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第四話 被害者と加害者の関係は複雑です。
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「………ふぅ、なんだかなぁ」
一通り体を洗って汗と泥水を落とした後、大きな浴槽で一人ぽつんと浸かっていた。
豪華な浴室は銭湯や温泉とまではいかないが一般的な家庭よりも相当広く、この広さなら四、五人程度は同時に入っても何の問題もなさそうだった。
「こんなことになるなんて、人生本当にわからないなぁ」
心地よいお湯に浸かりながら一人つぶやく。
言われるままにここまで付いてきてしまったがこのあとはどうなるのだろう。
この流れだと今晩は泊めてくれたりするのだろうか?
「いやいや、それはいくらなんでも虫が良すぎるよね」
頭を振って甘い考えを切り捨てる。
自分から家を飛び出したのに情けない。とはいえ……。
「お金はない、寝床はない、仕事もないしあてもない。それにお腹も減ったし……明日からどう生きてけばいいのかな」
なんとかなるさと無理やり押し込めたはずなのだが、こうして暖かいお湯に浸かっているとどうしても考えてしまう。
「あら、それ、どういうこと?」
「どういうことって……え?」
「ここよ、ここ」
キョロキョロと辺りを見回すと、脱衣所のスリガラスの向こう側に人影が見えた。
「今の聞いてたんですかっ、っていうかなんでここに!?」
「もう一度お礼を言いたくて瑞江の代わりに着替えを持ってきたの。それでいまの、どういうことかしら」
「い、いや、その……」
思わず言いよどむ。
事情が事情だし、もし家に連絡されてしまったらと思うと簡単に話すこともできない。
「何か困っているのなら話してみない? 相談相手ぐらいにはなれると思うわよ」
「…………」
「さあさあ、話してみて。きっと楽になるわよ」
「そんな、でも……」
「っていうか、気になるからさっさと話しなさい」
「……は、はい」
しまった、と思うよりも先にスリガラス越しの威圧感に押されるようにしては頷いてしまった。
「それでいいのよ、で、どうしたの?」
玖炎さんはスリガラスを背に持たれるようにして座り込んだ。
「あ、言っておくけどごまかそうとして嘘をつくのはやめてね」
「ううっ」
先手を打たれてしまった。
(こうなったら腹をくくるしかないか……)
「実は……」
話しちゃっていいのか、といまさらのように思いながら喋りだす。
「……つまり、変態なお兄さんに襲われないように家出して、行くあてもなく彷徨っていた時に私と出会ったと」
「……そうです、はい」
ぼかそうと話したところ全部をきっちり追求されてしまった。
きっと玖炎さんの中では兄さんはかなりド級な変態人間になっていることだろう。
「……それ、警察に駆け込んだほうがいいんじゃないかしら」
「い、いや、あれでもいいところもあるんですよ」
「ふーん、聞いてるかぎりだとただの変態にしか思えないけど……」
「あ、あはは……」
ごめん、兄さん。何もフォローができない。
「だから、兄さんの頭が冷えるまでは家に帰れないんです」
「行くあてはあるの?」
「それはその、えーと、あはは……」
「ふーん、なら、住む場所も仕事も食事も一気に手に入る妙案があるわよ」
「そんな都合のいいこと……」
あるわけない、という前に玖炎さんが言った。
「海人、私の家で使用人やってみる気はない?」
「し、使用人?」
予想外の言葉にオウム返しのように単語を繰り返してしまった。
「そうそう、住み込み三食ご飯付き、もちろん、お給金も出すわよ?」
「ええっ!?」
「ちなみに部屋はいくらでも余ってるから選び放題。どう? 悪い話じゃないでしょ」
「でも、いくらなんでもそんな……」
「あら、これじゃまだ足りないかしら」
「そうじゃなくって……」
一晩泊めてもらえるだけでも甘えすぎだと思うのに、そんな好条件で仕事をもらうのはいくらなんでも気が引けてしまった。
「渡りに船の提案じゃない。それとも疑われてるのかしら?」
「そんなっ、疑ってるとかじゃっ!?」
慌てて返事を返すと扉の向こうでクスクスと笑う気配がする。
「冗談よ、あなた、目に見えて人が良さそうだもの」
「人が良さそうって、そんなことは……」
「あるわよ、きっと将来心配しすぎでハゲるわね」
さらりと怖いことを言わないで欲しい。
「他に行くあてもないんでしょ? だったら別にいいじゃない」
「それは……でも、玖炎さんにそんな風に迷惑かけるわけには……」
