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第六章
(2)-2
しおりを挟む「トリは?」
アガンが聞くと、エルダは馬上から空を指す。
怪鳥はかなり前方の空にいた。怪鳥の黒い翼は、白っぽい空に染みのように浮いていた。
「あれが敵の目印にならなければいいんだけどな。それにしても、すっかり朝になっちまったな」
そこはちょうどタウの次の村にさしかかるあたりだった。人気のなかったモルス街道にはぽつぽつ白っぽい衣服を来た旅人たちがあらわれはじめていた。視界の先のほうからは、家々の、煮炊きする煙がのびていた。三人は、徒歩でほぼ二日かかる路程を驚くべき短時間で駆け抜けて来てしまったのだ。
アガンは馬たちを街道沿いの井戸のところへ引いていって、水を飲ませてやった。エルダとイーマは重なりあった岩の影に身を押しつけて、体をやすめた。まもなく後、大きな荷を背負った、商人らしい旅人の姿が街道に見えると、エルダは立ち上がった。
「食べ物がないか聞いてくる。この場所から動かないでよ」
イーマは熱っぽい体を少しだけ動かし、無言で頷く。アガンは一度、この場所に戻ってきたが、またすぐ街道沿いへ戻っていった。旅人をつかまえて、この先の道の様子を聞いているのだ。
イーマは遠ざかるエルダの足音を聞きながら、瞼を閉じた。この旅に出でからというものイーマの体調は奇跡的に良好だったが、昨日の火事がきっかけとなって、またじわじわとあやしい方向へ進んでいるようだった。かれは、連れの負担を少しでも軽くするために、アガンの残したマントにくるまり、体をやすめていた。
「あの……」
見ると、旅の者らしい風体のふたりの男が立っていた。
「水を少し、いただけないでしょうか……」
「勿論」
イーマは上体を起こした。二人のうちの一人がかなりの重傷をおっており、もう一人の男にもたれかかってどうにか立っているのがわかったのだ。その男はひどい有様だった。どこで痛めつけられてきたのか、血糊のついた衣服はぼろぼろで、片方の腕は不自然にのびている。そしてその状況は、なぜこのような街道からはずれた岩影に、見知らぬ男たちが現れたのかという疑問をイーマの頭から吹き飛ばしてしまった。
「ウ……ウウ――」
大地に横たえられた男は喘ぎながら、手探りのように地面を探った。
「目が……?」
イーマが遠慮しがちに尋ねると、倒れた男を介抱していた男が頷いた。それから男たちは何やらぶつぶつと低い声で言葉をかわしあった。イーマはアガンが置いていった水筒をひきよせ、男たちのそばへ寄ろうとする。その動作を男たちはじっと見つめた。
「どうぞ」
イーマが水筒を渡すと、傷ついた男はよろよろと無事なほうの手を差し出した。だが、イーマの顔をのぞきこんだ男は言ったのだった。
「こいつだ。間違いない……」
途端だった。
瀕死の重傷と思われていた男の腕が、すさまじい力でもってイーマの咽喉を締め上げた。イーマは岩に勢いよく押しつけられた。
「グッ……」
イーマは恐怖に目を見開き、首にかけられた手を弱々しく押しのけようとした。それを、男たちは暗い恨みをこめてながめた。
「こいつが仲間を殺したんだ。おい、あの鳥が来ないうちにカタをつけようぜ」
「ああ。しかし、ラクに殺すなんてくやしいな。こいつのせいで支部長は死んだんだ。ダンもカロンも、マウドもな。せめてこの顔をつぶしてやろうか、鼻をそぎおとし、目玉をくりぬいてやる。きれいな赤い目玉じゃねえか、破壊王の子孫さんよッ……いいか、よく押さえておけよ」
男は懐から短剣をとりだした。その切っ先がイーマの目を狙っているのだと知って、イーマは声にならない悲鳴をあげた。
イーマは必死で頭を振って、瞼をぎゅっと閉じた。が、すかさずのびてきた太い指が瞼をこじ開けた。そしてイーマは見る間に自分に近づいてくる銀色の光を見た。
イーマは覚悟をした。だが、いつまで経とうと、眼球に火のような痛みは走らなかった。
「イーマ!」
駆け寄ってきたのはエルダだった。彼女は弓に矢尻をつがえながら走ってきた。そのうちの一本が、イーマにのしかかるようにして倒れている男たちの背に深々と刺さっていた。
「良かった、無事のようね。矢が突き抜けて、あんたにまで刺さったらどうしようかと思ったけど、他に方法がなかったから」
「どうしたッ」
アガンも戻ってきた。アガンは、岩に押しつけられた姿勢のまま、放心したように動かないイーマから男たちの死体を押しのけた。
「大丈夫か、襲われたのか。こいつら何者だ」
「……フォ、フォルテ――……」
イーマは掠れた声で囁いた。アガンは怒鳴った。
「なんだと、聞こえない。もう一度」
「ア……」
不意に、こらえきれなくなったようにイーマが震えだした。かれは胃液を吐きはじめた。アガンは抱き込むようにしてイーマの背中を叩いた。
「気持ち悪いのか。吐けるのか、だったら吐いてしまえ」
「ウ……アア――……」
しかしイーマは苦しげに首を振るばかりである。イーマは激しく咳こんだ。極度のストレスが胃を痙攣させているのだ。それともこれまでかれの体調を保たせてきたものが、ここへ来て、プツッと切れてしまったのか。イーマはアガンの腕の中で見る間に衰弱してゆくように見えた。
「しっかりしろ、おい」
アガンは荒々しくあたりを見た。
「馬に乗れるか? もう少しだけ我慢してくれ。この先の村で休もう」
村へ入ると、三人のいでたちに驚いた村人たちが寄ってきた。
「あんたたち、酷い格好だな。どうしたんだい」
「夜盗に襲われたんだ」
アガンが怒鳴るように言うと、村人たちは顔を見合わせた。
「どこで襲われた」
「その子は血だらけじゃないか、死んでいるのか」
「違う、返り血だ。気にしないでくれ」
アガンはイーマを腕に抱いて、広場の中央の大木の根元に連れてゆき、そっと横たえた。
「エルダ、悪いが水を」
「わかった」
エルダはバネのように走ってゆく。そうする間にも村人たちは口々に言い、手をさしのべてくる。それは介抱を装ったスリであることも多いので、アガンは礼を言いつつ、容赦なく手をはらう。それからなるべく親切そうな男を選んで、医者を呼んでくれるように頼んだ。
「水」
エルダが柄杓を持って戻ってくると、アガンはそれをイーマの口にあてがった。水の大部分はイーマの口からこぼれて、胸へと流れ落ちた。けれどもそれで人心地がついたらしく、イーマは意識を失うようにして眠りについた。
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