉に面布を外した。その顔は、幼い頃の朔夜にそっくりだった。
一人が朔夜の袖を引いて、一重瞼の白群の瞳で、瑠璃色の瞳を見上げる。
「こんばんは、お兄さん。一緒に遊ぼう」
蹴鞠は、かくれんぼは、草遊びは、と口々に言う。
声を出せなくなった朔夜は硬くなった身体を引き摺るように後退りする。冷たいものが背中に触れた。ミーシャだった。朔夜の震える両肩に陶器のような手が乗せられる。
「悪いね、彼はぼくと遊ぶ約束をしているんだ」
少年たちは表情を変えないままゆらりと背を向け、ぞろぞろと去っていった。
朔夜は、それから翌朝までの記憶が無い。
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「匿って! 悪い人に攫われそうなの!」
貸本屋からの帰り道、朔夜はともえの突進を危うくもかわしたが、腕を掴まれて茂みの中に連れ込まれた。外国の貴重な医学書を袖の中に入れ、葉の露から死守する。
「おれが一緒に隠れる意味ないだろ」
「喋らないで! 見つかってしまうわ!」
「お前の声の方が大きい」
言い争っていると、大きな影が二人を覆った。
「誰が悪い人ですか」
上から聞こえる澄んだ声。
「げっ、光刻さん……」
氷室祭りが近いんだなと、朔夜は思った。
光刻は優雅な所作で手を差し出した。ともえは渋々とその手を取って立ち上がる。光刻の手が髪に着いた葉を払った。ともえは鬱陶しそうに体を後ろに傾けて拒否の姿勢を見せている。
「一緒に来なさい、ともえ。剣のお相手をいたしますから」
「あなたでは相手になりません。一昨年も昨年も、あなたは大口を叩いて、わたしに惨敗なさったではありませんか。それでもまだ一族の前で恥を重ねるおつもり?」
「あなたに負けて、この一年間も、それはそれは厳しい稽古を重ねました。今となっては、帝都ではどなたにも負けません」
「ふぅん……なかなかのものね。それならお相手さしあげてもよくってよ。でも、祭礼には関わりません」
「そんなわがままを申すものではありませんよ……」
光刻は額に手を当てて疲れた顔をしている。ともえを祭礼に参加させるためだけに積み重ねてきた一年間の努力がわがままひとつで無意味となったのだから無理はない。
だが、これだけで諦めるわけにはいかない。彼には、どんな手を使ってでもともえを祭礼に参加させる義務があるのだ。
「………では、こうしましょう。祭礼が終わったら、あなたが昔から憧れていたセレーネ旅行を手配します。花扇家の者には私から話をつけておきますので、ご心配なく」
「なんですって!!」
ともえは飛び上がって光刻の手を握った。ハッと我に返る。
「こ、こほん。約束ですよ」
交渉が成立し、光刻は胸を撫で下ろした。
「では参りましょうか」
その翌日、蛇目傘をさした白と青の装束の巫女たちが綴見に現れた。
あの夜に見た、幼い頃の朔夜そっくりの少年たちが連れて行かれた。
呆然と見つめる朔夜に、家から逃げ出してきたともえが説明する。
「これまで需家の子供が捧げられてきたのだけど、子供に恵まれなくて捧げられる子が一人もいなくなったから、今年からはあの子たちが蛇神様に捧げられるんですって」
「……このあたりでは見かけない子供だな」
「詳しいことは、わたしには知らされていないの。どこから連れてきたんだろう……」
今年も変わらず、祭礼の後には雨が降った。
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