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揺れて、定まらないままに
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何度か週末に健吾が帰ってこない日が続き、やはりあれが最後で最高の交わりだったのだとすとんと胸が落ち着いた。
まだ体を繋ぐ前なら、誰それが可愛い、いやあっちの方が胸の形が好みだと、恋愛の話も出来たのに、今は全く出来なくなり。
ある日、チャイムが鳴って出てみれば、水上がケーキの箱を持って立っていた。
はいこれお土産、三人で食べようよ。そう言われて、健吾がまだ帰っていないと言えば少し残念そうにしつつも、ショートケーキを一つ冷蔵庫に仕舞って、二人でダイニングテーブルに向かい合って座って食べた。
「これ手土産にしてはちょっと大袈裟じゃない?」
デパートの中にある洋菓子専門店のそれは、一番安くても一つが四百円ほどする。確かに美味しいけれど、男の部屋への手土産としてはどうなのだろうと不思議がっていると、「実は今日誕生日なの」とあっさり暴露された。
「だからたまにはいいヤツ食べたくて」
にっこり笑ってさらりと言われても、孝也は「ええっ」と驚愕して思わずフォークを取り落としそうになってしまった。
「ちょっ、俺プレゼントとか用意してないし! いやそれよりこんな日にここに居たら駄目だよ」
脳内を健吾を始めとした様々な顔が過ぎり、更に慌ててどうしようどうしようと視線が定まらない。
出会った頃ボブカットだった水上は、今はショートヘアにしている襟足を撫でながら「だからいいんだよ」と呟いた。
「誰か一人に祝ってもらうわけにはいかなかったの。一番会いたい人には会えないから」
半分伏せた睫毛が震えて、一瞬だけ噛み締めた唇を解いて水上は黙々とケーキを食べ終えた。
その言葉で、少なくとも健吾と孝也は圏外なんだと察した。やっぱりな、と思いながらも、「健吾はいいやつだよ」とつい零していた。
マグカップで紅茶を啜っていた水上が、目をパチクリさせる。切れ長の上がり目が孝也をじっと見詰めて、しまったと赤面しながら、「いいやつなんだ、あいつ」と続けた。
真顔で孝也を見詰めていた水上は、カップをことりと置いて微笑んだ。
「解ってるよ。少なくとも、山ちゃんよりうっちーの方が正直だし、信用できる。だけど……」
瞬きをして、水上は首を傾げた。
吉木はそれでいいの?
そう問われているかのようで、孝也は狼狽した。
視線を逸らして両手でマグカップを包み込むようにするのを見ながら、水上はうっちーと言えば、と続ける。
「浅尾さんってね、確かに子供の頃は遊んでいたけど、中学くらいからそりが合わなくてそんなに話もしてないんだよね。高校も別だったし、本当に久し振りにあったのに友人面するからびっくりしちゃった」
ここだけの話ね、と内緒話をするように、唇の前に人差し指を立てて水上はウインクする。
「それにあの三村さん……本当に初対面だったの、あのテニスの日。だけど、あの人……」
顎に拳を当ててうーんと唸り、やっぱりやめとく、と水上は苦笑した。
「女の私の意見なんて、男の人に関係ないもんね。悪口になっちゃうからやめとく」
「え、でも、水上さん」
「うっちーは仲良くしてるんでしょ? だったら私よりあの人と波長が合うんだよ。それだったら私が何か言ってもやっかみにしか聞こえない」
手を振ってから紅茶を飲み干した水上を目で追いながら、孝也は胸がざわつくのを感じた。
それから水上が帰って行き、まるで入れ替わりのように、けれど擦れ違うこともなく健吾が部屋に戻ってきたのだった。
「誰か来てたの」
カップが二つあるのを見遣り、興味無さそうに言葉だけ置いてけぼりに部屋に行こうとする健吾の背に「うん、さっきまで居たのに水上さん」と告げた。
途端に振り返った健吾の顔つきが険しい。
「なんで」
「え、と、三人でケーキ食べようって、あ、健吾の分冷蔵庫の中だよ。食べたかったんだって、ほら駅前のなんとかって有名な」
