鍵を胸に抱いたまま

亨珈

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声だけの逢瀬

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 お茶の時間に、実習で関わりのあった女子たちが焼いてくれたチョコチップ入りのクッキーを摘みながら、思考は続く。
 家庭内のことまでかなり踏み込んで知らされていたのに、肝心なことだけは深く関わらせてくれなかった。
 自発的に実から好きと言ったこともない。体を繋げて、何度も何度も強請られて、言わされている感じに口にしたことならある。
 ずっと心の奥で暖めていた想いを、そんな風に「言わされる」ことに苦痛がないわけではなかったが、改めてそうして声に出すことによって気持ちを高めていたような気もする。
 言い換えるなら、それも思い込みに近かったのかもしれない。
 確かに、恋愛は一人では成り立たない。片想いから告白して、両想いに至る。それがどれほど奇跡的なことなのか、理解しているつもりだ。
 だから余計に疑念が尽きなかった。
 何故、新汰が実を愛していると言うのか。
 同じような考え方の女性を選んでいたならば、今のような夫婦関係にはならなかったのではないか。若かったから、今となってはそれも人生勉強と割り切って、それでも娘のことも妻のことも一生面倒をみるつもりで、離婚できずにいるのか。
 覚悟なら、哲朗にもあったはずだ。
 哲朗の場合は、あちらが離脱してしまった。それでも、哲朗の方は迎えに行ったのだ。
 十年前既に実に抱いていた気持ちは押し殺し、哲朗なりに大事にしてきたのだろう。結果として、それは実を結ばず、破綻してしまった。それでも、夫婦である間は一切実とも連絡を取らず、脇目もふらず夫として務めた。
 誠意の示し方として、どちらが正解かなどと、そんなことは実には判断出来ない。
 だが、つまみ食いのように、保険のようにもう一人を自分の居場所として確保したままに他の居場所を求める新汰のやり口が、ずっと嫌だった。
 それを解ろうという姿勢すら見せず、どうしてと問い返されても、こちらこそがどうしてと言葉に詰まり、それ以上は望めないのだと知らしめられたのだ。
 はっと気付くと湯呑みも冷めきっていて、手に持っていたクッキーを急いで頬張ってから、お茶と一緒に飲み干した。

 メールでの確認の後、電話で二十分ほど会話する。何となく夜の日課になりつつあった。但し、やはり毎晩とは行かず、それでも昔より頻度が増しているというのに心がざわつくのは何故なんだろうと思う。
 滅多に連絡が取れなかった頃、気付けば一ヶ月以上音沙汰なしの時もあった。そんなときは事故にでも遭っていないかと毎朝新聞の隅から隅までチェックしたものだ。今でもそれは変わらない。事務員の自分よりも格段に危険度の高い職業だから、新汰には感じたことのない不安ばかりが付きまとう。
 片想いでも苦しい。両想いになってもまた苦しい。
 いつも何処か満たされないままで、会って傍にいるほんのひとときしか充足感がない。
 それを補うかのように、仕事に没頭して誤魔化すのが大人で、それしかなくて。仕事ならば一つ一つに何かしらキリがあるから達成感が得られる。それで世の中の人たちは釣り合いを取っているのだろうか。
 会えない夜を潰すため、実は自宅の作業場で小物を作り始めた。
 今までに作ったものや工房に打ち捨てられていた切片を繋ぎ合わせたステンドグラス。
 本来ならばきちんと図案から仕上げていくものを、手すさびにと切り口の合う場所を何となくの形にしてハンダで繋げる簡単なもの。
 鏡を真ん中に入れて手鏡状にすることもあった。
 感覚だけで適当に作るのが思いの外良い。頭を空っぽにして、切片たちの声を聞くかのように耳を澄ませ神経を手元に集中させる。
 そうしていると、いつの間にか形になっている、という感じだった。
 自宅にはきちんとした設備がないから、こうして電気を使う切り貼りのようなことしか出来ないが、今はそれで十分だった。
 哲朗とはなかなか休日が合わず、少しでも会って話したい気持ちを互いに言い出せないままに声だけの逢瀬が一ヶ月続いたのだった。

 片想いから始まったら、想いが通じたら最初のゴール。普通のごく一般的なカップルならば、結婚が次なるゴール。
 では同性間ならどうなるのか。
 ゴールなど何処にもない。墓にも一緒には入れない。
 気持ち一つ、この体一つ。
 それだけでただ愛していく。純粋な愛の形。
 そこにガラスという要素が加わり、新汰との仲は特殊なものになった。
 上手く行っている間は良いが、そこから抜け出すには多大な勇気が必要で。あの後一週間ほど経ってから神楽に連絡を入れると、新汰の方は変わりなく創作を続けているという。実には近寄らないように念を押してくれたらしいが、新汰の動向の制御までは出来ないから、あとは当人同士で話し合えということだった。ただ、あんなことがあった後だから、立ち会いが必要なら声を掛けるようにとも言ってくれた。
 今のところ、実からは会う用件もないしそのつもりもない。
 なかなか会えない哲朗を想うとき、ふとその隙間に新汰が浮かぶこともある。けれど、もうそうやって比較して寂しさだけで流されるべきではないと解っているから、ただ二人の違いに苦笑するだけで、どちらがいいなどと夢想することもなくなった。
 詮無いことだ。


 卒業式も無事に終わり、ほっと一息ついた頃、もらいものだという桜の枝を抱えて実の弟が家に寄って行った。
 同じ県内で社員寮に入っている弟の繁は、家族の中で一人だけ飛び抜けて背が高い。顔の造りは父親とよく似ているから誰も親子関係を疑ったことなどないけれど、どうして一人だけと実は恨めしく思ったものだ。
 純和風の吉岡家では、注意していないとすぐに鴨居でおでこをぶつけるし階段も勾配が急で幅が狭いから暮らしにくそうだ。だからさっさと家を出たのかもしれない。
 金曜の夜の訪問ということで、実たち三人は居間でテレビを囲んでくつろいでいるところだった。
 そろそろ作業場に行こうかと思ったときにやってきて、蕾の堅いその束を長テーブルに置き、辺の長い父親のところには行かずに実の隣に腰を下ろした。はっきり言って狭い。
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