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銀幕の天使(岐阜市文芸祭短編部門佳作)

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【高3の夏休み、あの教室でボクはカノジョと出会い、一緒に映画を作った……】
 *
【岐阜市文芸祭短編部門佳作】



「須藤くん、ごめんね」
 今、ボクは二階堂礼子さんと二人きりで教室にいた。
 まるで清楚な優等生に告白するようなシチュエーションだが、実際は違う。いや、似ているかもしれない。ただ、ボクが手にしているのはラブレターではなく、映画用の撮影台本だった。
 開け放たれた窓の外からは、つんざくような蝉時雨。
「私、お芝居とかちょっと無理で。代わりに出演できる人、見つかるといいね」
 ボクはうつむくだけだった。汗が止まらないのは、明日から夏休みだという熱気のせいだけではない。
「それじゃあ、また二学期に」
「……うん」
「私も茶道部の稽古で来るけどね。須藤くんは夏休み中も学校で撮影するの?」
「どうだろう……できるのかな」
「完成、楽しみにしてるね。文化祭で上映されたら、必ず見に行くから」
 二階堂さんは通学鞄を手にして、黒髪のポニテを揺らしながら出ていってしまった。
「クソ!」
 取り残されたボクは、握りしめていた台本を床に叩きつけようとした。
「待った、待った、待った!」
 いきなり背後からの声に、ボクはびっくりして振り向いた。出ていったはずの二階堂さんがいた。
「明彦! 君、映画作らなきゃいけないんでしょ?」
「二階堂さん?」
「違~う! この映画のヒロイン、ミアちゃんであります!」
 彼女はボクにズカズカと近づくと、台本を横取りした。たしかに口調や雰囲気は二階堂さんとは別人だ。制服は着崩しているし、髪型と髪色も派手。
「主役がいなくて困ってるから、劇中キャラのミアちゃんが台本の中から出てきてあげたの」
 発想としては面白い。無理があるけど。
「では、どうしてアタシがヒロインの名前を知っているのでしょう?」
 誰にも話していないエピソードを、彼女は語り出した。
 かつて、スクリーンから登場人物が現実世界に飛び出してくるアメリカ映画があった。その作品のヒロインを演じた主演女優の名前がミアだったのだ。
「とにかく、映研は文化祭で上映しなきゃいけないんだから、アタシ主演で決定! 一人部員の君だけでも撮影できるような話を書いたんだしね」
 彼女は台本……といっても、手書きの原稿用紙に書いた代物だけれど、それを広げてボクに示した。表紙には『透明人間は現れない』と題名が記されている。
「透明人間の男が憧れの女子を覗き見する……うん、これなら出演者は一人だからね」
「違う! 透明人間がヒロインを助ける物語だ」
 彼女はボクの鞄の上に置いてあったカメラを手に取った。今どき珍しいフィルム撮影用の八ミリ。我が映研に昔からある備品だ。
「どうする? 撮りたいの? 撮りたくないの?」
 ボクは答えに窮した。
「さっきの礼子ちゃん、上映されたら見に来るって言ってたけど。完成できなかったら、恥のうわ塗りだねえ」
 差し出された八ミリカメラを、ボクは受け取った。
「仕方ない……やるか」
「それではさっそくクランクイン! よ~い、スタート!」
 筒状に丸めた台本ともう片方の手で、カチンコを叩く真似をしてきた。
 こうして、ボクと彼女……ミアとの二人きりの撮影が始まった。