言いながら健吾の分を取り出すと、そのケーキと孝也の顔を交互に見ていた健吾は大きく息を吐いた。
「くっそ、行き違いかよ」
和室と和室の間の壁をドンと叩き、それから手を洗って椅子に腰掛けた。
カップを洗って新しく健吾の分を淹れながら、黙ってケーキに手を伸ばすのを恐る恐る窺った。
いつにも増してむすっとしている。
薮蛇にならないように部屋に引っ込もう。そう思ったのに、手首を掴んで引き止められた。
睨むように真剣に見詰められて、息が詰まりそうになる。
「あのさ、何か隠してない?」
「あるよ、いっぱい。このところちゃんと話もしてないしね。隠してるというより、言ってない。健吾はないの?」
精一杯の強気を見せて断言すると、健吾の目が泳いだ。まさかまともに受け止められるとは思っていなかったのだろう。
「言いたくないこと、あるんだろ。だったら俺にも聞くなよ」
何が知りたいの。健吾から訊くなら、興味を示してくれるなら、素直に打ち明けるのに。
そう心の中で呟いても、顔には出さないように、涙を堪えたら逆に怒っているような顔になってしまった。
いつも健吾には機嫌の良い顔だけを見せようと心掛けて来た。だからいつもと逆に見下ろされる形の健吾は怯んで手を離した。
「だよな」と返して目を逸らした健吾をそのままに、孝也は自分の椅子に置いておいた茶封筒を手にして自分の部屋に入り襖を閉めたのだった。
その後少しして、健吾の部屋の電話が鳴った。普段はそう使われることもないが、実家が県外のため二人ともそれぞれの部屋に固定電話を引いている。世の中には携帯電話というものも出回っているが、本体の料金も月々の維持費も、二人には雲の上のような金額だった。
別に聞きたいわけではないが、機嫌良さそうに相槌を打っている健吾の声に心が揺れた。
テレビの音が消えて「ケーキご馳走様」とはっきり聞こえた。
じゃあ、相手は水上なんだろう。
去り際に言いかけた三村のことが気になりつつも、なんとなく安心して、それからはテキストに集中することが出来た。
まだ体を繋ぐ前なら、誰それが可愛い、いやあっちの方が胸の形が好みだと、恋愛の話も出来たのに、今は全く出来なくなり。
ある日、チャイムが鳴って出てみれば、水上がケーキの箱を持って立っていた。
はいこれお土産、三人で食べようよ。そう言われて、健吾がまだ帰っていないと言えば少し残念そうにしつつも、ショートケーキを一つ冷蔵庫に仕舞って、二人でダイニングテーブルに向かい合って座って食べた。
「これ手土産にしてはちょっと大袈裟じゃない?」
デパートの中にある洋菓子専門店のそれは、一番安くても一つが四百円ほどする。確かに美味しいけれど、男の部屋への手土産としてはどうなのだろうと不思議がっていると、「実は今日誕生日なの」とあっさり暴露された。
「だからたまにはいいヤツ食べたくて」
にっこり笑ってさらりと言われても、孝也は「ええっ」と驚愕して思わずフォークを取り落としそうになってしまった。
「ちょっ、俺プレゼントとか用意してないし! いやそれよりこんな日にここに居たら駄目だよ」
脳内を健吾を始めとした様々な顔が過ぎり、更に慌ててどうしようどうしようと視線が定まらない。
出会った頃ボブカットだった水上は、今はショートヘアにしている襟足を撫でながら「だからいいんだよ」と呟いた。
「誰か一人に祝ってもらうわけにはいかなかったの。一番会いたい人には会えないから」
半分伏せた睫毛が震えて、一瞬だけ噛み締めた唇を解いて水上は黙々とケーキを食べ終えた。
その言葉で、少なくとも健吾と孝也は圏外なんだと察した。やっぱりな、と思いながらも、「健吾はいいやつだよ」とつい零していた。
マグカップで紅茶を啜っていた水上が、目をパチクリさせる。切れ長の上がり目が孝也をじっと見詰めて、しまったと赤面しながら、「いいやつなんだ、あいつ」と続けた。
真顔で孝也を見詰めていた水上は、カップをことりと置いて微笑んだ。
「解ってるよ。少なくとも、山ちゃんよりうっちーの方が正直だし、信用できる。だけど……」
瞬きをして、水上は首を傾げた。
吉木はそれでいいの?
