鍵を胸に抱いたまま

亨珈

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身勝手でもいい

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「みのちゃーん、やっぱり嘘付いてたんじゃないの。俺のこと嫌いになったわけじゃないとか、他に好きな相手がいるわけじゃないとかさ。そいつ、違うの。
 それだったら一緒でしょ、俺のこと一方的に責められないよね。二股してたんならさ」
 入り口を塞ぐように立っている新汰はにやにやと汚らしく笑っている。
 実は、ようやく首を上げてぶんぶんと激しく振った。
「ちが、違うからっ。そんなわけないっ、違うんだ」
 涙を滲ませた目は、哲朗に向けられている。それに更に新汰は気分を害されたようだった。
「なにがさ。そいつにも足開いてるんでしょ。ねえ、おにーさん、俺が一から開発したからさ、いいとこ取りだよね。具合いいでしょ。いつまで経っても、これは自分の本意じゃないって言いたいようなさ、凄く複雑な顔で喘ぐんだよねえ。そん時が一番そそられんの、俺。味見ならさ、今までのは許すから、そろそろそれ返してよ」
「なっ……」
 絶句して新汰を睨み付ける哲朗の腕の中で、実はギュッと目を瞑り、その拍子に流れ落ちた涙はそのままに、「やめろよ」と叫んでいた。
 体を反転させ、全身から拒絶の意志をほとばしらせて、新汰を凝視する。
「卑猥な言葉で、わったんを傷つけるな! 新さんとは違う、おれたちはそんなんじゃないっ。新さんなんか、おれのこと好きでもなんでもなくて、ただ言うとおりに動く人形が欲しかっただけでっ」
「でもさあ、あれだけ痛めつけたのに、それでもそいつとは会ってたんでしょ。それが好きってことなの。印も気にしないで抱いてくれるわけ。それも愛なの」
 暗い笑みを浮かべた新汰は、心底不思議なのか、実から哲朗に視線を移した。
 痛めつける、という言葉に、哲朗の中で何かのピースがはまった気がしていた。
 温泉で、実が意識を失ったとき。酒も飲んでいたし、別段外傷もなかった。風邪というわけでもなく、食欲もないわけではなかったのに、それでも具合が悪いと困ったように笑っていたのを思い出す。
「あんた、まさか」
「ん、なに、ホントにまだ手え出してないの」
 次第に怒りを表していく哲朗を挑発するように、新汰は哄笑した。
 人通りが少なくて幸いだった。すっかり落ちてしまった夕日に加え、若者が通らない道であるだけに、居合わせて気まずい思いをする通行人も居なかった。
「聞かなくていいから、わったん」
 悲鳴のような実の制止を越えて、新汰の声が哲朗の胸に暗い炎を灯す。
「そうだよ、お察しの通り。去年以来、拒まれるようになったからさ、縛って無理矢理突っ込んだんだよ。だから当分誰とも出来ないだろって思ってた。あの露店におにーさんが来たのを見たときに、ピンと来たからな。
 効き目があったんならやった甲斐があったよ。しかもまだ手ぇつけてないんでしょ。だったらいいや、全部許すから、もう置いといてよ、それ」
 喉の奥で唸る哲朗を見上げ、実は今までとは別の気持ちでしっかりとしがみ付いた。
「だめ、わったん。無視して、ほうっといて。お願いだから」
 体格と、普段の鍛え方が違う。哲朗から手を出せば、いくら挑発したのが新汰とはいえ傷害事件にされてしまうかもしれない。
 すぐに感情を表に出す割に言葉では言わない哲朗と、何を考えているのか、その言動からは図れない新汰。どちらのこともそれなりに知っている実は、ここで哲朗に手を出させてしまったらおしまいだと感じていた。
 振り払われればどうにもならない。それでも、哲朗が自分を無碍には扱わないと信じていたから、背で哲朗を庇うように、大きく腕を広げて新汰に向き直り、しっかりとその目を見つめた。
「新さん、ごめんね。でもおれ、嘘なんてついてない。ずっと前から、新さんとのいびつな関係から抜け出したかった。だけどなかなか言えなくて、だらだら続けてたおれが悪いよね。でも、もう踏ん切りがついたんだ。
 ガラスは、楽しいよ。でも、それは新さんのレベルまで引き上げてもらわなくても、気が向いたときにちょっとした小物を作るだけでも十分楽しいって解ったんだ。
 だから、ごめん。手伝いだけなら続けても良かったけど、新さんはそんなの望んでないでしょ。全てにおいて自分についてきてくれる都合の良いのがいいんだよね。
 でも、もう嫌なんだ。だから、もう二度とおれの前に現れないで。おれのテリトリーに入ってこないでよ。
 誰か好きとか、そういうのが問題なんじゃなくて、おれがもう新さんといるのに疲れただけなんだから」
 ギラつくくらいに意志を漲らせていた新汰の瞳が、瞬きをする毎に色を失っていった。
 ゆっくりと噛みしめるように言った実の声はけして大きなものではなかったが、新汰も哲朗も黙ってそれを受け入れた。
 動かない新汰を緊張した面持ちで見つめたままの実の腕を、哲朗がそっと掴んで下ろさせた。労るように肩から下へと撫でながら、実の後方から同じように新汰を眺める。
 実の心は、もうとっくに新汰から離れている。
 それがちゃんと伝わっているから、頼むから新汰も、少しでも実のことを思うなら手を引いてくれと願いながら、動くのを待っていた。
「勝手だな」
 やがて口を開いたその声には、疲れたような響きがあった。
 街路灯に照らされた彫りの深い顔には濃い影が落ちていて、表情が判別しづらい。
「折角名前が売れてきて、これからってときに」
「ごめん。制作だけなら出来るけど、もう一緒にいられない」
「十年近くかけて手に入れたもの、全部手放せって言うのか」
「おれだけ選んでくれてたら、喜んで傍にいたよ」
 静かに言葉を落とす新汰に、実は丁寧に応じた。
 そこには、ここ最近感じていた狂気の色はなく、実が慕ってきた新汰が寂しそうに佇んでいる。
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