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正気を失っていた婚約者
6 怒れるメルヴィー様
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きっかけは村人達の亡命に対する制裁行為だった。
若い女性が連れていかれ、妊婦は腹を蹴られ、子供は切り捨てられ、止めようとした男も殺されたそうだ。
元々限界まで搾取されていた男達は怒りを爆発させ、娘達を連行していた者達を襲撃。彼等の服を奪って領館に紛れ込み、隙を突いて夫妻を殺害したそうだ。
その際使用人は誰一人としてそれを止めなかったというのだからカーヴァン侯爵夫妻に同情すべき点は無いと思われる。
問題は、実行犯である村人達は一族郎党全員処刑される事になっている事だ。
貴族の殺害は理由が何であれ死刑。それがこの国の法律だからだ。
「はぁ……」
堪え切れないように溜息を漏らしたのはどちらの方か。
メルヴィーとジギタリスは公務に出ている。
カーヴァン侯爵領からの亡命者が爆発的に増えているので、マグゼラの警備隊だけでは対応しきれず、リリエンデール公爵領からも領軍の派遣を受けている。彼女はその陣頭指揮を執っているのだ。
状況が状況なので休暇を申し渡されている私とカステオは仕方なく書庫に籠っているが、文字が上滑りして何も頭に入ってこない。
「こんな時ばかりはダルトンが羨ましくなりますね」
「そうだな……」
ダルトンは何故かジギタリスに対抗意識を燃やしていて、今回のメルヴィーの護衛にも無理矢理同行して行ってしまった。
いつも困らされていたあの無鉄砲さを、羨ましく感じることになるなど思いもしなかった。
何度目かの溜息の後、どちらからともなく本を閉じて書庫を出た。
「そろそろ昼ですね、食堂へ行きましょう」
食事は休日でも課せられている私達の義務だった。どんな状況でも、これを怠ることは許されないのだ。
食堂にまっすぐ向かわずに一度中庭へ出て、庭園に立つ男に声をかける。
「昼食の時間を守らなくてはメルヴィーに叱られるぞ、ビータ殿」
書庫の窓から、ぼんやりと立って居る彼が見えていたのだ。
彼の斜め後ろに立って、同じ方向を見る。
彼が見つめていたのは北方。カーヴァン侯爵領の方だ。
「……殺されたのは、私の弟だったのです。そして腹を蹴られ流産したのはその妻でした」
「……」
言葉が出なかった。
仇を取ってくれた村人は処刑される。村長である彼はそれを見届ける義務が課せられているのだ。
じっとりとした空気を払拭することがどうしても出来ないでいると、動き出したのはビータだった。
「食事に行きましょう。メルヴィー様に心配をおかけしてはいけない」
その日一日、この領に来てから初めて食事の場にメルヴィーが現れなかった。
私とメルヴィーは生まれた時から婚約者だった。
正確には彼女が生まれた時からだ。
私が生まれた時、4つある公爵家のどれかで女児が生まれれば婚約者にするという決定が下された。
そして私の3カ月後に生まれたのがメルヴィーだった。
だから、彼女が婚約者になったのは偶然ともいえる。そして私達は何度も逢瀬の場を設けられ、それなりに良好な関係を築いていた。ように見えただろう。
実際には、押し付けられた彼女との関係が歪なものに思えていた私は彼女に心を開けなかったし、私に好意を見せていた筈のメルヴィーは、ある時から一切城に拠りつかなくなった。
学園で再会してからの関係性も記憶に無い。
だから、私はそれからの彼女を知らない。
「ちょっと聞いてるアレイスター! 私の酒が飲めないの!?」
だから、浴びるように酒を飲んで絡んでくるメルヴィーへの対処法等私には到底分からないのだ。
就寝時間の少し前という遅い時間にメルヴィ―が帰宅したとの報せを受けた私とカステオは、食事が終わったころを見計らって彼女を労いに食堂へ向かった。
