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通じない言葉
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ずっと心の片隅に引っ掛かったままの想いが、走馬灯のように駆け抜けていった。自分でも驚いて呆けている間に、新汰はメールの返信を終えて実を再び覗き見た。
「みのちゃん? 酔ってる? 眠いか?」
丸っこい目で見詰められて、ああこの目に惹きつけられたんだな、とぱちりと瞬きをして見上げた。
体格に似合わない、どんぐり眼。いつまでも少年のように夢を追い続け、常に新しいことをしていこうと、貪欲に求め続ける精神。
その手を取り、共に歩んで行きたいと思ったのだ。
今だって思っている。
「新さん、おれさ」
その向こうまで突き抜けようとする探究心の強さに憧れた。
「夜が明けたら、帰るな」
名前の通りの人だと思った。全然足りない自分の事を、ぐいぐいと引っ張って行ってくれる。それだけで、満足していた筈なのに。
こうなるのは解っていたのに。
どうしてあの時……もっと突っぱねられなかったんだろう。
涙を滲ませる眼鏡の奥の目に気付き、新汰は眉を顰めた。
「どうして。いつも竹の椀で祝い酒飲むの楽しみにしてるじゃない」
新しい年の門出に、裏の竹林から切り出した竹を盃代わりに酒を酌み交わすのが、真山家の約束事だった。
いつの頃からか続いている家族の行事。
夫の実家を省みることのない嫁に愛想を尽かし、新汰の家族は皆、実のことを本当の息子のように迎えてくれている。
それが後ろめたくないわけじゃないけれど。それでも。
「ずっと、言い出せなかった。こんな関係、もう続けられないよ……」
湧き出したものが溢れ、実は眼鏡を外してコートの袖で頬を拭った。
裸眼ではこの近距離ですら表情が判別できない。でも今はそれでいいと思った。
「突然何言ってんの」
半分笑っているような口調で言われて、これでも真剣に取り合ってくれないのかとむっとする。
「俺のこと、嫌いになった?」
問われて、嘘でも頷ければ良かったのに。
黙って俯く実の足元にしゃがみ、新汰は下からまた覗き込もうとした。
「じゃあいいじゃん。男同士なんだから、どっちみち戸籍上は他人のままだ。あれのことなら気にするなって、いつも言ってるだろう」
この人は、ことこのことに掛けては何処まで鈍感で残酷なんだろうと思う。
「そりゃあ結婚前にお前と出会ってたなら、ずっと独身で今頃きっと一緒に住んでいたんだろうと思うよ。だけどさ、もう子供も居たんだし、それ承知で交際し始めたんでしょ。だったら、嫌いになる以外に離れる理由なんてない」
「ちが……っ」
それは絶対に違う。そう思うのに、説き伏せられるような言葉が見つからない。
もっと実が我侭を言える性格だったなら良かった。感情に任せて、もうとうにセックスレスで家事も殆どしないような妻とは離婚して、一緒に暮らそう。そう言えたなら、どんなに良いかと思う。
けれど、いくら大学生になっているとはいえ、娘にとっては両親が揃っている方が絶対に良いのだ。夫婦関係が破綻しているとしても、それは家を出ている娘には解らない事だ。いや、気付いていたとしても、娘にとっては新汰は確かに父親なのだから。
あー、と唸って、新汰はぽんと手を打った。
「もしかしてあれか。事故の時のか」
変わらず黙ったままの実の前で、新汰はうんうんと頷いた。
「ああまあな、しょうがないよな。確かに、家族じゃないから連絡も行かなくて、家にも見舞いにはこれないから心配掛けたよな」
もう去年になってしまったが、晩秋に新汰はバイクで転倒事故を起こした。
幸い、対人ではなかったし酷い怪我は負わなかったものの、それでも「事故った」と一言だけ電話を貰ってその後一週間も無しのつぶてとなれば、実は生きた心地がしなかった。
ろくに看病も食事の世話もしない妻子には連絡があり、自分にはない。今回は捻挫と打撲だけで済んだけれど、これがもしも命に関わることだったとしても、きっと自分はなにも知らされない。
最悪の時に、実家の誰かが連絡をくれるだろうが、それ以前の際どいところまで、きっと妻は夫の実家になど連絡を取らないだろう。そうなれば、何があったとしても自分はなにも出来ないまま、ただ気を揉むだけで過ごさねばならないのだ。
そう、思い知った。
えぐえぐと涙を零して声を殺す実をじっと見たまま、少しは新汰も考えている素振りではあったのだが。
「じゃあさ、どうしたいの。コンビ解消とか? 今更無理でしょ」
吐息と共に出てきた言葉も想定内で。
実は、袖口の色が変わっている手で、ぎゅっと胸元を握り締めた。
「ガラスは、続ける」
「でしょ。じゃあこのままでいいじゃん」
