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あなたのなかのもうひとりのあなた
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【青年は恋人・茉莉とそっくりの女性・ジャスミンと出会った。
優等生の恋人とは対照的な魔性の女に惹かれていく……。】
*
(イラスト:水野みろく様 https://twitter.com/mirokumizuno )
「遅れて、ごめんなさい!」
茉莉が珍しくバタバタと駆け寄ってくる姿を見て、待ち合わせ場所にいた圭介は微笑ましく思った。いつも几帳面だけに、遅刻する姿は貴重だ。
「実はね……あれ、どこ行ったんだろ?」
茉莉は後方を見回した。何か落としたのだろうか?
「あれほど、じっとしていなさいって言ったのに。ちょっと探してくる」
「マリ! どこ行くんだよ……」
茉莉は今来た道を引き返していった。すると、圭介はいきなり子供に声をかけられた。
「お兄さん、今の女の人と付き合ってるの?」
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
茉莉が大慌てで戻ってきた。
「どこ行ってたの! 勝手な行動しないで!」
「この女の子、マリの知り合い?」
「弟よ。静雄っていう名前」
圭介は二度見した。華奢だが、色白のクールな顔つきは、ませた雰囲気を醸し出している。
「よく間違えられるのよ」
圭介のほうから自己紹介し、改めて彼……静雄少年に年齢を問いかけてみた。
「何歳に見える?」
憎たらしい口を利く子だった。生意気ざかりの小学六年生だそうだ。
「マリに似て、可愛いなあ」
「ちょっとよしてよ。弟の前で恥ずかしい」
「お二人さん、ラブラブだね」
静雄少年が茶々を入れた。茉莉の一人暮らしの部屋にいきなり押しかけて来たとのことだった。茉莉は大学に入学して以来、実家には一度も帰っていなかったから、弟としては寂しかったのかもしれない。
「僕がいると、デートを邪魔しちゃうから、一人でぶらぶらしてくるね」
こんな都会の人混みでは、迷子になりかねない。圭介は提案した。
「どうだろう? 今日は三人一緒で」
「圭介君、この子がいると、迷惑をかけるよ」
「マリは圭介と二人きりになれないのが、嫌なくせに」
むしろ、圭介は静雄少年から茉莉の昔話を聞きたがった。
「マリはね、いびきがうるさいんだよ」
「知ってる」
「二人とも最低!」
怒って先に行ってしまう茉莉を、圭介と静雄少年は慌てて追いかけた。
その日、バイト帰りの圭介は急な雨のせいで、傘も差さずに駅まで走っていた。
「うわっ!」
視界がぼやけていたので、飛び出してきた通行人を避けきれずに衝突した。相手の女性が傘を持ったまま、尻もちをついた。
「気をつけてよね! 服、濡れちゃったじゃないの!」
「お怪我はないですか?」
露出の多い衣装に、濃いメイク。髪型も派手だ。圭介が傘を持っていないことを知ると、急に声音を変えて相合傘を勧めてきた。
「遠慮することないじゃない。ソデふり合うも何とかって言うでしょ」
圭介はぶつかった申し訳なさもあって、駅まで一緒に行くことにした。
「その前に、雨宿りでもしていかない?」
彼女が圭介の腕をつかんで、横道へそれると、ホテル街が広がっていた。
「自分は駅まで走っていきますから」
彼女は圭介の手を放そうとしなかった。
「……えっ、マリ? マリじゃないか!」
圭介は思わず彼女の顔を見返した。
「どうしたんだよ? そんな格好して」
「だから、マリって、誰?」
彼女はシラを切っていた。
「ふざけないでくれ!」
「アタシの名前はジャスミン。何だったら、そのマリって女に連絡してみたら」
圭介は疑いながらも通話してみた。電源を切っているらしく、つながらなかった。
「この世には、自分とそっくりな人間が三人いるっていうじゃない」
「スマホを見せてもらえる?」
彼女はバッグから取り出して、かざした。時代遅れのガラケーだった。
「別人だって、解決したようね。さ、行きましょ」
ジャスミンと名乗る女は、うろたえる圭介に腕を絡めると、無理やり引っ張って歩き出した。
