魔王と聖女と世界

亨珈

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会いたい 会えない

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 『いつもの場所で、いつもの時間に』
 『りょーかい』
 彼からのメールは簡潔至極。私の返信も簡単なもの。
 それでも、不安ではなかった。まだ、あの頃は。
 いつも通り一足先に到着した私は、ほんの二十メートルほどの石橋のたもとで周囲を窺う。すっかり日が落ちて水面は黒く、両岸にずらりと並んだ店や宿の明かりが映りこんでいる。
 いちど中ほどまで渡り、引き返して川沿いに少し下る。
「やっぱりいないか~」
 昼間に仲良く泳いでいる白鳥のつがいが見つからない。もうねぐらに帰ってしまったんだろう。
 諦めてぼんやりと川面を眺めていると、背後から静かにフルートの音色が流れてきた。それを殺さないようにと、控えめなピアノが追従する。大正モダンと呼べば良いのか、白い壁に黒い屋根のその建物は、一階のホールで度々音楽関係の催しがある。たいていの待ち合わせがここだから、知るともなく知ってしまった。
 もう一度見回して待ち人来たらずと確認してから、その建物に近付いていく。
 窓がたくさんとってあるので、立ったまま中を窺うことができる。
 ベンチ椅子はほぼ埋まっており、シンプルな白いドレスの伴奏者の前で、赤いドレスの女性が金のフルートを奏でていた。
 シャンデリアの明かりがフルートに反射して、私を射す。
 薄いガラスの向こうは、まるで別世界のようだ。この窓を開ければ、あるいはぐるりと回って濃茶の木のドアを開ければ、繋がっているはずなのに。
 窓枠はテレビ画面のようで、現実感が薄れる。
 こちらとあちらでは、空気すら違うような。
 彼がいたら、入ったかもしれない。
 入ってしまったら、彼に気付けなくなる。
 踵を返し、遠のく音楽を背中で聞きながら、橋の中央へと戻った。

 結局、その日彼は来なかった。
 三十分ほど待った頃に携帯端末が鳴り、音声着信を知らされた。
『ごめん、まだ終わらない。寒いだろ? ごめんな』
「ううん、それは大丈夫だよ。もう少しで終わりそう? 待ってるよ」
『少しといえば少しなんだけど、後輩が自分で仕上げるの待ってるから、先が読めない。悪い! また今度埋め合わせするから、今日はキャンセルにして。ホントごめんな』
「わかった……」
 電波の先の彼の声は本当に申し訳なさそうで、終わるまで待つといってもその方が負担になるだろうと思うと、会いたいとは言えなかった。
 もう、一か月会ってない。
 しかも、明日から出張が入っているからと金曜の夜に予定を入れていたのに、これでまた次の週末まで会えない。
 私は携帯端末をショルダーバッグの内ポケットにしまうと、駅へと足を向けた。
 音楽が遠ざかっていく。
 ひとりでも入ろうとは、思えなかった。


 怒涛の年度末を乗り越えて、春先に白鳥の雛が生まれた。
 午前様が当たり前の時期は、疲れ果ててメールでの連絡しかできなかった。声を聴きたくても、深夜の電話は気が引ける。彼はそこまで繁忙ではなかったようだけれど、相変わらず後輩のサポートで四苦八苦しているらしい。
 そんな中、新芽の出た柳の下でしゃがみ、ふたりで雛を眺めていた。
「なんていうか、ホント醜いアヒルの子って感じだよなぁ」
 ふわふわの産毛でおっかなびっくり親鳥について回るグレーのかたまりを見て、彼はしみじみと呟いた。
「でも可愛い」
「うん、それは同意」
 膝に頬杖をついている私の腰に、彼の腕が回る。
「去年もその前も、卵孵らなかったんだよな、確か」
「うん」
 いくつかは外敵にやられてしまったけれど、最後に残った一個もいつの間にかなくなっていたらしい。なにがダメだったのか判らないけれど、生まれなかった命について思うと、心臓がぎゅっと縮こまる気がする。
「命ってすげえ」
「このまま、すくすく育つといいね」
「だな」
 彼との会話はいつもこんな風にのんびりとしている。
 けれど、その会話から先へと発展しないように、私は「お腹空いた! ふうまん大判焼き食べに行こ」と彼の顎に頭突きをした。 

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