そう問われているかのようで、孝也は狼狽した。
視線を逸らして両手でマグカップを包み込むようにするのを見ながら、水上はうっちーと言えば、と続ける。
「浅尾さんってね、確かに子供の頃は遊んでいたけど、中学くらいからそりが合わなくてそんなに話もしてないんだよね。高校も別だったし、本当に久し振りにあったのに友人面するからびっくりしちゃった」
ここだけの話ね、と内緒話をするように、唇の前に人差し指を立てて水上はウインクする。
「それにあの三村さん……本当に初対面だったの、あのテニスの日。だけど、あの人……」
顎に拳を当ててうーんと唸り、やっぱりやめとく、と水上は苦笑した。
「女の私の意見なんて、男の人に関係ないもんね。悪口になっちゃうからやめとく」
「え、でも、水上さん」
「うっちーは仲良くしてるんでしょ? だったら私よりあの人と波長が合うんだよ。それだったら私が何か言ってもやっかみにしか聞こえない」
手を振ってから紅茶を飲み干した水上を目で追いながら、孝也は胸がざわつくのを感じた。
それから水上が帰って行き、まるで入れ替わりのように、けれど擦れ違うこともなく健吾が部屋に戻ってきたのだった。
「誰か来てたの」
カップが二つあるのを見遣り、興味無さそうに言葉だけ置いてけぼりに部屋に行こうとする健吾の背に「うん、さっきまで居たのに水上さん」と告げた。
途端に振り返った健吾の顔つきが険しい。
「なんで」
「え、と、三人でケーキ食べようって、あ、健吾の分冷蔵庫の中だよ。食べたかったんだって、ほら駅前のなんとかって有名な」
言いながら健吾の分を取り出すと、そのケーキと孝也の顔を交互に見ていた健吾は大きく息を吐いた。
「くっそ、行き違いかよ」
和室と和室の間の壁をドンと叩き、それから手を洗って椅子に腰掛けた。
カップを洗って新しく健吾の分を淹れながら、黙ってケーキに手を伸ばすのを恐る恐る窺った。
いつにも増してむすっとしている。
薮蛇にならないように部屋に引っ込もう。そう思ったのに、手首を掴んで引き止められた。
睨むように真剣に見詰められて、息が詰まりそうになる。
「あのさ、何か隠してない?」
「あるよ、いっぱい。このところちゃんと話もしてないしね。隠してるというより、言ってない。健吾はないの?」
精一杯の強気を見せて断言すると、健吾の目が泳いだ。まさかまともに受け止められるとは思っていなかったのだろう。
「言いたくないこと、あるんだろ。だったら俺にも聞くなよ」
何が知りたいの。健吾から訊くなら、興味を示してくれるなら、素直に打ち明けるのに。
そう心の中で呟いても、顔には出さないように、涙を堪えたら逆に怒っているような顔になってしまった。
いつも健吾には機嫌の良い顔だけを見せようと心掛けて来た。だからいつもと逆に見下ろされる形の健吾は怯んで手を離した。
「だよな」と返して目を逸らした健吾をそのままに、孝也は自分の椅子に置いておいた茶封筒を手にして自分の部屋に入り襖を閉めたのだった。
その後少しして、健吾の部屋の電話が鳴った。普段はそう使われることもないが、実家が県外のため二人ともそれぞれの部屋に固定電話を引いている。世の中には携帯電話というものも出回っているが、本体の料金も月々の維持費も、二人には雲の上のような金額だった。
別に聞きたいわけではないが、機嫌良さそうに相槌を打っている健吾の声に心が揺れた。
テレビの音が消えて「ケーキご馳走様」とはっきり聞こえた。
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