   ×      ×      ×

 夏休みが後半に差しかかっても、映画の撮影は一向に終わらなかった。主演女優のわがままに散々、振り回されたからだ。
 撮影そっちのけで、近所の図書館へ涼みに行こうとか、総合体育館の屋内ベンチで昼寝するとか、緑道沿い小川のせせらぎに裸足で入ったりとか、さぼることに大忙しだった。
 そして今、そのミアと名乗る自称大物女優が教室に戻ってきた。手にしたペットボトルのスポーツドリンクと乳酸菌飲料を、目の前の机にどんと置く。
「どこ行ってたんだよ。校内を探し回ったじゃないか」
「せっかく買い出しに行ってあげたのに、感謝してよ」
 汗の粒で肌を光らせたミアは、下敷きを団扇代わりにパタパタあおぎながら、並べた机の上に寝そべり始めた。
 ボクはイライラしながら、スポーツドリンクを飲み始めた。
「あっ、間接キッス!」
 ボクは思わず吹き出しそうになり、慌ててミアに返した。
「いらない! こっちがあるから」
 ミアは乳酸菌飲料を手にした。
「ボクだっていらないよ!」
「もったいない。世の中の男子はみんな、欲しがるのに」
「もういいから、撮影するぞ! 明日からサッカー部の練習が再開するんだ。今日中に校庭のシーンを撮り終わらないと」
「撮影が進まないのは、明彦が何度もやり直しさせるからだよ。撮りこぼしがある。いきなりセリフを変更する。つじつまが合わなくなる。しっかりしてよ」
「こっちだって、一人で全部やっていて大変なんだ。あとさ、ちゃんと芝居しろよ。相手は透明人間なんだ。目に見えない演技をしてくれ」
「あのね、一人芝居って難しいんだよ。透明人間さん、手をつなぎましょ! ほら、しっかり握って! きゃっ、何するの!」
 ミアは笑いながらクルクルとその場で回る演技をしていたと思ったら、急に真顔になってやめた。
「あ~、バカらしい。こういう妄想だらけの自家発電っぽい描写、気持ち悪いね~」
「やりたくなきゃやるなよ! こっちだって好きでやってるわけじゃない」
「文化祭で上映しなきゃいけないから、適当に作るつもりだったのか。あ、違った。片想いの相手を口説く口実だったかな?」
 温厚で知られるボクが珍しく、いや、生まれて初めてブチ切れた。
「もうやめたやめた! こんなことやっても意味ないしな!」
「それだから何やってもダメなんだよ! きっとこの先の人生もダメダメ続きだね!」
「とっとと消えろ!」
「言われなくても消えますよーだ!」
 ミアは出ていき、ぴしゃりと教室の戸を閉めた。
 むしゃくしゃしたボクは勢いよく椅子に腰を下ろすと、スポーツドリンクを飲もうとしたが、口をつける寸前でやめた。そして未開封の乳酸菌飲料を飲み始めた。
 その時、急に戸が開いた。一瞬、ミアが戻ってきたのかと思ったのだが、入ってきたのは本物の二階堂さんだった。
 彼女は緊張するボクの存在にはまったく気づかず、窓辺に駆け寄って外を見渡し始めた。ボクは完全に声をかけるタイミングを見失った。
「先生!」
 眼下に向かって大きく手を振り始めた。
「すぐ行くから待ってて!」
 そのまま二階堂さんは教室から出ていってしまった。ボクなんて最初からいなかったかのように。
「あ~あ、まるで透明人間だね~」
 後方の戸の隙間から、ミアが顔だけ覗かせていた。
「覗きなんかしてんじゃねーよ」
「忘れ物を取りに来ただけ」
 入ってきたミアは机の上の乳酸菌飲料を飲み始めた。それ、ボクが口をつけたやつだけど、言うのはやめておいた。
 ミアは飲みながら窓際に来て、片手で望遠鏡の形を作って外を眺めた。
「あーっ! 礼子ちゃんが担任の先生とイチャイチャしてる!」
「まじか!」
 ボクも窓際に並び、両手で双眼鏡の形を作って眺めた。
「どこどこ?」
「ほら、体育館の裏」
 たしかにいた。だけど、二階堂さんは担任とアイスクリームを一緒に食べているだけだった。
「はい、ア~ンして……が教師と生徒の普通の関係に見える?」
「まさか……二階堂さんだけは、そういう人じゃないと思ったんだけど」
「人は見かけだけじゃ分からないよ。だから明彦は透明人間の話を書いたんじゃないの?」
「あれはボクだよ。目立たない、誰にも相手にされない、存在していないようなキャラ」
「でも、劇中のヒロイン……アタシは気づいた」
 どうしてボクなんかに?
「だって、明彦は作者じゃないの。この物語、この世界を作り出してくれた人間だよ。そして、アタシたち登場人物は、ただの駒。だけどね。その駒にだって、魂はあってさ」
 遠くを見つめてつぶやく彼女の横顔を、ボクは眺めていた。
「だから、作者がちょっとでも魅力的に描いてくれたら、アタシたちは嬉しいものなんだ」
「……あのさ、もうちょっとだけ付き合ってくれないかな」
「それって、アタシへの告白?」
「違うって! 映画だよ、映画! どうしても完成させたいんだ。自分が何かを作ったあかしを残したい」
「そして、アタシが存在したあかしも」
 どういうことだろう?
「……映画が完成したら、ミアはどうなるんだ?」
「安心して。アタシはずっといるから。映画がある限り。さあ、撮影再開だよ!」
 ミアが駆け出し、教室から出ていく。ボクは八ミリカメラを持ち、急いで後を追いかけた。