喫茶店のボックス席で、茉莉は浮かない顔で座っていた。
「何か頼みごと? 好きなもの、何でも注文していいなんて、絶対にウラがある」
「さすが静雄、話が早い」
圭介を尾行してほしいと、茉莉は弟に依頼した。圭介が誰と会っているのか、証拠の写真を撮るように。
「圭介、浮気?」
「それを確かめたいの」
茉莉は吐き出すように語り出した。最近のぎこちない二人の関係。圭介は何かを隠しているみたいだが、茉莉は聞けずにいた。
「男と女って分からないなあ」
「静雄も大人になれば分かるって」
静雄も早く大人になりたいと言った。
「一人で生きていけるから。お姉ちゃんなら分かるよね」
「ごめんね、私だけ家を出ちゃって」
そこへ圭介が到着した。今日もこれからデートなのだ。
「静雄君も一緒か!」
圭介は無理に明るく振る舞っているように見える。だが、静雄はこれから探偵ごっこの準備があるからと、先に帰ってしまった。
「静雄君、まだこっちにいたんだね」
血のつながらないお父さんと実家に二人きりなのは、いろいろ難しいのかもしれないと圭介は思った。姉弟の母が亡くなったのは、静雄がまだ幼かった頃だと聞かされていた。茉莉が母親代わりに面倒を見てきたのだった。
「マリは優しいよな。いつも誰かのことを気にかけて」
「でもね……時々、何もかも捨てて逃げ出したくなるの。私って、本当は冷たい人間なのかな」
「マリはまじめに考えすぎるんだよ。もっと気楽に……そう、逃げ出したっていいんだ」
バーのカウンターで、圭介はジャスミンと並んで飲んでいた。重苦しい表情でうつむく圭介とは対照的に、ジャスミンは陽気だった。
「マスター、同じのをおかわり。圭介も飲んだら?」
二人とも未成年ゆえ、グラスの中身はノンアルコールだった。それでもわざわざジャスミンがこの店を選んだのは、普段、圭介がデートでは絶対に来ないようなところへ連れてきたかったからだ。
「圭介も、やっぱり男だね。浮気しちゃうんだ?」
これは浮気じゃないと、圭介は自分に言い聞かせるように返答した。
「本気? だったら、嬉しいな」
「君が何者なのか知りたいだけだ」
「そう言いながら、この前の圭介は別人のようだったよ。今夜もかな?」
圭介はジャスミンの家に行きたいと告げた。この謎めいたジャスミンのことをもっと知りたい。けれども、ジャスミンは日常とかけ離れたことをしたい性分だった。自分の家なんて、気が滅入るだけだと。
「だったら、帰る」
「ふ~ん、いいんだ? 今日は楽しまなくて」
「別に楽しんでるわけじゃない」
その一言で、ジャスミンはブチ切れた。
「カッコつけんな。人間なんて、エゴのかたまりなんだ。どうせいつか死ぬなら、本能のおもむくまま、やりたいようにやればいいんだよ」
圭介は喜怒哀楽の激しい相手を見て、うらやましく思えてきた。すると、圭介のスマホに着信があった。圭介はちらっと画面を見ただけで、通話に出ようとしない。
「彼女から? 出ないと、疑われるよ」
「彼女の弟だ。さあ、別のところに行くぞ」
茉莉の部屋で、姉弟はスマホを覗き込んでいた。画面には、路上の隠し撮り写真が映し出されていた。圭介が派手な女と腕を組んで肩を寄せ合っている。女の顔はアングルの関係で判別しにくいが、いかにもファムファタールの匂いが漂っていた。
「静雄、本当に探偵に向いているかも」
さらに静雄は圭介のスマホに盗聴アプリを仕込んだという。
「ホテルでの会話、聞く? マリには刺激が強すぎるかもしれないけど」
小学生が聞いても大丈夫な内容だったのだろうかと、茉莉は逆に心配になった。
「圭介と別れるの? 話し合うの?」
茉莉の心は決まっていた。ジャスミンという女と会ってみるのだ。圭介はこの不潔な雌に惑わされたに違いない。
「女の敵は女か。僕はむしろ、圭介ときっぱり別れるべきだと思うけどな」
それが誰にとっても一番幸せだと、静雄は断言した。それでも茉莉はこの女と会わなければいけない。
「たぶん会えないよ。ていうか、マリのためにも、これは伝えなきゃいけないのかな」
静雄は別の画像をスマホに映し出した。ジャスミンの顔がはっきりと分かる代物だった。
「何これ……私に似ている」
茉莉の面影があるから、圭介はこの女に惹かれたのだろうか?