「やだ。恋人、やめる」
「……ふうん」
本当に解ったのだろうか。
暫く黙ってしゃがんでいた新汰は、「取り敢えず参ろうか」と腰を伸ばした。
「みのちゃん? 酔ってる? 眠いか?」
丸っこい目で見詰められて、ああこの目に惹きつけられたんだな、とぱちりと瞬きをして見上げた。
体格に似合わない、どんぐり眼。いつまでも少年のように夢を追い続け、常に新しいことをしていこうと、貪欲に求め続ける精神。
その手を取り、共に歩んで行きたいと思ったのだ。
今だって思っている。
「新さん、おれさ」
その向こうまで突き抜けようとする探究心の強さに憧れた。
「夜が明けたら、帰るな」
名前の通りの人だと思った。全然足りない自分の事を、ぐいぐいと引っ張って行ってくれる。それだけで、満足していた筈なのに。
こうなるのは解っていたのに。
どうしてあの時……もっと突っぱねられなかったんだろう。
涙を滲ませる眼鏡の奥の目に気付き、新汰は眉を顰めた。
「どうして。いつも竹の椀で祝い酒飲むの楽しみにしてるじゃない」
新しい年の門出に、裏の竹林から切り出した竹を盃代わりに酒を酌み交わすのが、真山家の約束事だった。
いつの頃からか続いている家族の行事。
夫の実家を省みることのない嫁に愛想を尽かし、新汰の家族は皆、実のことを本当の息子のように迎えてくれている。
それが後ろめたくないわけじゃないけれど。それでも。
「ずっと、言い出せなかった。こんな関係、もう続けられないよ……」
湧き出したものが溢れ、実は眼鏡を外してコートの袖で頬を拭った。
裸眼ではこの近距離ですら表情が判別できない。でも今はそれでいいと思った。
「突然何言ってんの」
半分笑っているような口調で言われて、これでも真剣に取り合ってくれないのかとむっとする。
「俺のこと、嫌いになった?」
問われて、嘘でも頷ければ良かったのに。
黙って俯く実の足元にしゃがみ、新汰は下からまた覗き込もうとした。
「じゃあいいじゃん。男同士なんだから、どっちみち戸籍上は他人のままだ。あれのことなら気にするなって、いつも言ってるだろう」
この人は、ことこのことに掛けては何処まで鈍感で残酷なんだろうと思う。
「そりゃあ結婚前にお前と出会ってたなら、ずっと独身で今頃きっと一緒に住んでいたんだろうと思うよ。だけどさ、もう子供も居たんだし、それ承知で交際し始めたんでしょ。だったら、嫌いになる以外に離れる理由なんてない」
「ちが……っ」
それは絶対に違う。そう思うのに、説き伏せられるような言葉が見つからない。
もっと実が我侭を言える性格だったなら良かった。感情に任せて、もうとうにセックスレスで家事も殆どしないような妻とは離婚して、一緒に暮らそう。そう言えたなら、どんなに良いかと思う。
けれど、いくら大学生になっているとはいえ、娘にとっては両親が揃っている方が絶対に良いのだ。夫婦関係が破綻しているとしても、それは家を出ている娘には解らない事だ。いや、気付いていたとしても、娘にとっては新汰は確かに父親なのだから。
あー、と唸って、新汰はぽんと手を打った。
「もしかしてあれか。事故の時のか」
変わらず黙ったままの実の前で、新汰はうんうんと頷いた。
「ああまあな、しょうがないよな。確かに、家族じゃないから連絡も行かなくて、家にも見舞いにはこれないから心配掛けたよな」
もう去年になってしまったが、晩秋に新汰はバイクで転倒事故を起こした。
幸い、対人ではなかったし酷い怪我は負わなかったものの、それでも「事故った」と一言だけ電話を貰ってその後一週間も無しのつぶてとなれば、実は生きた心地がしなかった。
ろくに看病も食事の世話もしない妻子には連絡があり、自分にはない。今回は捻挫と打撲だけで済んだけれど、これがもしも命に関わることだったとしても、きっと自分はなにも知らされない。
最悪の時に、実家の誰かが連絡をくれるだろうが、それ以前の際どいところまで、きっと妻は夫の実家になど連絡を取らないだろう。そうなれば、何があったとしても自分はなにも出来ないまま、ただ気を揉むだけで過ごさねばならないのだ。
そう、思い知った。
えぐえぐと涙を零して声を殺す実をじっと見たまま、少しは新汰も考えている素振りではあったのだが。
「じゃあさ、どうしたいの。コンビ解消とか? 今更無理でしょ」
吐息と共に出てきた言葉も想定内で。
実は、袖口の色が変わっている手で、ぎゅっと胸元を握り締めた。
「ガラスは、続ける」
「でしょ。じゃあこのままでいいじゃん」
「やだ。恋人、やめる」
「……ふうん」
本当に解ったのだろうか。
暫く黙ってしゃがんでいた新汰は、「取り敢えず参ろうか」と腰を伸ばした。
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