雨降る朔日

ゆきか

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第二幕 金色に彩る

一 あなたは一果先生の教えよりも紙芝居のお兄さんを信じるのですか。

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 東の空が白く光り始めたころ、朔夜と一果は霜辻医院に到着した。

 箱を離れの前に置いて薬草園を通り、縁側から母屋に入る。
 二十畳の座敷。水晶の塗られた白の壁、古風な七宝しっぽう紋様の唐紙からかみ、取手には秋草あきくさ紋様の象嵌ぞうがん欄間らんまには白波しらなみのように連なる山々と水龍。

「ただいま! みんな、お留守番ありがとうね」

 誰もいない空間に向かって一果が声をかけると、どこからか白の装束を着た五人の少女が現れた。
 一果の式たちである。

女郎花おみなえし
くず
おぎ
藤袴ふじばかま
桔梗ききょう

 横一列に並び、手をついて一人ずつ名乗りを上げた。

 それから五人の声で言う。

御前おんまえに」

 一果は五人を見回して微笑む。

「よしよし、飴ちゃんをあげよう」

 袖口から紙に包まれた飴を出して式たちに配った。一果が仕事の息抜きに研究室で作っているものだ。

 女郎花は飴を受け取り、包み紙を開けて口に入れた。
 葛は口の中で転がしながら踊っている。
 荻は手のひらに乗せたままじっと見つめている。
 藤袴は葛の口の中に放り込む。
 桔梗は「私は子供ではありませんよ……」と断りかけた口に、いつのまにか飴が入れられていた。

「留守の間、とくに何も起こらなかったかな」

 一果の問いに桔梗が答える。

「問題ございまへん……失礼しました、問題ございま、せ、ん。で、ございます」

 口の中に物を入れて話すことに慣れていないらしい。
 一果は頷いて続ける。

「この後、手術が入っていたね。白磁山から持ち帰ってきたものを朔夜の仕事場に運んだら行くから、みんなで準備をしておいてくれ。患者のお迎えは女郎花ちゃん。麻酔はいつも通り荻ちゃん。葛ちゃんはあたしたちと一緒においで。以上」

「ぎょい!」

 全員の視線が葛に集まる。

「葛ちゃん、お返事は『承りました』でございましょう」

 藤袴が、優しいが厳しさのこもった声で諭した。しかし葛は真面目な顔で反論する。

「医療に携わる者が目上に対して言う返事は『ぎょい』なのですよと、紙芝居のお兄さんが言っておりましたよ」

 それを聞いた女郎花が両手を口に当て「そうなんですか!?」と叫んだが、桔梗は首を横に振った。

「いいえ、それは違います。あなたは一果先生の教えよりも紙芝居のお兄さんを信じるのですか」

 一果が桔梗の口に二つ目の飴をねじ込んで黙らせた。

「まあまあ桔梗ちゃん、葛ちゃんの言うことも間違いではないんだよ。帝都の大病院では『御意』なんだ」

 五人が同時に「そうなんですか!?」と叫んだ。

 ──いや、おれも連れていかれたことがあるけど、みんな「はい」とか「承知いたしました」って言ってた。でもたまたま「御意」って言う人と出会わなかっただけという可能性も……なくもない。

 朔夜は何も言わずに悩んでいる。確かな証拠もないのに師を嘘つき呼ばわりすることは朔夜にはできない。

 ざわついていた式たちが、パンパンッという音を合図に一斉に静かになり、姿勢を正して前を向いた。一果が手を叩いたのだった。

「切り替えていこうね! では頼んだよ」

「承りました」

 五人の声で返事をする。


- - - - - - -


「葛ちゃんは力持ちだねえ」

「これくらい、ちょちょいのちょいですよ」

 シェデーヴルの入った箱を頭の上に持ち上げて運びながら、葛は得意げにステップを踏む。

「こらこら、あまり揺らすとかわいそうだよ」

「何が入ってるんですか?」

 一果は人差し指を口に当てて悪い微笑みを浮かべた。

 離れの六畳間に箱を運び込み終えると、朔夜はその場に座り込み、箱にもたれてそのまま動かなくなってしまった。

「朔夜さん!」

「心配ないよ。寝てるだけだから」

 一果が人の身体の状態を見誤ることは無いが、死んだように動かない朔夜を見て葛は不安になってきた。

「………息してますか?」

「してるよ。まったく、ここで気が抜けてしまうなんて、まだまだだね。本当に頑張ってもらうのはこれからなのにさ」

 一果は朔夜を背中に背負って母屋へ連れていき、布団に寝かせてそっと頭を撫でた。


- - - - - - -


 深い水底からふわりと浮き上がってくるような感覚とともに朔夜は目を覚ました。船の上に横たわっているように、平衡感覚が不安定だ。天井と布団がいつもと違うことに気付き、しばらく考えてようやく理解した。
 ここは母屋の自室だ。
 何ヶ月も離れの仕事場にこもっていたため、思い出すのに時間がかかった。

 ──あれ、おれはどうしてここに……。たしか、箱を離れに置いて……。

 いくら頭の中を探っても、そこから先の記憶が見つからない。
 体を起こすと、ずきずきと頭が痛んだ。枕元に置かれた水差しの水を飲んで咳き込む。体が重い。

「失礼いたします」

 雲鶴うんかくの唐紙が開いた。枯野色かれのいろの隙の無い着付けに、縫箔ぬいはくの帯を立て矢に結んだ年長の女。すすきと呼ばれる彼女も、一果の式である。

「おはようございます。と申し上げましても、もう夕方でございますが……」

「……………」

「朔夜さんがお目覚めになられましたらお連れ申すようにと、一果先生より承っております」
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