「マリはさ、優しい嘘と残酷な真実、どっちが聞きたい?」
「覚悟はできてる。浮気以上のショックなんてないから」
「このジャスミンはね……マリなんだよ」
茉莉とジャスミンは同一人物。姉の別人格だと、静雄は告げた。
「ジャスミンって漢字で書くと、マリの文字になるんだよね。同じ花の名前」
茉莉はいい加減にしなさいと怒り出した。それでも静雄は淡々と続けた。
「ジャスミンを尾行したんだ。彼女の家は、ここ、この部屋なんだ。マリ、昨日、帰りが遅かったでしょ? 覚えてる?」
「記憶があいまい……というか、気づいたら朝だった」
静雄は追い打ちをかけるように、新たな証拠を突きつけてきた。紙袋から取り出したのは、ジャスミンの着ていた服だった。そして、ガラケー。クローゼットの奥に隠してあったという。茉莉は混乱して、追いつかなかった。
「僕、悪いこと言っちゃったかな?」
「いいのよ。むしろ、本当のこと教えてもらって感謝している……」
「じゃあ、最後にもうひとつだけ言うよ」
静雄がじっと見返してきた。
「マリが会うべき人間は、ジャスミンでも圭介でもないよ。もっと重要な人間がいるよね?」
茉莉には理解できなかった。いったい、誰なのだ?
「ごまかさなくてもいいって。その人から逃げたくて、東京の大学に行き、一人暮らしを始めたくせに」
逃げた……私が?
圭介は静雄と電話で話していた。昨日から茉莉と連絡がつかなくなったからだ。彼女は大学にもバイトにも来ていない。茉莉の部屋にいる静雄の答えも同様だった。姉はずっと帰ってきていないらしい。
「圭介は知ってた? ジャスミンがマリだってこと」
「そのこと、マリも知っているのか!」
電話越しに、静雄の笑い声が聞こえた。この弟もヘンだ。戸惑う圭介に構わず、静雄は続けた。
「マリはね、壊れちゃったんだよ」
茉莉は血のつながらない父親からずっと虐待を受けていたという。
「あのとおりまじめだし、弱いところを見せられなかったんだね。ため込んで、ため込んで、ついに爆発して、もう一人の自分を生み出したのかも」
圭介は茉莉を救わなければと思った。これ以上、彼女を苦しませるわけにはいかない。
「できるかな? 今、マリはお父さんのところに帰っているはず。ジャスミンを消し去るには、お父さんを消さなきゃいけないからね」
消す……? 嫌な予感がする。最悪の事態を防がなくてはと、圭介は実家の住所を聞き出した。
「間に合うかな? まあ、がんばって」
この呑気な返答は何なのだろう。姉のことが心配ではないのか?
「ちなみに、マリが逃げたあとは、僕がお父さんのターゲットになっているんだ。僕、マリに似ているからね。女の子に間違われるくらいだし」
「マリ! しっかりしろ!」
圭介は意識不明の茉莉を必死に揺すっていた。
ここは姉弟の実家の居間。つい先ほど、圭介が静雄と一緒に実家に到着すると、父親が茉莉の首を絞めているところだった。父親は圭介たちの姿を見ると手を放し、観念したかのように放心した。圭介は茉莉に駆け寄り保護すると、急いで救急車を呼んだ。
気づけば父親の姿はなく、静雄もいなかった。
「静雄君、どこだ!」
静雄の身も危ないかもしれない。あんな平凡で穏やかそうな男が、鬼畜の所業を繰り返していたのか。そこへ静雄が戻ってきた。
「お父さんは?」
静雄は首を横に振った。逃げたのだろうか。どうせ捕まるのは時間の問題だ。
「あっ、目を覚ました!」
静雄の声に見返すと、茉莉がぼんやりと目を開いていた。
「……何があったの?」
茉莉は何も覚えていないようだった。
「何かね……夢を見てたみたい。それもすごく悪い夢」
「何もかも終わったんだ。安心して」
遠くからサイレンが聞こえてきた。圭介は居ても立ってもいられず、外へと出ていった。静雄は姉に向かって話しかけた。
「お父さんのことなら解決したよ。僕が殺してあげたから」
茉莉は不思議そうに、静雄を見据えていた。
「心配いらないって。僕はまだ子供だから、人を殺しても刑務所には入れられない」
「ねえ……あんた、誰?」
茉莉は弟のことが分からないらしい。
「圭介の知り合い?」
静雄は思わずほほ笑んだ。
「そうか……マリを消しちゃったんだね。はじめまして、ジャスミン」
(了)
優等生の恋人とは対照的な魔性の女に惹かれていく……。】
*
(イラスト:水野みろく様 https://twitter.com/mirokumizuno )
「遅れて、ごめんなさい!」
茉莉が珍しくバタバタと駆け寄ってくる姿を見て、待ち合わせ場所にいた圭介は微笑ましく思った。いつも几帳面だけに、遅刻する姿は貴重だ。
「実はね……あれ、どこ行ったんだろ?」
茉莉は後方を見回した。何か落としたのだろうか?
