曖昧サディスティック

亨珈

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予期せぬ再会で

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 私鉄の駅から屋根続きのデパートへと逃げ込んだは良いものの、土砂降りに変わってしまった雨足は弱まる気配もなく。孝也はしばらくは風除室近辺で外を眺めていたが、どうせ帰っても暇だからとレコードショップのある階に上がって行った。

 一通り興味のあるところを眺めて、ついでに書店に行ってなんとなく国家三種のテキストを手にとってパラパラと捲ってみた。
 高校卒業程度の学力といわれても、はっきりいって孝也の通っていた学校でこんなの習ったっけというレベルの問題が並んでいる。

 配達から窓口に職種変更するとなればこの資格を取らねばならない。新卒なら卒業後二年以内と決まっているが、内部受験ならばたしかそれより緩かった筈と記憶の糸を手繰りながらも、当たっても砕けて終わりだろうと嘆息してしまう。

「よしき」

 柔らかく呼ばれて、その近さに驚いて振り向くと、肩越しに片山が微笑んでいた。

 呼吸すら忘れて瞬きする。幻かと思った。
 昨晩思い出して、楽しかった頃の回想をしてしまったから、懐かしさと寂しさが作り出した幻聴と幻影かと目を擦りながら呼吸を整える。

「どうかした?」

 伸びかけの前髪が揺れて、更に一歩寄った片山が孝也の目を覗き込んだ。

「や、あの、ひ、久し振りかたさん」

 どもりながらテキストを閉じるのを見て、片山は隣に並んだ。健吾より低いけれど、孝也より少し高い。見上げなくても会話出来る、なんとなく安心する身長差に、力んでいた肩が下りた。

「職場は一緒なのに、あんまり会えないもんな。俺の配達区変わったからか」

 元々会合以外に官舎で会うことはなかったから、そうかもねと孝也は曖昧に頷き苦笑する。会わない、という事実ではなく、会えない、という言い方が、今はなんだか気に掛かった。

 だからなのか、棚に戻すその手の動きを追っていた片山が、「俺も受けるんだ」と言ったとき、必要以上に目を見開いて、まじまじと片山を見詰めてしまった。

「職種変更したいの?」
「だって給料少ないから大変だろ。頑張って節約して官舎出たけどさ、基本的な家賃が高いからさ、アパートって」

 ふうんと鼻を鳴らしてもう一度テキストに指を掛ける孝也を、片山は不思議そうに眺めている。

「吉木もそうなんじゃないのか」
「ううん、雨宿りのついでになんとなく。ちょっとはそんな風に考えたけどさ、中見てびっくりだよ。全然わかんねえ」

 自嘲する孝也の横から、片山の手が伸びる。
 これ、と差し出されたテキストを思わず受け取って目を白黒させていると、ふんわりと片山は笑った。

「こっちんが解り易い。受けるだけでも受けないか? んで、良かったら一緒に勉強しよう。適性検査とか、競争相手が居た方がタイム縮まるかも」

 なんとなく「いいなあ」と思っていてでも腰が引けていたことも、片山の口から出た途端に現実味を帯びてくるから不思議だ。

 人口密集地でないと、職員の人数は多くなくて良い。けれど過疎の山間地に行きたがる人もいないから、孝也の実家周辺には年配の局員ばかりしか居ないのだ。全員が顔馴染みのご近所さん。それならば、山浦たちのような巧みな話術がなくてもなんとかやっていけそうな気もする。配達と営業と生存確認が仕事。

 いいかもしれない。

 窓口業務はサービス業で、各種取り扱いだけでも多忙を極めるためノルマまで上乗せされて気力体力が必要だ。だから気後れしていたけれど、別にここいら辺のような街中じゃなくてもいい。今は転勤のない環境だが、職種変更の際に最初の勤務地域の希望も出せるから、田舎にすればいい。