そこで見たのは、酔いつぶされたダルトンと、その横で白けた顔をして無言で飲んでいるジギタリスと、ワイングラスに手酌でワインを注いで煽るように飲んでいるメルヴィーだった。
私達を見たメルヴィーの視線は、既に数人殺した後のように据わっていた。正直言って怖かった。私は硬直したし、カステオは後ずさりして壁に背を預けていた。
「なんっで私がこんなことしなくちゃいけないのよ! ただ隣の領地ってだけじゃない!!」
それからカステオはあっという間に酔いつぶされた。私もカステオもダルトンも精神的には未成年で、肉体的にはとうに成人していても酒を飲んだ経験が皆無だった。数日前まで塔で幽閉状態でまともな食事すらも摂っていなかったのだから当然だ。
私はメイドにこっそりとブドウジュースにすり替えさせて無事だったが、中身が減っているのを見咎められると、すかさずメルヴィーが直接ワインを注いで来るので、常にグラスをジュースで満たしつつ少しずつ飲むというのを繰り返している。とはいえ、何杯かはワインを飲まされてしまったので少しずつ酔いが回ってきている。何とかしなくては拙い。
「飲み過ぎだぞメルヴィー。明日も仕事だと言っていたではないか」
「私は強いから大丈夫よぉ」
水を用意させて勧めても一切飲もうとしない。メイドにこっそり確認すると、実際メルヴィーはこんな飲み方をしたことが無いので明日の様子は未知数だそうだ。
「なぁにが、だから娘などに領地を任せるからこんなことになるのだ。よ! 普段部下に任せっきりでなんにもしてないくせに」
どうやらリリエンデール公爵領から派遣されて来た将軍と相性が悪いらしく今はそのことを愚痴っている。
「アレイスター殿下もよ! なぁにがレティーナの愛らしさを見習えよ! あんなクソビッチに騙されて、私はちょっと礼儀作法について注意しただけじゃない」
とうとう時系列の判断も怪しくなったようだ。私の記憶に無い過去の話まで詰め寄られ始めた。
確かに客観的証言を元に纏められた報告書によると、私はレティーナという男爵令嬢に言い寄り、彼女との仲を邪魔する者は徹底的に排除しようとしていたとあった。最悪なのが、肉体関係まで持っていたというのだ。しかもその相手はここにいるカステオやダルトン、そして見知らぬレティーナの義兄まで含まれるというのだから恐ろしい。
そのレティーナというのが、誰にでも分け隔てなく笑顔で接する女性と言えば聞こえは良いが、高位貴族だろうと王族だろうとファーストネームで呼び、特に見目の良い男子生徒とは積極的に交流を深めようとするので、ダルトンとカステオ、そしてテオドールと私で、貢いだり遊びに連れ出したりして包囲網を作っていた。
冷静に考えればそんな奔放な女性を王子妃に望むなどありえない事だというのに、私はメルヴィーとの婚約を解消してレティーナを娶ろうと働きかけていた。
そんなことばかりを考えているものだから、学園入学前から対応していた案件の執務は滞った。
更に、諫めようとする部下を遠ざけ、婚約者として冷静に対処しようとしているメルヴィーまで糾弾していたのだから救いようがない。
そして挙句の果てがレティーナの魅了魔術の行使発覚だ。
かろうじて正気を取り戻したテオドールを除いて、我々は正気を失い塔に幽閉された。
レティーナの義兄に至っては、生命活動まで放棄してしまったそうだ。つまり死んだ。我々と違い同じ屋敷で幼い頃から共に暮らしていた為に魅了魔術の影響が深部にまで至りすぎていた為らしい。
そんな幼い頃から魅了魔術を行使できたレティーナの才能のほうが恐ろしいと改めて恐怖を感じた。
「どうしてよ! 私は婚約者としての義務だから仕方なく注意しただけなのに、何でそれが虐めたことになるのよ!!」
「分かった。悪かった、私が悪かったから水を飲め、飲んでくれ、これ以上は身体に障る」
私は弱りきって記憶にも無いことを謝罪するしか出来なかった。
再会してからこちらメルヴィーは過去の話をしたことは無かった。