「あれほど、じっとしていなさいって言ったのに。ちょっと探してくる」
「マリ! どこ行くんだよ……」
茉莉は今来た道を引き返していった。すると、圭介はいきなり子供に声をかけられた。
「お兄さん、今の女の人と付き合ってるの?」
「お嬢ちゃん、どうしたの?」
茉莉が大慌てで戻ってきた。
「どこ行ってたの! 勝手な行動しないで!」
「この女の子、マリの知り合い?」
「弟よ。静雄っていう名前」
圭介は二度見した。華奢だが、色白のクールな顔つきは、ませた雰囲気を醸し出している。
「よく間違えられるのよ」
圭介のほうから自己紹介し、改めて彼……静雄少年に年齢を問いかけてみた。
「何歳に見える?」
憎たらしい口を利く子だった。生意気ざかりの小学六年生だそうだ。
「マリに似て、可愛いなあ」
「ちょっとよしてよ。弟の前で恥ずかしい」
「お二人さん、ラブラブだね」
静雄少年が茶々を入れた。茉莉の一人暮らしの部屋にいきなり押しかけて来たとのことだった。茉莉は大学に入学して以来、実家には一度も帰っていなかったから、弟としては寂しかったのかもしれない。
「僕がいると、デートを邪魔しちゃうから、一人でぶらぶらしてくるね」
こんな都会の人混みでは、迷子になりかねない。圭介は提案した。
「どうだろう? 今日は三人一緒で」
「圭介君、この子がいると、迷惑をかけるよ」
「マリは圭介と二人きりになれないのが、嫌なくせに」
むしろ、圭介は静雄少年から茉莉の昔話を聞きたがった。
「マリはね、いびきがうるさいんだよ」
「知ってる」
「二人とも最低!」
怒って先に行ってしまう茉莉を、圭介と静雄少年は慌てて追いかけた。
その日、バイト帰りの圭介は急な雨のせいで、傘も差さずに駅まで走っていた。
「うわっ!」
視界がぼやけていたので、飛び出してきた通行人を避けきれずに衝突した。相手の女性が傘を持ったまま、尻もちをついた。
「気をつけてよね! 服、濡れちゃったじゃないの!」
「お怪我はないですか?」
露出の多い衣装に、濃いメイク。髪型も派手だ。圭介が傘を持っていないことを知ると、急に声音を変えて相合傘を勧めてきた。
「遠慮することないじゃない。ソデふり合うも何とかって言うでしょ」
圭介はぶつかった申し訳なさもあって、駅まで一緒に行くことにした。
「その前に、雨宿りでもしていかない?」
彼女が圭介の腕をつかんで、横道へそれると、ホテル街が広がっていた。
「自分は駅まで走っていきますから」
彼女は圭介の手を放そうとしなかった。
「……えっ、マリ? マリじゃないか!」
圭介は思わず彼女の顔を見返した。
「どうしたんだよ? そんな格好して」
「だから、マリって、誰?」
彼女はシラを切っていた。
「ふざけないでくれ!」
「アタシの名前はジャスミン。何だったら、そのマリって女に連絡してみたら」
圭介は疑いながらも通話してみた。電源を切っているらしく、つながらなかった。
「この世には、自分とそっくりな人間が三人いるっていうじゃない」
「スマホを見せてもらえる?」
彼女はバッグから取り出して、かざした。時代遅れのガラケーだった。
「別人だって、解決したようね。さ、行きましょ」
ジャスミンと名乗る女は、うろたえる圭介に腕を絡めると、無理やり引っ張って歩き出した。
喫茶店のボックス席で、茉莉は浮かない顔で座っていた。
「何か頼みごと? 好きなもの、何でも注文していいなんて、絶対にウラがある」
「さすが静雄、話が早い」
圭介を尾行してほしいと、茉莉は弟に依頼した。圭介が誰と会っているのか、証拠の写真を撮るように。
「圭介、浮気?」
「それを確かめたいの」
茉莉は吐き出すように語り出した。最近のぎこちない二人の関係。圭介は何かを隠しているみたいだが、茉莉は聞けずにいた。