「私は何も善意だけで言っているわけじゃないの。最近ちょっと人手が足りなくて、近々公募を出す予定だったの。もちろん最初は仮採用ってことになるけど、きちんと支払うお給金の分は仕事はやってもらうからね」
「………でも、僕が使用人として使えるかどうかもわからないのに、いいんですか?」
「かまわないわよ、仕事なんてやりながらから覚えてもらえばいいわ。当面は雑用ばかりになるだろうしね。まぁあなたがうちの使用人以上に使えるようなら、一気にこき使わせてもらうけど」
悪戯っぽく言う玖炎さんに思わずきょとんとしてしまった。
「それに、借りを作りっぱなしなのは私の主義に反するの。ヴァイオリンを取り返してもらったことのお返しならこれくらいがちょうどいいわ」
アリスの言葉に少しの間考え込んだあと、少し遠慮がちに返事を返した。
「それじゃ、えと、玖炎さん期待に答えられるように早く仕事覚えないとですね」
「それじゃあ……」
「えっと、改めて、緋辻海人、高校二年の十六歳です。よろしくお願いします、アリスお嬢様」
(うぅ、この呼び方、照れるな……っ)
お湯の温かさ以上に顔が熱くなってるのがわかる。
「そう、じゃあ、これから宜しく頼むわね。しばらくの間は仮採用って形になると思うけど、詳しい話はまたあとでね。それに、こういうことならこの着替えもちょうどいいわ」
「ちょうどいい?」
「見れば分かるわ。それじゃあまた後でね」
玖炎さん、いや、アリスお嬢様はパタパタと足音を立てて行ってしまった。
「…………本当に、なんかおかしなことになった」
ポツリとつぶやいて海人は深くお湯に浸かる。
「………ぶくぶくぶく」
なんかうまくいきすぎてやしないだろうか。
世間の風は実は思いのほか暖かいのかもしれない。
「そろそろ出よう、あんまり長々と入ってるわけにもいかないし」
湯船から立ち上がるとくらりとした浮遊感に襲われる。
「あっと、と」
どうやら思っていたよりものぼせていたみたいだった。
視界が歪んで上手く立っていられない。
それでも倒れずに脱衣所まで来る頃には目眩は収まっていた。
(お嬢様が着替え持ってきてくれたって言ってたけど……、あっ、これか)
籐でできた籠の中に綺麗に折りたたまれた着替えが入れられていた。
「ちょうどいいって、このことか」
取り上げた着替えは黒を基調としたスーツのような服だった。
たぶん、執事服ってやつだと思う。
「あれ?」
と、そこで体を拭くためのタオルがないことに気がつく。
これじゃあ服を着ることができない。
「どこかほかの場所に置いてある……わけないか」
周りを見渡してみてもタオルは置いてない。
「濡れたまま服を切るわけにもいかないけど、このままだと湯冷めしちゃうしな……。弱った」
どうしようかと考えてはみるものの打開策は見当たらない。
ガラッ!!
「ごめんなさいっ、タオルを持ってくるのをわす、れ、た………」
「へ?」
開かれた扉の先で、タオルを持ったお嬢様が立ち尽くしていた。
一瞬で時間が凍りついた。
「……き」
「き?」
…………。
まぁ、とりあえず先に言い訳をさせてもらっておくと。
この場合って、どっちが被害者になるんだろう。
「きゃあああああああああっ!!」
「フぶっ!? うがっ、うわああっ!?」
投げつけられたタオルに視界を奪われて足がもつれる。
後頭部に椅子か何かの角の固い感触が伝わり、ゆっくりと目の前が暗くなっていく。
「あわわきゃわきゅあああああっ!?」
薄れゆく視界の中で、最後に見えたのは顔を真っ赤にしてパニックに陥っているお嬢様の姿だった。
☆
「まったく、何をやっているんですかあなたは」
「ううぅ、そんなこと言ったって~」
アリスは先程の海人の姿を思い出したのか一瞬で赤面している。
「言ったってではありません」
バツの悪そうに言う主を叱るようにぴしゃりと言った。
「タオルを忘れたのも、脱衣所にいるかを確認しなかったのもどちらもアリスのミスでしょう」
「それは、うぅ、ごめんなさい」
「謝る相手が違います。海人くんが起きたら彼に言いなさい」
「……私、雇い主なのに命令形」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も言ってませんっ!!」
ビクッ、と蛇に睨まれたカエルのようにアリスは返事を返した。
脱衣所で倒れた海人くんは、今は空いた客室の一室で休んでいる。
のぼせたところに疲れと後頭部の衝撃のダブルパンチが相当効いたようで気を失ったまま眠り込んでしまったのだ。
「あ、それとね。海人にうちで使用人やってもらうことにしたから。いいでしょ?」
