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煮込み人間

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【妻帯者と不倫女とサレ妻、狂気の三角関係】
【浮気相手の妻を殺してしまった不倫女は死体を始末するため、ある方法を思いつく】



 ぐちゅぐちゅ、ぐちぇぐちぇ、ぐちょぐちょ。どう表現しても結果は同じだ。
 でも、やっぱり、ぐちゃぐちゃだろう。アタシの人生、ぐちゃぐちゃだ。あの女が来たせいで。
 あの日、池田真理子はアタシのマンションで、テーブルを挟んで向かい合っていた。元地下アイドルだけに、そこそこビジュアルが良い。年齢はいっているけれど。たしか、アタシとは十五歳くらい離れていたはず。そしてアタシは現役の地下アイドルだ。
「ここ、事故物件ね?」
 真理子は堂々とした態度で室内を見回した後、不敵な笑みを浮かべて語りかけてきた。
「私、分かるの。霊感が強いから」
「あの……離婚するって、輝雄さん……社長から聞いていますけど」
 アタシはうつむき加減でおどおどしながら質問した。演技だけど。
「それ、本気で信じているの? あの人の口癖でしょ。うちの人が誰と寝ようと構わないのよ。だけどね、この部屋の家賃まで負担しているのはさすがに許せなくてね」
 アタシは黙って聞くしかなかった。
「高澤彩さん……でしたっけ。あなた、売れない地下アイドルなんですってね?」
 あんたに言われたくない。
「おいくつ?」
「十九ですけど」
「どうせサバ読んでいるんでしょ。もうアラサーくらい?」
「十九です! プロフィール上は!」
「さっさとあきらめたら」
 この女と同じ道を歩むのは、ごめんだ。
「アタシはどうしてもアイドルをやりたいんです!」
「プロデューサーに枕営業でもしなきゃ、仕事をもらえないなんて才能ないのよ」
「奥さんみたいにですか?」
 アタシの思わぬ言い返しに、真理子はにらみ返してきた。それでも、アタシは続けた。
「輝雄さんから聞きましたよ。奥さんも売れなくて、結局あきらめて、専業主婦の座に就いたって」
「適当なこと言わないでよ!」
「奥さんは嫉妬しているんです。自分が果たせなかった夢を、アタシが実現しようとしているから」
 真理子はこぶしを握りしめ、全身を震わせていた。
「実はアタシ、メジャーデビューが決まったんです。これも輝雄さんのおかげ。というわけで、これから新曲の振り付けを自主練しなきゃいけないんで」
 アタシは立ち上がり、廊下へ通じるドアを開けた。
「今日はどうもありがとうございました」
 真理子は怒りをこらえながらも、もはや対抗する力もなく帰ろうとした。だが、流し台の水切りに包丁があるのが視界に入ったらしい。その包丁を握りしめると、振り返った。
 アタシが反応する隙もなく、真理子が奇声を上げて突進してきた。間一髪よけて、一緒に床に倒れ込んだ。アタシは覆いかぶさっている真理子を押しのけた。
 真理子は白目を剥き、動かない。その胸には深々と包丁が突き刺さっていた。アタシは恐る恐る足先で真理子を突っついてみた。
 すると、真理子が息を吹き返し、飛びかかってきた。
「死ねえ!」
「いやあ!」
 アタシは足裏で思いきり蹴り飛ばした。真理子は反転して、床に勢いよくうつぶせに倒れた。その際、包丁がさらに深く胸に刺さる鈍い音が響いた。
 今度はフローリングワイパーの棒で突っついても、本当に死んでいた。
 そんな……アタシ、メジャーデビューするのに!
 しばらくパニックになっていたが、どうにか落ち着きを取り戻し、女の死体を無表情で見下ろした。
 アタシが悪いんじゃない。この女が来たから……いや、この女は来なかった。こんな女、アタシは知らない。
 死体を引きずって、バスルームへ運び込んだ。ノコギリ、包丁、ゴム手袋、ゴミ袋は用意した。そして、水着姿。返り血で汚れないために。
 さあ、ぐちゃぐちゃに解体だ。

 池田輝雄はデミグラスシチューをモリモリと食べている。アタシは向かいの席で自分の分は用意せずに、興味深く彼を見守っていた。
「輝雄さん、どう?」
「肉がとろけるような柔らかさで絶品だよ。彩は料理がうまいねえ」
「まだまだあるから、おかわりして」
 コンロの上に鍋が乗っており、その中にシチューがまだある。
「……ん?」
 輝雄が顔をしかめながら口の中に指を入れ、何かを引っ張り出した。長い髪の毛だった。
「ごめんなさい! アタシのが入っちゃったみたい!」
 アタシはその毛を奪うと、ティッシュに包んで捨てた。
「彩の髪の毛と長さが違うみたいだけど」
「コスプレ用ウィッグのかな……」
 輝雄は急に帰り支度を始めた。
「おかわりは?」
「ごめん、もしかしたら女房が帰っているかもしれない」
 彼が言うには、奥さんは黙って里帰りをしてしまったらしい。例の女のことだ。
「彩と俺のこと、勘づかれたかな? というわけで、また今度。ちゃんと振り付け、覚えとけよ」

 アタシを見下ろす無表情の真理子が立っていた。
 そこでハッと目を覚ました。バスタブに浸かっていて、寝落ちしていたらしい。
 もちろん、バスルームにあの女はいない。ここでバラバラにして、調理したけれども。それでも霊のようなものが、ここに残っているのだろうか。
 急に寒気がし、ぬるくなったお湯を追い炊きした。気持ちを切り替えなくては。完全犯罪が成立したのだから。アタシはバスタブのへりに両腕を置き、あごを乗せて、心地よさそうに目を閉じた。
 追い焚きのスイッチが警告音を鳴っているのが、遠い彼方から聞こえた……。

   ×   ×   ×

 ドアチャイムが鳴った。何度も何度も。
 しばらくして玄関が解錠され、ドアから合鍵を持った輝雄と管理人が入ってきた。
「彩、いるのか~?」
「高澤さん、上がりますね」
 明かりがついたままのリビングを見るが、無人だった。バスルームにも明かりがついている。しかも、中から警告音が聞こえてくる。
「彩、ここか? 開けるぞ」
 湯気で充満する中、バスタブの中でへりにあごを乗せて目を閉じている彩の姿がぼんやりと見えた。
「彩……?」
 輝雄は手を伸ばし、そっと彩に触れようとした。
 その瞬間、ぐちゃぐちゃぐちゃという不気味な音が響き渡った。
「彩!」
 バスタブの中に彩の姿はなかった。濃厚な赤黒いお湯で満たされているだけ。
 輝雄、必死にかき回した。
「彩! 彩はどこだ!」
 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ、かき混ぜて。
 管理人は恐怖でひきつり、キッチンまでやってきた。
「煮込んじまった……人間を煮込んじまった……」
 ふとコンロを見ると、鍋の中にぐちゃぐちゃのデミグラスシチューの残りがあった。

               (了)
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