いつも朗らかな笑顔を絶やさず、リハビリだ食事だ仕事だと、私達を導いてくれていたから、私も、カステオ達も、何も思い悩むことなく暮らしていられたのだ。
きっと笑顔の裏では私達への燻ぶった不満を抱えていたのだろう。
ようやく私は勇気を出して少し強引にメルヴィーの手からワイングラスと瓶を取り上げて、水を代わりに持たせた。
メルヴィーのお陰で取り戻した力や体力の初めての使い道がこれだとは夢にも思わなかった。
「返しなさいよ!」
「今日はもう駄目だ。頼むから今日は水を飲んで寝てくれ」
急いでワインの瓶とグラスをメイドに預けて遠ざけると、追いすがって立ち上がったメルヴィーがふらついたので、慌てて支える。
メルヴィーの手を離れた水が零れてテーブルの上に広がり、転がったグラスが床に落ちて割れた。
通常の成人男性よりも体力も膂力も無い筈の私でも、容易く抱え込めるほど、彼女の身体は軽かった。小さな肩が震え出したので慌てて覗き込むと、彼女の菫色の瞳が潤んで、ボロボロと涙が頬を流れ落ちていったので慌てて羽織っていた上着で彼女を抱えこむように隠した。
プライドの高い彼女の涙を見るのはとても悪いことのような気がしたし、何故か他の誰にも見せたくないと思ってしまったからだ。
季節柄薄着だったので私の胸元が彼女の涙で濡れて肌まで染みてくる。こんな状況だというのに、温かいなと思ってしまう。
「どうして殺してしまったの。もう少しであの屑侯爵達を領主の座から引きずり落とせたのに」
私達も知らされていなかった事だったが、メルヴィーは私達がここに来る二年以上も前から、カーヴァン侯爵領からの亡命者を保護する傍ら、侯爵達の不正の証拠を集めていたのだ。
そして、村人との接触の直後。ビータを証言者としてリリエンデール公爵との面談の予定を取り付けた矢先の出来事だった。
「メルヴィー……メルヴィー?」
声を掛けようとして、彼女の様子が変だと気付いて確認しようとすると、ふと彼女の身体から力が抜けてしまったので慌てて抱えると、彼女は眠っていた。
翌日の公務へ出掛けるメルヴィーは平静な表情をしていたが、その顔色は真っ白だった。
若い女性が連れていかれ、妊婦は腹を蹴られ、子供は切り捨てられ、止めようとした男も殺されたそうだ。
元々限界まで搾取されていた男達は怒りを爆発させ、娘達を連行していた者達を襲撃。彼等の服を奪って領館に紛れ込み、隙を突いて夫妻を殺害したそうだ。
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問題は、実行犯である村人達は一族郎党全員処刑される事になっている事だ。
貴族の殺害は理由が何であれ死刑。それがこの国の法律だからだ。
「はぁ……」
堪え切れないように溜息を漏らしたのはどちらの方か。
メルヴィーとジギタリスは公務に出ている。
カーヴァン侯爵領からの亡命者が爆発的に増えているので、マグゼラの警備隊だけでは対応しきれず、リリエンデール公爵領からも領軍の派遣を受けている。彼女はその陣頭指揮を執っているのだ。
状況が状況なので休暇を申し渡されている私とカステオは仕方なく書庫に籠っているが、文字が上滑りして何も頭に入ってこない。
「こんな時ばかりはダルトンが羨ましくなりますね」
「そうだな……」
ダルトンは何故かジギタリスに対抗意識を燃やしていて、今回のメルヴィーの護衛にも無理矢理同行して行ってしまった。
いつも困らされていたあの無鉄砲さを、羨ましく感じることになるなど思いもしなかった。
何度目かの溜息の後、どちらからともなく本を閉じて書庫を出た。
「そろそろ昼ですね、食堂へ行きましょう」
食事は休日でも課せられている私達の義務だった。どんな状況でも、これを怠ることは許されないのだ。
食堂にまっすぐ向かわずに一度中庭へ出て、庭園に立つ男に声をかける。
「昼食の時間を守らなくてはメルヴィーに叱られるぞ、ビータ殿」
書庫の窓から、ぼんやりと立って居る彼が見えていたのだ。