「それはまぁ、人手不足な感は拭えませんので問題はありませんが……、よほど彼のことが気に入ったようですね、仕事が出来るかわからないうちにそのようになさるなんて」
「まぁ、助けてもらった恩もあるし、………身近に変態ばっかりって環境にどうも共感しちゃったし」
アリスは歯切れの悪い返事を返してそっぽを向いた。ふむ、これは……。
「一目惚れですか。アリスもやっとそういう年頃になりましたか」
「ひ、一目惚れっ!?」
一瞬でアリスの顔が真っ赤に染まる。
「そそそ、そんなんじゃないわよっ!! なんでそんな話になるのよっ、私はただ、ヴァイオリンを取り返してくれたから」
「で、惚れてしまったと」
「だから違うわよっ!! 恩返しがしたかったのと、海人の状況がたまたま一致したというか、その、うみゃあああっ、ばかばかばーかっ!!瑞江のバーカッ!!」
「許容量を超えると幼児退行するクセ、そろそろ直したほうがよろしいですよ。それからもうそろそろ恋愛沙汰にも免疫をつけてください」
涙目で抗議するアリスをさらりとかわす。
「ふんだっ!!」
アリスはふてくされたように顔を背ける。
(まぁ、一目惚れ云々はともかくとして彼を気に入ったのは間違いないようですね)
拗ねてクッションを抱きながら、ソファで膝を抱えている自分の主人を眺める。
(一時はどうなることかと思いましたが……、色々と手間も省けましたし、これはこれでラッキーだったということにしておきましょう)
と、そこで一度思考を脇におく。
(それに何より……)
「……はふぅ、海人くん、半ズボンが似合いそうでしたね……」
「………瑞江、海人は少なくともあなたの守備範囲より実年齢は老けてるわよ」
「わかっていますよ、ですが、想像するだけならタダですから」
「本当に想像だけにしておいてね」
アリスがゲンナリとした視線を向けてくる。
「……海人、変態な兄から逃げ着てきても結局、この屋敷で暮らすならやっぱり変態に囲まれることになるのよねぇ」
アリスが何か呟いたようだったが、ひとまずは気にせず妄想にふけるのだった。
一通り体を洗って汗と泥水を落とした後、大きな浴槽で一人ぽつんと浸かっていた。
豪華な浴室は銭湯や温泉とまではいかないが一般的な家庭よりも相当広く、この広さなら四、五人程度は同時に入っても何の問題もなさそうだった。
「こんなことになるなんて、人生本当にわからないなぁ」
心地よいお湯に浸かりながら一人つぶやく。
言われるままにここまで付いてきてしまったがこのあとはどうなるのだろう。
この流れだと今晩は泊めてくれたりするのだろうか?
「いやいや、それはいくらなんでも虫が良すぎるよね」
頭を振って甘い考えを切り捨てる。
自分から家を飛び出したのに情けない。とはいえ……。
「お金はない、寝床はない、仕事もないしあてもない。それにお腹も減ったし……明日からどう生きてけばいいのかな」
なんとかなるさと無理やり押し込めたはずなのだが、こうして暖かいお湯に浸かっているとどうしても考えてしまう。
「あら、それ、どういうこと?」
「どういうことって……え?」
「ここよ、ここ」
キョロキョロと辺りを見回すと、脱衣所のスリガラスの向こう側に人影が見えた。
「今の聞いてたんですかっ、っていうかなんでここに!?」
「もう一度お礼を言いたくて瑞江の代わりに着替えを持ってきたの。それでいまの、どういうことかしら」
「い、いや、その……」
思わず言いよどむ。
事情が事情だし、もし家に連絡されてしまったらと思うと簡単に話すこともできない。
「何か困っているのなら話してみない? 相談相手ぐらいにはなれると思うわよ」
「…………」
「さあさあ、話してみて。きっと楽になるわよ」
「そんな、でも……」
「っていうか、気になるからさっさと話しなさい」
「……は、はい」
しまった、と思うよりも先にスリガラス越しの威圧感に押されるようにしては頷いてしまった。
「それでいいのよ、で、どうしたの?」
玖炎さんはスリガラスを背に持たれるようにして座り込んだ。
「あ、言っておくけどごまかそうとして嘘をつくのはやめてね」
「ううっ」
先手を打たれてしまった。
(こうなったら腹をくくるしかないか……)
「実は……」
話しちゃっていいのか、といまさらのように思いながら喋りだす。
「……つまり、変態なお兄さんに襲われないように家出して、行くあてもなく彷徨っていた時に私と出会ったと」
「……そうです、はい」
ぼかそうと話したところ全部をきっちり追求されてしまった。
きっと玖炎さんの中では兄さんはかなりド級な変態人間になっていることだろう。