「男と女って分からないなあ」
「静雄も大人になれば分かるって」
静雄も早く大人になりたいと言った。
「一人で生きていけるから。お姉ちゃんなら分かるよね」
「ごめんね、私だけ家を出ちゃって」
そこへ圭介が到着した。今日もこれからデートなのだ。
「静雄君も一緒か!」
圭介は無理に明るく振る舞っているように見える。だが、静雄はこれから探偵ごっこの準備があるからと、先に帰ってしまった。
「静雄君、まだこっちにいたんだね」
血のつながらないお父さんと実家に二人きりなのは、いろいろ難しいのかもしれないと圭介は思った。姉弟の母が亡くなったのは、静雄がまだ幼かった頃だと聞かされていた。茉莉が母親代わりに面倒を見てきたのだった。
「マリは優しいよな。いつも誰かのことを気にかけて」
「でもね……時々、何もかも捨てて逃げ出したくなるの。私って、本当は冷たい人間なのかな」
「マリはまじめに考えすぎるんだよ。もっと気楽に……そう、逃げ出したっていいんだ」
バーのカウンターで、圭介はジャスミンと並んで飲んでいた。重苦しい表情でうつむく圭介とは対照的に、ジャスミンは陽気だった。
「マスター、同じのをおかわり。圭介も飲んだら?」
二人とも未成年ゆえ、グラスの中身はノンアルコールだった。それでもわざわざジャスミンがこの店を選んだのは、普段、圭介がデートでは絶対に来ないようなところへ連れてきたかったからだ。
「圭介も、やっぱり男だね。浮気しちゃうんだ?」
これは浮気じゃないと、圭介は自分に言い聞かせるように返答した。
「本気? だったら、嬉しいな」
「君が何者なのか知りたいだけだ」
「そう言いながら、この前の圭介は別人のようだったよ。今夜もかな?」
圭介はジャスミンの家に行きたいと告げた。この謎めいたジャスミンのことをもっと知りたい。けれども、ジャスミンは日常とかけ離れたことをしたい性分だった。自分の家なんて、気が滅入るだけだと。
「だったら、帰る」
「ふ~ん、いいんだ? 今日は楽しまなくて」
「別に楽しんでるわけじゃない」
その一言で、ジャスミンはブチ切れた。
「カッコつけんな。人間なんて、エゴのかたまりなんだ。どうせいつか死ぬなら、本能のおもむくまま、やりたいようにやればいいんだよ」
圭介は喜怒哀楽の激しい相手を見て、うらやましく思えてきた。すると、圭介のスマホに着信があった。圭介はちらっと画面を見ただけで、通話に出ようとしない。
「彼女から? 出ないと、疑われるよ」
「彼女の弟だ。さあ、別のところに行くぞ」
茉莉の部屋で、姉弟はスマホを覗き込んでいた。画面には、路上の隠し撮り写真が映し出されていた。圭介が派手な女と腕を組んで肩を寄せ合っている。女の顔はアングルの関係で判別しにくいが、いかにもファムファタールの匂いが漂っていた。
「静雄、本当に探偵に向いているかも」
さらに静雄は圭介のスマホに盗聴アプリを仕込んだという。
「ホテルでの会話、聞く? マリには刺激が強すぎるかもしれないけど」
小学生が聞いても大丈夫な内容だったのだろうかと、茉莉は逆に心配になった。
「圭介と別れるの? 話し合うの?」
茉莉の心は決まっていた。ジャスミンという女と会ってみるのだ。圭介はこの不潔な雌に惑わされたに違いない。
「女の敵は女か。僕はむしろ、圭介ときっぱり別れるべきだと思うけどな」
それが誰にとっても一番幸せだと、静雄は断言した。それでも茉莉はこの女と会わなければいけない。
「たぶん会えないよ。ていうか、マリのためにも、これは伝えなきゃいけないのかな」
静雄は別の画像をスマホに映し出した。ジャスミンの顔がはっきりと分かる代物だった。
「何これ……私に似ている」
茉莉の面影があるから、圭介はこの女に惹かれたのだろうか?