彼の斜め後ろに立って、同じ方向を見る。
彼が見つめていたのは北方。カーヴァン侯爵領の方だ。
「……殺されたのは、私の弟だったのです。そして腹を蹴られ流産したのはその妻でした」
「……」
言葉が出なかった。
仇を取ってくれた村人は処刑される。村長である彼はそれを見届ける義務が課せられているのだ。
じっとりとした空気を払拭することがどうしても出来ないでいると、動き出したのはビータだった。
「食事に行きましょう。メルヴィー様に心配をおかけしてはいけない」
その日一日、この領に来てから初めて食事の場にメルヴィーが現れなかった。
私とメルヴィーは生まれた時から婚約者だった。
正確には彼女が生まれた時からだ。
私が生まれた時、4つある公爵家のどれかで女児が生まれれば婚約者にするという決定が下された。
そして私の3カ月後に生まれたのがメルヴィーだった。
だから、彼女が婚約者になったのは偶然ともいえる。そして私達は何度も逢瀬の場を設けられ、それなりに良好な関係を築いていた。ように見えただろう。
実際には、押し付けられた彼女との関係が歪なものに思えていた私は彼女に心を開けなかったし、私に好意を見せていた筈のメルヴィーは、ある時から一切城に拠りつかなくなった。
学園で再会してからの関係性も記憶に無い。
だから、私はそれからの彼女を知らない。
「ちょっと聞いてるアレイスター! 私の酒が飲めないの!?」
だから、浴びるように酒を飲んで絡んでくるメルヴィーへの対処法等私には到底分からないのだ。
就寝時間の少し前という遅い時間にメルヴィ―が帰宅したとの報せを受けた私とカステオは、食事が終わったころを見計らって彼女を労いに食堂へ向かった。
そこで見たのは、酔いつぶされたダルトンと、その横で白けた顔をして無言で飲んでいるジギタリスと、ワイングラスに手酌でワインを注いで煽るように飲んでいるメルヴィーだった。
私達を見たメルヴィーの視線は、既に数人殺した後のように据わっていた。正直言って怖かった。私は硬直したし、カステオは後ずさりして壁に背を預けていた。
「なんっで私がこんなことしなくちゃいけないのよ! ただ隣の領地ってだけじゃない!!」
それからカステオはあっという間に酔いつぶされた。私もカステオもダルトンも精神的には未成年で、肉体的にはとうに成人していても酒を飲んだ経験が皆無だった。数日前まで塔で幽閉状態でまともな食事すらも摂っていなかったのだから当然だ。
私はメイドにこっそりとブドウジュースにすり替えさせて無事だったが、中身が減っているのを見咎められると、すかさずメルヴィーが直接ワインを注いで来るので、常にグラスをジュースで満たしつつ少しずつ飲むというのを繰り返している。とはいえ、何杯かはワインを飲まされてしまったので少しずつ酔いが回ってきている。何とかしなくては拙い。
「飲み過ぎだぞメルヴィー。明日も仕事だと言っていたではないか」
「私は強いから大丈夫よぉ」
水を用意させて勧めても一切飲もうとしない。メイドにこっそり確認すると、実際メルヴィーはこんな飲み方をしたことが無いので明日の様子は未知数だそうだ。
「なぁにが、だから娘などに領地を任せるからこんなことになるのだ。よ! 普段部下に任せっきりでなんにもしてないくせに」
どうやらリリエンデール公爵領から派遣されて来た将軍と相性が悪いらしく今はそのことを愚痴っている。
「アレイスター殿下もよ! なぁにがレティーナの愛らしさを見習えよ! あんなクソビッチに騙されて、私はちょっと礼儀作法について注意しただけじゃない」
とうとう時系列の判断も怪しくなったようだ。私の記憶に無い過去の話まで詰め寄られ始めた。
確かに客観的証言を元に纏められた報告書によると、私はレティーナという男爵令嬢に言い寄り、彼女との仲を邪魔する者は徹底的に排除しようとしていたとあった。最悪なのが、肉体関係まで持っていたというのだ。しかもその相手はここにいるカステオやダルトン、そして見知らぬレティーナの義兄まで含まれるというのだから恐ろしい。
