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第三章
(1)
しおりを挟む冗談じゃない、とエルダは思った。
壁に身をよせて、悪漢どもの胴間声に聞き耳をたてる。その声に注意しながら、彼女は四つん這いになって部屋の奥へゆき、まとめておいた荷物をひっぱりあげる。素早く着替えをし、ベルトに短剣を差し、矢筒を背負い、弓をもつ。
「俺たちはある人に頼まれて、ひとりの子供を探していたのさ。そいつは赤毛でな、赤い目をしてるのさ――」
細く開けた窓の隙間から声が聞こえる。若者たちは追いつめられていた。
しかし彼女は外の修羅場へ出てゆくつもりも、バカな若者たちを助けるつもりもなかった。
こんな時間のこんな場所にあらわれた彼らが悪いのだ。日が落ちたあと、人気のない裏道を馬もつかわず、たったふたりで歩いてくるなど余程、腕に覚えがない限りまともではない。この街へ来て日が浅い彼女だったが、下バッハルがどういう場所であるのかは理解していた。他人の危機をいちいち助けていたら自分の身が危なくなるということも学んでいる。よって、不用意な若者たちが悪漢に取り囲まれたのは自業自得だ。
(だけど……)
彼女が心底途方にくれ、困っているのは、若者のうちのひとりが、彼女が待ち続けた客である可能性が濃厚である――いや、間違いなく本人であるということなのだった。
ふたりの若者のうちの背の低いほう、まだごく若いとわかる声に「オデオンに言われて来たのだ」と叫ばれた時、彼女は即刻、否定した。が、それは既にかれらの背後に剣呑な男たちがしのびよっていたからだ。
少女は三つ編みにした金髪を指で弄びながら、長い溜息をついた。
(災いだわ。神よ、ああ。まいったなあ)
エルダは境界線の少数部族、クジュの少女である。
小柄な体にはしなやかな筋肉がついていて、窓からさしこむ月光に照らされた顔もひきしまったものだった。わずかに緑がかった肌、少しきつい目鼻立ち。際だった美人というわけではなかったが、生き生きとした顔立ちをしている。しかし今、彼女の空色の明るい瞳は、暗い天井を見つめていた。
(クライアントが追われてるなんて聞いてない。あんなのを境界線まで連れてゆかなくちゃならないのかあ……)
境界線とは、朝の大陸と夜の大陸の狭間に位置する大渓谷のことで、創造神アルガ大神の聖地、あるいは歴代聖王再臨者の墓所としても知られている。
境界線はこれといった作物がとれぬ土地なので、エルダたちクジュは境界線ガイドによって生計を立てている。クライアントは観光客や巡礼客、そうでなければ境界線のあちこちにある鉱脈で一攫千金を狙う者、未堀の聖王再臨者の墓を探す冒険者たちなどである。
一月前、エルダはバッハルから馬で十日ほど離れた場所にある、ユネスの隣国モルスのモブランという宿場町にいた。モブランは境界線の鉱脈や、大陸各地に眠る価値ある古代遺物などの情報を求めて冒険者たちが集まる、いわゆる〈冒険者だまり〉である。そのモブランでエルダは客を待っていたのだが、ある日、ひとりの男がやってきた。
男は砂金の入った皮袋を置いて、
「ユネス南部、バッハルという街で赤髪の少年を待ち、その少年を境界線ゴア・ポイントまで連れていって欲しい」
と言った。
男はオデオンと名乗った。
胡散臭い男であったし、断ることもできたが、彼女の好奇心がそうさせなかった。それに男は仕事をやりのけてくれたらその三倍の砂金を払うと言った。現在の境界線の状況を考えれば、破格の謝礼である。
エルダは、はーと息をついた。
近年、境界線では地震が頻発し、境界線名物とされている、境界線に埋没する古代遺物の昇降機の事故が相次いでいる。それで観光客は減る一方だったのだ。
(久しぶりの客だったし。謝礼がよかったし)
エルダは大きく開いた両脚の上に顔を乗せた。前金を返そうにも、使ってしまった。契約を無視して逃げることもできたが、それをしてしまうと、オデオンがモブランの観光組合に訴えるだろう。その訴えが認められれば、エルダは二度と、モブランの冒険者だまりで客を引けなくなる。
(あのオデオンって男、なに考えてるんだろう。物騒な依頼だったら、もっとベテランの適任者はいくらだっているのに。ゴア・ポイントって破壊王の墓がある町じゃん。あそこはいろいろ怖いところなんだけどなあ)
ともあれ、彼女は金を受け取り、怪鳥と呼ばれる猛禽を渡された。
彼女はその鳥がオデオンとの連絡をとるのだと理解した。エルダがそう言うと、オデオンは大柄の肩をすくめた。
「この鳥の気が向けばそういうこともあるだろう。それに俺がお前をガイドに選んだのは、この鳥がお前を気に入ったからだ、クジュのエルダ。それゆえ、多少の無理は承知でこの依頼を託したい」
確かに怪鳥は人を選ぶ。けれども怪鳥はエルダになつく様子も見せず、そのうえまだ一度もオデオンからの手紙を配達せず、天井裏の留まり木で羽根づくろいばかりしている。それでもこれまでのところは順調だった。下バッハルには、オデオンから教えられたとおりの用意があり、客が訪れるのを待てばよいだけだった。が、ついに客があらわれた。
(あー、災いだわ。なんだか最近、ツイてないのよねえ。今年の供物、ケチったのがバレたのかしら。アルガの神様、偉大なる神よ、供物は分割でおさめますから、どうかこの窮地をやり過ごせさせてください)
素早く祈り、それからエルダはイヤで仕方がないといったように、再び窓辺へにじり寄った。
当然ながら、彼女の客の形勢は不利だった。
背の高いほうの若者が奮闘していたけれども、多勢に無勢で、戦えば戦うほど追いつめられる。助けを求めるつもりなのか、若者は先程から高い音の笛を何度も吹いていた。それは下バッハルに空しく響きわたり、冷たい強風にかき消された。
下バッハルでいざこざは珍しくない。無法の町である下バッハルに市内の自警団は入らないし、領主の騎士団もこの程度の乱闘なら全く動かない。
エルダは汗ばんできた掌を服にこすりつけた。彼女ははじかれたように顔をあげた。屋根裏で板をへし折るような音がしたかと思うと、例の男から貸し与えられた怪鳥が、ふわりと夜空に舞い上がったのである。
「アッ」
と思った時、怪鳥は急降下し、少年に詰め寄ろうとしていた小男に襲いかかった。エルダは勢いよく小窓を開けると、矢尻をつがえ、弓をひいた。
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