「……それ、警察に駆け込んだほうがいいんじゃないかしら」
「い、いや、あれでもいいところもあるんですよ」
「ふーん、聞いてるかぎりだとただの変態にしか思えないけど……」
「あ、あはは……」
ごめん、兄さん。何もフォローができない。
「だから、兄さんの頭が冷えるまでは家に帰れないんです」
「行くあてはあるの?」
「それはその、えーと、あはは……」
「ふーん、なら、住む場所も仕事も食事も一気に手に入る妙案があるわよ」
「そんな都合のいいこと……」
あるわけない、という前に玖炎さんが言った。
「海人、私の家で使用人やってみる気はない?」
「し、使用人?」
予想外の言葉にオウム返しのように単語を繰り返してしまった。
「そうそう、住み込み三食ご飯付き、もちろん、お給金も出すわよ?」
「ええっ!?」
「ちなみに部屋はいくらでも余ってるから選び放題。どう? 悪い話じゃないでしょ」
「でも、いくらなんでもそんな……」
「あら、これじゃまだ足りないかしら」
「そうじゃなくって……」
一晩泊めてもらえるだけでも甘えすぎだと思うのに、そんな好条件で仕事をもらうのはいくらなんでも気が引けてしまった。
「渡りに船の提案じゃない。それとも疑われてるのかしら?」
「そんなっ、疑ってるとかじゃっ!?」
慌てて返事を返すと扉の向こうでクスクスと笑う気配がする。
「冗談よ、あなた、目に見えて人が良さそうだもの」
「人が良さそうって、そんなことは……」
「あるわよ、きっと将来心配しすぎでハゲるわね」
さらりと怖いことを言わないで欲しい。
「他に行くあてもないんでしょ? だったら別にいいじゃない」
「それは……でも、玖炎さんにそんな風に迷惑かけるわけには……」
「私は何も善意だけで言っているわけじゃないの。最近ちょっと人手が足りなくて、近々公募を出す予定だったの。もちろん最初は仮採用ってことになるけど、きちんと支払うお給金の分は仕事はやってもらうからね」
「………でも、僕が使用人として使えるかどうかもわからないのに、いいんですか?」
「かまわないわよ、仕事なんてやりながらから覚えてもらえばいいわ。当面は雑用ばかりになるだろうしね。まぁあなたがうちの使用人以上に使えるようなら、一気にこき使わせてもらうけど」
悪戯っぽく言う玖炎さんに思わずきょとんとしてしまった。
「それに、借りを作りっぱなしなのは私の主義に反するの。ヴァイオリンを取り返してもらったことのお返しならこれくらいがちょうどいいわ」
アリスの言葉に少しの間考え込んだあと、少し遠慮がちに返事を返した。
「それじゃ、えと、玖炎さん期待に答えられるように早く仕事覚えないとですね」
「それじゃあ……」
「えっと、改めて、緋辻海人、高校二年の十六歳です。よろしくお願いします、アリスお嬢様」
(うぅ、この呼び方、照れるな……っ)
お湯の温かさ以上に顔が熱くなってるのがわかる。
「そう、じゃあ、これから宜しく頼むわね。しばらくの間は仮採用って形になると思うけど、詳しい話はまたあとでね。それに、こういうことならこの着替えもちょうどいいわ」
「ちょうどいい?」
「見れば分かるわ。それじゃあまた後でね」
玖炎さん、いや、アリスお嬢様はパタパタと足音を立てて行ってしまった。
「…………本当に、なんかおかしなことになった」
ポツリとつぶやいて海人は深くお湯に浸かる。
「………ぶくぶくぶく」
なんかうまくいきすぎてやしないだろうか。
世間の風は実は思いのほか暖かいのかもしれない。
「そろそろ出よう、あんまり長々と入ってるわけにもいかないし」
湯船から立ち上がるとくらりとした浮遊感に襲われる。
「あっと、と」
どうやら思っていたよりものぼせていたみたいだった。
視界が歪んで上手く立っていられない。
それでも倒れずに脱衣所まで来る頃には目眩は収まっていた。
(お嬢様が着替え持ってきてくれたって言ってたけど……、あっ、これか)
籐でできた籠の中に綺麗に折りたたまれた着替えが入れられていた。
「ちょうどいいって、このことか」
取り上げた着替えは黒を基調としたスーツのような服だった。
たぶん、執事服ってやつだと思う。
「あれ?」
と、そこで体を拭くためのタオルがないことに気がつく。
これじゃあ服を着ることができない。
「どこかほかの場所に置いてある……わけないか」
周りを見渡してみてもタオルは置いてない。
「濡れたまま服を切るわけにもいかないけど、このままだと湯冷めしちゃうしな……。弱った」
どうしようかと考えてはみるものの打開策は見当たらない。
ガラッ!!