そのレティーナというのが、誰にでも分け隔てなく笑顔で接する女性と言えば聞こえは良いが、高位貴族だろうと王族だろうとファーストネームで呼び、特に見目の良い男子生徒とは積極的に交流を深めようとするので、ダルトンとカステオ、そしてテオドールと私で、貢いだり遊びに連れ出したりして包囲網を作っていた。
冷静に考えればそんな奔放な女性を王子妃に望むなどありえない事だというのに、私はメルヴィーとの婚約を解消してレティーナを娶ろうと働きかけていた。
そんなことばかりを考えているものだから、学園入学前から対応していた案件の執務は滞った。
更に、諫めようとする部下を遠ざけ、婚約者として冷静に対処しようとしているメルヴィーまで糾弾していたのだから救いようがない。
そして挙句の果てがレティーナの魅了魔術の行使発覚だ。
かろうじて正気を取り戻したテオドールを除いて、我々は正気を失い塔に幽閉された。
レティーナの義兄に至っては、生命活動まで放棄してしまったそうだ。つまり死んだ。我々と違い同じ屋敷で幼い頃から共に暮らしていた為に魅了魔術の影響が深部にまで至りすぎていた為らしい。
そんな幼い頃から魅了魔術を行使できたレティーナの才能のほうが恐ろしいと改めて恐怖を感じた。
「どうしてよ! 私は婚約者としての義務だから仕方なく注意しただけなのに、何でそれが虐めたことになるのよ!!」
「分かった。悪かった、私が悪かったから水を飲め、飲んでくれ、これ以上は身体に障る」
私は弱りきって記憶にも無いことを謝罪するしか出来なかった。
再会してからこちらメルヴィーは過去の話をしたことは無かった。
いつも朗らかな笑顔を絶やさず、リハビリだ食事だ仕事だと、私達を導いてくれていたから、私も、カステオ達も、何も思い悩むことなく暮らしていられたのだ。
きっと笑顔の裏では私達への燻ぶった不満を抱えていたのだろう。
ようやく私は勇気を出して少し強引にメルヴィーの手からワイングラスと瓶を取り上げて、水を代わりに持たせた。
メルヴィーのお陰で取り戻した力や体力の初めての使い道がこれだとは夢にも思わなかった。
「返しなさいよ!」
「今日はもう駄目だ。頼むから今日は水を飲んで寝てくれ」
急いでワインの瓶とグラスをメイドに預けて遠ざけると、追いすがって立ち上がったメルヴィーがふらついたので、慌てて支える。
メルヴィーの手を離れた水が零れてテーブルの上に広がり、転がったグラスが床に落ちて割れた。
通常の成人男性よりも体力も膂力も無い筈の私でも、容易く抱え込めるほど、彼女の身体は軽かった。小さな肩が震え出したので慌てて覗き込むと、彼女の菫色の瞳が潤んで、ボロボロと涙が頬を流れ落ちていったので慌てて羽織っていた上着で彼女を抱えこむように隠した。
プライドの高い彼女の涙を見るのはとても悪いことのような気がしたし、何故か他の誰にも見せたくないと思ってしまったからだ。
季節柄薄着だったので私の胸元が彼女の涙で濡れて肌まで染みてくる。こんな状況だというのに、温かいなと思ってしまう。
「どうして殺してしまったの。もう少しであの屑侯爵達を領主の座から引きずり落とせたのに」
私達も知らされていなかった事だったが、メルヴィーは私達がここに来る二年以上も前から、カーヴァン侯爵領からの亡命者を保護する傍ら、侯爵達の不正の証拠を集めていたのだ。
そして、村人との接触の直後。ビータを証言者としてリリエンデール公爵との面談の予定を取り付けた矢先の出来事だった。
「メルヴィー……メルヴィー?」
声を掛けようとして、彼女の様子が変だと気付いて確認しようとすると、ふと彼女の身体から力が抜けてしまったので慌てて抱えると、彼女は眠っていた。
翌日の公務へ出掛けるメルヴィーは平静な表情をしていたが、その顔色は真っ白だった。
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