 戸惑い揺れていた視線が片山の顔に戻ると、待っていたように頷かれる。一人きりならば、もっと迷ったかもしれない。けれど、自分だけじゃないなら、やれるかもしれないと、本気で勉強してみようかという気になった。
 試験は秋だから、今からだと詰め込みになる。だけど、気詰まりなだけの遊びや会合に参加するより余程有意義な気がした。



 翌日、直属の上司に相談すると「今からか」と呆れられた。もう願書の締め切りまで一ヶ月しかない。取り敢えずそれは提出して頑張りますとしか言えなかった。



 金曜の夜、何もなかったかのように求められて、もしかしたら前回が最後かと覚悟していたから、戸惑いながらも孝也は受け入れた。
 テニスの日から、まともに健吾と顔も合わせていない。襖を閉めて試験勉強をしている時間に帰宅して、声だけで挨拶を交わすだけの、一年前に戻ったかのような日々だった。

 もう、触れられることもないだろうと思っていたのに……。
 翌日に水上と約束があるのを知っている。
 先週の三村の件を、水上はどう感じているのだろう。
 キャンセルになったとは聞いていないから、別に三村がどうだろうと健吾のことは遊び仲間として付き合っていくつもりなのかもしれない。
 けれど、健吾のためには、出来れば三村より水上と上手くいって欲しいと思っていた。

 体中を舌と指で愛撫され、隅々まで暴かれて孝也の体で健吾の知らない場所なんてない。
 だけど、今だけだ。もう今夜で終わりかもしれない。
 引っ切り無しに唇から漏れる声も、自然と揺れてしまう腰も、意識を失うほどに与えられる快感も、もう自分から失くなる筈だ。健吾以外に男を好きになるなんて有り得ない。体を任せるなんて出来ない。
 だからきっともう最後。

「ぁあ、もっと、けん、ご……」

 自分から舌を絡める孝也に溺れるように、健吾は激しく貪った。何度も何度も穿ち、印を残し、どちらの熱か判らないほどに溶け合った。


 今までで最高のセックスだったと思う。引きこまれるような重い眠りではなく、体が浮遊するような酩酊感で、意識が真っ白になった。
 起き出すと腿を白いものが伝い、途中から中に出されたのだとようやく気付いた。

 それもいいかと思う。健吾に、体だけでも、例え一時の慰みでも愛された証だと思うと洗うのすら躊躇われて、それでもそのままだと腹痛になるということくらいは知識として持っていたから、シャワーを浴びながら中も洗浄した。こういうとき温水便座のトイレなら良いのになと思ったが、もうこんな機会もなくなるかと自嘲した。

 行ったり来たりと、定まらない想い。
 どうなりたいのかと鮮明なビジョンもなく、ただずっと傍に居られたら良かったのにと思っていた。
 いつまでもこのままではいられない。大好きだとただそれだけ感じていられるならいいのに。黒い想いが渦巻くから、それで健吾を傷付けてしまわないように、楽しい思い出だけ残して、ちゃんとした彼女に隣に居てもらって、自分はここから去らなくてはいけない。
 若かった頃の、一時の過ちだと。そう思って忘れてくれたらいい。

 配達仲間に聞いた話では、健吾は浅尾と三村と山浦と四人で遊んでいるらしい。平日に遅く帰ることが増えて、吹っ切るように孝也は勉強に勤しんだ。
 水上とのデートは楽しかったらしいが、特に進展はしなかったようだ。実はあの日より後に駅前で水上に会い、少し立ち話をした。

 試験の話をすると、それについて色々と先輩としてアドバイスをしてくれた。水上は適性検査の練習もかなりしたらしい。
 これは大学入試より余程特殊な試験だから、慣れないとどうしようもないと言われて結構怖気づいた。
 まだ練習問題を持っているから持って行くよと言われ、有り難く頂戴することにした。水上の職場はすぐ近くだから帰りに寄るという。
 もう、梅雨が明けようとしていた。

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