「ごめんなさいっ、タオルを持ってくるのをわす、れ、た………」
「へ?」
開かれた扉の先で、タオルを持ったお嬢様が立ち尽くしていた。
一瞬で時間が凍りついた。
「……き」
「き?」
…………。
まぁ、とりあえず先に言い訳をさせてもらっておくと。
この場合って、どっちが被害者になるんだろう。
「きゃあああああああああっ!!」
「フぶっ!? うがっ、うわああっ!?」
投げつけられたタオルに視界を奪われて足がもつれる。
後頭部に椅子か何かの角の固い感触が伝わり、ゆっくりと目の前が暗くなっていく。
「あわわきゃわきゅあああああっ!?」
薄れゆく視界の中で、最後に見えたのは顔を真っ赤にしてパニックに陥っているお嬢様の姿だった。
☆
「まったく、何をやっているんですかあなたは」
「ううぅ、そんなこと言ったって~」
アリスは先程の海人の姿を思い出したのか一瞬で赤面している。
「言ったってではありません」
バツの悪そうに言う主を叱るようにぴしゃりと言った。
「タオルを忘れたのも、脱衣所にいるかを確認しなかったのもどちらもアリスのミスでしょう」
「それは、うぅ、ごめんなさい」
「謝る相手が違います。海人くんが起きたら彼に言いなさい」
「……私、雇い主なのに命令形」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も言ってませんっ!!」
ビクッ、と蛇に睨まれたカエルのようにアリスは返事を返した。
脱衣所で倒れた海人くんは、今は空いた客室の一室で休んでいる。
のぼせたところに疲れと後頭部の衝撃のダブルパンチが相当効いたようで気を失ったまま眠り込んでしまったのだ。
「あ、それとね。海人にうちで使用人やってもらうことにしたから。いいでしょ?」
「それはまぁ、人手不足な感は拭えませんので問題はありませんが……、よほど彼のことが気に入ったようですね、仕事が出来るかわからないうちにそのようになさるなんて」
「まぁ、助けてもらった恩もあるし、………身近に変態ばっかりって環境にどうも共感しちゃったし」
アリスは歯切れの悪い返事を返してそっぽを向いた。ふむ、これは……。
「一目惚れですか。アリスもやっとそういう年頃になりましたか」
「ひ、一目惚れっ!?」
一瞬でアリスの顔が真っ赤に染まる。
「そそそ、そんなんじゃないわよっ!! なんでそんな話になるのよっ、私はただ、ヴァイオリンを取り返してくれたから」
「で、惚れてしまったと」
「だから違うわよっ!! 恩返しがしたかったのと、海人の状況がたまたま一致したというか、その、うみゃあああっ、ばかばかばーかっ!!瑞江のバーカッ!!」
「許容量を超えると幼児退行するクセ、そろそろ直したほうがよろしいですよ。それからもうそろそろ恋愛沙汰にも免疫をつけてください」
涙目で抗議するアリスをさらりとかわす。
「ふんだっ!!」
アリスはふてくされたように顔を背ける。
(まぁ、一目惚れ云々はともかくとして彼を気に入ったのは間違いないようですね)
拗ねてクッションを抱きながら、ソファで膝を抱えている自分の主人を眺める。
(一時はどうなることかと思いましたが……、色々と手間も省けましたし、これはこれでラッキーだったということにしておきましょう)
と、そこで一度思考を脇におく。
(それに何より……)
「……はふぅ、海人くん、半ズボンが似合いそうでしたね……」
「………瑞江、海人は少なくともあなたの守備範囲より実年齢は老けてるわよ」
「わかっていますよ、ですが、想像するだけならタダですから」
「本当に想像だけにしておいてね」
アリスがゲンナリとした視線を向けてくる。
「……海人、変態な兄から逃げ着てきても結局、この屋敷で暮らすならやっぱり変態に囲まれることになるのよねぇ」
アリスが何か呟いたようだったが、ひとまずは気にせず妄想にふけるのだった。
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