「マリはさ、優しい嘘と残酷な真実、どっちが聞きたい?」
「覚悟はできてる。浮気以上のショックなんてないから」
「このジャスミンはね……マリなんだよ」
茉莉とジャスミンは同一人物。姉の別人格だと、静雄は告げた。
「ジャスミンって漢字で書くと、マリの文字になるんだよね。同じ花の名前」
茉莉はいい加減にしなさいと怒り出した。それでも静雄は淡々と続けた。
「ジャスミンを尾行したんだ。彼女の家は、ここ、この部屋なんだ。マリ、昨日、帰りが遅かったでしょ? 覚えてる?」
「記憶があいまい……というか、気づいたら朝だった」
静雄は追い打ちをかけるように、新たな証拠を突きつけてきた。紙袋から取り出したのは、ジャスミンの着ていた服だった。そして、ガラケー。クローゼットの奥に隠してあったという。茉莉は混乱して、追いつかなかった。
「僕、悪いこと言っちゃったかな?」
「いいのよ。むしろ、本当のこと教えてもらって感謝している……」
「じゃあ、最後にもうひとつだけ言うよ」
静雄がじっと見返してきた。
「マリが会うべき人間は、ジャスミンでも圭介でもないよ。もっと重要な人間がいるよね?」
茉莉には理解できなかった。いったい、誰なのだ?
「ごまかさなくてもいいって。その人から逃げたくて、東京の大学に行き、一人暮らしを始めたくせに」
逃げた……私が?
圭介は静雄と電話で話していた。昨日から茉莉と連絡がつかなくなったからだ。彼女は大学にもバイトにも来ていない。茉莉の部屋にいる静雄の答えも同様だった。姉はずっと帰ってきていないらしい。
「圭介は知ってた? ジャスミンがマリだってこと」
「そのこと、マリも知っているのか!」
電話越しに、静雄の笑い声が聞こえた。この弟もヘンだ。戸惑う圭介に構わず、静雄は続けた。
「マリはね、壊れちゃったんだよ」
茉莉は血のつながらない父親からずっと虐待を受けていたという。
「あのとおりまじめだし、弱いところを見せられなかったんだね。ため込んで、ため込んで、ついに爆発して、もう一人の自分を生み出したのかも」
圭介は茉莉を救わなければと思った。これ以上、彼女を苦しませるわけにはいかない。
「できるかな? 今、マリはお父さんのところに帰っているはず。ジャスミンを消し去るには、お父さんを消さなきゃいけないからね」
消す……? 嫌な予感がする。最悪の事態を防がなくてはと、圭介は実家の住所を聞き出した。
「間に合うかな? まあ、がんばって」
この呑気な返答は何なのだろう。姉のことが心配ではないのか?
「ちなみに、マリが逃げたあとは、僕がお父さんのターゲットになっているんだ。僕、マリに似ているからね。女の子に間違われるくらいだし」
「マリ! しっかりしろ!」
圭介は意識不明の茉莉を必死に揺すっていた。
ここは姉弟の実家の居間。つい先ほど、圭介が静雄と一緒に実家に到着すると、父親が茉莉の首を絞めているところだった。父親は圭介たちの姿を見ると手を放し、観念したかのように放心した。圭介は茉莉に駆け寄り保護すると、急いで救急車を呼んだ。
気づけば父親の姿はなく、静雄もいなかった。
「静雄君、どこだ!」
静雄の身も危ないかもしれない。あんな平凡で穏やかそうな男が、鬼畜の所業を繰り返していたのか。そこへ静雄が戻ってきた。
「お父さんは?」
静雄は首を横に振った。逃げたのだろうか。どうせ捕まるのは時間の問題だ。
「あっ、目を覚ました!」
静雄の声に見返すと、茉莉がぼんやりと目を開いていた。
「……何があったの?」
茉莉は何も覚えていないようだった。
「何かね……夢を見てたみたい。それもすごく悪い夢」
「何もかも終わったんだ。安心して」
遠くからサイレンが聞こえてきた。圭介は居ても立ってもいられず、外へと出ていった。静雄は姉に向かって話しかけた。
「お父さんのことなら解決したよ。僕が殺してあげたから」
茉莉は不思議そうに、静雄を見据えていた。
「心配いらないって。僕はまだ子供だから、人を殺しても刑務所には入れられない」
「ねえ……あんた、誰?」
茉莉は弟のことが分からないらしい。
「圭介の知り合い?」
静雄は思わずほほ笑んだ。
「そうか……マリを消しちゃったんだね。はじめまして、ジャスミン」
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