   ×      ×      ×

 明日から九月だ。相変わらずの暑さだが、青天は澄んでいてどこか涼しげだ。そんなのどかな屋上に、ミアの声が響いた。
「ねえ、どこ! どこにいるの!」
 塔屋の出入口から現れた彼女は、今まで見せたことのない深刻な表情をしていた。伸ばした両手で周りを探るが、空を切るばかりで不安が募る。
「はい、カット! オッケー!」
 八ミリカメラを向けていたボクの掛け声で、ミアは素に戻って笑顔になった。
「じゃあ、そのまま次のカットいくよ」
 ミアは立てかけてあった自在ほうきを手にし、まるで武器のように格好よく振り回して、ポーズを決めた。
「いや、普通にやってくれればいいから。本番、よーい、スタート!」
 再びボクはカメラを回した。フレームの中では、ミアが誰もいない空間に向かって叫んでいた。
「透明人間さん、いるんでしょ? 姿を現わさないなら……」
 自在ほうきを振り回し始めた。
「痛っ! 痛いからやめてくれ!」
 ボクは撮影しながら、セリフを被せた。そう、ボクは姿を現わさない透明人間の役も兼ねているのだ。
「ここね!」
 ミアはほうきでつつくと、見えない相手の位置を把握し、パッと抱きしめるしぐさをした。
「どこにも行かないでって、約束したでしょ!」
「ミア……ボクはずっと君を見守ってる。だから安心して」
 棒読みっぽいけど、噛まないようにどうにかセリフを言い切った。
「……はい、カット。じゃあ、最後はクルクル回るからな」
「キスシーンは?」
「そんなのはいらない」
「えー、映画には必要でしょ」
 ミアはなぜか不満そうだ。
「これがラストカットなんだから、余計なことするなよ。いくぞ、本番、よーい、スタート!」
 ボクはミアと向き合い、撮り始めた。見えない相手と両手をつないだかのような状態で、ミアがカメラの周りを回る。カメラも一緒に回る。クルクル、クルクル、クルクル……。
「はい、オッケー」
「そのまま撮り続けて」
「え?」
「いいから撮り続けて!」
 ボクは言われるままにカメラを回しっぱなしにした。
 彼女はじっと見返し、語りかけた。
「映画はいつまでも残る。そして、アタシも映画の中でいつまでも残る」
 ミアがカメラに向かって投げキッスをした。
「またね!」
 ボクはカメラを下ろした。ミアの姿はどこにもなかった。
 ミアを見たのは、その日が最後だった。

   ×      ×      ×

 あれから時が過ぎ、ボクはまたここに戻ってきた。
 三年間通った校舎を訪れるのは、卒業以来だった。事前に高校側へは連絡を入れていたので、事務室ではすんなりと対応してくれた。
「もう一人、同じようにいらっしゃっている方がいますよ」
 ボクは胸騒ぎがして、三階の教室へ向かってみた。こんなことが可能なのは、今が夏休み中だからである。
 窓辺に女性が立って、外を眺めていた。
「ミア……」
 思わずつぶやいた。あの日を最後に、口にすることのなかった名前。
 女性が振り向いた。知らない顔だった。中年の貫禄のある体型。
 頭髪がかなり薄くなったボクだって、人のことは言えない。
 二人ともお互いに戸惑っていた。先にボクが切り出して、名乗った。
「ここの卒業生です。今日、同窓会があるので、ちょっと寄ってみたんだけど……」
 ボクの名前を聞いても、反応は薄かった。彼女がバッグから取り出したのは、卒アルだった。ページをめくり、確認する。
「ああ、須藤明彦くん。ごめんなさいね、覚えていなくて。私も三組で二階堂礼子。今は鈴木礼子だけど」
 あの頃の清楚な優等生の面影は皆無だった。
「須藤くん、今は何やってるの?」
「テレビ番組の下請けのディレクター。再現ドラマを作ったり、タレントのグルメレポートでロケに行ったり」
「すごいね、芸能界」
「いやいや全然だよ。ブラックすぎて過労死寸前」
「私なんて普通の主婦。子育てして、お姑さんの介護して、パートもやって、PTAとか、ママ友とか……」
 そこから、元・二階堂さんのぼやき節がしばし続いた。ボクは思い切って話題を変えた。
「あのさ……あの当時、ボクと一緒に映画を撮影していた女子って知らない?」
「誰? ていうか、須藤くん、映画を作っていたの?」
 そうだった。文化祭で上映しても、二階堂さんは見に来なかった。ボクにとっては、もっと大事な人が来てくれるかどうか、そればかり気にしていたけれど。
「全然覚えていないなあ。そっか……須藤くんは青春していたんだね」
「そんなんじゃないけど、あの時に出演してくれた女子、その後、一度も見かけなくて」
 元・二階堂さんは興味なさげにスマホの画面に目を向けた。
「だったら、同窓会で聞いてみたら? 私、先に行くね。みんなと待ち合わせているから」
 彼女はあっけらかんと出ていってしまった。
 取り残されたボクは教室を見回した。両手の指で四角くフレームを作り、室内を撮影するかのように。
 そういえば、あの時に作った映画は今、どこにあるのだろうか? とっくの昔に映研は廃部になったそうだ。
「明彦、久しぶり!」
 制服姿のミアがいつのまにかいた。あの時のままで。
「どこ、行ってたんだよ」
「ずっと忘れてたでしょ? さびしかったなあ」
「君と一緒に撮影していた頃は本当に楽しかった」
 将来は映画の世界に行ってみたいと思うようになっていた。だけど、現実は厳しかった。作りたくてもそんなチャンスはない。生活するのでいっぱいいっぱい。気がついたら、すっかり違う人生を歩んでいた。
「ホント、すっかりいい歳だね」
「君はあの頃のまま変わらない」
「後悔はないの?」
「そうだなあ……もう一度できたら」
「できるよ! アタシは映画の中にいる。映画をもう一度作ろう!」
「よし! 撮るか!」
 再び指でフレームを作った。その枠の中に、ミアが笑顔でスタンバイする。
「本番……よーい、スタート!」

                (了)

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